
魚へんに右と書いて、何と読むか。
そんな漢字は無い。
辞書にも載っていない。
それでも俺は、その字の読み方を知っている。
教わったのは、二度だ。
二度とも、同じ質問の形だった。
誰に、とは書かない。
書くと、たぶん、また来る。
そう思うくらいには、いまも引きずっている。
一度目のことを、俺は覚えていない。
二度目のことは、はっきり覚えている。
その日、友達と近所の公園で待ち合わせをしていた。
CDを何枚か借りる約束だった。
季節は冬。
夕方の十六時過ぎで、もう薄暗くなりかけだった。
約束の時間より少し早く着いた。
公園は、住宅街の角にある小さなものだ。
砂場とブランコと滑り台。
それだけしかない。
フェンスの外は、片側だけが竹の生け垣になっている。
子供の頃から、そこだけ日が当たらない。
夏でも、その一角は湿った土の匂いがした。
いまは駐車場になっている。
夏場は子供でうるさいが、冬の夕方は誰もいない。
その日も、ベンチはどこも空いていた。
自転車を停めて、いちばん出口に近いベンチに座った。
やることがないので、ベンチに座って携帯をいじっていた。
ふと見ると、目の前の砂場で女の子が一人で遊んでいた。
小学校に入るか入らないかくらいだろうか。
妙に昔風の子供だった。
サザエさんに出てくるワカメちゃんのような、地味な髪型と服装だ。
あんまりまじまじと見ていたら、周りから変に思われるかもしれない。
そう思って、無理やり携帯の画面を見ていた。
しばらくして、その女の子が近付いて来た。
正確には、近付いて来たのを見ていた訳ではない。
気配を感じて顔を上げたら、もう俺の前に立っていた。
砂場の女の子
「ねえ、お兄ちゃん。『さかな』と『みぎ』って書いてなんて読むん?」
「は?」
俺は一瞬、何のことか解らなかった。
「漢字って難しゅうてよう読めんのよ」
その子はそう言った。
俺は女の子の顔をまじまじと見た。
はにわみたいに無表情というか、昔風の顔だった。
「それって魚へんに右ってこと?」
聞き返した。
「『へん』てなん? 『さかな』と『みぎ』の漢字のこと聞きよるんよ」
そう言われて、ますます何のことか解らなくなった。
「そんな漢字知らん」
俺はこの子と関わりたくなかった。
母親が出て来て、変な風に思われるのが嫌だったからだ。
だから、突き放すようにきつめの口調で言った。
そのとき、ひとつだけ気になったことがある。
女の子は、右手だけをずっと後ろに回していた。
話しているあいだ、一度も前に出さない。
左手だけで、砂を払ったり、髪を触ったりしていた。
何か握って隠しているのだろう、と思った。
砂場には、木の棒が一本落ちていた。
その子が使っていたものだと思う。
砂の上に、細い線が何本も引かれていた。
うねった線だった。
字を書こうとして失敗したようにも見えたし、何かの形にも見えた。
そのときは、落書きだと思っただけだ。
その子の履いていたのは、白いズック靴だった。
いまどき、あまり見ない型のものだ。
靴の先に、砂がまったく付いていなかった。
砂場で遊んでいたのに、だ。
その違和感は、たしかにその場で覚えた。
覚えたのに、口には出さなかった。
子供はよくそういうことをする。
そのくらいにしか、思わなかった。
女の子はプイっと後ろを向いて、公園の奥にある滑り台のほうへ走って行った。
走るときも、右手は後ろのままだった。
ちょうどその時、友達がやって来た。
持って来たCDを受け取り、そのCDについて何だかんだとしばらく話をした。
もう夕方になったので、友達と別れた。
帰ろうとしたとき、さっきの女の子のことを思い出した。
公園中を見渡したけれど、もう誰も居なかった。
滑り台の周りにも、ブランコの下にも、人影はない。
街灯がひとつだけ点いて、砂場の端を白く照らしていた。
