
雪が、そこだけ積もっていなかった。
四角い窪みだった。
畳を六枚ばかり並べたほどの広さで、縁は苔の付いた石で組まれ、底に黒い土が覗いていた。
まわりは膝の高さまで雪だった。
その一角だけが、地面の記憶のように残っていた。
平成十二年の一月のことである。
私は十四歳で、その冬のあいだだけ、母方の祖父母の家に預けられていた。
母が入院し、父はその付き添いと転勤の引き継ぎに追われていた。
三学期が始まるまでの、ひと月ばかりの約束だった。
祖父母の家は奥会津にある。
川筋をさらに二つ遡った先で、在の名を灰坂といった。
当時で九戸。
冬は道が一本になり、その一本も、朝のうちに機械が通らなければ消える。
東京の中学から来た私にとって、そこは音の少ない場所だった。
雪は落ちるときに音を立てない。
代わりに、家が鳴る。
夜中、梁が縮む音で何度も目が覚めた。
祖父の名は与三郎といった。
祖母はしづ。
二人とも、私に多くを尋ねなかった。
朝、囲炉裏の前に座らされ、味噌の付いた握り飯を渡される。
それが会話の代わりだった。
在にはもう一人、私と同じ年の子がいた。
拓という。
母の姉の子で、私にとっては従兄弟にあたる。
在の中学へは、川沿いを四キロ歩くのだと聞いた。
拓は最初の三日ほど、私に口をきかなかった。
四日目に、長靴の履き方が違うと言って、初めて笑った。
それから彼は、私を色々な場所へ連れて行くようになった。
納屋の裏、川の淵、雪に埋もれた祠。
勇さんは母の弟である。
当時二十六で、在では一番若かった。
冬は除雪の仕事に出て、それ以外の日は山を見て歩いていた。
背が高く、口数が少なく、歩くのが速かった。
朝は、祖父と拓と三人で家のまわりの雪を掘る。
屋根から落ちた雪は、掘るというより切る。
四角く切って、腕で抱えて、川のほうへ捨てに行く。
三日目に私は左の手首を戸の金具で切り、祖母に絆創膏を貼られた。
その晩、風呂に入ろうとしたら、祖父に呼び止められた。
「怪我しとるな」
「絆創膏、貼りました」
「傷したときは、湯に一人で入るな」
「なんで」
「一人で入って、一人で上がったら、誰が言うてくれる」
意味が分からなかったので、私は黙っていた。
祖父はそれ以上言わず、自分が先に脱衣場の板の間に座った。
私が上がるまで、祖父はそこに座っていた。
上がると、祖父は「ほれ、もういい」とだけ言った。
東京の家では、そんなことをされたことがない。
私はそれを、田舎の年寄りの癖だと思った。
私が来て十日ほど経った日、祖母に言われてトメさんの家へ薬を取りに行った。
トメさんは在の隠居で、八十を幾つか過ぎていた。
在で唯一、湯治場が動いていた頃を覚えている人だという。
囲炉裏端で、トメさんは私の腕を取り、袖をまくった。
「東京の子は、傷がないな」
そう言って、自分の右の袖もまくった。
その腕には、蚯蚓のような古い傷が三本、並んでいた。
「これは、どうしたんですか」
「もろうたんさ」
「もらった」
「そうさ。もろうてやらんと、あの人が出られんかったでな」
意味は分からなかった。
私は曖昧にうなずいた。
トメさんは笑って、薬の袋を私の手に置いた。
家に帰ってから、思い返したことがある。
在で会った年寄りは、どの人にも、どこかに同じような線があった。
祖父の左の手首。
しづ婆の首の後ろ。
向かいの家の爺さんの、耳の下。
私はそれを、山仕事の跡だと思った。
実際、そう思うのが自然だった。
※
納屋で古い看板を見たのは、その翌日である。
拓が藁束の裏から引き出してきた、一間ほどの杉板だった。
墨で「傷湯 灰坂鑛泉」と書いてある。
字は右から左へ流れていた。
裏に返すと、こちらにも文字があった。
「湯札 一人 付添一人」
「なにこれ」
「値段だべ」
拓はそう言って、看板を藁束の裏に戻した。
湯札が一人分で、付き添いも一人分要る。
それだけの話だと、私も思った。
湯治場のことを祖父が話したのは、その晩だった。
囲炉裏で、火箸を灰に立てながら、祖父は湯屋の跡のことを言った。
灰坂には、明治の初めに山師が掘り当てた湯がある。
飲む湯ではなく、傷を治す湯だという。
「傷湯というての」
