代わりに読んでくれませんか

黄昏の山里と湯宿

私はもう、自分の書いた原稿を自分では読まない。

ディレクターが読まないこと自体は、べつに珍しくもない。

ただ、私の場合は理由が少しちがう。

その理由を話すには、鳴合という町の説明から始めないといけない。

鳴合は、県境の峠をひとつ越えた先にある小さな湯の町だ。

温泉宿が3軒、公衆浴場がひとつ、川沿いに県道が一本だけ通っている。

バスは朝と夕方に来て、冬になると来ない日もある。

道の駅の二階に、私の勤めるコミュニティFMの局がある。

出力は20ワットで、電波はだいたい峠の手前までしか届かない。

それでも町の人は、台所のラジオをつけっぱなしにして聞いてくれている。

スタジオは六畳ほどで、防音のために目張りをした窓がひとつある。

夏は暑く、冬は足元だけがいつまでも冷たい。

私はそこで、夕方の帯番組をつくっている。

番組といっても、たいしたことをやっているわけではない。

給食の献立を読み、除雪車の出動予定を読み、公民館の講座の締切を読む。

週に一度、町の人から届く「町のふしぎ」というコーナーの投稿を読む。

ほとんどは、狸が横断歩道をきちんと渡っていたという類のものだ。

声に出して読む、というのが、要するに私の仕事のすべてだった。

前は県庁所在地の局で、朝の交通情報を読んでいた。

声を仕事にしたくてこの世界に入ったので、読むことに疑いを持ったことは一度もなかった。

文字は、口に出したところで文字のままだ。

そう思っていたし、今でも半分はそう思っている。

局に入った春に、局長の岸さんから廊下の壁を見せられた。

壁には、ラミネートをかけた紙が縦に四枚、画鋲で留めてある。

すべて手書きの一覧で、上のほうは字が薄れてもう読めない。

下のほうは新しく、ボールペンの色がまだ黒々としている。

書いてあるのは、どれも短い平仮名の並びだった。

中身は驚くほど平凡で、意味らしい意味はどこにもない。

ゆをもらいにきました、とか、そっちのみちはとおれますか、とか。

どれも、この町の誰かが今日にでも口にしそうな言い回しだった。

「これは読まないやつ」と岸さんは言った。

「読まないって、放送でですか」

「放送でも、廊下でもです」

局ができた頃から、歴代の局長が書き足しては貼り替えて続けているものらしい。

廊下の壁には、読み上げてはいけない言い回しの一覧が、局のできた頃から貼り替えられて続いている。

由来を聞いても、岸さんは「知らん」としか言わなかった。

誰も知らないものを、局の歴史のぶんだけ、ずっと貼り替え続けているのだった。

私はその日、写真に撮ろうとして、やめた。

撮ったら、手元でうっかり読んでしまいそうだったからだ。

四枚目の紙だけは、まだ半分ほどが白いままだった。

つまり、これから書き足す余白として残してあるということだ。

一覧が完成していないという事実に気づいたのは、しばらく経ってからだった。

それから毎日その前を通ったが、目を上げないのがすぐに癖になった。

戸倉くんは、その秋に地域おこし協力隊として町にやってきた。

東京で音響の会社にいたという話で、とにかく耳がよかった。

仕事は移住相談と広報なのだが、暇があると録音機を持って町を歩いていた。

川の瀬の音、公衆浴場で湯を汲む音、朝いちばんの除雪車、屋根から雪が落ちる音。

「町の音を全部録っておきたいんです」と彼は言った。

「全部って、どこまで」

「誰もいなくなったあとに、これがあったって分かるくらいまで」

そういうことを、まったく気負わずに言う人だった。

番組でときどき使わせてもらったら、思いのほか評判がよかった。

公衆浴場の音を流した週は、脱衣所で自分の下駄の音を聞いたという電話が二本かかってきた。

私はその音源を、日が暮れてから一人で編集するのが好きだった。

局の窓からは川と、川の向こうの山しか見えない。

夜になると山が黒くなって、窓が鏡になる。

その鏡の中で、ヘッドホンをした自分が誰かの町の音を聞いている。

悪くない時間だった。

鳴合には、もうひとつ変わったものがある。

コンビニのレジ横に、うすい藁半紙の束がいつも置いてあるのだ。

郵便局の記帳台にも、道の駅の入口にも、まったく同じ束が置いてある。

