天満橋の真ん中に残された靴

夜の川と橋

二十五年以上前に、実際に体験した話です。

高校二年から三年へ上がる春休みのことでした。

場所に起因する話なので、先に場所を書いておきます。

大阪の経済と金融の中心である、北浜と天満橋のあたりです。

正確には、大川にかかる天満橋と、堂島川と土佐堀川、そして中之島公園で二分される一帯になります。

天満橋の真ん中は、歩いて渡る人があまりいません。

車の交通量だけは、昼も夜も途切れません。

あの春に起きたことを、私は今も順番どおりには話せません。

順番どおりに話すと、どうしても最後のひとつが説明できなくなるからです。

だから、起きたことだけを書きます。

健二とは中学からの付き合いでした。

背が低く、笑うと右の八重歯だけが出る子でした。

春休みに入る前の終業式の日も、いつもと変わらなかったと思います。

思います、としか書けないのがつらいところです。

その日の帰り道に何を話したのかを、私はどうしても思い出せません。

健二は自転車を押して歩く癖がありました。

乗らずに、横を歩くのです。

理由を聞いたことはありません。

後になって、その自転車が家の前に停まったままだったと聞きました。

どこへ行くにも押していく子が、自転車を置いて出たのです。

鍵は掛かっていたそうです。

出かけるつもりで鍵を掛け、それから乗らずに行ったことになります。

捜索願と一本の電話

三月のある日、友人の母親から一本の電話がありました。

「斉藤くん、うちの健二と、昨日一緒やなかった」

「昨日は一緒やないですよ」

素っ気ないやりとりですが、私たちは数人でよくつるんでいました。

そういう電話はたまにあったので、特に疑問にも思いませんでした。

ただ、一晩帰っていないというので、他の友人にも確認しました。

全員に同じ電話がかかっていて、誰もその日は健二と会っていませんでした。

心配した母親は、その夜に地元の警察へ捜索願を出しました。

翌日、地元ではなく大阪市内の東警察署から電話がありました。

二日ほど前に管轄の川で飛び込みがあったようで、その時の遺留物があるという内容でした。

一度確認に来ていただけないか、と言われたそうです。

まさかと思いながら、健二の母親は署へ向かいました。

見せられた遺留物は、スニーカーでした。

中には、脱いだ靴下も入っていました。

それが、天満橋の真ん中あたりに、きれいに揃えて置いてあったといいます。

遺書は見つかっていませんでした。

状況的に飛び込んだ可能性が強い、という説明でした。

スニーカー自体は、どこにでも売っている平凡なものです。

ただ、健二が同じものを履いていました。

担当の警察官は、慎重な言い方をしました。

「周辺の聞き込みも行っておりますが、目撃者は現在見つかっておりません」

「飛び込んだとも、どこかへ失踪したとも、一概には申し上げられません」

帰って下駄箱を探すと、同じ靴はありませんでした。

いなくなった当日に履いていた確率が、一気に高くなりました。

母親が状況を報告すると、担当の方は電話越しにこう言いました。

「大変申し上げにくいのですが、ご希望があるようでしたら、万が一を考えて川をさらいます」

「時間が経つと発見が非常に困難になる場合があります」

「早めに決断していただきたい」

母親は電話を切ったあと、一度も泣かなかったそうです。

泣くと、決めたことになると思ったのだと、後で聞きました。

代わりに、毎晩玄関の鍵を開けたままにしていたそうです。

その習慣は、見つかったあとも一年ほど続きました。

玄関の電球も、朝まで点けたままでした。

近所の人が心配して、何度か声をかけに来たと聞きました。

天満橋の真ん中の靴

翌日、私を含む友人たちが健二の家を訪ねました。

母親は、ここまでの経過をひととおり話してくれました。

帰り道、私たちは希望的な観測ばかり口にしていました。

「まさかあいつがそんなことするわけない」

「多分、二、三日したら帰ってるで」

言いながら、誰も相手の顔を見ていませんでした。

希望的な観測というのは、声に出さないと保てません。

保てているうちは、まだ大丈夫なのだと思っていました。

私が引っかかっていたのは、靴のことでした。

天満橋の真ん中で靴を脱いだ、という一点です。

あの橋は長く、歩いて渡る人が少ない橋です。

それでも、車はひっきりなしに通ります。

真ん中で靴を脱いで揃えれば、少なくとも何台かの車から見えるはずでした。

それなのに、目撃証言が一件も出ていないのです。

橋の照明は、真ん中が一番明るくできています。

夜でも、歩道に立つ人影ははっきり見えるはずでした。

警察の担当者も、目撃がないほうがおかしいと言っていたそうです。