「鉱山の者やら、山で怪我した者やらが、遠くから来た」
「今もあるの」
「昭和三十九年の大雪で、屋根が落ちた」
「湯は」
「涸れた」
祖母が茶を置きながら、短く言った。
「あすこの話は、あんまりせんもんだ」
祖父は何も返さず、灰をならし続けた。
その夜、家が鳴った。
梁の音ではなかった。
台所の板の間で、水を掬うような音が、一定の間隔で聞こえた。
朝、祖母に言うと、雪の落ちる音だと言われた。
※
拓が湯屋の跡へ行こうと言い出したのは、一月の半ばである。
学校が休みの日で、その朝だけ雪がやんでいた。
「連れてってやる」
彼はそう言った。
「危なくないの」
「勇さん連れてけば怒られん」
拓は勇さんの家へ走って行き、しばらくして戻ってきた。
勇さんは玄関で、長靴の紐を締め直していた。
「二時間だ」
勇さんはそれだけ言った。
「日が落ちる前に戻る」
私と拓は、防寒着の上から荷紐を締められた。
旧道は、在から川を渡って北へ伸びている。
除雪はされていない。
勇さんが先に立ち、輪かんじきで道を作った。
私は最後尾を歩いた。
四十分ほど登ると、杉の林が切れた。
斜面の途中に、平らな段があった。
段の上に、柱の根元だけが六本、雪から突き出ていた。
そこが湯屋の跡だった。
雪が、そこだけ積もっていなかった。
先に書いた、あの四角い窪みである。
勇さんは窪みの手前で立ち止まり、こう言った。
「地熱だ」
拓が窪みの縁に手を置いた。
「あったけえ」
私も手袋を外して置いてみた。
石は、生ぬるかった。
雪の中で素手にしていたのに、指先が冷たくならなかった。
それが、最初におかしいと思ったことだ。
湯は昭和三十九年に涸れたと、祖父は言った。
三十六年、涸れたままの石が温いというのは、どういうことだろうと考えた。
考えたが、口には出さなかった。
勇さんが「地熱だ」と言ったからだ。
大人がそう言えばそうなのだろうと、まだ思っていられる年頃だった。
窪みの奥に、板の間の跡があった。
床板は落ちていたが、根太が三本、残っていた。
その根太の上に、草履が一足、置いてあった。
藁の色が抜けて、白くなっていた。
揃えてあった。
爪先を窪みのほうに向けて、きちんと揃えてあった。
「誰のですか」
私が訊くと、勇さんは窪みを見たまま答えた。
「待っとる人のや」
「待ってるって、誰を」
「湯に入っとる人を」
「湯、涸れてるのに」
勇さんは答えなかった。
拓が草履をつつこうとして、勇さんに手首を掴まれた。
勇さんが人に触るのを、私はそれまで見たことがなかった。
「触るな」
それだけ言って、手を離した。
帰り道、後ろから音がした。
水を掬う音だった。
ぱしゃ、ぱしゃ、と一定の間隔で鳴っていた。
私は振り返らなかった。
拓も振り返らなかった。
勇さんは一度だけ立ち止まり、それから歩く速さを上げた。
在に着くまで、誰も口をきかなかった。
※
家に入ると、祖母が土間で大根を洗っていた。
「早かったな」
そう言ってから、祖母は続けた。
「勇はまた出たんか」
「え」
「さっき帰ってきて、湯に行くと言うて出て行ったが」
私は玄関を振り返った。
勇さんは、いま拓と一緒に、土間の外で長靴の雪を落としている。
祖母にそれを言った。
祖母は手を止め、しばらく大根を見ていた。
それから、何も言わずに洗いはじめた。
その日、祖母は夕飯のとき、茶碗を一つ多く出した。
誰も、その茶碗のことに触れなかった。
私も訊けなかった。
※
三日後、私はトメさんの家へもう一度行った。
薬の礼を言えと祖母に言われたからだが、本当は訊きたいことがあった。
囲炉裏端で、私は湯屋の跡へ行ったと言った。
トメさんは、火から目を離さずに聞いていた。
「草履があったろ」
「ありました」
「あれは、置いとくもんだ」
「なんのためですか」
トメさんは火箸を置いた。
「傷を負うた者を湯へ入れるときはな」
「はい」
「一人、湯に入らんと、外で待っとらんならん」
「待って、どうするんですか」
「上がってきたら、もう治った、と言うてやる」
「言うだけ」
「言うてやらんと、出られんのや」
「出られないって、湯から」
トメさんは、私の顔を見た。
それから袖をまくって、あの三本の線を指でなぞった。