「ご自由にお持ちください」と手書きの札が立っている。

刷ってあるのは、意味の通らない短い文句だけだ。

なりあいのゆはあさもぬるまず。

町の人は、それを一枚たたんで財布に入れている。

私も入れている。

入れなさいと言われたからで、理由は一度も聞いていない。

着任した週に、道の駅の事務の人が当たり前の顔で一枚くれた。

「財布ね。ポケットは落とすから」

落としたらどうなるのかは、教えてもらえなかった。

子どもがそれを折り紙に使って、店の人にひどく叱られているのも見た。

叱り方が、火に触った子を叱るときの声だった。

印刷しているのは隣町の古い印刷所で、版はずっと変えていないという。

観光協会が英語版を作ろうとして、町内会の反対で流れたという話も聞いた。

訳したら意味が通ってしまうから、というのが反対の理由だったらしい。

私はその頃、それを町の可愛らしい言い伝えだと思っていた。

12月のはじめに、戸倉くんが公衆浴場の朝の音を録ってきた。

桶の底が石に当たる音と、湯を汲む音と、換気扇の低いうなりが続く。

たいへんいい音源だった。

編集していて、10分12秒のところで手が止まった。

換気扇の音の裏側に、男の声が短くひとこと入っていた。

読んでみて。

戸倉くんが録ってきた音の中に、彼の声で「読んでみて」と入っていた。

波形を拡大しても、前後にほかの音の切れ目はない。

録りながら独り言を言えば、必ず衣擦れか足音が一緒に入る。

その一言だけが、何の物音も連れずにそこにあった。

本人に聞かせると、彼は「言ってないです」と言った。

その時間、浴場には彼ひとりしかいなかったはずだった。

「寝言みたいなもんですかね」と彼は笑った。

私も笑って、その部分だけを切って捨てた。

捨てたつもりだったが、書き出したファイルにも同じ場所に同じ声が残っていた。

そのときは、操作を間違えたのだと思うことにした。

その月の終わり、戸倉くんと二人で年越しの特番の収録をした。

彼はスタジオの椅子に浅く座って、町の音を並べた三十分をうれしそうに聞いていた。

「これ、十年経ったら価値が出ますよ」

「十年もつかな、この局」

「もたせましょうよ」

帰りに雪が降って、二人で道の駅の軒下に立って止むのを待った。

その夜の彼は、どこにも変なところがなかった。

帰り際、彼は軒下で録音機を出して、雪が落ちる音を録っていた。

その音は、いま局のサーバーの一番古いフォルダに入っている。

年が明けてから、局のホワイトボードに平仮名の一文が書かれるようになった。

朝いちばんに来た人が、意味も分からないまま消す。

翌朝、まったく同じ位置に、同じ文がまた書いてある。

高さも、字の傾きも、毎朝きれいに揃っていた。

字は、どう見ても戸倉くんのものだった。

写真を撮って見せると、彼は血の気の引いた顔で「書いてません」と言った。

局に監視カメラのたぐいはない。

ただ、黒のマーカーだけが、目に見えて速く減っていった。

新しいものを下ろしても、三日ともたなかった。

書かれていたのは、こういう一行だ。

ぬしのくちをかしてくれ。

私は声に出さずに読んだ。

出さなかったのは、廊下の一覧のいちばん下に、それによく似た並びがあったからだ。

思い返すと、戸倉くんの様子は年明けから少しずつ変わっていた。

郵便局で、窓口の人に宛名を声に出して確かめてくれと頼んだという話を聞いた。

給油所では、レシートの品名を読んでほしいと言って断られたらしい。

どれも一人で聞けば、ただの丁寧すぎる人の話だった。

町の人は、そういう頼まれ方をされると、黙って自分の財布を開く。

その日から、私はホワイトボードを見ないで消すようになった。

布で上から下へ、一度で拭き取る。

そうしていれば読まずに済むと、なぜか自然に手が覚えた。

節分の頃、公衆浴場で浅井のおばあさんに会った。

町でいちばん長く湯守をしている人で、脱衣所の柱にいつも寄りかかっている。

「あんた、まだ読んどらんね」

挨拶とまったく同じ調子で、そう言われた。

「何をですか」

「何でもよ。読まされとらんかね」

私は財布から読ませ紙を出して見せた。

おばあさんは、たいそう満足そうにうなずいた。

