その棚だけ値札が白かった

月夜の蔵と天秤職人

この仕事は、ほとんどが数字だ。

秤に載せて、止まった数字を読む。

刻印を確認して、その日の相場表と突き合わせる。

電卓を叩き、値札を刷って、ケースに並べる。

それだけの仕事だ。

だから、値札が白いまま何年も置かれている棚のことを、私は最初からおかしいと思っていた。

山陰の地方都市で、リユースチェーンの買取査定を8年やっている。

担当は貴金属と時計だ。

店は国道沿いにある。

駐車場が30台ぶん、看板が青くて、夜の9時まで明るい。

週末になると、家族連れが子供服とゲーム機を持ってくる。

平日の昼間は、駐車場に軽自動車が2台か3台あるだけだ。

私のカウンターは、店のいちばん奥にある。

持ち込まれるのは、指輪、細い鎖、文字盤の焼けた腕時計、喪服に使う帯留め。

持ってくるのはたいてい60代から上の人で、たいていは親の家を片づけている最中だ。

紙袋の底に、線香の匂いが残っていることがある。

私は物を見て、数字を出す。

相手はその数字を見て、うなずくか、持って帰る。

それだけの関係だ。

感情の話は、この仕事にはあまり出てこない。

出てくるとしたら、数字が思ったより低かったときくらいだ。

私は34で、独り暮らしで、店から車で15分のアパートに住んでいる。

休みの日は寝ている。

そういう、どこにでもある生活だった。

うちの店には、屋号が二つある。

看板に出ているのはチェーンの名前だが、地元の人はいまだに「みずしろさん」と呼ぶ。

この場所には、20年ほど前まで水代質店という質屋があった。

チェーンが土地ごと買い上げて、建物を建て替え、屋号だけを残した。

店の入口の脇に、水色の小さなプレートが埋め込んである。

創業、と彫ってあって、あとの文字は読めない。

研磨したときに削れたのだと、店長は言っていた。

残ったものは、もう一つある。

バックヤードの、いちばん奥にあるスチール棚だ。

入ったばかりの頃、店長に言われた。

「あの棚には触らんでええから」

「在庫じゃないんですか」

「在庫やない」

「じゃあ何ですか」

「預かりもんや」

それきりだった。

私は「はい」と答えて、それ以上は聞かなかった。

どこの職場にも、触らないほうがいい棚はある。

聞かないことが、うまくやる方法だと思っていた。

棚には、浅いプラスチックのトレーが14段、きれいに並んでいた。

中身は、うちのケースに出ていてもおかしくない物ばかりだった。

金の指輪。

銀の細い鎖。

文字盤の焼けた腕時計。

硝子の数珠。

眼鏡のフレームだけが1本。

どれにも値札が付いていた。

ただ、白かった。

印字が、一つもなかった。

うちの店で、白い値札はありえない。

値札というのは数字を貼るための紙で、数字がなければただの紙だ。

それが41枚あった。

数えたのは、入って半年ほど経った頃の、暇な平日の午後だった。

数えただけで、触りはしなかった。

埃はかぶっていなかった。

誰かが定期的に払っているのだと、そのとき初めて気づいた。

年に何度か、査定を頼まない客が来る。

カウンターに紙袋を置いて、こう言う。

「見てもらわんでええです」

「買い取りではなく、ということですか」

「置いていくだけでええんです」

私が困っていると、必ず店長が奥から出てきた。

店長はその頃で62だった。

水代質店の時代に、先代の下で働いていた人だ。

店長は袋の中を見ずに受け取って、伝票も切らずに奥へ持って入った。

帰りぎわ、客はいつも同じことを言った。

「みずしろさんに置いといてもらえたら、安心やわ」

チェーンの店なのに、と私は思っていた。

看板も社名も変わって、レジも本部のシステムなのに、何を安心しているのだろうと。

年に一度か二度、確かめに来る人もいた。

買い物のついでのような顔で入ってきて、カウンター越しに小声で聞く。

「あれ、まだ置いてもろうとりますか」

「はい、置いてます」と店長が答える。

それだけで、その人は満足して帰っていった。

何を確かめに来ているのか、私は一度も聞かなかった。

そういう客を見るたび、なぜか祖母の家の玄関を思い出した。

祖母の家の傘立てには、いつも家族の数より1本多く傘が立っていた。

祖母と母と私で3人のとき、傘は4本あった。