一週間が経ち、川をさらう作業を行うことになりました。

連絡を受け、家族と、仲の良かった友人三人で現場へ行きました。

警察関係者と地区の消防団の方々が集まり、結構な人数になりました。

ダイバーはいません。

鉤のついたロープを、岸と船から投げては引くという作業です。

順々にロープを投げる人たちを見ながら、私たちは複雑な気持ちで参加していました。

作業の合間に、地元の消防の方が教えてくれました。

このあたりは飛び込む人が多く、しかもなかなか見つからないのだそうです。

「流れが複雑でね」

「見つかる子は三日で見つかる。見つからん子は、ひと月でも出てこん」

そう言ってから、その人は口を閉じました。

私たちが健二の友人だと、途中で気づいたのだと思います。

船の上の人は、ロープを投げる前に必ず一度、水面を見ていました。

投げてから見るのではなく、投げる前に見るのです。

理由は聞きませんでした。

その日は、大量のごみが引き上げられただけでした。

健二につながるものは、何ひとつ見つかりませんでした。

ほっとしたような、早く見つけてあげたいような、何とも言えない気分で帰りました。

帰りに、私は橋の上をもう一度歩きました。

真ん中まで来て、欄干から下を覗きました。

水面は思ったより遠く、色は黒ではなく茶色でした。

ここから落ちたのだと考えるより先に、足の裏が冷たくなりました。

三月の橋の上は、まだ風が冷たい時期です。

靴下まで脱いで揃えるのは、相当な決心がいります。

あるいは、決心が要らない状態だったのか。

おばさんの言い方でいえば、導かれた、ということになります。

私はその言い方を、今でもうまく飲み込めていません。

靴を脱いだら、もっと冷たかっただろうと思いました。

鉤つきのロープ

捜索はその日から三日続きました。

私たちが参加したのは初日だけで、以降は家族だけが手伝いに行きました。

結果は出ず、ひとまず打ち切りという形になりました。

以降は警察からの連絡を待ってほしい、と言われたそうです。

まだ生きている、と不安を希望に置き換えて過ごすはずでした。

その夜に、不可解なことが起こりました。

健二の家に電話がかかってきたのです。

母親は直感的に健二からだと思い、受話器を取りました。

しばらくの沈黙のあとに、声が聞こえました。

「見つけて……、お願い……」

声は低く、聞き取りにくかったそうです。

健二の声かと聞かれると、母親は違うとも同じとも言いませんでした。

それだけで、切れてしまいました。

母親は、どこかにいて恥ずかしくて帰れないのだと思ったそうです。

探してくれるのを待っているのだと。

ところが、ほぼ同時刻に、私の家と友人の家にも同じ電話がかかっていました。

言葉も、間の長さも、同じでした。

私の家にかかってきたとき、母が先に取りました。

母は、沈黙が長いので間違い電話だと思ったそうです。

受話器を渡されて耳に当てたときには、もう切れていました。

それでも、私は最後の息づかいのようなものを聞いた気がしました。

気がしただけかもしれません。

三軒にほぼ同時となると、どう考えても不自然です。

希望より不安のほうが、そこで大きくなりました。

その一時間後くらいに、一緒に捜索へ行った友人の達彦から電話がありました。

達彦の知り合いに、とても霊感の強いおばさんがいるのだそうです。

普段は連絡を取り合う間柄でもないのに、そのおばさんから電話がかかってきた。

開口一番、こう言われたといいます。

「達彦、あんたの知り合いで、こんな子いてへんか」

説明された人物像は、健二の特徴とよく似ていました。

詳しく聞くと、健二が失踪した翌日の夜中から、その子がおばさんの枕元に立つようになったそうです。

おばさんには以前からそういうことがあったので、最初は気に留めなかった。

ただ、毎晩来ること、日に日に表情が険しくなることが気になった。

何かを訴えたいという思いが、伝わってくるようになった。

そして、達彦にこう付け加えたそうです。

「あの子な、髪も服も、ちっとも濡れてへんねん」

そのときは、誰もその言葉の意味を考えませんでした。

川で見つかっていないのだから、濡れていなくても不思議ではない。

そのくらいの受け取り方をしていました。

むしろ、まだ生きている証拠のように聞こえたのです。

濡れていないということは、川にいないということだ。

そう言い合って、少しだけ安心したのを覚えています。

とても良くない状態に向かっている、一刻も早く見つけてあげないと。

おばさんがそう言うので、私たちだけでもう一度現場へ行くことになりました。

捜索というより、場所の見当をつけるためです。

折り紙に包んだ塩

翌日の夜、友人とおばさんの家へ行き、そこからタクシーに乗りました。