風が出てきて、フェンスの金網が低く鳴っていた。
砂場には、足跡が残っていた。
ただ、砂場から出て行く方向の足跡が、見当たらなかった。
そのときは、自分の見落としだと思った。
玄関先で撒かれた塩
家に着いて、洗面所でうがいをしていた。
姉が入り口から俺を覗き込んだ。
「あんた、変なもん連れて帰ったね」
三つ年上で、その頃は地元の短大に通っていた姉だ。
昔から霊感のようなものが強く、「見える」とか「感じる」とか、子供の頃からよく聞かされていた。
弟の俺は霊感なんてものは全くない。
信じない訳じゃないが、興味はなかった。
「はあ? 何? 連れて帰ったって?」
面倒くさそうに返した。
「あんた、今日変なとこ行っとらん?」
「別に行っとらんわ。何や? 変なとこって?」
「まあええわ。とにかく玄関の外に一回出て」
「はあ?」
「はよー出て!」
姉の剣幕に押され、俺は玄関の外に出た。
外はもう真っ暗だった。
玄関の灯が、俺の足元だけを丸く照らしている。
姉はサンダルを引っかけて出てきて、俺を門のほうに立たせた。
「こっち向いて」
言われた通りにした。
姉の顔が、いつもより硬かった。
塩は、味噌汁に使う粗いやつだった。
肩に当たると、ぱらぱらと音がして落ちる。
その音が、やけにはっきり聞こえた。
近所の犬が、ずっと吠えていた。
普段は、あんなに吠えない犬だ。
姉は台所から塩を持って来た。
玄関先に立っている俺に、二度三度と塩を振りかけた。
三度目のとき、姉の手が止まった。
「右」
「え」
「右のほう、もういっぺん」
そう言って、俺の右肩のあたりにだけ、もう一度塩を撒いた。
家の中に入って、姉に聞いた。
「姉ちゃん、俺、何を連れて帰っとった? 今の塩でそれは消えたんか?」
「うーん…多分大丈夫と思うわ。もう何も感じんし」
「で、さっきは何が見えたんや?」
「見えたわけやないけど、あんたの周りの空気、物凄く淀んどったわ」
「淀む」
「私も気分悪うなるし…あんたの顔も妙に青白かったで」
「何かよーわからんけど、アホらし」
俺は薄気味悪いのを精一杯隠して、姉を小馬鹿にするように言った。
けれど、頭の中ではあの公園の女の子のことを思い出していた。
変わったことと言えば、それくらいしか思い浮かばない。
まさかな、と思った。
取り憑くも何も、別に変わったことでもなかった。
魚の漢字がどうこうとか、変なことは言っていたけれど。
姉に話すと面倒臭くなりそうな気がした。
女の子のことは言わず、俺の中で封印した。
それから数ヶ月が経ち、姉は短大を卒業して就職し、家を出た。
俺は受験を控えていた。
日々の勉強は苦痛だったが、特段変わったこともなく普通に過ごしていた。
止まらない咳
体調に異変が起きたのは、梅雨の頃からだった。
夜、ベッドに入って横になると咳が止まらない。
最初の頃は十分程度で治まっていた。
一週間経った頃には、寝る前の一時間くらい咳が続くようになった。
呼吸困難になるくらい苦しんだ。
母親に話し、近所の病院に行った。
特に異常は認められず、咳止めの薬を渡された。
しかし薬を飲んでも、一向に咳は治まらない。
夜寝る時だけではなく、昼間も咳が出始めた。
横になった時の咳は激しさを増していった。
明け方まで喘息のような咳に悩まされ、一日一時間くらいしか眠れなくなった。
病院も大きな総合病院に変えた。
そこでも原因は判らず、出された薬は全く効かなかった。
一ヶ月経った頃には、俺の声はガラガラになってしまった。
親戚の紹介で、隣県の有名な医師にも診てもらった。
何の効果もなかった。
もう受験勉強どころじゃない。
食欲もなくなり、体重も激減した。
ひとつだけ、母が気味悪がっていたことがある。
咳が出るのは、右を下にして寝たときだけだった。