多いほうの1本は、黒くて、骨が1本折れていた。

祖母はそれを、最後まで捨てなかった。

晴れた日に、その1本だけを外に干していたこともある。

子供の頃はそれを、几帳面な人なのだと思っていた。

去年の3月に、本部のシステムが入れ替わった。

15年使っていた在庫管理が、新しいクラウドのものになった。

移行のとき、旧システムに残っていたデータが全部吸い上げられた。

その中に、登録だけされて、金額の欄が空のままの41件があった。

本部から店長宛にメールが来た。

件名は「棚卸差異のご確認について」だった。

資産計上されていない在庫が41点ある、と書かれていた。

査定して出品するか、廃棄処理をするか、今月中に決めてくださいとあった。

店長は返信をしなかった。

1週間後に催促が来て、それにも返信をしなかった。

3度目に、エリアマネージャーが店に来た。

応接のない店なので、話は事務所でされた。

扉は閉まっていたが、声は聞こえた。

店長の声が、あんなに低くなるのを初めて聞いた。

その日の閉店後、店長が私を裏に呼んだ。

「棚卸の相談があるんやけど」

私はノートとハンディを持って、事務所の椅子に座った。

店長は座らずに、金庫の前に立ったままだった。

棚卸の話は、一言も出なかった。

「Nさん、質屋がどういうもんか知っとる」

「物を担保にお金を貸すところですよね」

「そう。ほんで、大事なんは、その物が誰のもんでもなくなる期間があるってことや」

「流れるまでの、3か月ですか」

「そうや。持ち主のもんでもない、店のもんでもない。宙に浮いとる」

店長は金庫の扉を指の背で叩いた。

「先代はな、そこを使うたんや」

この土地には、燃やせないし置いておけない物を、質屋に持ち込む習わしがあったのだと店長は言った。

事故のあった車の鍵。

帰ってこなくなった人が、その朝に身につけていた物。

寺や神社は、受け取らないこともある。

御祓いをしましょうと言われても、家に持って帰るのが嫌なのだ、と。

「先代は全部受けとった。ただし、決めごとが一つだけあった」

「なんですか」

「値をつけん。それだけや」

「売らない、ということですか」

「売らんし、質にも取らん。数字を書かん。帳面に一行だけ書いて、棚に置く」

「なんでですか」

店長はそこで初めて椅子に座った。

「わしも一度だけ聞いた。先代はこう言うた」

「値をつけるゆうんは、名前を書くことや、て」

意味は分からなかった。

ただ、店長が冗談を言っている顔ではないことは分かった。

「本部には、そう説明したんですか」

「したよ。廃棄でも売却でもない在庫は計上できません、て返ってきた」

「……ですよね」

「せやからな、Nさん」

店長は私の顔を見ずに言った。

「わしがやる。お前は触らんでええ」

私は少しほっとして、その日は帰った。

帰り道のコンビニで、いつもより高い缶コーヒーを買った覚えがある。

そういう、どうでもいいことのほうをよく覚えている。

その週の金曜に、店長が腰を痛めて動けなくなった。

椎間板ヘルニアで、3週間の入院になったと連絡が来た。

本部の期限は、月末だった。

エリアマネージャーから電話がかかってきた。

「Nさん、貴金属の査定できますよね」

「できます」

「じゃあお願いします。41点、今週中に」

「店長からは、触るなと言われてるんですが」

「その件は私から言ってあります」

それで話は終わった。

私は病室に電話をかけた。

店長は出なかった。

3回かけて、3回とも出なかった。

今にして思えば、あれは出なかったのではないと思う。

査定そのものは、何も難しくなかった。

金は刻印を見て、秤に載せて、その日のグラム単価を掛ける。

銀も同じだ。

時計は型番を調べて、動くかどうかを見る。

1点あたり、平均して4分もかからなかった。

白い値札を1枚ずつ剥がして、数字の入った値札に貼り替えていった。

剥がすとき、紙は乾いた音を立てた。

糊が古くなっていて、どれも一度で綺麗に剥がれた。

硝子の数珠は、房が完全に色を失っていた。

眼鏡のフレームには、掛けていた人の癖なのか、右側だけ内側に曲がった跡があった。

焼けた腕時計は、竜頭を巻くと動いた。

動いたときは、正直、少し嬉しかった。

3日で40点が終わった。

何も起きなかった。

