テンポポ様

山(フリー写真)

俺の地元には奇妙な風習がある。

その行事の行われる山は標高こそ200メートル程度と低いが、一本の腐った締め縄のようなものでお山をぐるりと囲んであった。

女は勿論、例え男であっても普段からその山に立ち入る事は許されていなかった。

それでも、時々調子に乗ってその締め縄をくぐりお山に入ろうとする子どもが現れる。

実際、俺の年の離れた兄貴の友達が、その締め縄をくぐってお山に入り込んだ。

しかしその事実を聞き付けて来た村長連中にお堂に連れて行かれ、三日三晩眠る事すら許されない程の激しい暴行を受けたらしい。

それを聞かされて育った俺達は勿論お山に近付くような事は無かったし、俺達地元の子ども達にとってお山は恐怖の対象でしかなかった。

そんな奇妙なお山であるが、数年~十数年に一度、不定期に人が足を踏み入れる事があった。

お山の木々が色を変え、突き抜けるような青空と、どこか冬の匂いを想わせる風の吹き出す10月になると、その年に11~12歳となる少年たちが集められ、白装束を着せられてお山を登らされるのだ。

ただ一つ、「お山に入ったら一言も口を聞くんじゃないぞ」と念を押されて。

俺がお山に入らなければならないと聞いたのは、その奇妙な行事の行われる10日ほど前の事だった。

両親から話を聞いた段階で俺は既に泣き出しそうになっていたが、

「村の決定だ。逃げ出す事は絶対に出来ない。お前にはすまないと思うが辛抱してくれ」

と頭を下げる両親を見ると、その願いを断る事は出来なかった。

それからの日々はあっという間だった。

一切の外出は禁止され、食事の内容がガラリと変わった。

大好きだったハンバーグや焼き鳥のような動物の肉を使った料理は食卓から消え去り、その代わりに老人が好みそうな菜食中心のものとなった。

しかも、それらの殆どが塩のみで味付けされており、その他の調味料すら使う事を禁じられていたため、その当時はまるでケージで飼われるウサギにでもなったかのような気分だった。

