
去年の10月の終わりに、わたしの部屋の玄関に、飼ってもいない犬の首輪が置かれていた。
三和土の真ん中に、きちんと輪の形に整えて。
革が湿っていた。
前の晩まで、その首輪は、車で1時間半かかる祖母の家の納戸にあったはずだった。
名前を彫るための小さな金属板がついているのに、そこには何も刻まれていない。
わたしの家では、それを名のない首輪と呼ぶ。
呼ぶ、というより、それ以外の呼び方を誰も持っていない。
わたしは県境に近い市の、国道沿いにある夜間動物救急センターで働いている。
動物看護師の3年目だ。
週に4回、午後6時から翌朝7時までの当直に入る。
仕事の内容は、たいていが繰り返しになる。
受付で症状を聞き取り、体温と呼吸数を測り、記録に起こして獣医師に渡す。
手順は決まっていて、一件につき平均で11分から13分かかる。
わたしはその数字を、入職した年から手帳につけている。
数えるのが癖なのだ。
不安なことがあると、わたしはそれを数に直してしまう。
数に直せば、それはもう、こちらを見返してこない。
センターは、平屋のプレハブを二棟つないだような建物だ。
自動ドアを入ると待合があり、奥に処置室、その向こうに入院室が並んでいる。
夜になると、国道を走る車の音だけが規則的に届く。
その音の合間に、どこかの入院室で爪が床を掻く音がする。
それは普通のことだ。
犬は、落ち着かないときに前足で床を掻く。
去年の8月に、真夜中の2時ごろ運ばれてきた柴犬のことを覚えている。
散歩の途中で急に足が動かなくなった、と飼い主さんは言った。
両手で抱えたまま、待合の椅子に座ろうとしない。
座ると、腕の中で何かが変わってしまう気がしたのだと思う。
わたしは体温計を取りに行き、戻ってくるまでに20秒かからなかった。
戻ったとき、その子はもう、飼い主さんの腕の中で息を整えていた。
目もこちらを見ていた。
飼い主さんは、よかった、とだけ言って、そこでようやく椅子に座った。
獣医師の診断では、一時的なものだろうということだった。
その晩、わたしは記録の最後に、搬入から2分、と書いた。
そういう晩が、わたしにはときどきある。
職場には、わたしについての軽口がある。
立花さんが入っている晩は、持ち直す子が多い。
最初に言い出したのは、同期の宮下さんだった。
冗談として言われているのはわかっていたし、わたしも笑って流していた。
ただ、癖なので、数えてはいた。
去年の4月から9月までの半年で、わたしの当直に運ばれてきた重い子は68件。
そのうち朝まで持ったのが61件だった。
ほかの看護師の晩は、平均すると10件のうち7件ほどになる。
統計としては、母数が小さすぎて何の意味もない。
意味はないのだが、手帳の数字は動かない。
ある晩、宮下さんに手帳を見せたことがある。
「これ、怖いやつじゃないですか」
「偶然だと思う」
「偶然って、こんなに素直な顔してました?」
「素直な数字が偶然じゃないなら、何なの」
「知りませんよ。立花さんが言い出したんじゃないですか」
そう言って宮下さんは笑い、休憩室の電気を消した。
わたしも笑った。
笑いながら、手帳を閉じる指が、少しだけ遅れたのを覚えている。
桑の匂いのする納戸
祖母が施設に入ったのは、去年の9月だ。
母と伯母が手続きを終え、10月の連休に、実家の片付けをすることになった。
わたしは車を出す係として呼ばれた。
祖母の家は、市の北の、もとは桑畑だった土地に建っている。
建ててから60年近く経っている。
雨の日はどの部屋も、桑と埃の混じったような匂いがした。
その日は朝から雨だった。
納戸の整理を任されたのは、わたしが一番若かったからだ。
電球は切れていて、スマホの明かりで手元を照らした。
茶箱がふたつ、壁ぎわに積んであった。
上の箱には、色の褪せた祝儀袋と、封を切っていない蚊取り線香が入っていた。
下の箱の底に、首輪があった。
革は焦げ茶で、ところどころ黒く光っている。
使い込まれた革の光り方だった。
金具だけが妙に新しく、曇りもない。
名前を彫るための金属板が、輪の内側に一枚、鋲で留めてある。
その板には、何も彫られていなかった。