棚は、白い値札の紙屑が出ただけ軽くなった。

ただ、41点のうち、1点だけ、どうしても数字が決められなかった。

留め具の壊れた、細い銀の鎖だった。

トップは付いていない。

刻印もない。

銀なら重さで決まるので、秤に載せさえすればいい。

載せた。

数字が止まらなかった。

0.01グラム刻みの電子秤で、表示が3つの数字を行ったり来たりし続けた。

風防を閉め、台を拭き、ゼロ点を取り直した。

同じだった。

別の秤に移した。

同じだった。

手のひらに載せてみると、重さはネックレスの鎖として、何も変わったところがなかった。

私はその鎖だけ、白い値札のまま棚に戻した。

期限まであと2日あったので、後回しにしただけのつもりだった。

40点は、その週のうちに出品された。

店頭のケースに18点。

グループのネット販売に14点。

残りの8点は、業者オークションの混みロットに入れて出した。

混みロットというのは、細かい物をまとめて袋に入れ、業者同士でまとめて売り買いする仕組みだ。

どこの誰が落札したかは、こちらには分からない。

2週間で、40点すべてが売れた。

貴金属の相場が上がっている時期だった。

本部からは、棚卸差異が解消されたという自動送信のメールが1通だけ来た。

店長はまだ入院していた。

最初に気づいたのは、音だった。

閉店してレジを締めたあと、バックヤードでハンディの読み取り音が鳴った。

ピッ、という短い音だ。

商品のバーコードを読んだときの音で、店にいれば1日に何百回も聞いている。

その日は、私一人だった。

ハンディは3台とも、充電台に伏せてあった。

私は一応、その日のスキャンログを開いた。

閉店以降の記録は、1件もなかった。

次の日も鳴った。

その次の日も鳴った。

いつも1回だけで、ログには残らなかった。

1週間ほどで、私はそれに慣れた。

人は、繰り返されると慣れる。

慣れたことを、あとで悔やんだ。

2つ目は、紙だった。

朝いちばんに事務所へ入ると、値札プリンタが紙を1枚吐いていた。

白い値札だった。

印字がなかった。

プリンタは、前の晩に電源を落としてある。

それが毎朝、1枚ずつ続いた。

最初の数日は捨てていた。

途中から捨てられなくなって、輪ゴムで束ねて引き出しにしまうようになった。

束は、ひと月で30枚を超えた。

数えるのをやめたのは、40枚に近づいたときだ。

40という数字が出てくるのが、嫌だった。

3つ目は、人の口から来た。

店頭で指輪を買った女性から、電話があった。

「あの、変なこと聞いていいですか」

「はい」

「あれ、私が見たときは、値札が付いてなかったですよね」

「いえ、付いていました。私が付けましたので」

「そうですか。……そうですよね」

「何かありましたか」

「いえ、なんでもないです。すみません」

3日後、別の客からも同じ電話があった。

1週間で、4人になった。

4人とも、値札が白かったと言った。

4人とも、最後は自分の記憶違いだということにして電話を切った。

私は4人分の伝票を出して、確認した。

金額は、全部きちんと印字されていた。

4つ目は、記録だった。

新しいシステムには、1点ごとの履歴が残る。

入荷、査定、出品、販売。

その4つが、日時つきで縦に並ぶ。

ある日、私は40点ぶんの履歴を、順番に開いていった。

3点だけ、販売の日時が査定の日時より前になっていた。

売れたあとで、私が値をつけたことになっていた。

入力ミスだと思い、本部のヘルプデスクに問い合わせた。

仕様上ありえない、という回答だった。

次の週に開くと、5点になっていた。

その次の週は、9点だった。

数は、日に日に増えていった。

順番が、後ろから静かに入れ替わっていくようでもあった。

私が最初に考えたのは、買った人のことだった。

40点が、40人の手に渡っている。

私はその40人に、良くないものを配って回ったのではないか。

そう思うと、店にいるあいだじゅう、指先が冷たかった。

接客中に何度も、自分の手を見ていた。

私は調べ始めた。

店頭で買った18人のうち、会員登録のある14人に、点検のご案内という名目で連絡を取った。

ネット販売の14件は、取引メッセージが残っていた。

混みロットの8点は、業者を通して落札先の名前だけ聞き出した。