前日に至ってはそれまで三食あった食事すら禁じられ、口に含める物は水と塩だけとなった。

そんな生活のせいで俺の体はみるみる痩せてしまい、その十日間で体重が6キロも落ちた。

当日は太陽が昇る前に(午前4時~5時頃)に両親に起こされ、どこからか持って来ていた白装束を着るように言われた。

前日まともに食事を摂っていなかったせいで体力は落ちていたし、早朝に起こされた眠気もあって、俺は始終フラフラしていた。

意識が朦朧とする中、俺の自宅に俺と同じような白装束を着た大人が何人も訪れた。

彼らは両親と話をした後、俺をワゴン車に乗せると件の山に向けて車を発車させた。

俺を乗せた車は街灯も無い田舎道を暫く走った後、静かに停車した。

車に乗ってからというもの、大人たちの発する異様な雰囲気に俺はもはや借りて来た猫のように縮こまり、停車した時には少し安堵したのを覚えている。

車から降りると、その場には俺と同年代だったA・B・C・Dが居た。

皆一様にして顔色が悪く、10日前には考えられないほど窶れている。

きっと俺も彼らと同じようになってしまっているんだろうな…とげんなりしていると、白装束を着た大人の一人が俺達の前に出て来た。

「今からお山に入る。解っているとは思うが、俺達が良いというまでは口を聞くなよ」

俺達と同じ白装束に身を包み、顔には同じく白い布を被せていて、その男の表情は読めない。

しかしその真剣な様子から、俺達はビビりながらもその男の言葉に頷いた。

山に入ってからはまさに地獄だった。

普段から人の入る山ではないので道などあるはずもなく、落ち葉を踏み締め、雑草を踏み潰しながらただ黙々とお山の頂上を目指して足を進める。

食事制限と眠気のせいで、平地でさえ足元が覚束ないのに、まだ日の昇っていない山道を一言も声を上げる事すら許されずに登って行く事の辛さが分るだろうか。

ましてや当時の俺達は子どもである。何故こんなにも辛い事をさせられるのか解らず、正直逃げ出したい気持ちだった。

しかし逃げ出す事は叶わなかった。何故なら俺達の周りには先ほどの男を先頭に、俺達を囲むようにして男と同じような格好をした大人達が居たのだ。

俺達は何とも言い難い雰囲気の中、道なき道を延々と上り続け、そして辿り着いた先には小さなお社があった。

何を祀っているのか今となっては確認のしようもないが、その小さなお社は子どもが10人も入り込めば満員になってしまう程の大きさであった。

大人たちは俺達5人をそのお社に押し込むと、一人一人に酒と塩を配りながら静かに口を開いた。

「それを飲んだらお前達には一人ずつお山を下りてもらう。

このお社を出たら、どんな道順であろうと真っ直ぐに麓を目指せ。

さっきも言った通り、このお社から出た後、お山を降りるまでは決して口を開くなよ」

それからその男は、

・このお社の中であれば俺達同士で話をしても良い事

・何があろうと決して後ろを振り向かず、声を上げない事

・太鼓の音が聞こえたら、年少者からお社を出て麓を目指す事

を俺達に伝えると、お社の外で待機していたらしい他の白装束の大人を引き連れてお社を出て行った。

残された俺達は半狂乱だった。まだ日が昇っていないせいで、明りはあの男が付けて行った蝋燭の火だけ。

不気味に照らされたお社の中で映し出される顔は見知った友人達の顔であったが、そのどれもが精気を根こそぎ奪われたミイラのように見えてしまう。

「どうなってんだよ!」「知らねーよ」「……お母さん」「何なんだよ、くそっ!!」

初めこそ口々に文句や大人に対する罵詈雑言を吐いていた俺達だったが、あの畏怖の対象だったお山に子どもだけで置き去りにされている恐怖感と絶望感…。

そしてこれからどうなってしまうのか分らない不安感に支配されてしまい、結局皆無言のまま太鼓の音が聞こえるのをひたすら待ち望んでいた。

そうこうしている内に、何処からともなく野太い太鼓の音が聞こえて来た。

誕生日が一番早い年少のAは、その音を聞いただけでビクッっと体を震わせ、声にならない小さな悲鳴を上げた。

しかし俺達の視線とこのお社の中の最悪な空気に耐えられなくなった様子で、扉を開けるとダッシュでお社を飛び出して行った。

開いた扉から一瞬だけ覗いた外の景色は、向かいの山に丁度朝日が顔を出したところで、不思議な事にこの時だけは何故か安心する事が出来た。

Aが飛び出して行って数十分。俺達は特に話す事も無く、ただじっと床を見つめて次の太鼓の音が聞こえるのを待っていた。

どこかに隙間があるのか、冷たい空気が身体を震わせる。

残された仲間同士で身体を寄せ合い寒さから身を守っていると、

「ドーン、ドーン」

と地鳴りのように野太い太鼓の音が再び聞こえてきた。

それを聞いたBは心を決めていたのか、すくっと立ち上がると躊躇する事なくお社を出て行った。

それから数十分後にはCが、その後にはDがお社を出て行った。

お社に残されたのは俺一人。

それまで何となくあった『仲間と一緒だから大丈夫』という心理も無くなり、俺は本当に一人になってしまった事実にガタガタと震えていた。

もうこの頃には時間の感覚など無くなってしまっていた。

