
2025年の11月から、翌年の2月までの話だ。
私が働いている団地には、128の郵便受けがある。
その名札の裏には、赤い鉛筆で数字が書かれている。
名札の裏の数字が何を意味するのか、私は今も知らない。
ただ、誰が書いているのかだけは、分かってしまった。
梅ノ木台住宅の郵便受けの名札は、紙でできている。
薄い厚紙を寸法どおりに切り、住戸番号と姓を印字して、金属の枠に差し込む。
枠は竣工した年のままで、塗装が剥げ、角が丸くなっている。
差し込み口の幅は、いまどきの規格より少しだけ狭い。
私はこの団地に、管理会社の常駐管理員として勤めている。
41歳になる。
前の職場は自動車部品の工場で、生産管理をしていた。
工場が畳まれ、職を探し、この仕事に流れ着いた。
数を数えて記録する仕事なら、どこでも同じだと思っていた。
実際、業務の大半は数だ。
電球の在庫。
粗大ごみの札の残り。
駐輪シールの発行枚数。
朝は8時半に管理員室を開ける。
掲示板を差し替え、5棟の共用廊下を順に見て回る。
128戸、築43年。
住民の平均年齢は高い。
昼間の廊下では、人よりも先に洗濯物の影に会う。
それでも、年に10戸ほどは人が入れ替わる。
入れ替わるたびに、私は名札を作り替える。
エントランスの郵便受けは、壁の一面をそのまま埋めている。
扉の色は、上の段ほど日に焼けて薄い。
掲示板の隅に、古い写真が貼ってある。
この土地が、市の種苗場だったころのものだ。
苗床の細長い列が、写真の奥まで続いている。
その列の位置は、いまの5棟の並びとほとんど同じだった。
着任した年に一度だけ、それを不思議に思った。
苗をどこに植えるかは、たぶん地面の乾き方で決まる。
建物をどこに建てるかも同じなのだろう、と自分を納得させた。
写真の下には、撮影年だけが手書きで添えてある。
撮った人の名前はない。
引き継ぎ帳を渡されたのは、着任の初日だった。
前任者の坂口さんが青いボールペンで書き残した、厚い帳面だ。
ごみの出し方。
給水ポンプの型番。
苦情の多い住戸と、その理由。
実務的で、読みやすく、無駄がない。
その最初のページに、一行だけ、色の違う字がある。
名札を作り替えるときは、裏の数字を写すこと。
引き継ぎ帳のその一行だけが、赤い鉛筆で書かれていた。
意味は分からなかった。
坂口さんに聞こうと思って、そのまま忘れた。
着任してからの半年は、名札を作り替える機会がなかったからだ。
だから私は、その一行を几帳面さの名残だと考えた。
几帳面な人ほど、他人には意味の分からない決まりを残す。
工場でも、そういう作業標準をいくつも見てきた。
誰も理由を知らないのに、誰も消せない一行。
名札の裏の数字も、その類だと思っていた。
11月の初めに、1棟102号室が空いた。
長く住んでいた方が、息子さんの家へ移ることになった。
引っ越しの日、私は立ち会って、鍵を預かった。
空になった部屋は、畳の色が家具の形に残っていた。
翌週には次の入居者が決まった。
私は名札を作った。
ラベルライターで姓を打ち、厚紙に貼り、寸法に切る。
古い名札を枠から抜くとき、指が滑って、紙が裏返った。
102号室の古い名札
裏に、赤い鉛筆で数字が書いてあった。
4、と読めた。
書き方に癖がある。
横棒の終わりが、わずかに上へ跳ねている。
紙は日に焼けて、表よりも裏のほうが白かった。
つまり、この数字は差し込まれる前に書かれたことになる。
住戸番号なら102だ。
枝番でも、棟番号でもない。
私はその紙を管理員室に持ち帰り、机の引き出しに入れた。
新しい名札を枠に差し込み、その日の日誌を書いて、退勤した。
翌朝、掲示板を差し替えたあと、郵便受けの前を通った。
102号室の名札が、わずかに浮いている。
差し方が甘かったのだと思い、指で押し込んだ。
そのとき、紙の縁から赤いものが見えた。
抜いて、裏返した。
1、と書いてある。
昨日、私が差した紙だ。
裏には何も書かなかった。
消しゴムで消せる濃さではない。
鉛筆の粉が、指の腹に薄くついた。
私はその粉を作業着で拭って、しばらく壁を見ていた。
