終深驛の通用口

灯りがともる書斎の夜

地方ローカル線の沿線調査の仕事をしている。

鉄道土木のコンサル会社の社員で、廃線寸前のような小さな路線を全国回るのが役目だ。

盛り土の沈下、橋台の剥離、踏切の路盤、そういった細かい数字を黙々と測って、東京の事務所へ持ち帰る仕事だ。

派手さはないが、地方の鉄道がいつまで保つかは、結局この数字で決まる。

会社では、私のような調査員のことを「沿線屋」と呼ぶ人もいる。

去年の十一月、中国地方の山あいにある終深駅へ、二日の予定で出張に行った。

線路の盛り土の沈下測定で、駅周辺の踏切と築堤を、二日かけて回る予定だった。

仕事は順調に終わったのだが、出張先の宿は、事務員の手違いで二日目分が取れていなかった。

事務員からの謝罪メールには「申し訳ございません、隣町まで手配してみます」と書かれていたが、結局どこも空きが取れなかった。

車で四十分の旅館にも空きがない。

終列車を逃すと、東京へは帰れない。

仕方なく、私は終深駅で四時間ほど待つことにした。

会社のデスクで仕事をしているときの自分なら、四時間あれば沿線資料を一冊読み終えるのだが、寒さの中の待ち時間というのは、不思議と本が頭に入らないものだった。

終深駅は無人駅で、昭和五十二年に駅員が引き上げて以降、一日二本だけ列車が止まる。

駅舎自体は昭和初期の建造で、木の梁がそのまま残されていて、屋根は瓦葺きの寄棟だった。

古い駅特有の、煤と機械油の混じった匂いが、無人になっても薄く残っている。

駅前には、田んぼと、軽自動車一台分の広さの駐車場と、十一月の山の風だけがあった。

待合室の長椅子で読書をしていたが、一時間ほどで本を読み終えてしまった。

スマートフォンの電波は二本しか立たず、動画を再生してもすぐに止まる。

仕方なく、ホームに出て、駅舎の周りを散歩することにした。

駅舎の裏手は倉庫の跡地で、雑草に埋もれた古いベンチと、コンクリートで塗り固められた小さな穴があった。

穴の高さは私の膝までもなく、子供がしゃがんでようやく入れるような大きさだった。

穴の上にはコンクリの庇がついていて、よく見ると赤錆びたプレートに「保線通用口」と書いてあった。

駅員が線路向こうの倉庫に出入りするために使っていた、と業務資料で読んだ覚えがあった。

無人化されてから四十年以上経つはずなのに、穴の奥から薄く灯りが漏れているように見えた。

気のせいかと思い、目をこすってもう一度見たが、やはりほのかに、橙色の灯りが滲んでいる。

冷えていた指先で、穴の縁に触れた。

手のひらに伝わる感触は、コンクリではなかった。

砂のような、乾いた木の床のような、生暖かい感触だった。

十一月の山の風で頬が凍るような夜なのに、穴の奥から流れてくる空気だけが、ほんのり温かかった。

私は調査用のヘッドランプを点けて、穴の中を覗いた。

コンクリの小さな筒であるはずの穴の奥行きが、妙に深い。

ヘッドランプの光が三メートルほど先で、吸い込まれるように消えた。

奥に、何かがある気がした。

仕事柄、構造物の点検は何度もしているので、好奇心半分で這って入ることにした。

ヘルメットを脱ぎ、リュックを胸に抱えて、四つん這いで進んだ。

奥に進むほど、空気が湿った木の匂いに変わっていった。

コンクリの匂いではなかった。

古い木造校舎の床下のような、藁と土と、わずかに醤油のような、生活の匂いだった。

二メートルほど這ったところで、肘をついていた地面が、コンクリから木の床板に変わった。

板はわずかにたわみ、奥に進むほど軋んだ音を立てた。

板の隙間からは、薄い橙の光が漏れていた。

私は明らかに「変だ」と思いながらも、なぜか引き返さなかった。

むしろ、ここを抜けた先に何があるのか、確かめなければならないという気持ちが強くなっていた。

