炭鉱に一枚だけある黒い札

夜の木造建物と灯籠の作業員

これは、私が誰にも話さなかったことだ。

六十年、黙っていた。

黙っていたのは、怖かったからではない。

あの夜、自分が何を考えていたのかを、いまだに説明できないからだ。

怖かった、で済む話なら、とうに誰かに話している。

昭和三十四年の春から、私は九州の北のはずれにある炭鉱町にいた。

町の名は伏せる。

今はもう、その名では呼ばれていない。

山ひとつが丸ごと会社のもので、坑口を囲むように社宅が段々に建っていた。

朝は石炭の粉が霜のように屋根へ乗った。

雨が降ると、軒から落ちる水が黒かった。

洗濯物は昼までに取り込む。

それがこの町の常識だった。

私はそのとき十九だった。

父は先山といって、坑内で炭を切る側の人間だった。

私は肺が弱く、入坑の検査に通らなかった。

通らなかったと告げた日、父は何も言わずに湯を飲んでいた。

母が代わりに、よかったねえ、と言った。

その言い方だけが、いつまでも残った。

それで私は、坑口の脇にある繰込所で札番をやることになった。

札場、と町の者は呼んでいた。

札場は、坑口から二十歩ばかり離れた木造の小屋だ。

戸を開けると、正面の板壁一面に釘が打ってある。

釘の一本一本に番号が振ってあって、そこに小さな木の札が下がっている。

札にも同じ番号が焼きつけてある。

掌に載る大きさで、角が丸くなるまで手垢が染みていた。

坑内へ降りる者は、自分の番号の札を釘から外し、腰の革帯に下げる。

上がってきたら、その札を釘に戻す。

仕組みはそれだけだ。

札が釘に下がっていれば、その者は上がっている。

札が釘から外れていれば、その者は下にいる。

夕方になって戻っていない札があれば、その番号の人間がまだ山の中にいるということだった。

つまり札場は、山に入った数を数えるための場所だった。

数えるだけの仕事だ。

それでもこの町では、数えるという仕事がいちばん重いとされていた。

札が一枚戻らないというのは、そういうことだった。

札の受け渡しの作法を教えてくれたのは、源治さんという人だった。

五十の半ばで、父よりずっと年上だったが、父より背が低かった。

笑うと前歯が一本なかった。

坑内では先山の親方をしていて、若い者がよく後ろをついて回っていた。

私も、その一人だった。

源治さんは私を、札場の坊、と呼んだ。

「坊、札は片手で受けたらいかん」

初日にそう言われた。

「片手やと、山がもう一本の手を空いとると数える」

意味はわからなかった。

わからないまま、私はその日から両手で受け取るようになった。

源治さんが言うのなら、そうなのだろうと思っていた。

十九というのは、そういう年だ。

板壁の釘は、左の端から順に番号が振ってある。

百八十七本あった。

町の人間の数ではない。

坑内へ降りる者の数だ。

その百八十七本の右のいちばん端に、番号の振られていない釘が一本だけ打ってあった。

札は下がっていない。

錆びて、頭が少し曲がっていた。

「これは何ですか」

一度だけ、源治さんに聞いたことがある。

「知らん」

「打ち忘れですか」

「知らんて言うとろうが」

源治さんはそれきり、その釘のほうを見なかった。

私も、それきり聞かなかった。

札場の隅には、蓋のない木箱が置いてあった。

予備の札が入っている。

番号を焼く前の、白木のままの札だ。

誰かが札をなくしたときに、番号を焼いて足す。

私がいた一年で、足したのは二枚きりだった。

箱の底までは覗かなかった。

覗く用事がなかった。

一日の仕事は単純だった。

朝の繰込は五時半に始まる。

男たちが土間に並び、番号を名乗る。

私は帳面に番号と時刻を書き、札を渡す。

柱には会社の払い下げの柱時計が掛かっていて、これが少し進む癖があった。

進むぶんを頭で引きながら書いた。

昼を挟んで方が替わり、夕方にまた繰込がある。