茶箱の底には、同じ大きさの金属板が二枚、重なって沈んでいた。
どちらも縁が丸く削れていて、表面には細かい傷が走っている。
削り直した跡だとは、そのとき思わなかった。
古い金具が余っているだけだと思った。
祖母の家で犬を飼っていたという話を、わたしは一度も聞いたことがない。
母にも伯母にも、犬の思い出はないという。
それなのに、土間の柱は、床から60センチのあたりだけが擦れて光っていた。
撫でられ続けた木の、あの光り方だ。
擦れているのは柱の一本だけで、高さも一定だった。
わたしはその擦れを、指でなぞってみた。
木の繊維が寝ていて、片側だけがつるりとしている。
一方向から、何年もかけて触れられた面だった。
伯母が通りかかって、それを見た。
「柱、見んでええ」
言い方が、叱るというより、慌てているように聞こえた。
わたしが手を離すと、伯母はそのまま行ってしまった。
首輪を母に見せると、母は手を伸ばさなかった。
「置いていきなさい」
「これ、誰の」
「知らん。置いていきなさい」
「おばあちゃん、犬飼ってたの」
母は答えず、段ボールの底をガムテープで留めはじめた。
伯母は台所のほうへ行ってしまった。
わたしは首輪を茶箱に戻し、蓋を閉め、その日は帰った。
翌朝、それが玄関にあった。
鍵はかけてあった。
わたしの部屋は3階で、ドアはひとつしかない。
名のない首輪が濡れている
最初にしたのは、捨てることだった。
可燃ごみの袋に入れて、アパートの前の集積所に出した。
収集車が持っていくのを、窓から見届けた。
その日の夕方、台所のシンクの水切りかごに、名のない首輪が入っていた。
水切りかごは、朝に洗ったばかりで空だった。
革はやはり湿っている。
その日、雨は降っていなかった。
二度目は、職場のロッカーに入れて鍵をかけた。
当直明け、駐車場に出ると、車の助手席に置いてあった。
車も施錠していた。
そのとき初めて、わたしは怖いと思うより先に、置き方のことを考えた。
どの場所でも、首輪はきちんと輪の形に整えられている。
投げ込まれた形ではない。
誰かが、置いていた。
三度目からは、捨てるのをやめた。
捨てるたびに、置かれる場所が部屋の奥へ入ってくることに気づいたからだ。
玄関、台所、車。
順番があるように思えた。
順番があるなら、次があるということになる。
わたしは手帳の新しいページに、置かれた場所を日付つきで書きはじめた。
数に直せば落ち着くはずだった。
その日から、落ち着かなくなった。
音に気づいたのは、11月に入ってからだ。
深夜、部屋の外の共用廊下を、爪が床を掻く音が通る。
コンクリートを、四つの点が順に叩いていく音。
音はわたしの部屋の前で止まる。
ドアの下には5ミリほどの隙間があって、廊下の明かりが細く差し込んでいる。
そこに影は落ちない。
音だけが、止まっている。
しばらくすると、来たほうへ戻っていく。
わたしは3回、その音を測った。
止まっている時間は、毎回4分だった。
4分は、わたしが玄関で靴を履き、鍵を閉め、階段を降りるのにかかる時間とほぼ同じだ。
気づいてから、その音はしばらく聞こえなくなった。
入院室でも、おかしなことがあった。
朝の引き継ぎの前に、空のケージを順に拭いていく決まりがある。
いちばん奥の、その晩は使っていないケージの毛布だけが、温かかった。
乾燥機から出したばかりのような温かさではない。
誰かがそこで少し丸くなって、たったいま出ていったくらいの温かさだった。
毛布をひっくり返すと、短い毛が数本ついていた。
茶色の、少し硬い毛だった。
その晩の入院は、白い猫が一匹だけだった。
わたしはそれをビニール袋に入れて、手帳に挟んだ。
いまも挟んである。
色は褪せていない。
助手席に乗っていたもの
証言が出たのは、その次だった。
当直明けに宮下さんを駅まで送った帰り、メッセージが来た。
立花さん、犬飼ってるんですね、と書いてあった。
飼っていない、と返した。
次の当直で、宮下さんは自分から話しはじめた。
「乗ってましたよ、助手席」
「何が」
「犬です。茶色の、中くらいの。尻尾が太くて、ずっと前を見てました」
