
この家では、海に向いた雨戸を一枚だけ閉めない。
嫁いで最初の晩に、義母から教えられた決まりだった。
閉めないのは旧母屋の、いちばん西側の一枚。
そこから潮止め様が、夜の潮を見に出るのだという。
私は去年の春、福岡市内から有明海沿いの干拓地へ嫁いだ。
夫の佳祐の実家は、三ノ搦と呼ばれる区画の、いちばん堤に近い家だ。
搦というのは、海を囲い取って田にした土地の古い呼び名らしい。
一ノ搦、二ノ搦と海へ向かって順に広がり、三ノ搦がいまの堤のすぐ内側にある。
家の裏手に十三段の石段があり、その上が堤で、堤の向こうが干潟だった。
私の仕事はネット通販の運営で、回線さえあればどこでも続けられる。
だから移住に迷いはなかった。
迷ったのは、潮止め様との暮らし方のほうだった。
最初の晩、義母は私を旧母屋に連れていった。
渡り廊下の板は、歩くたびに低く鳴った。
旧母屋は土間続きの十二畳で、その奥に板の間がある。
義母は縁側の雨戸を順に閉めていき、西側の一枚だけを残した。
「ここは、閉めんとよ」
「開けたままで、いいんですか」
「潮止め様が、出入りされるけん」
雨戸のレールには、細かい砂が溜まっていた。
海の砂だった。
義母はそれを、指で軽く払った。
払った砂は、翌朝にはまた溜まっていた。
義母はそれを、毎朝同じ指で払う。
払った砂がどこから来るのかを、義母は一度も口にしなかった。
私も、聞かなかった。
この家では、聞かないことが礼儀なのだと、そのころは思っていた。
三ノ搦の夏は、匂いから始まる。
朝は田の水の匂いで、昼は堤のコンクリートが焼ける匂い。
夕方になると、干潟の泥の匂いが家の中まで入ってくる。
堤に上がると、ノリ網の杭が沖まで何列も並んでいる。
潮が引くと、泥の上でムツゴロウが跳ねる音がする。
その音が、夜になると水の音に変わる。
私は仕事の合間に、よく石段の上に座った。
電波は、家の中より堤の上のほうがよく入った。
午後のオンライン会議で、同僚に「後ろの音、何ですか」と聞かれたことがある。
「海です」と答えると、画面の向こうが少し静かになった。
チャットの通知と干潟の音が同時に届く場所は、ここしかないと思う。
汐見の家には、神棚とは別に、潮止め様を祀る部屋がある。
渡り廊下でつながった旧母屋の、いちばん奥の板の間だ。
祭壇と呼ぶには、あまりに雑多な場所だった。
塩の皿と水の椀が中央にあり、その周りに板ノリの束が積まれている。
ペットボトルの炭酸水が三本、蛍光色の作業用手袋がひと組。
去年の暮れには、義父が新しい長靴を一足供えていた。
「潮止め様は、足が濡れるけん」
義父はそう言って、長靴の向きを海のほうへ直した。
潮止め様がどんな神様なのか、家の誰もはっきりとは言わない。
百年ほど前の高潮のとき、堤が切れかけた場所に立って潮を止めたものだと、義母は言う。
汐見の先代がそれを家に連れて帰った、とも言う。
連れて帰った、という言い方が、私には少し引っかかった。
閉めない雨戸の一枚
夕食の支度は、義母と私の二人でする。
膳を並べるのは義母の役目で、義母は必ず声に出して数える。
「お義父さん、サワさん、佳祐、私、嫁さん、潮止め様」
六つ。
最後の膳は板の間まで運んで、塩の皿の前に置く。
朝も昼も、同じことをする。
数えるとき、義母は私の顔を見ない。
それが最初の違和感だった、と今なら言える。
当時は、ただの癖だと思っていた。
佳祐は小学生のころ、潮止め様の炭酸水を一本飲んでしまったことがある。
空のペットボトルを物置に隠して、その日のうちに義父に見つかった。
謝ってこい、と言われて、佳祐は泣きながら渡り廊下を渡った。
板の間の雨戸が、一枚だけ開いていた。
その隙間の向こうに、濡れた大きな背中があったという。
背中は振り向かなかった。
ただ、若い声で一言だけ言った。
「閉めるな」
佳祐はそれ以来、雨戸に触らない。
この話を、佳祐は結婚前に一度だけ私にした。
笑い話のつもりだったらしい。
私は笑わなかった。
義祖母のサワさんは八十八歳で、耳がずいぶん遠い。
日中はほとんど、旧母屋の縁側で干潟を見ている。
私が挨拶に行った最初の日、サワさんは私の手を取って、しばらく黙っていた。
