降りなければ

私はいまも、伊佐里へ入る日は、朝から何も口にしない。

水も飲まない。

四十年、一度も破っていない。

破ったのは、あの日の一度だけだ。

昭和六十年の八月だった。

私は二十七で、妻の久実と、四つになる娘を連れて、妻の実家へ帰省するところだった。

伊佐里というのは、紀伊の山の奥にある小さな集落だ。

戸数は、当時で二十三軒だったと思う。

川に沿って家が並び、その裏はすぐ杉山になる。

夏でも、日が山の端に隠れるのが四時前だ。

四時を過ぎると、谷全体が青くなる。

電灯の光が、家の中から外へ滲み出しているように見える。

私はあの青さが、嫌いではなかった。

妻とは、勤め先の社員旅行で知り合った。

結婚してから、盆と正月に必ず伊佐里へ帰るようになった。

義父は無口な人で、私が着くと、まず麦茶を出し、それから川の水量の話をした。

雨が降れば増える。降らなければ減る。

それだけの話を、毎回、律儀にした。

私はその時間が、嫌いではなかった。

麓の駅前からバスが出ている。

一日に三便。

朝の便、昼の便、夕方の便。

峠をひとつ越えて、一時間二十分かかる。

道は片側が崖で、対向車が来ると片方が停まって待つ。

私はそのバスが、正直に言えば苦手だった。

座席は硬く、床は木で、走るたびに足の裏が震えた。

降りたあとも、しばらく耳の奥で音が続く。

妻はその音を「山に入る音」と呼んでいた。

妻の祖母は、タカさんといった。

その年で八十を過ぎていたが、耳も目も達者だった。

タカさんには、口ぐせがあった。

「伊佐里へ入る日は、途中でものを食うたらいかん」

婆さまは、伊佐里へ帰る日の朝だけ、水も飲まん人やった。

妻はそう言っていた。

理由は誰も知らない。

村の年寄りはみな同じことを言う、それだけだった。

妻の子どもの頃には、もう少し細かい決まりがあったらしい。

盆に入る者は、前の晩から水を控える。

橋の手前で一度立ち止まる。

荷は右手で持つ。

そのうちのいくつかは、妻の代でもう誰も守っていなかった。

守られていたのは、食べないことだけだった。

一度、なぜ食べてはいけないのかと、義父に訊いたことがある。

義父は麦茶を注ぎながら、少し考えて、こう答えた。

「入るときに、腹に何ぞ入っとったら、こっちのもんとみなされんのやと」

こっちのもん、というのが何を指すのか、私は訊かなかった。

訊けば野暮だと思ったからだ。

いま思えば、あのとき訊いておくべきだった。

私は東京の生まれで、そういう言い伝えを、行儀の一種だと思っていた。

食事の前に手を合わせるのと同じ、決まりごとの類いだと。

その日、私たちは昼の便に乗った。

駅前を十二時十分に出る便だ。

乗客は、私たち三人を入れて、十四人だった。

いちばん前に、行商の荷を膝に抱えた婆さんが座っていた。

その後ろに、部活の帰りらしい高校生が二人。

真ん中あたりに、営林署の作業服を着た男の人が三人。

いちばん後ろの席に、若い夫婦がいた。

顔は、いまでもぼんやり覚えている。

覚えている、というのが、この四十年で一番こたえている。

婆さんは、荷の中から飴を出して、娘にくれた。

娘は受け取って、握ったまま食べなかった。

妻が「あとでね」と言ったからだ。

その飴を、娘は藤ノ木で降りるときも握っていた。

定食屋を出るころには、なくなっていた。

どこで落としたのか、誰も見ていない。

数えたわけではない。

あとで、そう報じられたからだ。

車内は暑かった。

窓は開いていたが、風は生ぬるく、床から機械の熱が上がってきた。

娘は膝の上で、しばらく麦わら帽子の縁をいじっていた。

峠にかかったあたりで、娘がぐずり始めた。

バスは、峠の手前で一度停まった。

対向のトラックを待つためだ。

その三分ほどの停車のあいだ、車内はしんとした。

誰も喋らなかった。

蝉の声だけが、開いた窓から入ってきた。

「おなかへった」

朝から何も食べていないのだから、当たり前だった。

私は妻を見た。

妻は、少し困った顔をした。

「婆ちゃんに怒られるよ」

「四つの子に守らせる決まりでもないだろう」

私はそう言った。

いま思い返しても、あの一言が、すべてだったのだと思う。

私たちは次の停留所で降りた。

「藤ノ木」という、屋根も壁もない、標柱が一本立っているだけの停留所だ。

道の向かいに、古い定食屋があった。

バスは、私たちが降りると、すぐに走り出した。

運転手はこちらを見なかった。

見送りもなかった。

定食屋には、客は一人もいなかった。

年寄りの主人が一人、土間の奥に座っていた。

土間は暗く、天井から蠅取り紙が二本下がっていた。

冷蔵庫の音がやけに大きかった。

主人は、氷を入れた水を三つ、黙って出した。

その手の甲に、古い火傷の痕があった。