「わたし、助手席に荷物も置いてないけど」
「じゃあ何を見たんですか、わたし」
「わからない」
「わからないって顔、してないですよ、立花さん」
その日から、言われることが少しずつ増えた。
受付で、飼い主さんに言われたこともある。
先生んとこの子、外で待ってますよ、と。
自動ドアの外は駐車場で、街灯が一本だけ立っている。
見に行っても、何もいない。
ただ、アスファルトの、街灯の真下のところだけが、丸く濡れていた。
その晩は晴れていた。
一度だけ、笑った晩もある。
宮下さんが待合の椅子の下を覗き込んで、いませんね、と真顔で言ったときだ。
探し方が、飼い犬をなくした人のそれだった。
わたしたちはしばらく笑って、そのあと二人とも黙った。
黙ってから、宮下さんが小さい声で言った。
「わたし、あの子、かわいいと思っちゃったんですよ」
その晩、廊下の音はわたしの部屋の前で6分止まっていた。
匂いにも気づくようになった。
処置室で、ふいに桑と埃の匂いがする。
祖母の家の、雨の日の匂いだ。
消毒薬の匂いの中に、それだけが混じる。
数秒で消える。
消えたあとは、いつも少し寒い。
そして、手帳の数字が動いた。
11月の当直で、わたしは搬入時の記録を取り直した。
受付から体温を測るまでの手順は、何ひとつ変えていない。
それなのに、わたしが最初に触れた子は、測る前からもう落ち着いている。
呼吸が整い、震えが止まっている。
獣医師が来るころには、数値だけを見れば、運ばれてから20分以上経ったあとの状態になっている。
実際には、まだ3分しか経っていない。
7件、続けてそうだった。
わたしは手帳に7と書き、その下に線を引いた。
線を引いても、数字は静かなままだった。
調べられる先は限られていた。
母は話さない。
伯母も同じだった。
市立図書館の郷土資料の棚に、あの一帯の桑畑について書かれた冊子があった。
昭和の終わりに公民館が作ったもので、聞き書きが十いくつ載っている。
そのうちの一つに、送り犬の話があった。
夜道を歩く人の後ろについてきて、転ばないかぎり何もしない獣のことだ。
転べば、その場で襲われる。
だから人は、わざと転んだふりをして、よく来てくれたと礼を言う。
礼を言われた獣は、そのまま山へ帰る。
冊子には、そのあとに一行だけ、こう添えてあった。
名を呼ばずに礼を言うこと。
呼べば、ついてくるから。
その冊子の聞き書きの話者名の欄に、立花の姓はなかった。
桑畑の地主の家として、家の名だけが二度出てきた。
どちらも、飼っている犬の話ではなかった。
そのあと、わたしは自分の家のことを調べた。
戸籍を取り寄せるほどではない。
母に、住んだ場所を順に言ってもらっただけだ。
祖母は、結婚してから三度引っ越している。
曾祖母の代は、隣の県から移ってきていた。
その前は、どこにいたのか誰も知らない。
母も、わたしが小学校を出るまでに二度移っている。
家を建てたわけでも、仕事の都合でもない。
理由を訊くと、母は決まって、なんとなく、と言う。
なんとなくで、人は十年ごとに家を替えない。
わたし自身も、社会に出てから3年ごとに部屋を替えていた。
そのことに気づいたとき、わたしはまだ、これを怪異だとは思っていなかった。
家系の癖のようなものだと思っていた。
供養塔の名簿の空欄
12月に、祖母の施設へ行った。
祖母は去年の春から、わたしの顔と母の顔を混ぜるようになっていた。
その日は機嫌がよく、窓のほうを見て、雪になるね、と言った。
実際にはよく晴れていた。
わたしは鞄から首輪を出して、膝の上に置いた。
祖母は一度だけそれを見て、すぐに窓へ目を戻した。
「まだ、名前は書いてないね」
「おばあちゃん、これ、何」
「書いたらいけんよ」
「誰の首輪なの」
「書いたら、その名前のほうへ行ってしまうけん」
「行くって、どこに」
祖母は答えなかった。
代わりに、膝の上のわたしの手を、二度だけ軽く叩いた。
そのあと昼食の献立の話を始めて、二度と首輪を見なかった。
年が明けてから、市の南の寺に行った。
動物の供養塔がある寺で、祖母の家からは車で20分ほど離れている。