それから、干潟のほうを見たまま言った。
「あんた、まだ数に入っとらんよ」
住民票のことだと、私は思った。
実際、転入届を出したのはその翌週だった。
役場から戻ってそのことを伝えると、サワさんは「そうね」とだけ言った。
六月に入って、夜の音に気づいた。
午前三時ごろ、渡り廊下の向こうで、水の垂れる音がする。
ぽた、ぽた、と間隔が長い。
雨の夜ではなかった。
朝になって廊下を見ても、板は乾いていた。
潮の匂いが、外より家の中のほうが濃い夜があった。
佳祐に話すと、「海が近いけんね」と言った。
それは答えになっていないと思ったが、私も黙った。
古賀さんは、隣の区画でノリの養殖をしている人だ。
七十を過ぎているが、朝は誰より早く堤に上がる。
私が石段の上で電波を探していると、古賀さんは軽トラの窓から声をかけてきた。
「汐見の嫁さんな」
「はい」
「まだ外におらすもんね」
何のことか分からず、私は笑って会釈した。
古賀さんは笑わなかった。
軽トラは、堤の上の道をゆっくり遠ざかっていった。
外におる、という言葉を、私は家に帰ってから何度か口の中で繰り返した。
堤の外、という意味なのだろうか。
私は堤の内側に立っていたはずだった。
古賀さんとは、その後も堤でよく会った。
ノリ網の杭を打ち替える時期で、朝の干潟に人が出ている。
ある朝、古賀さんは私を樋門まで連れていった。
堤の切れ目に、鉄の扉が嵌まっている。
潮が引いている間だけ、田の水をそこから海へ落とす。
その脇に、腰の高さの石碑があった。
潮止碑、と彫られている。
大正の年号と、汐見の先代の名前。
その下に、もう一人分の名前を彫る場所が空いていた。
「空いとるとじゃなか」
古賀さんは、石の表面を指でなぞった。
「削っとる」
なぞられた場所は、周りより滑らかだった。
「名前があると、呼ばれるけんね」
誰が、誰を呼ぶのか。
私は聞かなかった。
古賀さんも、それ以上は言わなかった。
干潟の向こうで、潮が音もなく戻ってくるのが見えた。
組合の直売所で、古賀さんの孫娘に会ったのは、その週末だった。
高校生で、休みの日は店番をしている。
「樋門の杭、うちらは潮止め様の椅子て呼びよったよ」
「椅子」
「夜、あそこに座って潮ば見よらすけん」
彼女は板ノリを袋に詰めながら、当たり前のように言った。
「見たことあるの」
「ないよ。見たら、外に出されるて」
誰に、とは言わなかった。
私は板ノリを二袋買って、堤の道を歩いて帰った。
台所の潮見表
台所の壁には、紙の潮見表が貼ってある。
古賀さんの組合が毎年配るもので、満潮と干潮の時刻が日ごとに印刷されている。
私はアプリで見るほうが楽だったが、義母は紙のほうを見る。
毎朝、義母はその日の干潮の時刻に、鉛筆で小さく印をつける。
七月のある朝、その潮見表の九月の欄に、赤い丸がついているのに気づいた。
九月の、大潮の日だった。
鉛筆ではなく、赤いペンだった。
「お義母さん、これ何かありますか」
「さあ」
「お義父さんですか」
「お義父さんは、堤には上がらんよ」
それは私の質問の答えではなかった。
義父は膝が悪く、石段の上り下りには杖を使う。
干潟を見に行くことは、もう何年もないのだという。
赤い丸のことは、誰も知らないことになった。
潮見表は、そのまま壁に貼られていた。
七月の終わり、塩の皿の異変が始まった。
潮止め様の前の塩は、義母が毎朝新しく盛る。
その塩が、朝には湿って固まっているようになった。
指で押すと、粘土のように凹んだ。
舐めると、海の塩の味がした。
食卓の塩とは、明らかに違った。
「お義母さん、塩が」
「うん」
「湿ってます」
「潮が来とるけんね」
「家の中にですか」
「板の間までは、来んよ」
義母は皿を洗い、新しい塩を盛った。
板の間までは、という言い方が残った。
同じ頃、私の部屋の畳にも白いものが出るようになった。
布団の周りに、指の幅ほどの白い輪が、うっすらと残っている。
掃除機をかけると消える。
翌朝、また出ている。
指につけて舐めた。
同じ、海の塩の味だった。
私は義母に話さなかった。