「わしは、言うてやった側や」
「……はい」
「言う者がおらんようになって、あすこは仕舞いになった」
トメさんは、それから湯屋の帳面のことを話した。
湯屋には帳面が一冊あって、湯に入った者の名を書いた。
名の横には、必ずもう一つ名を並べて書いた。
付き添いの名である。
「一人しか書けん日もあったろう」
「そういう日は、湯屋の者が代わりに座った」
「主人が」
「主人か、主人の身内か。誰かは座らんならんかった」
明治のはじめ、山の向こうに鉱山の飯場があった。
怪我人は橇に乗せられて、川筋を半日かけて灰坂まで運ばれてきたという。
湯は、たしかによく効いた。
効いたから、飯場の者は繰り返し来た。
「その頃はな、あすこの板の間に、草履が十も二十も並んどった」
「そんなに」
「並んどるだけ、待っとる人がおったということや」
鉱山は昭和のはじめに閉じ、湯治客も減った。
最後の主人が在を出たのは、昭和三十八年の秋だと、トメさんは言った。
その冬から、付き添いの名を書けない日ができた。
「そういう日は、どうしたんですか」
トメさんは答えなかった。
代わりに、火箸で灰に一本、線を引いた。
「屋根が落ちたのは、その次の冬や」
納屋の看板の、裏の文字を思い出した。
湯札一人、付添一人。
あれは値段ではなく、人数のことだったのだと、そのとき初めて思った。
けれど、なぜ二人でなければならないのかは、まだ分からなかった。
分かっていれば、あの晩、拓の話を断っていたと思う。
※
その帰り、下の家の息子に会った。
除雪の機械から降りてきたところで、当時三十くらいの人だった。
私が湯屋の跡へ行った話をすると、その人は機械の音を切った。
「足跡、見んかったか」
「足跡」
「段から下りてくるやつ」
見なかった、と答えた。
その人は、旧道の入口のほうを見て言った。
「毎年、二月に一遍か二遍ある」
「誰か上がってるってこと」
「上がった跡はねえんだ。下りてくるだけだ」
「下りて、どこまで」
「途中で消える。川の手前で」
その人は機械のエンジンをかけ直した。
音が戻ってから、こう付け足した。
「見たら、数えるなよ」
何を数えるなという意味か、私は訊けなかった。
※
一月の二十四日だった。
拓が私の家に来て、帽子を落としてきたと言った。
「湯屋のとこだ。あそこ以外に落とすとこねえ」
「明日にしたら」
「明日は学校だ」
拓はもう長靴を履いていた。
外は日が傾いていた。
私は迷ったが、拓が一人で行くと言い出したので、勇さんの家へ走った。
勇さんは黙って支度をした。
「一時間で戻る」
祖母には、川まで行くとだけ言った。
嘘をついたのは、私である。
旧道は、三日前より雪が深かった。
勇さんは前より速く歩いた。
段に着いたとき、日は杉の向こうに落ちかけていた。
窪みは、前と同じように黒かった。
帽子はすぐに見つかった。
根太の上、草履のすぐ横に置いてあった。
置いてあった、と言うのが正確だ。
落ちたものの形をしていなかった。
拓が帽子を取ろうとして、根太に足をかけた。
根太が抜けた。
拓は尻から窪みへ落ち、腕を擦っただけで起き上がった。
勇さんが、その拓を引き上げようとして、縁の石に乗った。
石が動いた。
勇さんは窪みの底へ落ちた。
落ちた音は、雪の中では小さかった。
それきり、勇さんは立たなかった。
私たちが降りると、勇さんは脛のあたりを両手で押さえていた。
声を出していなかった。
歯を食いしばって、息だけを吐いていた。
押さえた手の下から、雪が色を変えていった。
「勇さん」
返事はなかった。
拓が肩を抱えようとしたが、勇さんは首を振った。
動かすなという意味だと分かった。
日は落ちきっていた。
私は灯りを持っていなかった。
拓が防寒着から小さな懐中電灯を出して、勇さんの足元を照らした。
私はそれを見ないようにした。
「お前、走れ」
拓が言った。
「在まで走って、爺ちゃんら呼んでこい」
「拓は」
「勇さん一人にできっか」
私は走った。
輪かんじきを外して、雪の上を転びながら走った。
何度も膝まで埋まり、そのたびに手をついた。
振り返らなかったのは、怖かったからではない。
振り返る時間が惜しいと、そのときは思っていた。