四つん這いから立ち上がれる高さになり、体を起こした。

目の前は、薄暗い駅舎の事務室のような空間だった。

灯りはランプだった。

事務机の上に置かれた、芯の長い石油ランプ。

炎は静かに揺れて、油の焦げる匂いが微かにした。

事務室の壁には、いま私が来たはずの「終深」という二文字とは違う、旧字の「終深驛」という看板が掛かっていた。

看板の文字は、墨痕がところどころに残っていて、書き手の癖がそのまま見えた。

事務机の前に、駅員らしき制服の老人が座っていた。

紺の制服に金ボタン、頭には平たい角帽。

膝の上に大きな帳簿を開いて、ペン先にインクを浸している。

老人は、私のほうを見て、特に驚きもせず、軽く会釈をした。

「次の列車はもう終わってござんすよ。朝の四時半に上り三両、来やす」

老人の言葉は丁寧だが、抑揚がいまの土地のものではなかった。

古い軍隊の遠縁のような響きと、岡山あたりの方言が混ざっているような、聞いたことのない言い回しだった。

私は咄嗟に頷いた。

声が出なかったわけではなく、出してはいけない気がしたからだ。

事務室の窓の外を見ると、駅舎の前には牛車が停まっていた。

御者は荷物の縄を結び直している。

荷の上には木箱がいくつか積まれていて、墨で「軍需」と書かれていた。

箱の側面には、判読しがたい数字と、何かの部署名らしき三文字が併記されていた。

雪が降っていた。

十一月のはずなのに、外は深い雪。

御者の長靴が、雪に深く沈んで、黒い水の跡を残していた。

事務室の柱に貼られたカレンダーは、月の名前が「霜月」とだけ書かれていた。

事務机の隅には湯呑みが一つ置いてあり、湯気がまだ立っていた。

湯気は、白く真っ直ぐに立ちのぼり、ランプの炎の側で歪んだ。

私は事務机のそばに置かれた切符の束に目を落とした。

「終深驛」「岡山驛」「玉島驛」「鶴見驛」と、行き先の活字はすべて旧字で、紙は粗く、青みがかった藁半紙のようだった。

その上に、日付印が押されていた。

日付印は、昭和十九年十一月十三日と読めた。

私の腕時計の日付は、二十一世紀の、十一月の数字を示していた。

視界の片隅に、壁の時計が映った。

振り子のついた古い柱時計で、針は一時を回ったところを指していた。

振り子の音は不思議と聞こえず、ただ振れる影だけがランプの光に揺れていた。

事務机の足元には、湯たんぽのような銅の容器が置いてあり、表面に薄い水滴がついていた。

水滴は、暖まった金属に外気が触れたときに付くものだ。

つまり、この事務室の中は、外の雪に対して確かに暖かいという、当たり前のことが、ようやく頭の隅で繋がった。

私は声を立てないように、深く息を吐いた。

事務机の老人は、もう一度会釈をして、ペンの先で帳簿に何かを書きつけた。

そのとき、駅舎の奥から女の声がした。

「お父さん、あの方はもうお出でになったのかえ」

女の声は若く、しかしどこか疲れた響きを帯びていた。

私は振り返らなかった。

振り返ると、何かが決まってしまうような気がした。

代わりに、自分の靴の先を見つめた。

靴は、雪の溶けた水で濡れていた。

私はこの事務室にまだ十秒も立っていないのに、靴底にはたしかに雪解けの水があった。

老人は静かに帳簿を閉じ、私のほうを見ずに言った。

「あんたは、間違うて入ったお客さんだに。早う、来た穴へ戻んなさい」

声は穏やかだったが、断ち切るような迷いのなさがあった。

奥の女の足音は、近づいても遠ざかってもこなかった。

板戸の向こうで、ただ静かに止まっているような気配だった。

私は、声に出さずに頷いた。

そして、入ってきた木の床の穴のほうへ、四つん這いで戻った。

戻る間、後ろから一度だけ、駅員の老人の声が聞こえた。

「気を付けて。次は、迷わぬほうがええ」