義母が私の畳に掃除機をかけているのを、その週に二度見たからだ。
義母は私の顔を見なかった。
ある夜、寝間着の裾が濡れていることに気づいて目が覚めた。
時計は三時を少し過ぎていた。
渡り廊下の窓が、内側から曇っていた。
その向こうの板の間から、声がした。
若い声だった。
「ひとつ、ふたつ、みっつ」
ゆっくりと、膳を数える義母と同じ調子で。
「よっつ、いつつ」
そこで、止まった。
むっつ、は聞こえなかった。
私は布団に戻り、朝まで目を閉じていた。
翌日の夕食で、義母は六つ数えた。
私は五つまでしか、聞こえなかった声のことを言わなかった。
午前二時の四千歩
八月に入って、スマートウォッチの記録に気づいた。
仕事柄、睡眠の質を計るためにつけていたものだ。
八月三日の睡眠ログに、覚醒の区間が入っていた。
午前二時十分から二時五十分。
その四十分の歩数が、四千百歩あった。
私はその夜、一度も起きた記憶がない。
翌日も、翌々日も、同じ時刻に同じような数字が並んだ。
歩数は少しずつ増えていった。
四千百、四千三百、四千六百。
地図で測ると、家から樋門まで往復して、ちょうどそのくらいだった。
足の裏に、黒い泥がついていた朝があった。
洗面所で落とすと、排水口に細い葦の切れ端が残った。
その泥の匂いは、干潟の匂いだった。
佳祐に見せた。
佳祐は泥を見て、少し黙ってから言った。
「おまえ、夜中に縁側におった」
「いつ」
「先週。旧母屋の縁側で、海のほう見とった」
「起こしてよ」
「起こすなて、母さんが言うけん」
「なんで」
「潮止め様が見とる間は、起こしたらいかんて」
私は佳祐の顔を見た。
佳祐は私の顔を見なかった。
この家では、誰も私の顔を見ずにものを言う。
そのことに、私はそのとき初めて腹が立った。
そして、腹が立った自分に少し安心した。
まだ、怒ることができる。
その晩、私は縁側に塩を撒いた。
自分の布団の周りに出る輪と、同じ幅で。
理由は自分でも分からない。
ただ、輪の内側にいたい気がした。
翌朝、私が撒いた塩の輪は、そのまま残っていた。
その外側に、大きな濡れた足跡が二つ、海のほうを向いていた。
私は、義父のものだと思った。
思うことにした。
義祖母のサワさんの話を聞いたのは、八月の盆だった。
義母が仏間で、私にだけ話した。
サワさんは昭和三十年代に、この家に嫁いできた。
一年目の夏から、夜に歩くようになった。
朝には足に泥をつけて、本人は何も覚えていなかった。
拝み屋を呼んだが、良くならなかった。
先代は、サワさんの布団を旧母屋の板の間に移した。
潮止め様の前に、寝かせたのだ。
何日目かの夜、サワさんは潮の匂いで目を覚ました。
縁側の先の干潟で、何かが杭の周りを回っていたという。
それがこちらを向いた。
石段を上がってきた。
サワさんは動けなかった。
そのとき、開いた雨戸の一枚から、大きな背中が縁側に出ていった。
鴨居より高い背中だった。
背中は石段を下りていき、干潟の何かを、握った。
それきり、その何かは見えなくなった。
「サワさんはそれ以来、歩かんようになった」
義母はそこで話を切った。
「それで、潮止め様に長靴を」
「そう」
「なんで私に話すんですか」
義母は、初めて私の目を見た。
「あんたにも、板の間で寝てもらう」
九月の大潮まで、あと十日だった。
私は板の間に布団を敷いた。
塩の皿から、一メートルも離れていない。
夜、板の間は静かで、干潟の水音だけが聞こえた。
潮止め様の長靴が、闇の中で海のほうを向いていた。
最初の数日は、何も起きなかった。
歩数のログも、ゼロに近かった。
私は、治ったのだと思った。
思うことにした。
大潮の晩の石段
九月十九日、潮見表に赤い丸のついた日。
その日の干潮は、午前三時過ぎだった。
私は板の間で、いつも通りに眠った。
目が覚めたとき、私は縁側に立っていた。
時計は、二時四十分。
足の裏に、板の冷たさがあった。
膝の裏が、冷えていた。
目の前に、干潟が広がっていた。
月が出ていて、泥の面が鈍く光っていた。
潮は引いていて、樋門の杭が黒く突き出ている。
その杭の周りを、何かが回っていた。
人の背丈の半分ほどの、濡れた影だった。