左を下にすると、嘘のように静かになる。
医者にも言ったが、そういう体位性の咳もありますね、で終わった。
夜中、咳で目が覚めると、決まって同じ姿勢だった。
右肩を下にして、体をすこし丸めている。
寝入るときは仰向けだったはずなのに。
母が心配して、右側に座布団を立ててくれた。
朝になると、その座布団は倒れていた。
毎朝、同じ向きに倒れていた。
学校は夏休みに入った。
姉も俺のことを心配して早めの盆休みを取り、就職して初めて実家に戻って来た。
「あんた大変やね。大丈夫? 病院何件も変えても直らんのやて?」
「おう…それより姉ちゃん、この咳って俺に何か霊みたいなのが取り憑いとるとかが原因じゃないんか?」
冗談めかして聞いてみた。
姉だったら何か見えるかもしれない。
逆に、何かが取り憑いてくれているほうが有難い。
御祓いをすれば咳は治る訳だから。
そう思って、姉の答えを期待した。
しばらく姉は考え込んだ。
「何も見えんね。て言うか、会社に入ってからあんまりそういうものは感じんようになったんよ」
そう言った後、姉は続けた。
「でも、あんたが言うようにそうかもしれんね。ちょっと待ってて。ある人に電話してみるから」
そう言って、部屋を出て行った。
しばらくして姉が戻って来た。
「会社の先輩に連れて行って貰ったバーがあるんよ」
「バー」
「そこのオーナーは結構な年の女の人なんやけど、その人の霊視は凄いって評判なんよ」
その女性オーナーは、毎日店に出る訳ではないらしい。
姉が初めて店に行った時、たまたまその人がいた。
姉を一目見て、こう言ったそうだ。
「あなた鍛えればいい霊能者になれるかもね。でも今はその力もだんだん弱くなっているけど」
店の営業とは別に、週一回だけ土曜の昼間に店を開け、霊視をやっているという。
予約は半年先まで埋まっている。
姉はその店の常連である先輩に電話を掛け、俺の窮状を訴えて予約を頼んだ。
先輩は、なんとか二週間後の予約を取り付けてくれた。
父親は「そんなもの」と鼻で笑っていた。
母親は、わらをも掴むという感じで大賛成してくれた。
二週間後、既に職場に戻っていた姉が、新幹線の駅に俺と母を迎えに来てくれた。
咳の具合は相変わらずで、新幹線の移動も大変だった。
駅からタクシーに乗り、そのバーのある雑居ビルへと向かった。
伏せた二枚の札
重厚なドアを開けると、カウンターの向こうにその人は座っていた。
俺を見るなり、笑いながら言った。
「あー、なるほどね」
俺がどういう状況なのかは、既に伝わっているようだった。
挨拶もそこそこに、俺はカウンターの席に座らされ、タロットカードを切らされた。
カードを伏せたままカウンターの上に広げろと言う。
広げ終わったら、二枚ほど選べと言われた。
骨の絵の札と、天使の絵の札が現れた記憶がある。
今となっては、あまり覚えていない。
しばらくの沈黙の後、紙に俺の名前と住所、そして部屋の間取りを書かされた。
その人は俺を見ながら、こう言った。
「あなたが住んでるマンションね、昔そこの土地は竹やぶだったのよ」
「竹やぶ」
「そこに沢山のヘビがいたのね。でも建物立っちゃったでしょ」
「…はい」
「よくないね、あなたの勉強部屋。そのマンションで一番悪い位置だわね」
みんな無言で聞き入っている。
「それとあなたの右肩あたり、女の子が憑いているわよ」
「えっ」
背筋がゾクっとしたのを覚えている。
あの公園の女の子が、頭の中を過った。
右肩。
姉が塩を撒き直したのも、右だった。
横に座っていた姉も、ハッとしたような感じになった。
「あなたとよほど波長が合うんだろうね」
ただ、右肩が急に重く感じた。
気のせいだと思うことにした。
母は、鞄の持ち手を両手で握っていた。
店はBGMもなく、シーンと静まり返っている。