車内で、おばさんは現場の話をしてくれました。

大阪市内は戦時中に空襲を受け、たくさんの人が亡くなっています。

川面が埋まるほどだったといいます。

無念のまま亡くなった人の思いは、そこに渦巻いて残る。

そしてそれは、幾重にも折り重なって一つの大きなものになるのだそうです。

それらは個々の無念を扇動し、同じ思いを現世の人間にも味わわせようとする。

仲間を増やすことだけが目的になって彷徨うのだと、おばさんは言いました。

健二も、最初から自ら川へ向かう気持ちが強かったわけではないだろう。

導かれたのだろう、という説明でした。

悩みがあるときや気分が沈んでいるときは、間違ってもここへ近づくな。

そう釘を刺されました。

こういう用で来るときは必ず持っていなさい、と折り紙に小分けした塩を渡されました。

「いやな感じがしたら、足下と自分にかけなさい」

折り紙は、人数ぶんきっちり用意されていました。

色は全部違っていて、私のは青でした。

四つ折りの角が、指で何度も押さえたように潰れていました。

おばさんはその折り紙を、前の晩に用意したと言いました。

私たちが行くと決めたのは、その日の昼です。

名前を失くした峠のバス停の話のように、場所そのものが決まりを持っていることがあります。

現場の一本西側にある天神橋で、私たちはタクシーを降りました。

そこから歩いて天満橋へ向かう予定でした。

ところが、おばさんは降りるなり天神橋を渡り始めました。

何か考えがあるのかと思って、しばらく黙って見ていました。

しかし、異様なほど早足で橋の中央へ向かっていきます。

「おばさん、どこいくの」

返事がありません。

不安になって、肩に手をかけて引き留めようとしました。

「離せ」

おばさんの声ではありませんでした。

野太い、男のような声でした。

手はものすごい力で振りほどかれました。

慌てて後ろから羽交い締めにしました。

それでも、私を引きずったまま橋の中央へ進んでいきます。

聞き取れない名前を、何度も叫んでいました。

三人がかりで、ようやく止めることができました。

おばさんは小柄で、体重も私の半分ほどしかない人です。

その人を、高校生三人で押さえるのがやっとでした。

足だけが、ずっと前へ出ようとしていました。

上半身は、まるで抵抗していませんでした。

腕も肩も、力が抜けたままでした。

動いていたのは、膝から下だけです。

私たちは懸命に声をかけ、背中を叩き、塩を投げつけるようにしてかけました。

しばらくして、弱々しい声で返事がありました。

「もう、だいじょうぶ」

「おおきに。あんたらが止めてくれんかったら、私も健二君の二の舞やったわ」

皆、青ざめました。

心に隙があると入られる、という話でした。

ただ、霊感の強い人はその強さが諸刃の剣になるのだそうです。

精神状態によらず接触しやすいので、常に気を張っていないと普通の人より危険なのだと。

事情を聞くと、私たちが来た目的が向こうに分かったらしいとのことでした。

健二を見つけさせたくないのだと、おばさんは言いました。

先日の捜索にも、それが影響していたのだそうです。

今日は帰るのかと思いましたが、おばさんは続けると言いました。

このままでは健二が同じ側に取り込まれてしまう、せめて場所だけでも特定したいと。

各々が塩を振り、残りを手に握りしめて、中之島公園へ向かいました。

場所はまだ特定できないが、公園より下流にいる気がする、とのことでした。

中之島公園の階段

公園へ降りる階段を下りていきました。

東側は公園の突端なのでそちらへは行かず、橋の下をくぐって西南側の川縁へ出ようとしました。

そのとき、おばさんが小声で言いました。

「早くくぐり」

皆でそそくさと橋の下を抜けようとしました。

橋脚のほうから、くぐもった笑い声が聞こえました。

「ふふふっ」

全員に聞こえていました。

笑い声は、水のほうからではありませんでした。

橋脚の、ちょうど私たちの頭の高さから聞こえました。

橋脚には、足をかけられる出っ張りがありません。

確かめたのは、ずっと後になってからです。

社会人になってから、昼間に一度だけ見に行きました。

橋脚はつるりとして、手がかりは何もありませんでした。

背中に冷や汗をかきながら、小走りで橋を抜けました。

抜け切ったところで、今度ははっきりと私たちに向かって声がしました。

「帰れ」

口調は冷静で、けれども非常に大きな声でした。

声のするほうを見ると、全身黒ずくめの老人が立っていました。

暗くてよく見えないのに、顔の輪郭だけがやけにはっきりしていました。

ホームレスの方だと思い込んで、私たちは少し安心しました。

振り返ると同時に、おばさんが皆にかぶさるようにして言いました。