四つ足で歩き、ときどき立ち上がる。
一定の速さで、同じ方向に、杭の周りを回っている。
潮の匂いに、腐った葦の匂いが混じった。
耳の奥で、自分の脈の音がした。
干潟の向こうにあるはずの町の灯りは、ひとつも見えなかった。
月だけが、明るかった。
私は後ろに下がろうとした。
踵が、何かに触れた。
見下ろすと、板の上に白い線があった。
塩だった。
私を囲んで、輪になっていた。
私が撒いたものではない。
撒いた覚えのある場所より、ずっと内側だった。
影が、回るのをやめた。
杭の後ろに入って、出てこない。
私は数を数えた。
十まで数えたとき、影は杭の後ろから出てきた。
まっすぐに、石段のほうへ歩いてきた。
四つ足のまま、石段を上がる。
一段、二段。
私は数えた。
十三段目で、影は止まった。
塩の線の、すぐ外だった。
顔と呼べるものは、なかった。
ただ、濡れた毛の塊が、私のほうを向いていた。
濡れた毛から、泥が糸を引いて落ちていた。
それは、私の足の裏についていたのと同じ泥だった。
息を止めていたことに、あとで気づいた。
そのとき、背後の雨戸が動いた。
閉めない一枚が、さらに大きく開く音がした。
板が、沈んだ。
私の足元の板が、重みで軋んだ。
潮の匂いが、濃くなった。
私の横を、何かが通り過ぎた。
大きな背中だった。
鴨居よりも高く、濡れて、毛が生えていた。
背中は塩の線をまたいで、石段を下りていった。
影は動かなかった。
背中が、影の上に屈んだ。
濡れた布を絞るような音がした。
それから、静かになった。
背中は、干潟のほうへ歩いていった。
月の下で、干潟の泥の面が、少しずつ持ち上がっていった。
潮が、満ちてきていた。
干潮のはずの時刻に、潮は石段の二段目まで来ていた。
私の耳のすぐ後ろで、若い声がした。
「数えた」
それだけだった。
そのあとのことを、私は覚えていない。
潮止め様の朝の足跡
目が覚めたとき、私は板の間の布団の中にいた。
時計は九時を回っていた。
そんな時間まで眠ったことは、この家に来てから一度もない。
足は洗ったように綺麗だった。
塩の皿は、空になっていた。
塩がなくなったのではなく、皿が乾いていた。
縁側に出た。
板の上に、大きな濡れた足跡が二つ、海のほうを向いていた。
いつもの足跡だった。
私は、その隣を見た。
大きな足跡の隣に、小さな濡れた足跡が、家のほうへ向かって続いていた。
足跡は縁側を横切り、開いた雨戸の一枚を通って、板の間に入っていた。
板の間の、私の布団の脇で、終わっていた。
私はしばらく、そこに立っていた。
それから台所に行った。
義母が朝食の膳を並べていた。
「お義父さん、サワさん、佳祐、私、美月」
義母は私の名前を言った。
この家に来て、初めてだった。
「潮止め様」
六つ目を板の間へ運ぶ。
義母は戻ってきて、七つ目の膳を取った。
「それから」
名前はなかった。
七つ目の膳は、縁側の内側に置かれた。
海のほうを向けて。
私は何も聞かなかった。
義母も、何も言わなかった。
その日の夕方、義母は旧母屋の雨戸を全部閉めた。
西側の一枚も、閉めた。
「潮止め様は、もう見に出んでよか」
それだけ言った。
佳祐は雨戸のことを聞いて、しばらく黙っていた。
「閉めるなて、言われたけどな」
「もう、よかとやろ」
義母はそう答えた。
サワさんは縁側で、閉まった雨戸を見ていた。
私が横に座ると、干潟のほうを向いたまま言った。
「入ったね」
私は、はいと答えた。
どちらの意味でも、そうだと思ったからだ。
古賀さんには、翌週の朝に堤で会った。
古賀さんは軽トラの窓から私を見て、少し頷いた。
「もう外じゃなかね」
「はい」
「そんなら、よか」
軽トラは、堤の上の道を遠ざかっていった。
スマートウォッチの歩数は、それからゼロのままだ。
畳の白い輪も、出なくなった。
七つ目の膳は、いまも毎食、縁側の内側に置かれる。
朝には、水の椀が塩辛くなっている。
義母はそれを洗って、新しいものを盛る。
数えるとき、義母はもう私の顔を見る。
七つ目を置くときだけは、見ない。
この家では、海に向いた雨戸を、いまは全部閉める。
閉めて回るのは、私の役目になった。