あとは、上がってきた者から札を受け取る。

両手で受ける。

それだけを一年続けた。

名乗りは番号だけで、名は言わない。

「三十八」

「九十一」

「百二十」

低い声が、朝の土間によく響いた。

名を言わないのは、そのほうが早いからだと私は思っていた。

一度だけ、新しく入った男が自分の名を名乗ったことがある。

源治さんが後ろから頭を叩いた。

「番号じゃ」

それだけだった。

上がってくるのは、櫓の音でわかる。

坑口の上に鉄の櫓が立っていて、そのてっぺんの滑車を鋼索が回る。

ケージが上がってくると、滑車が鳴る。

乗っている重さで鳴りが違う。

三月もすると、私は音だけで人数がおおよそ当てられるようになった。

当てても誰も褒めなかったが、私はそれが少し得意だった。

十九というのは、そういう年だ。

音がおかしいと気づいたのは、六月の終わりだった。

梅雨の晴れ間で、風がぬるかった。

夕方の上がりで、滑車が鳴った。

十六人ぶんの鳴りだ。

私は帳面に十六と書いた。

だが、鳴りの終わりに、半拍だけ余分な擦れが混じった。

鋼索が滑車の溝を出るときの、細い音だ。

十六人ぶんが終わってから、それが鳴った。

その日は十六人が上がってきた。

札も十六枚戻った。

数は合っていた。

私は柱時計を見て、帳面を閉じた。

翌日も鳴った。

その次の日も鳴った。

毎日ではない。

三日に一度か、四日に一度。

鳴る日は、決まって朝から風が止まっていた。

私は父に聞いてみた。

「櫓の滑車、油が切れとらんかね」

「切れとったら鳴りっぱなしになる」

父はそう言って、それきりだった。

父は坑内のことを家で話さない人だった。

その月の給料日に、私は町の購買会で白いズックを買った。

石炭の粉で、三日のうちに灰色になった。

それでも嬉しかったので、日曜にはそのズックで映画館へ行った。

会館は坑口の下の段にあって、よく雨漏りがした。

客席の真ん中あたりに、いつも受けのバケツが置いてある。

その日は源治さんも来ていて、私の三列前に座っていた。

前歯の抜けたところに指を当てて口笛を吹く癖があって、拍手の代わりにそれをやる。

場内が笑った。

盆には、社宅の広場で踊りがあった。

源治さんは踊りが下手で、手と足が同じ側に出ていた。

女たちに笑われて、本人がいちばん笑っていた。

私は、この町は悪くないと思っていた。

実際、悪くない町だったのだと思う。

濡れた札に気づいたのは、七月だった。

夕方の上がりで、札を受け取っていく。

両手で受ける。

その中の一枚が、湿っていた。

坑内は水が多い。

濡れた札はめずらしくない。

めずらしくないから、私は手拭いで拭いて釘に掛けた。

掛けてから、指を嗅いだ。

坑内の水は、鉄気と硫黄の匂いがする。

一日中それを嗅いでいるから、間違えようがない。

その札は、井戸水の匂いがした。

冷たくて、匂いのない匂いだ。

説明が下手で申し訳ないが、そうとしか言えない。

私は番号を確かめた。

五十二番だった。

帳面を繰った。

五十二番の男は、その日、入坑していなかった。

前の日も、その前の日も入坑していない。

腰を痛めて、半月ほど休んでいた男だった。

では、私はいま、誰から札を受け取ったのか。

私は土間を見た。

誰もいない。

上がってきた者は、みな坑口のほうへ歩いていくところだった。

その夜、私は帳面に何も書き足さなかった。

書きようがなかった。

八月に入って、私は吉三郎さんという隠居の家へ行った。

私の前に札場にいた人だ。

耳は遠かったが、目はよく見えていた。

縁側で、瓜を切ってくれた。

私は札のことを聞いた。

音のことと、濡れた札のことは言わなかった。

ただ、札はいつからあの形なのかを聞いた。

「会社が来てからじゃ」

「その前は、札はなかったんですか」

「あったよ」

吉三郎さんは立って、簞笥の抽斗を開けた。

