
これは、頼まれて書き残すものです。
順に、私が見たとおりのことだけを書きます。
昭和七年の六月、私は上州の網代という町で、白い麻の布に名を一つ縫いました。
仕事はそれだけでした。
その札は、いまも年に一度、私のもとへ返ってきます。
※
私は和裁士です。
十四で京の店に入り、二十六で独り立ちしました。
できることは縫うことだけで、ほかに何も身につきませんでした。
若い頃、師匠に何度も直された癖が一つあります。
私の縫い目は、どういうわけか、少しだけ左へ流れます。
まっすぐ縫っているつもりでも、一尺も進むと、糸道が布の耳から離れていくのです。
師匠は三年ほど直そうとして、最後にあきらめました。
手の癖は生まれの癖だと言われました。
それきり四十年以上、この癖と付き合っています。
客に指摘されたことは、一度もありません。
見て分かるほどの流れではないのです。
※
網代の梶屋から手紙が来たのは、その年の五月の終わりでした。
仕事の中身は、白い麻の布に名を一つ縫い取ること。
名は現地で伝える、とありました。
手間賃は、留袖を五枚仕立てても届かない額でした。
なぜ私なのかと書き添えて返事を出しました。
折り返しの手紙には、一行だけありました。
あなたの縫い目を見た者がおります、と。
私は京にいて、上州には縁がありません。
私の縫った物が上州へ渡った覚えもありません。
それでも、その額の仕事を断る余裕はありませんでした。
汽車を乗り継ぎ、乗合自動車に半日揺られました。
谷が細くなり、両側の山が近づいてきます。
斜面が、上から下まで段になっていました。
段のすべてが桑畑でした。
六月の桑は葉が厚く、色が濃いのです。
車を降りたとき、まず匂いが来ました。
桑の匂いは、雨に濡れた青い草の匂いに、少しだけ甘さを足したような匂いでした。
その匂いが、町のどこにいても消えませんでした。
網代は、家の造りが少し変わっていました。
どの家も二階の窓が大きく、間口いっぱいに開いています。
蚕を飼う部屋だと、あとで教わりました。
歩いていると、その窓の向こうが暗くて、中は見えませんでした。
人の姿も、ほとんど見ませんでした。
その割に、道はどこもよく掃かれていました。
落ち葉の一枚も落ちていないのです。
宿はとめ屋という小さな旅籠でした。
女将のとめさんは、私と同じくらいの背丈の、よく笑う人でした。
夕餉に川魚と、桑の若葉の天ぷらが出ました。
苦くはなく、青い味がしました。
とめさんは町の話をしてくれました。
今年は繭の値が悪いこと。
若い衆が町を出ていくこと。
祭りが六月の晦日にあること。
私が笑うと、とめさんも笑いました。
よく笑う人といると、旅の疲れが軽くなります。
膳を下げるとき、とめさんが襖の際で足を止めました。
この町では、糸切り鋏を人に貸してはいけません。
そう言って、理由は言わずに笑いました。
私も笑って、はい、と答えました。
その晩は、それだけのことでした。
翌朝、私は宿帳に名を書きました。
とめさんが前の頁をめくって、そこに栞を挟みました。
一瞬、去年の六月の欄が見えました。
どの字も、少しだけ左へ流れていました。
私と同じ癖の字でした。
名は、私の名ではありませんでした。
よくある癖でしょうか、と聞きました。
とめさんは、そうですねえ、と言って帳面を閉じました。
※
梶屋は町の一番奥にありました。
黒い板塀が長く続いて、門の中に蔵が三つ見えました。
当主の梶与一さんは、五十くらいの、背の高い人でした。
挨拶のとき、この人は私の手を見ました。
顔ではなく、手を見たのです。
それから、よくおいでくださいました、と言いました。
仕事場は離れの八畳でした。
白い麻が一枚、畳紙に包んで置いてありました。
上等の麻で、目が細かく、張りがあります。
糸はこちらで用意したものを使ってくれと言われました。
生成りの絹糸で、これも悪くない糸でした。
名は明日お伝えします、と言われました。
その日は布を検め、糸を割いて、針に通しただけで終わりました。
番頭の重蔵さんが町を案内してくれました。
七十近い、話の面白い人です。
歩きながら、若い頃に女房に叱られた話を延々としてくれました。
下駄の鼻緒が切れて、片足で帰った話もしました。
私は声を出して笑いました。
この町へ来て、初めて声を出して笑いました。
蚕室にも上げてもらいました。
広い板の間に、蚕棚が段になって並んでいます。
どの棚も空でした。
今年は掃き立てをしとりません、と重蔵さんは言いました。
値がこうですから、と笑いました。
棚には桑の乾いた匂いだけが残っていました。