「持っとるならええ」

帰りに商店へ寄って、レジの人にそれとなく聞いてみた。

「戸倉さんね、最近ちょっとね」

そう言って、レジ横の束を三枚ぶん足してくれた。

誰ひとり驚いていなかった。

町の人は全員この話を知っていて、知ったうえで、レジ横に紙を置き、財布に入れて、それで済ませている。

役場の広報を確かめると、裏面には毎月きちんと読ませ紙の枠が刷ってあった。

印刷費として、ちゃんと予算までついていた。

議事録には「例年どおり」の四文字だけが並んでいる。

学校でも配っているのかと先生に聞いたら、配っているという答えが返ってきた。

配ってはいるが、授業では触れないのだそうだ。

三月の町内会の総会は、番組で告知する都合があるので毎年取材に行く。

その年の議案書にも、備品費の下に読ませ紙の印刷費が一行あった。

質疑で手を挙げたのは、隣の集落から出てきた若い区長だった。

「これ、そろそろ減らしませんか」

場が静かになった。

会長は資料をめくる手を止めずに、去年と同じ額でお願いしますと言った。

それで採決になり、全員が挙手した。

若い区長も挙げていた。

誰も理由を言わないまま、次の議案に進んだ。

私は録音機を回したまま、自分も手を挙げていた。

図書館の郷土資料も一度だけ調べた。

戦後にまとめられた町史の、民俗の章の末尾に一行あるきりだった。

「読ませ紙のこと、記すを憚る」

それ以上は、どの棚にもなかった。

私はそれが、いちばん薄気味悪かった。

怪異そのものより、怪異のための予算がついていることのほうが怖い、というのは、来てみるまで知らなかった。

2月の半ばに、自分の放送を聞き返していて、また手が止まった。

生放送の録音の、17時41分あたりに、3秒の空白がある。

私はそこで、次のコーナーの案内を喋っていたはずだった。

台本にも、間を取る指示は書いていない。

3秒のあいだ、マイクは息を吸う音だけを拾っている。

吸う音だけが二度続いて、吐く音がどこにもない。

技術の人に頼んで、送信機のログと突き合わせてもらった。

局の時計と送信機の時刻は、秒まできれいに合っていた。

合っていない理由がないので、合っている、と技術の人は言った。

その日の記憶が3秒ぶん足りないことを、私は誰にも言わなかった。

その週から、生放送のあいだ、机の上に読ませ紙を広げて置くようになった。

何かあれば、これを読めばいいと思っていた。

今にして思えば、それは何の備えにもなっていない。

読ませ紙は、読む側ではなく、読ませたい側のための紙だからだ。

言わなかったのは、言えば町の人が驚かない気がしたからだ。

3月に入って、戸倉くんが局に上がってきた。

髪も服装もいつも通りで、それがかえっておかしかった。

彼は私の机の前に立ち、藁半紙を一枚、両手で差し出した。

「これ、読んでもらえませんか」

とても丁寧な声だった。

「何て書いてあるの」

「読めばわかります」

私は受け取らなかった。

彼はすぐに謝って、深く頭を下げた。

そして、また同じように差し出した。

「お願いします」

「読まないよ」

「一行でいいんです」

「戸倉くん、座って」

「座ったら読んでくれますか」

彼は笑っていた。

笑いながら、目のふちだけが濡れていた。

そこには害意がまるでなかった。

むしろ、私に何かいいものを分けようとしている人の顔だった。

それがいちばん怖かった。

思い返せば、その一週間ほど前から、彼は町中の人に同じことを頼んでいたらしい。

郵便局でも、給油所でも、除雪の詰所でも。

そして誰ひとり、彼の紙を受け取っていなかった。

町の人は、頼まれると財布から自分の紙を出して、代わりにそれを読んでやるのだという。

彼は最後に、紙を私の机の上にそっと置いた。

置き方が、菓子折りを置くときの手つきだった。

階段を上がってきた岸さんが、私に「出とれ」と短く言った。

廊下に出て五分もしないうちに、道の駅の人と、商店の人と、浅井のおばあさんが上がってきた。

誰ひとり走っていなかった。

おばあさんは、読ませ紙の束を輪ゴムでまとめて持っていた。

私はドアの隙間から中を見ていた。