その中で、俺の咳だけが響き渡る。
どんな女の子なのか聞きたかったけれど、聞く勇気もなかった。
重苦しい空気の中、姉が口を開いた。
「で、どうすればいんでしょうか?」
その人はゆっくりとした口調で答えた。
「実はね。最初の札を引いた時、どうしようかと私も焦ったの」
「終わりを示す札が出たのよ」
「あなたの弟さん、もう長くないなって」
「でも、次に引いたこの天使の札がそれを打ち消してるの」
「だから大丈夫。安心して、病気は治るから」
「白南天の木をベランダの端に置きなさい」
「そして、毎朝それに向って手を合わせなさい。そうすれば大丈夫だから」
「白南天ですね。わかりました」
母が横から、白南天とはどんな木か、と聞いた。
実が白い南天だという。
赤いのは見たことがあるが、白は珍しい。
「置く場所は、端でないといけませんか」
「端。人が通らないほう」
「東とか、西とかは」
「関係ない。端」
その答え方が、妙に事務的だった。
手順を読み上げているような言い方だ。
だから余計に、本当のことのように聞こえた。
姉はそう答えてから、もうひとつ尋ねた。
「あと先生、弟の原因はその竹やぶのヘビなんでしょうか。それともその女の子のせいでしょうか」
「両方ね。相乗効果ってやつ」
「両方」
「その女の子、昔その竹やぶでよく遊んでいたもの」
そう言った後、御祓いをしてくれた。
聞いたことのない呪文か、お経のようなものだった。
拝み屋に頼る話は、天満橋の真ん中に残された靴という話でも読んだことがある。
ああいう場では、聞けないことのほうが多い。
帰りのタクシーの中、俺は姉に聞いた。
「さっき先生が子供の話したとき、姉ちゃんハッとしたやろ?」
「うん、あんたに塩振りかけた日があったやろ」
「おう」
「あんたには言わんやったけど、あん時ね、あんたの顔の横に女の子の顔が見えたんよ。目を閉じた女の子の顔が…」
姉が続きを言いかけた時、母が遮った。
「もう止めなさい。先生に御祓いしてもらったんやから、もうそんな話はせんでもええやろ!」
それから駅まで、タクシーの中はみんな無言になった。
白南天とベランダ
家に戻った翌日、市内中の花屋や農家を父が車で回ってくれた。
やっと白南天を手にすることができた。
言われた通りベランダに置き、毎朝家族で手を合わせた。
一週間後、俺の咳はピタっと治まった。
ベランダの白南天は、背の低い、貧相な木だった。
葉の色が薄く、実はまだ青い。
朝、家族三人でそれに向かって手を合わせる。
父は最初、腕を組んだまま横に立っていた。
四日目から、黙って手を合わせるようになった。
「いやーこんなことってあるんやな」
日ごろ信仰心のかけらすらない父も、さすがに驚いていた。
母は涙を流して喜んだ。
その翌年、俺も無事進学ができて上京した。
大学卒業後は東京で就職し、毎年盆と正月には実家に帰省している。
俺の部屋も姉の部屋も、当時のままにしてくれている。
姉は嫁に行ったけれど。
本日に至るまで喘息のようなものもなく、すっかりあの時のことを忘れていた。
そして去年の夏のことだ。
帰省中の俺は高校時代の友達と飲みに行き、結構酔っ払って実家の自分のベッドに倒れこんだ。
酔いの中で、なぜかあの公園の情景が頭の中に浮かんだ。
その瞬間、窓ガラスに音がした。
「バンッ!」
びっくりして顔を向けると、小さな両手のひらが張り付いていた。
「うわー!!!」
声を出した自分の声に、もう一度驚いた。
あの咳の時期のガラガラ声に、一瞬だけ戻っていた。
喉の奥が、痒いような感じになった。
それきり、声は元に戻った。
俺はタオルケットを頭から被った。
しばらく布団の中で震えていた。
思い切って顔を出し、窓を見た。
手のひらは、もうなかった。