管理員室に戻り、防犯カメラの録画を見た。
エントランスのカメラは、郵便受けの列を斜めから映している。
23時から翌6時までを早送りした。
自動ドアは一度も開いていない。
人は映らなかった。
巡回の警備員も、その夜は入っていない。
エントランスの自動ドアは、夜間は住民のキーでしか開かない。
その夜は、解錠の記録も残っていなかった。
私は録画を二度見て、それから見るのをやめた。
見るのをやめた理由は、いまでもうまく説明できない。
その週の休みの日に、私は全戸の名札を裏返した。
自分の勤め先の郵便受けを、一つずつ開けて回った。
金属の扉は、開けるたびに同じ高さの音を立てた。
午前中いっぱいかかり、指先が冷たくなった。
128戸のうち、121戸の裏に数字があった。
残りの7戸は空き住戸だった。
数字は1から3が大半だった。
1が81戸。
2が26戸。
3が9戸。
それ以外が5戸あった。
7、12、19、41、そして87。
私はその5戸の住戸番号を、手帳に書き写した。
87の紙だけ、ほかより厚みが減っていた。
何度も抜き差しされた紙の減り方だった。
数字の意味を考えた。
入居年数ではない。
41年住んでいる方はいるが、その住戸の数字は2だ。
世帯人数でもない。
築43年の建物に、87という数字が入る余地もない。
管理会社の名簿にも、そんな欄はない。
本社の総務に電話で聞いた。
名札の裏に数字を書く運用は、社としては存在しないと言われた。
「前任者の私物の記録ではないですか」
そう言われて、私は礼を言って切った。
坂口さんの字は青だ。
赤い鉛筆の字は、坂口さんの字ではない。
そこまで確かめて、私は一つ実験をした。
帰り道の100円ショップで、赤い色鉛筆を買った。
翌朝、4棟の空き住戸に、白紙の名札を作って差した。
表には部屋番号だけを印字した。
裏に、自分の字で2と書いた。
理由はない。
1でも3でもなく、2にした。
その日は普段どおりに働いた。
夕方、様子を見に行くと、紙はそのままだった。
翌朝、もう一度行った。
名札は差さっていた。
抜いて裏返すと、1と書いてあった。
私の書いた2はない。
消した跡もない。
紙そのものが、別の紙に替わっていた。
私が切った紙より、角がわずかに丸い。
表の印字は、私のラベルライターの書体だった。
色鉛筆は、その日のうちに引き出しの奥へ入れた。
赤い鉛筆の削り粉
12月に入って、夜の見回りを一度増やした。
規定にはない。
自分が眠れなかっただけだ。
その日は0時を回っていた。
1棟のエントランスに入ると、音がした。
カチ、カチ、と短く二度。
硬いものを削る音に似ていた。
郵便受けの列は、非常灯の緑で下から照らされている。
名札の紙が、その光でどれも同じ色に見えた。
人はいなかった。
私は列の端から端まで歩いた。
床のタイルに、赤い削り粉が落ちていた。
指でつまむと、乾いていた。
その晩、名札は一枚も動いていなかった。
翌朝、清掃の担当の方に、床の粉のことを聞いた。
「あそこ、たまに赤いのが落ちてますよ」
「掃いても、また落ちてます」
「いつからですか」
「私が入ったときからです」
その方は12年目だった。
私は手帳に、聞いた日付を書いた。
同じ週に、副理事長にも聞いてみた。
掲示板の差し替えを手伝ってくれる、80歳の男性だ。
「坂口さんね」
「あの人は、名札を触るときだけ手袋をしてたよ」
「なぜでしょう」
「さあ。聞いたら、汚れるからって」
副理事長はそう言って笑った。
笑ったあとで、少し黙った。
「その前の管理員さんも、そうだったな」
話のついでに、掲示板の古い写真のことを聞いた。
「種苗場だよ。私が子どものころだ」
「あの列は、いまの棟と同じ場所ですね」
「そうだね。地面のいいところは決まってるから」
副理事長はそう言って、少し考えた。
「札が挿してあったな」
「札、ですか」
「苗床の端に、木の札だ。何年目の株かを書く」
「何年目、というのは」
「植え替えた回数だよ。多いほど強くなる」
それだけの話だった。
私は掲示板の写真を、もう一度見た。
苗床の端に、白い点がいくつも写っている。