「次は」という言い方が、いまも耳に残っている。

四つん這いで進むと、すぐに木の床がコンクリに変わり、空気が冷えていった。

穴を出ると、山の風が頬を切るように冷たかった。

腕時計を見ると、入った時から三分しか経っていなかった。

ホームに戻ると、十一月の終深駅は無人のままで、長椅子に置いた読みかけの本が、栞を挟んだ形でそのまま残っていた。

背中のリュックの中で、ヘルメットが転がる音だけがやけに大きく聞こえた。

ポケットに手を入れると、入った覚えのない切符が一枚、指に触れた。

取り出して見ると、藁半紙のような青みがかった紙に、「終深驛」と旧字で印刷されていた。

角は擦り切れ、日付印は薄れて読めなかった。

切符の隅に、墨で小さく書き加えられた文字があった。

「気ヲ付ケテ」とだけ、丁寧な楷書で書かれていた。

私は、何が起きたのかを言葉にできないまま、終列車に乗って東京へ戻った。

車内は暖房が効いていたが、靴の先だけがいつまでも冷たく濡れていた。

会社に戻ってから、終深駅の歴史を念のため調べた。

業務上、調査に入る前に駅の沿革は読んでいたが、戦時中の記録までは目を通していなかった。

国会図書館の地方鉄道史料を当たると、終深駅は昭和十八年十二月から昭和二十年八月まで、軍需物資の中継駅として、旧字の「終深驛」の表記で再運用されていた、という一行が出てきた。

それ以前と以後は「終深駅」の表記だが、戦時中の二十か月だけは旧字に戻されていたらしい。

理由は、史料には書かれていなかった。

軍部の指示だったのか、当時の駅員の意向だったのか、どちらとも判じかねる、と注記されていた。

当時の駅員名簿に、私が見たあの老人と同じ年格好の名前があった、とまでは言わない。

それは確かめなかった。

確かめれば、確かめてしまうから。

ただ、史料の最後のほうに、昭和十九年十一月十三日付で、終深驛の駅員が「不明の旅客一名を待合室に通したが、列車に乗らず辞去した」と日報に書き残している、という記述だけは見つけてしまった。

その日報の原本を見ることまではしなかった。

誰のことが書かれているのかは、おそらく確かめずとも分かっていたからだ。

名簿の末尾に、駅員家族の覚書として「長女、肺患により療養中」とだけ書かれた一行があったことも、後から知った。

奥の女のあの声が、療養中の長女のものだったかどうかは、確かめなかった。

確かめなくとも、年格好と声の張りはそのまま記憶に残っている。

仕事柄、駅というのは人の出入りを記録する場所だと知っているが、誰かの最後の冬を見届ける場所でもあるのだろうか、とふと考えたりする。

終深駅には、もう調査に行っていない。

後輩に引き継いだ。

ただ、後輩がこの間、私のところへ写真を持ってきた。

「先輩、これ、駅舎裏の保線通用口なんですけど、なんか変じゃないですか」

写真には、コンクリで塗り固められた小さな穴と、その上に掛かった赤錆びたプレートが写っていた。

プレートの文字は、「保線通用口」ではなく、「保線通用口(旧)」と書かれていた。

私が入ったときには、(旧)の文字はなかった。

私はそれだけ後輩に伝えた。

あの穴の中の老人が、もう一度誰かを通したのかどうかは、私には知る術がない。

家の引き出しの奥には、藁半紙の旧字の切符が、いまも入ったままになっている。

処分しようと何度か思ったが、捨てるとあの夜が嘘になるような気がして、ずっとそのままだ。

「気ヲ付ケテ」の墨字も、紙が薄くなったぶん、はっきり見えるようになった。

今も、霜月の冷えた夜になると、保線通用口の奥の、あの石油ランプの暖色を思い出す。

そして、振り返らずに頷いた自分のことを、少しだけ後悔している。

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