注文を取るとき、主人は一度も私たちの顔を見なかった。

私たちは、親子丼を二つと、うどんを一つ頼んだ。

娘が半分ほど食べたころ、店のテレビが臨時のニュースに変わった。

峠の下りで、路線バスに落石。

乗っていた人は、誰一人戻らなかった。

画面には、私たちが十分前まで乗っていた車体が映っていた。

妻は、箸を持ったまま動かなくなった。

娘だけが、うどんをすすっていた。

私は立ち上がって、店の隅の黒電話に向かった。

伊佐里の家に、遅れると伝えるつもりだった。

受話器を上げると、通話中の音がした。

何度かけ直しても同じだった。

山の電話はよく止まる。

そのときは、そう思った。

あとで義父に確かめると、その日の昼、家の電話はずっと鳴っていたという。

私がかけていた時刻と、重なっていた。

だが義父は、受話器を上げても誰も出なかったと言う。

かけていたのは、私のはずだった。

しばらくして、妻がぽつりと言った。

「降りなければよかった」

私は、その言葉に、かっとなった。

「何を言ってるんだ」

降りたから助かったんだろう。

そう言いかけて、口をつぐんだ。

妻の顔を見て、意味が分かったからだ。

私たちが降りなければ、あのバスは、藤ノ木で停まらなかった。

停まらなければ、あの時刻に、あの場所を通っていない。

落石は、たまたま通りかかった車に当たったのではない。

私たちが停めた三十秒のぶんだけ、バスは遅れて、そこにいた。

私は箸を置いた。

店のテレビは、同じ映像を何度も流していた。

崖の下に、車体の白い部分だけが見えていた。

屋根に書かれた番号が読めた。

私たちが乗った便の番号だった。

うどんの丼から湯気が上がって、途中で見えなくなった。

主人が、土間から出てきた。

そして、壁の柱時計の扉を開けて、振り子を手で押さえた。

時計が止まった。

「今日は、夕方の便まで、ここにおったほうがええ」

私は、なぜですか、と訊いた。

主人は答えなかった。

代わりに、こう言った。

「あんたら、伊佐里かね」

はい、と妻が答えた。

主人は、それきり何も言わずに、奥へ戻った。

私たちは、店の隅で夕方まで座っていた。

四時間あった。

主人は、途中で二度、水を替えに来た。

それ以外は、何もしなかった。

店の外を、車が一台も通らなかった。

あとで思えば、峠が通行止めだったのだから、当たり前だ。

だが、麓へ下りる車も通らなかったのは、いまでも説明がつかない。

夕方の便で、私たちは伊佐里に入った。

集落の入口には、一の橋という短い木の橋がある。

渡ると、真ん中の板が一度だけ、こと、と鳴る。

子どもの頃、その音で誰か来たと分かったのだと、妻は言っていた。

その日、私たちが三人で渡っても、板は鳴らなかった。

妻は立ち止まって、二度、三度と踏み直した。

鳴らなかった。

「湿気てるんだろう」

妻は、その板を三十年以上、毎年踏んできた人だ。

鳴らなかったのを聞いたのは、初めてだと言った。

台風の年も、雪の年も、鳴った。

私はそう言った。

八月の山だ。板は湿る。

そういうことにした。

娘が、私の手を引いた。

そして、川のほうを指さして言った。

「バスのおばちゃん、手ぇふってた」

妻が娘の前にしゃがんだ。

どこで、と訊いた。

娘は「さっき」と答えた。

私たちは夕方の便に乗ってきた。

その便には、婆さんは乗っていなかった。

家に着くと、義父が土間で電話機の前に立っていた。

「昼から鳴りっぱなしやった」

そう言った。

「出ても、誰もおらん。切ってもまた鳴る」

夕方、私たちが橋を渡ったころに、ぴたりと止まったのだという。

タカさんは、奥の間に座っていた。

私たちの顔を見て、それから、娘の顔を見た。

「食うたな」

そう言った。

私は、謝った。

タカさんは怒らなかった。

ただ、長いこと黙っていた。

そして、こう言った。

「途中で何ぞ食うた者はな、その日は、入ったことにならんのや」

意味が分からなかった。

タカさんは、それ以上は言わなかった。

言えなかったのかもしれない。

その晩、義母が握り飯を出してくれた。

私は食べられなかった。

妻も、箸を持ったまま置いた。

娘だけが、二つ食べて、すぐに寝た。

網戸の向こうで、虫が鳴いていた。

山の夜は、音が近い。

すぐそこの草むらで鳴いているのか、対岸で鳴いているのか、分からなくなる。

翌日、警察の人が伊佐里まで来た。

乗客名簿の確認だという。

営業所で切符を売った控えに、私たちの名前があった。

大人二人、小児一人。

行き先の欄には、伊佐里と書いてあった。

だが、降車地の欄が、空白だった。

「途中でお降りになったんですよね」

はい、と私は答えた。

「藤ノ木で」

若い警官は、控えをもう一度見て、首をかしげた。

藤ノ木で降車の記録がない、というのだ。