その週の風の強い日の翌朝、廊下の落ち葉を掃いている人がいた。
三宅さんだった。
掃除の当番ではない。
掃き終えると、何も言わずに部屋へ戻った。
それから、5戸の住民を注意して見るようになった。
数字が大きい人ほど、静かだった。
3棟305号室の三宅さんは、32歳の女性だ。
2019年に単身で入居している。
管理組合の総会には毎回出るが、発言はしない。
駐車場の割り当てでもめたときも、最後に残った場所を取った。
柱の陰で、朝いちばん雪が残る区画だった。
「どこでもいいです」
そう言って、それきりだった。
41の数字がついた2棟の男性は、70代だ。
共用廊下に置かれた自転車を、黙って自分の場所へ寄せる。
苦情は言わない。
19の女性は、掲示板の前で立ち止まらない。
7と12の住戸は、どちらも高齢のご夫婦だった。
挨拶をすると、必ず一拍おいてから返ってくる。
新しい規約が貼り出されても、読まずに通り過ぎる。
反対に、1の数字がついた住戸は、よく私のところへ来る。
駐車場の位置。
ごみ出しの時間。
上の階の足音。
理由はどれも正当だ。
私自身も、工場では毎日そうやって働いていた。
言うべきことは言う。
取れるものは取る。
それが仕事だと、疑ったことがなかった。
名札の裏の数字は、年齢ではなかった。
三宅さんは、私の顔を見ると、いつも少しだけ間を置いてから返事をした。
考えているのではない。
確かめている、という間だった。
物のない部屋
1月に、3棟の給水管の更新工事があった。
各戸に入って、台所と洗面所の壁を開ける。
私は工事業者に付いて、全戸に立ち会った。
朝から夕方まで、一日に六戸ずつ回った。
どの部屋にも、その家の年月が積んである。
玄関の靴の数。
冷蔵庫に貼られた孫の写真。
物置になった子ども部屋。
305号室に入ったのは、四日目の午後だった。
玄関に靴が一足あった。
廊下に物がない。
6畳の和室に、布団と、低い机が一つ。
本棚も、テレビもない。
机の上に、細い罫のノートが一冊あった。
表紙には何も書かれていない。
それ以外に、紙らしいものは見えなかった。
窓からは、1棟のエントランスの屋根が見える。
郵便受けの列は、その真下にある。
台所の棚は、ほとんど空だった。
引っ越してきたばかりの部屋に見えた。
三宅さんは6年住んでいる。
「片付いていますね」
私は言った。
「あまり要らないんです」
三宅さんはそう答えた。
壁を開けている間、彼女は廊下に立って、作業を見ていた。
業者が古い管を抜き、新しい管を通す。
その手順を、彼女は最後まで見ていた。
飽きるということが、この人にはないのだと思った。
工事が終わると、彼女は壁の点検口の位置を指で確かめた。
どこを開けたかを、覚えておくような手つきだった。
帰りぎわ、彼女が私に聞いた。
「郵便受け、開けてましたよね」
私は返事ができなかった。
「掃除ですか」
「点検です」
そう答えた。
三宅さんは、少し間を置いてから、はい、と言った。
私は三宅さんについて、ほとんど何も知らなかった。
名前と、部屋番号と、勤め先が市内の病院だということだけだ。
6年のあいだ、苦情も、要望も、一度も出ていない。
名簿の備考欄は空のままだった。
その空欄を、私は何度も見ていた。
その晩、私は坂口さんに電話をかけた。
番号は引き継ぎ帳の裏表紙に書いてある。
坂口さんは73歳で、いまは市外に住んでいる。
呼び出し音は長かった。
「ああ、梅ノ木台の」
「名札のことで、伺いたいんですが」
「裏の数字だね」
坂口さんの声は、驚いていなかった。
用件を言い当てられたのに、私は聞き返す気にならなかった。
「あれは、何なんでしょうか」
「私も知らんよ」
「では、なぜ写せと」
「写さないと、書き直されるからだ」
「誰がですか」
「書いてくれる人がいる」
坂口さんはそう言った。
「放っておきなさい」
私は黙っていた。
受話器の向こうで、テレビの音が小さく聞こえた。
「一つだけ言っておく」
「はい」
「あんたの数字は、いくつだった」
そう聞かれた。
私は答えられなかった。
自分の名札を、まだ裏返していなかったからだ。