それでも怖くて、もう一度タオルケットを被った。
翌朝、目が覚めた時はもう昼に近かった。
昨夜の手は夢だったのかな、と思った。
いや、そう思おうとした。
立ち上がり、窓ガラスに近づいた。
そして、夏にも関わらず寒気がした。
窓ガラスに、小さな手のひらのような跡が二つ残っていた。
近づいて、俺はもう一度息を呑んだ。
親指の向きが、二つとも同じだったのだ。
両手をついたなら、親指は内側どうしで向かい合う。
そうなっていない。
二つとも、同じ方向を向いている。
窓に残っていたのは、二つとも右手の跡だった。
指の跡は、思ったより小さかった。
手のひらの真ん中だけが、丸く白く残っている。
強く押しつけたときの残り方だ。
ガラスの外側だった。
うちは二階だ。
下は駐車場で、足がかりになるものは何もない。
網戸も、内側から掛けたままだった。
その日は一日、窓を拭かずに過ごした。
拭いてしまうのが、なぜか怖かったからだ。
両親は外出していた。
魚へんに右の話
俺は慌てて姉に電話をした。
昨夜のこと、そしてさっき見た跡のことを、一気にまくし立てた。
黙って聞いていた姉は、搾り出すような声で言った。
「あんたに前に憑いていた女の子、また戻ってきたかもしれんね」
「えー! そんなことってあるんか? だって御祓いしてもらったやんか!」
「…うん…でも何かまた戻ってきたような気がするわ」
「だったら姉ちゃん、またあの先生に頼んでくれよ」
「…いや先生は…去年、旅立たれたんよ…」
俺はしばらく絶句した。
その時、突然あることをひらめいた。
この言葉が、何か解決につながるんじゃないかと。
「姉ちゃん、変なこと聞くけど、魚へんに右て書いて何て読む?」
「…あんた…大丈夫? …父さんや母さん横におるん?」
「いやおらんけど…ふざけてもないよ…で、何て読むんや?」
しばらくの沈黙の後、姉は涙声になっていた。
「…あんた小さいころ、その質問いつもしとったね」
「え」
「何で今またそんなこと聞くん?」
俺が、その質問を小さい頃にしていた。
「…何回も何回もあんたがしつこいくらい聞いてきて、私が『わからんっ!』言うたら、何日か後、あんた何て言うたか覚えとる?」
「…」
「『魚に右って書いて…へび…て読むんや』て言うたんよ」
「…」
「そうあんたに言われた後、母さんに『そんな字あるん?』て聞いたら『そんな字ない、間違いや』て言われたわ」
「…いや全然覚えてないんだけど…」
「母さんにそう言われて、私あんたに聞いたんよ。誰にそんな嘘を教わったかって」
「…」
「何か知らん女の子に教えてもらったって、あんた言いよったわ」
電話の向こうで、姉が黙った。
「…ん? …もしかしたら? …あんた!…へび…女の子…」
その後の姉の言葉は覚えていない。
ただ、ひとつだけ思い出したことがある。
公園のあの子は、右手を後ろに回したままだった。
右を隠していたのではない。
あの子には、たぶん、見せられる右手が一本しかなかった。
竹やぶの話も、右肩の話も、右を下にすると出る咳も、全部ひとつの方向を指していたことになる。
山の神様に関わる話を、テンポポ様と白い装束の少年という話で読んだとき、数が合うということの怖さを思った。
あれと同じだ。
合ってはいけないものが、合ってしまっている。
俺は絶望的な気分になり、窓ガラスの跡に目をやった。
でも、そこに跡はなく、もう消えていた。
いま俺の部屋のベランダには、白南天がない。
実家のベランダには、まだある。
盆に帰ると、父がそれに水をやっている。
葉は、あの頃より濃くなった。
実も、白く色づくようになった。
去年の盆、父が水をやりながら、こちらを見ずに言った。
「東京のほうは、ベランダあるんか」
「あるよ」
「ほうか」
それだけだった。
理由は、もう誰も言わない。