営業所には、車掌のいない路線でも、停留所ごとの乗降を運転手が記録する帳面がある。

その日の帳面は、峠の下りに入るまで、すべて埋まっていた。

藤ノ木の欄だけが、線も引かれずに空いていた。

降りた人がいれば、丸を書く。

いなければ、斜めの線を引く。

どちらも、なかった。

運賃の精算も、伊佐里までの分になっている。

私は、そんなはずはないと言った。

言いながら、財布の中を探した。

切符も、釣りも、レシートも、何もなかった。

妻の財布にも、なかった。

二人分の切符を、私が持っていたはずだった。

ズボンのポケットも、鞄の中も探した。

出てきたのは、麦わら帽子に付いていた、小さな輪ゴムだけだった。

三日後、運転手が意識を戻したと聞いた。

十四人のうち、その人だけが戻ってきたのだ。

私は、どうしても会いたくなって、麓の病院まで行った。

会わせてもらえたのは、ほんの数分だった。

病室は四人部屋で、その人は窓際にいた。

右腕を吊って、頭に包帯を巻いていた。

枕元に、営業所の人が置いていったらしい花があった。

水は替えられていなかった。

その人は、私が名乗る前に、目だけをこちらへ向けた。

看護婦さんが「まだ長くは話せません」と言って、外に出ていった。

閉まった扉の向こうで、誰かが台車を押していく音がした。

運転手は、包帯の下から私を見て、すぐに分かったようだった。

「藤ノ木で降りた、お客さんやな」

はい、と私は答えた。

そして、その人は、こう言った。

「峠を下りたところで、あんたらのことを思い出したんや」

「藤ノ木は、次の便まで四時間ある」

「子連れやったやろ。あんな標柱一本のとこに、四時間はきつい」

「せやから、引き返そう思て、停めたんや」

私は、何も言えなかった。

その人は、天井を見たまま続けた。

「停めた途端やった」

あのバスは、私たちを乗せ直すために、引き返そうとして停まっていた。

あとで現場を見に行った。

崖から落ちた石は、道の上に三つ、大きなものが残っていた。

その位置は、バスが停まっていた場所より、二十メートル手前だった。

停まらずに走っていれば、通り過ぎていた場所だ。

私は、その二十メートルを、何度も歩いた。

歩いても、何も変わらなかった。

崖の上には、真新しい剥離の跡が残っていた。

地元の人が言うには、その崖は昭和三十年代に一度、大きく崩れたことがあるという。

そのときも、通りかかった車が一台あった。

その車も、途中で一度停まっていたのだと、老人は言った。

なぜ停まったのかは、誰も知らない。

老人はそのあと、思い出したように付け足した。

「その車な、麓の食堂で飯食うてから上がってきたんやと」

私は、何も返せなかった。

伊佐里の家では、盆のあいだ、仏間に膳を出す。

その年の盆、義父は膳を出さなかった。

タカさんが、出すなと言ったからだ。

理由は、やはり言わなかった。

タカさんはその翌々年に、静かに息を引き取った。

最後の年に、一度だけ、妻に言い残したことがある。

妻が私に伝えたのは、さらに何年もあとだった。

「入らんかった者のぶんは、よそから入るんやと」

それだけだった。

翌年の八月、私は一人で伊佐里へ行った。

朝から何も口にしなかった。

一の橋を渡ると、板が、こと、と鳴った。

一度だけ鳴った。

私は安心した。

安心して、家のほうへ歩き出した。

そのとき、うしろで、もう一度鳴った。

こと。

そして、また。

こと。

三度、鳴った。

橋の上には、誰もいなかった。

それから四十年、毎年八月に、あの橋は三度鳴る。

村の人は誰も気にしない。

古い橋だから、と言う。

妻もそう言う。

娘も、覚えていないと言う。

妻の実家は、義父の代で仕舞いになった。

いま、伊佐里の戸数は九軒だ。

橋も、二度架け替えられている。

それでも、真ん中の板は、渡ると、こと、と鳴る。

娘は四十を過ぎた。

去年、初めて一緒に伊佐里へ行った。

橋の手前で、娘は何も言わずに立ち止まった。

「なんで止まった」と訊くと、娘は不思議そうな顔をした。

「え、いま止まった?」

娘は、あの日のことをほとんど覚えていない。

四つだったのだから、当たり前だ。

それでも、橋の手前では足が止まる。

私たち三人には、共通していることがひとつだけある。

あの日、藤ノ木の定食屋で何を食べたのか、誰も思い出せないのだ。

親子丼を頼んだことは覚えている。

うどんを頼んだことも覚えている。

味を、覚えていない。

三人とも、箸を持った、その手の感じだけが残っている。

だから私は、伊佐里へ入る日は、朝から何も口にしない。

いまも、入れているのかどうかは、分からないままだ。

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