重蔵さんは、空の棚の前で長々と蚕の話をしてくれました。
蚕には目がありません。
明るい暗いも分からんのです、と重蔵さんは言いました。
それでも桑のある方へ、ちゃんと向きます。
どうやって分かるのかは、誰も知らんそうです。
私が感心すると、重蔵さんは嬉しそうにしました。
人に感心されるのが好きな人でした。
その日は、ほかに何もありませんでした。
祭りの支度で、辻に青竹が立てられていました。
子どもが二人、竹の下を走っていきました。
昼に食べたうどんが旨かったことを、今でも覚えています。
つゆが濃くて、京の味とはまるで違いました。
異変は、その夜からでした。
床に就いてしばらくして、雨の音がしました。
細かい雨が屋根を打つ音です。
サワサワ、というより、ザワザワに近い音でした。
起きて障子を開けると、星が出ていました。
地面も乾いていました。
音は屋根裏からしていました。
いっとき強くなり、また弱くなります。
波のように、寄せては引きました。
三十分ほど聞いて、いつのまにか眠りました。
朝、とめさんに聞きました。
とめさんは、うちは今年、掃き立てをしとりません、と言いました。
梶屋の重蔵さんと、同じ言い方でした。
言い方まで同じなのが、少し引っかかりました。
※
その日、名を伝えられました。
さち、の二文字でした。
どなたの名かと聞きました。
梶与一さんは、札に縫うのはあちらの名です、とだけ言いました。
それ以上は聞くなという顔でした。
私は縫い始めました。
麻は針が通りにくく、目を揃えるのに難儀します。
その日は、さ、の字の半分ほどを縫いました。
翌朝、離れに入って畳紙を開きました。
さ、の字が終わっていました。
その先、ち、の字の始まりまで、二寸ばかり針目が進んでいます。
私が縫ったのではありません。
糸が違うのです。
生成りではなく、黄ばんだ古い絹糸でした。
針目は、少しだけ左へ流れていました。
重蔵さんを呼びました。
重蔵さんはしゃがんで布を見ました。
それから、よう進んでおりますな、と言いました。
誰かが入りましたか、と私は聞きました。
鍵はかけておりますで、と重蔵さんは答えました。
答えになっていませんでした。
私はそれ以上、聞けませんでした。
その昼、重蔵さんが茶を持ってきて、こう言いました。
奥様は去年も、この座敷におられましたな。
私は、初めて参りました、と言いました。
重蔵さんは、そうでしたか、と言って、それきり黙りました。
黙り方が、思い違いをした人の黙り方ではありませんでした。
言ってはいけないことを言った人の黙り方でした。
夕方、湯屋の前で、たいそう年をとった女の人に手を掴まれました。
サキさんという、九十近い人だと後で知りました。
昔、梶屋で糸取りをしていたそうです。
サキさんは私の指を一本ずつ確かめました。
それから、その手じゃ、と言いました。
その手が、また戻ってきなさった。
そう言って、私の手の甲を撫でました。
撫でる力が、思いのほか強いのです。
重蔵さんが走ってきて、サキさんの腕を離させました。
サキさんは離されながら、まだ喋っていました。
縫うのは母の手でないといかん。
母の手でないと、あれは寄ってこん。
寄ってこんかったら、町に上がってくる。
そこまで言ったところで、重蔵さんが背中をさすって、家の方へ連れて行きました。
連れて行かれながら、サキさんは私を振り返って、笑いました。
歯のない、やわらかい笑い方でした。
町の三軒の家の前を通ると、みな仕事の手を止めます。
大和田、与曽井、戸倉という家です。
枷持ちと呼ばれる家だと、あとで知りました。
誰も私と目を合わせません。
けれど、私が通り過ぎると、必ず戸を閉めます。
閉める音だけが、後ろでそろって鳴りました。
三軒とも、閉める間が同じでした。
※
その晩、とめさんが酒を出してくれました。
私が聞きたそうにしていたからだと思います。
話せるところまで話します、と前置きされました。
明治二十三年、生糸の値が跳ね上がった年があったそうです。
網代の家々は、糸になるものを一つ残らず糸にしました。
梶屋も、戻しをやめました。
戻しというのは、その年の最後の一釜を煮ずに、名を付けて土へ返す作法です。
繭を煮るのは仕事です。
けれど、一つだけは仕事にしない。
そういう決まりだったそうです。
決まりの由来は、誰も知らないと言われました。
その年、糸取り場で若い工女が一人、釜のそばで倒れました。
身重でした。
二人とも、戻りませんでした。
とめさんは、それだけ言って猪口を置きました。
名は、とうとう言いませんでした。