名札の裏の数字
管理員室にも郵便受けがある。
列のいちばん端、管理組合の投函用と並んでいる。
名札には、管理員室、と印字してある。
私が作った紙ではない。
着任したときから、そこにあった。
電話を切ってから、私はエントランスへ降りた。
非常灯だけの明かりで、扉の番号が読みにくかった。
枠から紙を抜いて、裏返した。
1、と書いてあった。
赤い鉛筆だった。
横棒の終わりが、わずかに上へ跳ねている。
102号室の古い名札と、同じ癖だった。
私はその紙を、元の枠に戻した。
戻すとき、指がわずかに震えた。
それから管理員室へ戻り、書庫の下の段を開けた。
棚は、下の段ほど埃が厚い。
古い引き継ぎ帳が、年度ごとに綴じてある。
背表紙の年号が、下へ行くほど古くなる。
いちばん古いものは2003年だった。
それより古い帳面は残っていない。
建て替えの検討で一度処分したと、坂口さんの帳面に書いてある。
処分したのは、坂口さんの前の管理員だ。
坂口さんの前の、そのまた前の管理員の字だ。
名札の裏の数字のことは、どの年度にも書かれていない。
ただ、2003年の6月のページに、一行だけ赤い字があった。
三宅さんに書いてもらうこと。
私は日付を二度確かめた。
2003年だ。
305号室の三宅さんは、2019年の入居だ。
当時の名簿を探した。
2003年の入居者一覧に、三宅という姓はない。
同姓の別人でもない。
その年、この団地に三宅さんは住んでいなかった。
私は帳面を閉じた。
それから、開いた。
赤い字の跳ね方を、指でなぞった。
紙の繊維が、そこだけ薄く毛羽立っていた。
同じ跳ね方の1が、この団地には81ある。
それを81回書いた人が、どこかにいる。
翌日から、私は名札に触らなくなった。
新しい入居者が決まっても、古い紙をそのまま残した。
数字を写すのをやめた。
何も起きなかった。
掲示板は毎朝差し替えた。
電球は切れれば替えた。
苦情を受け、記録を書き、定時に帰った。
何も起きないという状態が、一週間続いた。
二週間続くと、私は少し安心した。
安心したことのほうが、あとで気持ち悪くなった。
私は、何も起きないことを、許されたのだと考えた。
2月の半ば、ごみ置き場の扉の蝶番を直していると、後ろに人が立った。
三宅さんだった。
「工具、お持ちですか」
「これですか」
「いえ」
三宅さんは、上着の内側から短い鉛筆を出した。
赤い鉛筆だった。
先は丸くなっていた。
「削るものが要るんです」
先の丸い赤鉛筆
私は工具箱からカッターを出して渡した。
三宅さんは、その場で鉛筆を削った。
カチ、と短い音がした。
赤い粉が、私の靴の先に落ちた。
その音を、私は12月の夜に一度聞いている。
三宅さんは、削りかすを手のひらで受けて、ポケットに入れた。
床には落とさなかった。
「気づきましたよね」
三宅さんは言った。
私は、はい、と答えた。
「数字は、自分では書けないんです」
「では、誰が」
「上の人が書きます」
「上、というのは」
三宅さんは答えなかった。
代わりに、こう言った。
「私のも、誰かが書きました」
「見ていません」
削り終えたカッターを、彼女は刃を戻してから返してきた。
その日の夕方、4棟の一室が空いて、私は名札を作った。
枠に差し込む前に、三宅さんが紙を受け取った。
裏返して、鉛筆を当てた。
書くのに、二秒もかからなかった。
1、と書いた。
三宅さんの書いた1は、私の名札の裏にあるものと、同じところが跳ねていた。
三宅さんは2月の末に引っ越した。
行き先は聞かなかった。
305号室の名札は、私が抜いた。
裏には87とあった。
その紙は、私の指の力で少したわんだ。
何度も抜き差しされて、薄くなっていたからだ。
4月に、その部屋へ60代の男性が入った。
鍵を渡すとき、その人は私の顔を見て、同じだけ間を置いた。
「まだ1なんですね」
そう言われた。
その人の荷物は、段ボールが二つだけだった。
私は自分の名札を裏返さないまま、郵便受けに差し込んだ。
引き出しには、102号室の古い紙が、まだ入っている。
裏の4は、いまも同じところで跳ねている。