おばあさんは戸倉くんの正面に座り、紙を一枚ずつ持ち上げて、声に出して読んだ。

なりあいのゆはあさもぬるまず。

なりあいのゆはあさもぬるまず。

一枚読むごとに、紙を裏返して脇へ置く。

読まれるたびに、戸倉くんは少しずつ静かになっていった。

差し出していた手が下がり、肩が落ち、まばたきの間隔が長くなる。

束が半分ほどになった頃、彼は自分から床に座り込んだ。

岸さんが、湯に浸けてきたという紙を彼の額に当てた。

濡れた藁半紙の、饐えたような匂いが廊下まで流れてきた。

戸倉くんは眠るように目を閉じ、しばらくしてから目を開けた。

「あれ」と彼は言った。

それだけだった。

戸倉くんは自分の手のひらをしばらく見ていた。

それから、誰にともなく「すみません」と言った。

おばあさんが「もう言わんでええ」と返した。

道の駅の人が、床に散った紙を集めて数え始めた。

数が合わないと困るのだそうだ。

みんなが階段を下りていったあと、私は床に落ちていた紙を一枚拾った。

数え忘れた読ませ紙だと思って拾った。

藁半紙ではなかった。

局のプリンタの用紙で、番組の進行表の書式だった。

日付の欄は翌週の水曜になっていて、担当の欄には私の名前が印刷されていた。

本文の欄には、廊下の一覧のいちばん下と同じ並びの文字があった。

私は読まなかった。

読まずに二つに折って、湯に浸けた紙といっしょに岸さんに渡した。

岸さんは何も言わずに受け取り、それを職員室のシュレッダーにかけた。

機械の音が、やけに長く続いた。

その晩、岸さんがレジ横用の束を数えながら、独り言のように言った。

「僕のときは、まだ束が薄かったですよ」

いつのことか聞いたら、局に入ってすぐの頃だと言われた。

誰に読ませようとしたのかは、聞かなかった。

岸さんも言わなかった。

壁の一覧の、上から二枚目の字が岸さんのものだと気づいたのは、そのあとだ。

翌週の水曜の進行表は、私が自分で作った。

何も起きなかった。

戸倉くんは春に町を出た。

送別会で、彼は自分のしたことを何ひとつ覚えていないと言った。

覚えているのは、誰かに何かを頼み続けていた感覚だけらしい。

「ずっと、すみませんって言ってた気がします」

誰も彼を責めなかった。

みんな、鍋を取り分けながら普通に笑っていた。

むしろ「よう頼めたね」と褒めている人までいた。

帰り道、浅井のおばあさんが、ヨマセ様というのだと教えてくれた。

声に出して読まれた文字に宿るもので、宿った人に、次に読ませる相手を探させるのだという。

自分で読んでも移らない。

だから読ませ紙がある。

ヨマセ様に頼まれている人のことを、この町では頼まれ人と呼ぶらしい。

何度も読み上げられて意味の擦り切れた文句を代わりに読んでやると、しばらくおとなしくなるらしい。

「昔は生き物を放ってやったらしいけどね」

「今は紙で足りる」

おばあさんは、そこで少しだけ得意そうな顔をした。

古い書き方では夜交と書くのだ、とだけ言って、あとは何も教えてくれなかった。

どうしてこの町にだけあるのかと聞くと、笑って湯の話に変えられた。

戸倉くんからは、町を出てひと月ほどして一度だけ連絡が来た。

仕事が決まったという短い報告のあとに、一行だけ添えてあった。

あの浴場の音、ちゃんと残ってますか。

残っていると返した。

既読はついたが、それきりだった。

5月の終わりに、「町のふしぎ」あてに匿名の投稿が届いた。

封筒に切手は貼っていなかった。

中身はふつうの官製はがきで、狸の話でも湯の話でもなかった。

短い文が一行だけ、とても丁寧な字で書いてある。

私はそれを、いつも通り生放送で読んだ。

読み終えてから、廊下に出た。

一覧のいちばん下の行は、まだ乾いていなかった。

誰が書き足したのかは、聞いていない。

指の腹に、黒いものがついていた。

放送を聞き返すと、私はリスナーに向かって、もう一度声に出してみてくださいと言っていた。

台本には書いていない一行だった。

だから今は、私が書いたものは全部、別の人に読んでもらっている。

代わりに読んでくれる人を、私はいつも探している。

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