住職は、立花の家の名前を言うと、奥から古い名簿を出してきた。
和綴じのものが三冊あり、いちばん古い冊の最初の年は明治の半ばだった。
名簿は、施主の名前と、供養した生き物の名前を並べて書く形式になっている。
立花の名前は、ほとんどの年に見つかった。
代が替わっても、毎年、誰かひとりが施主として出している。
途切れているのは、戦争の前後の数年だけだった。
ただし、立花の行だけ、生き物の名前の欄が白い。
ほかの家の行には、タロ、クロ、ミケと名前が入っている。
白いのは、うちの行だけだった。
「書かない家もありますよ」
「理由、わかりますか」
「さあ。代々そうしてこられたんでしょう」
「うちは、何を供養してるんでしょうか」
住職はしばらく名簿を見てから、湯呑みを置いた。
「欄が空いているということは、まだ終わっていないということです」
それ以上は、訊かなかった。
帰りぎわに、ひとつだけ頼んだ。
今年の分の名簿にも、立花の行を作ってもらった。
生き物の名前の欄は、白いままにしてもらった。
住職は何も訊かず、筆を置いて、そうしますか、とだけ言った。
帰り道、供養塔の前で手を合わせた。
塔の台座には、たくさんの名前が彫られている。
どれも誰かが呼んでいた名前だ。
呼ばれた名前は、彫られて、そこで終われる。
わたしの家のものには、呼ぶ名前がない。
終われないまま、代々の誰かの近くにいる。
それがやさしさなのか、そうでないのかは、わたしには判断がつかない。
帰ってから、首輪をもう一度見た。
金属板の表は、やはり何も彫られていない。
鋲を外して、板を裏返した。
裏に、名前が彫ってあった。
わたしの名前だった。
字は、鉛筆を握りはじめたばかりの子どもの字だ。
画の順序が違っていて、最後の一画が長く突き抜けている。
自分の字だと、見た瞬間にわかった。
母に電話をして、写真を送った。
母はしばらく黙ってから、あんたは5歳のときにそれを見つけて、釘で名前を彫ったことがある、と言った。
そのとき祖母がひどく怒って、板を取り替えさせたのだという。
取り替えたのは、そのあとにもう一度あった、とも言った。
わたしが中学に上がる年だったらしい。
どちらの記憶も、わたしにはない。
茶箱の底に沈んでいた二枚を思い出した。
縁が丸く削れていたのは、鋲を打ち抜いた跡だ。
実家に戻って、その二枚を確かめた。
二枚とも、裏に同じ名前が彫ってあった。
三枚とも、同じ5歳の字だった。
板は二度取り替えられていたが、彫られた名前は一度も変わっていなかった。
わたしが彫ったのは一枚きりで、残りの二枚を彫った手は、わたしのものではない。
柱の低いところの擦れ
わたしは、いつからかを数え直した。
5歳のとき、祖母の家で名前を彫った。
そのころ首輪が置かれていたのは庭だったと、母は言った。
縁側の下や、物置の前に、よく転がっていたらしい。
中学のときには、祖母の家の玄関に置かれるようになった。
板を取り替えたのは、その年だ。
いまは、わたしの部屋の中にある。
玄関、台所、車の助手席、そして寝室。
置かれる場所は、年を追って、わたしの体に近いところへ移ってきている。
アパートを出るとき、ドア枠の柱に目がいった。
わたしの部屋の玄関の柱も、床から60センチのあたりだけが、うっすらと光っていた。
引っ越してきて3年になる。
その3年で、あの高さに触れるものを、わたしは一度も持ち込んでいない。
引っ越し前に撮った、前の部屋の写真も探した。
玄関の柱の、同じ高さのところが光っていた。
手帳の数字は、いまも変わらない。
職場では相変わらず軽口を言われる。
立花さんの晩は、持ち直す子が多い。
わたしは笑って流している。
流しながら、あれが何を肩代わりしているのかを考える。
名前を削ってしまえばいいのだとは思う。
ただ、削られた板は、二枚とも茶箱の底に残されていた。
捨てられてはいなかった。
祖母も、その先までは決められなかったのだと思う。
わたしも、まだ決めていない。
名のない首輪は、いまも部屋にある。
今朝、首輪は、三和土ではなく、枕元だった。
きちんと輪の形に整えてあった。
革は湿っていて、まだ、人の体温くらいに温かかった。