「あれは迎えのもんやから、もう見たらあかん」

「あれと、目おうてないやろな」

皆で口を揃えて、おうてない、と答えました。

あれも先ほどの怨霊のひとつだそうです。

あそこにいる人の中から、心に隙のある人を見つけて仲間にするためにいるのだと。

続けざまにそういうことが起きたので、おばさんも私たちが気がかりになったようでした。

「もう、今日はやめとこ。改めて私だけで見に来るわ」

結局そのまま公園を西へ進み、難波橋から公園を後にしました。

帰りのタクシーの中で、おばさんが一人の友人に言いました。

「あんた、さっきの目みたやろ」

友人は後ろめたそうに、うん、と頷きました。

「やっぱり」

私たちには何も感じられませんでしたが、おばさんにははっきり分かったそうです。

あれがその友人に強い興味を抱いているのが分かったので、切り上げたのだと。

おばさんの家に着くと、その友人は上着を脱ぐように言われました。

脱いだ上着の左肩に、ぼんやりと黒い手形がついていました。

単なる汚れとは、とても言えない形でした。

「見てみ。これでわかったやろ」

「あんたは二度とあそこには近づいたらあかんよ」

上着は預かってお祓いしておく、と言われて置いてくることになりました。

私たちもしっかりお祓いをしていただいて、その日は帰りました。

玄関を出るとき、おばさんが私だけを呼び止めました。

「あんたは、あの子と一番長いんやろ」

はい、と答えました。

「ほな、あんたが覚えといたり」

何を、とは言われませんでした。

今こうして書いているのが、その返事のつもりです。

濡れていない子

体験談としては、ここまでです。

以下は後日談になります。

その後、おばさんから連絡は来ませんでした。

状況も変わらないまま、一か月が過ぎようとしていました。

健二が失踪しておよそ一か月後、彼は道頓堀川で見つかりました。

中之島公園の突端から百メートルほど下流で、南へ分岐する川です。

ほっとしたような、とても残念な気持ちで、ようやく供養をしてあげることになりました。

そのことを報告しようと、達彦がおばさんに電話をかけました。

何度かけても出ません。

おかしいと思って両親に相談し、おばさんの姉に連絡を取ってもらいました。

すると、あの日以来入院しているとのことでした。

原因は詳しく分かっておらず、連絡のつかないのを不審に思った姉が家を訪ねて異変に気づいたそうです。

慌てて見舞いに行きましたが、入院時からずっと昏睡状態で、話もできませんでした。

そして翌日には、息を引き取られました。

詳しいことは、ほとんど分かりませんでした。

おばさんのことと、あの出来事に因果があるのかどうかは、私たちには分かりません。

ただ、おばさんがいなければ、私たちが同じ目に遭っていたのかもしれません。

その恐怖だけは、今も残っています。

最後に、いくつか引っかかっていることを書いておきます。

飛び込んだとされる日は、昼過ぎまで雨が降っていて、川は多少増水していました。

流された先には公園の突端があるので、上がることは十分に可能だったはずです。

それから、目撃証言が一切ありませんでした。

天満橋の真ん中で靴を脱いで揃えるのに、一台の車からも見えなかったというのが、私にはどうしても腑に落ちません。

淵に二度映ってはいけないという話を読んだとき、水の近くには見えない決まりがあるのだと思いました。

そして、いちばん引っかかっているのが、おばさんの言った一言です。

髪も服も、ちっとも濡れていない。

おばさんが枕元で見ていた子は、一度も濡れていなかったのです。

失踪した翌日の夜から、ひと月のあいだ、一度もです。

おばさんは、何十年もそういうものを見てきた人です。

濡れているかどうかを、言い間違えるとは思えません。

健二が見つかったのは、私たちが公園を歩いたあの夜から二十日ほど後でした。

枕元に立たなくなった日を、おばさんに聞くことはできませんでした。

入院されたのが、ちょうどあの夜だったからです。

姉の方が異変に気づいたのは、その二日後だったそうです。

あの夜、公園から帰るタクシーの中で、おばさんは一度も窓の外を見ませんでした。

膝の上で、手を組んだままでした。

その手が、少しだけ濡れていたように見えたのを、今になって思い出します。

川にいるのなら、そんなことにはならないはずでした。

見つけて、と言われたのが本当に川の中のことだったのか、私には分かりません。

友人たちとしっかり供養させていただいたので、今は安らかにしていると思っております。

おばさんも、どうか安らかにお眠りください。

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