膝を抱え、恐怖と孤独感に押し潰されそうになっていたのだと思う。

だから太鼓の音が聞こえた時は恐怖よりも歓喜の方が強かった。

やっとこの恐怖から解放される。

そう思ってお社の扉を開くと、そこには何て事も無い普通の山の景色が広がっていた。

お社に入った時にはまだ日が昇っていなかったのでよく見えなかったのだが、俺達の畏れていたお山にしては拍子抜けするほど普通だった。

朝の爽やかな空気が満ち、風にそよぐ色とりどりの葉っぱ。

朝梅雨はお日様の光を跳ね返し、まるで光の絨毯を敷いたような錯覚さえ覚えた。

思わず、「何だ、別に大したことねーじゃん」と口をついて出そうになるのを呑み込み、俺はお山を下り始めた。

一番初めに違和感を感じたのは、山を下り始めて数分の事だった。

早朝の山にしては静かすぎるのだ。山に行った事のある人なら解ると思うが、山は意外に色々な音に溢れている。

小川のせせらぎや小鳥の囀り、木の葉のこすれる音に、小さな虫の声。

そのどれもが一切聞こえない。聞こえるのは俺が落ち葉を踏みしめる乾いた音と、気まぐれに吹く冷たい風の音だけ。

それに気付くと、途端に俺は得も言われぬ恐怖に襲われた。

やはり、この山は普通じゃない。

しかし恐怖に襲われたからと言って足を速める事は出来なかった。空腹と睡眠不足が祟っているのだ。

俺はふらつく足を無理やり動かし、徐々に山を下って行く。

次に違和感を感じたのは、山の中腹辺りに差し掛かった頃だっただろうか。

何故か誰かに見られているような視線を感じ辺りを見渡すも、そこにあるのは細い木と枯葉だけだった。

『ここはお山だ。俺以外は既に山を下りているはずだし、多分気のせいだろう』

無理やり自分に言い聞かせて足を進めると、今度は俺の背後で誰かが話をしているような気配を感じた。

それも一人や二人ではなく、複数の子どもの話し声だった。

俺は思わず叫び出しそうになるが、手のひらで口を押さえて悲鳴を抑え込む。

その代わり俺は脚に力を込めて走り出した。何度も斜面を転がり、それでも走り続けていると、いつの間にか謎の気配は消えてしまっていた。

張り付く喉のせいで呼吸が苦しく、貧血と酸欠でいよいよ意識が混濁してきた。

それでも、この恐怖から逃れるために、俺は這うようにして足を進めた。

事が起きたのはその時だった。突然背後から「○○ーーー!!」と母親の声が俺の名前を呼んだのだ。

思わず振り返る俺。しかし、そこに母の姿は無かった。代わりに居たのは、俺と同じ白装束を着た一人の少年。

一瞬、先にお山を下ったはずの友人かとも思ったが、声を出すなとあれほど言い含められて声を出すような奴は居ないはずだ。

それにその少年の顔に俺は見覚えが無かった。それほど大きくはない村だ。同年代の子どもの顔くらい全員分かる。

それでは、あいつは一体何者か……。

俺が頭を巡らせている間に、少年はにっこりと笑顔になるといたずらを思いついたような顔で口を開いた。

「さぁ、一緒に行こう」

その言葉を聞いた瞬間。俺は全身に鳥肌が立つのを感じた。胸の奥がカッと熱くなり、悲しくもないのに涙が止まらなくなった。

「さぁ、行こう」

少年が徐々に近付いて来る。

不思議な事に、落ち葉を踏みしめているはずの少年の足音は何故か聞こえなかった。

「……さぁ」

いよいよ少年との間が手を伸ばせば届く距離となった時、お社を出る時に聞こえた太鼓の音が、地鳴りのようにして俺の耳に届いた。

少年から目を離し後ろを振り返ると、腐ったような締め縄と、麓で太鼓を叩く大人達の姿が見えた。

いつの間にか、お山を出るまであと少しの所まで来ていたのだ。

俺は必死の思いで身を翻すと、締め縄をくぐって大人達の待つ麓へと一気に駆け下りた。

俺がお山を抜けると、大人達は何を思ったか憔悴している俺に向かって大量の酒と塩をぶちまけた。

そして模造紙のような巨大な紙で俺を包むと、乱暴に軽トラックの荷台に俺を放り投げた。

反抗する気力も無いまま、荷台で揺られ、寒さと空腹を覚えつつ俺は眠りに就いた。

目が覚めると、俺は自宅のベッドに寝かされていた。

両親に話を聞くと、どうも三日三晩眠り続けていたらしい。

両親は村長と神主さんに「一応覚悟はしておけ」と言われていたらしく、俺が目を覚ました時は死人が生き返ったように驚いていた。

両親が落ち着きを取り戻した頃に、あの山は一体どういったものか尋ねてみたが、明確な答えは無く、ただ

「悪いモノが集まるのがあの山…。

そしてお前が見たのはおそらくテンポポ様だろう」

と言ったきり口を開く事はなかった。

あの時、俺の他に参加していたA・B・C・Dについては、俺のように何かに話し掛けられたり、何者かの視線を感じる事は無かったそうである。

体調が回復した後に、俺が村長と神主さんから聞かされた話の中では、俺のようにテンポポ様に話し掛けられて戻って来た子どもはこれまで居なかったそうである。

テンポポ様に話し掛けられる(気に入られる)事はそのまま連れて行かれる事を意味していて、俺の場合は運が良かったのか、テンポポ様の気まぐれなのかよく分らないと言っていた。