今はそう思っていない。
※
在に着いたのは、七時を回った頃だった。
祖父と、向かいの家の爺さんと、下の家の息子が、すぐに支度をした。
私は玄関の板の間に座り込んでいた。
上着を脱いだとき、祖母が私の背中を見て、手を止めた。
「これ」
肩甲骨のあたりが濡れていた。
掌の形をしていた。
指が五本、はっきりと分かれていた。
私は、誰にも背中を触られていない。
祖母は、その跡を布巾で拭いた。
拭いても、布巾は濡れなかった。
祖母は布巾を火にくべた。
男衆は、四十分で戻ってきた。
旧道が塞がっていた。
夕方の風で、上の斜面が落ちていたのだという。
機械を入れるのは朝になる、と祖父は言った。
その晩、私は寝なかった。
祖母も寝なかった。
祖父は電話のそばに座って、湯呑みを持ったまま動かなかった。
在の電話は、まだ黒い受話器のものだった。
零時を回って、その電話が鳴った。
祖父より先に、私が取った。
「もしもし」
雑音の向こうで、拓の声がした。
「勇さんの傷、もう治ったで」
はっきりと聞こえた。
「治った、って言うてくれ」
私は何も言えなかった。
「言うてくれ」
「拓、どこにおるんや」
「言うてくれ」
「今どこにおるんやって」
「言うてくれ、言うてくれ、言うてくれ」
同じ調子だった。
息継ぎがなかった。
私は受話器を落とした。
祖父が拾った。
祖父は、あの日の道のことも、草履のことも知らない。
拓の声を、拓の声として聞いた。
そして、こう言った。
「なんじゃ、治ったんか」
「ほれ、よかったのう」
受話器の向こうで、大勢が一度に息を吐くような音がした。
それから、切れた。
※
朝、機械が旧道を開けた。
在の男衆と、川下から来た消防団が段まで上がった。
窪みには、雪が積もっていた。
前の日まで積もらなかった場所に、その朝は膝まで積もっていた。
拓も、勇さんも、いなかった。
帽子もなかった。
草履だけが、根太の上に揃えてあった。
藁の色は、前より白くなっていた。
捜索は五日続いて、打ち切られた。
斜面の雪の下という見立てだった。
春に雪が消えても、何も出なかった。
記録の上では、二人は今も行方が知れないままである。
私は二月の頭に東京へ戻った。
学校では、何も話さなかった。
話しても仕方がないことは、十四でも分かる。
母が退院したのは、その年の春だった。
祖父の脛を見たのは、三月の彼岸に在へ行ったときだ。
囲炉裏端で、祖父が股引をまくった。
その冬から、祖父の脛には、覚えのない傷が一本、増えていた。
細く、真っ直ぐで、蚯蚓のような線だった。
「どうしたの」
「知らん」
祖父は股引を戻した。
それきり、その話はしなかった。
同じ日、私は拓の家へ線香をあげに行った。
母の姉は、私を座敷に上げ、茶を出し、何も訊かなかった。
帰りに靴を履こうとして、三和土に草履が一足あるのに気づいた。
藁が新しかった。
爪先は、家の奥を向いていた。
「これ、拓のですか」
母の姉は、しばらく黙っていた。
「置いとくもんだと、婆さまに言われたで」
それだけだった。
私はそのとき、何も思わなかった。
今は思う。
トメさんは、その年の秋に向こうへ渡った。
祖母は五年後、祖父は九年前である。
在は今、三戸だという。
旧道は完全に閉じられ、段まで上がる者はいない。
※
私は今年で四十になった。
地方の信用金庫に勤めて、子どもが二人いる。
上の子が転んで膝を擦りむいたとき、妻が「もう治ったね」と言った。
私はその言葉を、口の中で止めた。
以来、私は人の傷にその言葉を使わない。
使えない、と言うほうが正しい。
理由を説明したことはない。
説明できることではないからだ。
うちの玄関は三和土になっている。
そこに、草履が一足、揃えて置いてある。
買った覚えはない。
妻に訊いたら、私が持ってきたのだと言われた。
爪先は、いつも家の奥を向いている。
向きを直しても、次の朝には奥を向いている。
私は、待っていない。
待っていないのに、置いてある。
今年の冬、雪の降った翌朝に庭へ出た。
何もない場所に、四角く、雪の積もらない所があった。
畳を六枚ばかり並べたほどの広さだった。
私は縁のあたりに手を置いてみた。
生ぬるかった。