私も、聞きませんでした。
翌年から、町は絹守様を祀るようになったそうです。
年に一度、六月の晦日に白い麻へ名を縫い取ります。
それに糸の枷を七重に巻いて、戻り淵へ沈める。
それが戻し札です。
縫うのは代々、糸元の家の女でした。
糸元は梶屋のことです。
けれど去年から、梶屋の女はみな手が動かなくなったそうです。
指が曲がったまま伸びないのだと、とめさんは自分の手を丸めて真似をしました。
真似をしてから、慌てて手を開きました。
では去年の札は誰が縫ったのですか、と聞きました。
とめさんは、酒を注ぎ足して、話題を祭りのことに変えました。
注ぎ方が、少しこぼれました。
※
翌日、重蔵さんが戻り淵へ連れて行ってくれました。
町のはずれから、杉の間を石段が下ります。
私には数える癖があります。
仕立ての商売をしていると、数える癖がつくのです。
下りは七十七段でした。
淵は思ったより小さく、水が黒く見えました。
底が深いのだと重蔵さんは言いました。
沢から水が入っているのに、水音がしません。
落ちる水の白さは見えるのに、音だけがないのです。
耳を近づけても、なにも聞こえませんでした。
重蔵さんは、そういう淵ですで、と言いました。
帰りに、また数えました。
六十九段でした。
おかしい、と言うと、重蔵さんは、七十七段です、と答えました。
昔から七十七段です、と。
私は日を改めて、もう一度数えました。
やはり下りは七十七、上りは六十九でした。
三度目は、数えるのをやめました。
その頃から、指に傷ができるようになりました。
左の中指の、第二関節の内側です。
針では決して刺さない場所です。
小さな刺し傷が、朝ごとに一つずつ増えました。
痛みはありません。
血も出ません。
数えると、網代へ来た日からの日数と、ちょうど合いました。
私はその指に、絆創膏を巻きました。
巻いた上から、また増えました。
それでも、町は明るいのです。
祭りが近く、辻に紙提灯が下がりました。
女の人たちが、離れまで握り飯を差し入れてくれます。
手の人、ご苦労さんです、と口々に言います。
なぜ手の人なのか、と重蔵さんに聞きました。
手だけが要りますで、と重蔵さんは笑いました。
悪気のない笑い方でした。
私もつられて笑いました。
笑ってから、自分の指の傷を思い出しました。
※
六月の晦日になりました。
札は昼過ぎに縫い上がりました。
さち、の二文字が、白い麻の上に浮いています。
自分の仕事としては、悪くない出来でした。
ただ、二寸だけ、糸の色が違います。
あの朝、私が縫っていない箇所です。
解いて縫い直そうとしました。
糸が抜けませんでした。
麻の目に食い込んで、離れないのです。
鋏を入れる気には、どうしてもなれませんでした。
日暮れに、戻り淵へ下りました。
梶与一さんと、枷持ちの三軒から一人ずつ。
それに重蔵さんと、私です。
私は縫った者として、そこに立つだけでよいと言われました。
座らず、喋らず、水に手を入れないこと。
守るのはその三つだけでした。
先に、去年の札を上げる作法がありました。
淵の縁の杭に、細い縄が結んであります。
それを手繰ると、水の中から糸の枷が上がってきました。
枷は黒く朽ちて、藻のようになっています。
その中に、麻布が一枚ありました。
重蔵さんが淵の水で洗うと、字が読めました。
去年の札の縫い目は、私の癖のとおりに、少しだけ左へ流れていました。
これは誰の仕事ですか、と私は聞きました。
去年の札です、と梶与一さんが答えました。
私はもう一度、これは誰の仕事ですか、と聞きました。
今度は、誰も答えませんでした。
枷持ちの三人が、いっせいに私から目を逸らしました。
そのとき、袂に手を入れて、糸切り鋏がないことに気づきました。
昼のうちに、誰かへ渡した覚えがあります。
手渡した感触だけがあって、渡した相手の顔が思い出せません。
枷持ちの三人を見ました。
三人とも、手には縄しか持っていません。
重蔵さんに聞きました。
この町では鋏は貸さんのです、と重蔵さんは言いました。
貸したら、返しに来ますで。
その言い方が、これまでで一番やわらかいのです。
叱ってもいないし、脅してもいません。
ただ、決まったことを述べただけの声でした。
日が落ちて、水の色が変わりました。
黒から、鉛のような色になりました。
それから、白いものが浮き上がってきました。
一つではありません。
数えられないほどでした。
繭に似ていますが、繭ではありません。
繭には、あんなに細い足はありません。
白いものには、どれにも目がありませんでした。
それでも、私の手のほうを向いていました。