2か月かけて、36人まで辿った。

そして、拍子抜けした。

誰にも、何も起きていなかった。

指輪を買った女性は、娘の成人祝いに渡したと言って、写真を送ってきた。

焼けた腕時計を買った男性は、修理に出したら動くようになったと喜んでいた。

数珠を買った人は、房を打ち直して仏壇に置いていた。

業者の一人は、仕入れた品はもう全部さばいたと事務的に言った。

体調を崩した人も、変な目に遭った人も、一人もいなかった。

むしろ、みんな機嫌が良かった。

何人かは、思っていたより良い買い物だったと言った。

私は自分の思い込みが恥ずかしくなった。

店長には悪いが、あれはただの古い言い伝えだったのだと思った。

その晩は、久しぶりによく眠った。

翌朝、プリンタは白い値札を1枚吐いていた。

店長が退院して、店に戻ってきた。

まだコルセットをしていて、しゃがむことができなかった。

私は棚のことを話した。

音のことも、紙のことも、履歴のことも、全部話した。

買った人には誰にも何も起きていない、ということも話した。

店長は最後まで黙って聞いていた。

聞き終わってから、事務所の金庫の前に立った。

「開けるか」

「何が入ってるんですか」

「帳面や」

金庫の中には、現金と、印鑑と、大学ノートが7冊入っていた。

いちばん古いものは、表紙の紙が茶色くなっていた。

ノートは、1行につき1件だった。

日付。

品物。

そして、持ち込んだ人の名前。

金額の欄はなかった。

そういう欄が、最初から作られていなかった。

いちばん古い日付は、1958年の秋だった。

品物は、麻縄が一巻きとある。

1962年の春に、硝子の数珠。

1977年の夏に、焼けた腕時計。

名前には、この町でよく見る苗字がいくつも並んでいた。

うちに買い物に来る人の苗字も、二つあった。

7冊で、41行だった。

66年かけて、41行だ。

年に1件も書かれていない。

私は最後の1冊の、最後のページを開いた。

いちばん下の行に、細い銀の鎖と書いてあった。

日付は、1991年の6月。

持ち込んだ人の名前は、私の祖母の旧姓だった。

私が生まれる前の日付だった。

祖母がその頃どこに住んでいたかを、私は知っている。

この店から、歩いて15分の町だ。

店長は、その行を見ても何も言わなかった。

知っていたのかどうかは、今も分からない。

その週末、私は母の家に行った。

祖母の話をするつもりだった。

結局、何も聞けなかった。

母は元気で、庭の話ばかりしていた。

父が植えた木が大きくなりすぎて困る、という話を、二度した。

帰りぎわ、玄関で靴を履きながら、傘立てを見た。

その家に住んでいるのは、母ひとりだ。

傘立てには、傘が2本立っていた。

1本は、母が使っている紺色の折りたたみだった。

もう1本のことは、聞かなかった。

車に乗ってから、しばらくエンジンをかけなかった。

店に戻って、私はシステムを開いた。

41点の履歴を、もう一度、頭から見ていった。

入荷の欄は、どれも空だった。

出品と販売には、日付が入っている。

そして、査定者の欄があった。

査定者の欄には、41点すべてに、私の名前が入っていた。

私が値をつけたのは、40点だ。

銀の鎖は、白い値札のまま棚に戻したはずだった。

その晩、私は閉店後のバックヤードに残った。

棚は空になっていた。

14段のトレーが、洗ったみたいに何もなく並んでいた。

いちばん下の段に、銀の鎖だけが置いてあった。

白い値札が付いたままだった。

私はそれを秤に載せた。

表示は、やはり止まらなかった。

店長が事務所から顔を出した。

「帳面な」と店長は言った。

「はい」

「先代が、一つだけ自慢しとったことがあるんや」

「なんですか」

「66年で、一度も間違えんかった、て」

店長はそれだけ言って、コルセットを押さえながら帰っていった。

私は7冊のノートを、もう一度めくった。

帳面には、同じ名前が二度出てくることは一度もなかった。

私は今も、週に一度、あの鎖を秤に載せる。

針は、数字の上を行ったり来たりする。

止まったところを読むのが、私の仕事だ。

数字は、まだ止まらない。

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