その話を聞いて、

『少しでも天秤が傾いていたら俺はテンポポ様に連れて行かれて死んでいたのではないか』

と思うと同時に、それを村のしきたりとして自然に受け容れている大人達に対する恐怖と軽蔑の念を抱かずにはいられなかった。

これが大体十年くらい前の話になる。

その後、俺は何事も無く成長し、高校卒業と共にこれ幸いと村を出た。

成人してからも殆ど村に戻る事は無かったのだが、この間、個人的な事情により久しぶりに村に戻る機会があったので、親父と元村長にお山について話を聞いて来た。

最初はどちらもかなり渋っていて苦労したが、私が当事者だという事と、成人しているという事で話してもらえる事が出来た。

まず初めにお山についてだが、あの山は昔から地元の悪い気の流れが集まる一種の異界なのだそうだ。

鬼が出たとか天狗が出たとか、そういった話には事欠かず、女や子供が立ち入ろうものなら数日の内に何かしらの不幸がその侵入者に訪れると言われる程、土地に染み付いた悪意や怨念といったものが浄化される事無く溜まって行く。

見るに見かねた当時の村人達は、お山を締め縄で封印する事にするが、それも大した効果は無く、溢れ出る邪悪な気は数年~数十年単位で村に干ばつや洪水、飢饉、流行病などの天変地異を引き起こしていたらしい。

そこで考案されたのが、あの奇妙な風習である。

二次性徴直前の、肉体的にも生命的にも最も柔軟で充実している少年たちを集め、9日間を掛けて身を清める事で人ならざる者とし、その中の一人を生け贄としてお山に捧げる。

そうする事で、お山の邪気を祓おうとしたのだ。

実際、効果はあった。

それまでの天変地異は嘘のようになりを潜め、お山に対する畏怖の念は時代の流れと共に希釈されて行った。

一定の期間で少年たちを供物に捧げてしまえばお山は恐るるに足りないと殆どの村人が思っていた矢先、村を未曾有の大飢饉が襲う事となる。

天保4年(西暦1833年)のいわゆる天保の大飢饉だ。

当時の江戸幕府すら揺るがしたこの未曽有の飢饉は、例外無く俺の村を襲い、そして多数の餓死者を出した。

そこで注目されたのが、先の風習だった。

飢饉をお山が起こしたものだとすれば、村のしきたりを利用して口減らしをする事は勿論、供物として捧げた少年の肉を食う事で当面の食糧にもなるという一石二鳥の名案だと喜んだらしい。

今となっては鬼畜の所業だが、きっと当時はそんな事も言っていられない程酷い状況だったのだろう。

こうして飢饉が治まる天保10年までに、述べ50人以上の少年達が供物としてお山に捧げられ、そしてその少年達の無念さとこの世に対する恨みがお山の邪気と融合して怪物が生まれたのだ。

それこそが、テンポポ様。

飢饉前に供物として捧げられた少年達も合わせると、恐らく100人以上の少年達の怨念の塊であり、土地の悪意を吸収して更に成長した怪物。

その怨念を抑えるために、さらに供物として捧げられた少年たちを合わせると、その規模は最早想像も出来ない程の数に上る事だろう。

村としても、何度も著名な霊能力者にお山に巣くうテンポポ様を何とか鎮める事が出来ないか依頼したそうだが、どの人もお山を見た瞬間に凍り付き、

「あれは、人の祓えるモノではない。これから何百年もかけて管理し、徐々に力を弱めて行く事しか出来ないでしょう」

と匙を投げたらしい。

あのお山を管理する事は、村に生まれた者の務め。

何の罪も無い無垢な少年達を供物という形で殺め、死肉を貪り生き延びた者達の末裔として、それは当然の義務かもしれない。

しかし今年生まれた俺の息子の顔を見ると、俺はこう思わずにはいられないのだ。

『どうかこの子が12歳になる時に、俺と同じような目には遭いませんように』と。

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