顔を向けたのではなく、体ごと、そちらへ向くのです。
桑のある方へ、ちゃんと向く。
重蔵さんが言ったとおりでした。
音がしました。
サワサワ、という、あの音です。
宿の屋根裏で聞いた音と、同じ音でした。
雨ではありません。
食む音でした。
何十、何百という口が、いっせいに桑を食む音でした。
けれど淵に、桑の葉は一枚も浮いていません。
私は動けませんでした。
怖いとは思いませんでした。
ただ、足の裏が石に張り付いたようになって、離れないのです。
梶与一さんが、札を寄越しなさい、と言いました。
私は札を渡しました。
渡してから、自分の手が動いているのに気づきました。
糸の枷を七重に巻くのは、私の役ではありません。
それなのに、手が巻いていました。
巻き方が、自分の癖のとおりでした。
右へ一巻き、左へ二巻き、また右へ。
教わったことのない巻き方です。
けれど、指がその順を覚えていました。
梶与一さんも、枷持ちの三人も、止めませんでした。
止めないどころか、私の手が動き出したときに、小さく息を吐きました。
待っていたものが来た、という息の吐き方でした。
札が沈むと、白いものは一斉に見えなくなりました。
水音は、やはりしませんでした。
枷持ちの三人が縄を杭に結び直しました。
重蔵さんが、ご苦労さんです、と言いました。
それで終わりでした。
二十分ほどのことだったと思います。
石段を上がると、町は祭りでした。
提灯が続いて、太鼓の音がしました。
子どもが甘酒を配っていました。
女の人たちが、手の人にもどうぞ、と言って私に椀を渡しました。
甘酒は熱くて、生姜が利いていました。
誰も、淵のことを言いませんでした。
私も言いませんでした。
その晩は、屋根裏の音もしませんでした。
私はよく眠りました。
あんなによく眠ったのは、旅に出てから初めてでした。
※
翌朝、宿を発ちました。
とめさんが宿帳を出して、お名前を、と言いました。
私は書きました。
書いてから、自分の字を見ました。
どの字も、少しだけ左へ流れています。
去年の頁の字と、同じ流れでした。
名だけが違いました。
とめさんは帳面を閉じて、また来年、と言いかけました。
言いかけて、口を押さえました。
それから、お気をつけて、と言い直しました。
乗合自動車の窓から、段になった桑畑が見えました。
匂いは、峠を越えるまで消えませんでした。
京へ帰って、私はまた仕事をしました。
指の傷は、網代を出た日から増えなくなりました。
不思議に思いましたが、忙しさに紛れて忘れました。
人は、忘れられることは忘れるようにできています。
戦争があって、京の店は焼けました。
私は縫うことだけで、どうにか生きてきました。
網代のことは、ほとんど思い出しませんでした。
思い出さないことが不自然だとも、思いませんでした。
※
昭和二十四年の六月、包みが届きました。
差出人はありません。
中は、白い麻の布切れが一枚です。
名が一つ、縫い取ってありました。
さち、の二文字です。
縫い目は、少しだけ左へ流れていました。
それが毎年届きます。
今年で、三十幾つ目です。
数えるのは、途中でやめました。
封を切るとき、いつも同じことが起きます。
三十幾つ目の包みを開けたとき、桑の匂いがしました。
京には桑畑はありません。
この家の周りには、木も少ないのです。
それでも、包みを開けると、あの匂いがします。
雨に濡れた青い草に、少しだけ甘さを足したような匂いです。
私は網代へ行ったことを、たった一度のこととして覚えています。
けれど、去年の札は、私の手が縫っていました。
その前の年の札も、たぶんそうです。
どこで縫ったのか、私には思い出せません。
思い出せないまま、手だけが覚えているのだと思います。
手というのは、そういうものかもしれません。
サキさんの言葉を、この頃よく考えます。
縫うのは母の手でないといかん、と、あの人は言いました。
私は子を持ったことがありません。
それでも、あれは母の手だと言われたのです。
母でない手を、母の手にする方法があるということかもしれません。
だとしたら、それを誰が考えたのかを、私は知りません。
指の傷は、この頃また増えています。
一年に一つずつです。
数えると、初めて網代へ行った年からの数と合います。
痛みは、いまもありません。
私の縫い目は、今も少しだけ左へ流れます。
ただ、この十年ほど、二寸ばかり、右へまっすぐに進んでいる箇所があります。
どの仕事にも、必ず一箇所あります。
糸の色は、少し黄ばんでいます。
私は、その二寸を、まだ解いていません。