古い札を一枚持ってきた。

会社の札より少し厚く、角が欠けていた。

番号は焼かれていない。

墨で、名字が書いてあった。

梶原、と読めた。

「昔は番号やのうて、家の名を書いた」

「梶原さんというのは、どこの家ですか」

吉三郎さんは瓜を噛んだ。

「おらん」

「もう越されたということですか」

「町にもおらんし、山にもおらん」

山にもおらん、という言い方が引っかかった。

墓地のことを言っているのだと、そのときは思った。

札場に戻ってから、私は会社の古い名簿を出した。

坑夫名簿は開坑の年から綴じてある。

梶原という名字を探した。

一冊目にはなかった。

二冊目にもなかった。

三冊目まで繰って、私はやめた。

名簿にないのなら、会社が来る前の人だ。

それだけのことだ。

そう思おうとしたが、うまく思えなかった。

帰りに、町の墓地の前を通った。

石は思ったより少なかった。

炭鉱町の墓地というのは、案外少ない。

みな、よそから来て、よそへ帰るからだ。

私はその日、梶原という石を探さなかった。

見つからなかったら困ると思った。

見つかっても困ると思った。

帰りぎわに、吉三郎さんが縁側から言った。

「坊、あの山はな、数を合わせるんじゃ」

私は振り返った。

「入った数と、出た数をな」

「合わんときは、どうなるんですか」

「山のほうで、一枚引く」

蟬が鳴いていた。

「引かれた者を、こっちでは上がりと言う」

「上がり」

「上がりの札を引いた者は、上がらん」

吉三郎さんは、瓜の皮を庭へ放った。

「昔の話じゃ」

会社が来る前、山は村の者が小さく掘っていた。

狸掘りという。

穴を細く掘り進めて、炭を担いで出る。

落盤があれば、掘り出す道がない。

出せない者は、そのまま置いてきた。

置いてきた、という言い方を、この町の年寄りは平気で使った。

出す道がなかったのだから、置くしかない。

そうやって、山に入った数と、出た数が合わなくなった。

何十年も、合わないまま掘り進んだ。

私はその話を、年寄りの作り話として聞いた。

実際、半分は作り話だったのだと思う。

ただ、半分は違った。

時刻のことに気づいたのは、その月の半ばだ。

月末に本社の監査が来るというので、私は札場の帳面と坑口事務所の帳面を突き合わせていた。

繰込の時刻が、どこも三分ずれていた。

私の帳面のほうが、三分早い。

柱時計が進む癖があるから、進むぶんを引いて書いていた。

引きすぎたのかと思って、時計を合わせ直した。

翌日も三分ずれた。

その次の日も三分ずれた。

私は時計を止め、坑口事務所の時計と針を揃えた。

それでも三分ずれた。

私はケージの降りる時間を計った。

坑底まで、ちょうど三分だった。

私が書いていたのは、男たちが土間で名乗った時刻ではなかった。

男たちが坑底に着く、三分前の時刻だった。

札場では、いつも三分先の時刻が書かれていた。

誰も、そのことを気にしていなかった。

監査は何も言わずに帰った。

八月の終わりに、台風が来た。

二日降り続いて、三日目の朝に晴れた。

その日の夕方の方で、水が出た。

坑内で水が出るというのは、下からも上からも来るということだ。

詳しいことを、私は知らない。

私は坑口の外にいた人間だ。

知っているのは、その日、三十一枚の札を渡したということだけだ。

上がってきたのは、三十人だった。

その日の櫓の鳴りを、私は覚えていない。

数えるどころではなかった、と言えば嘘になる。

私は数えた。

数えて、合わなかった。

釘に戻らない札は、七十四番だった。

私は帳面を三度確かめた。

三度とも七十四だった。

七十四番は、二十二の男だった。

前の年に所帯を持って、社宅の下の段にいた。

救護隊が降りた。

坑口に人が集まり、女たちが立ったまま夜を越した。

私は札場を閉められなかった。

札が一枚戻っていないうちは閉めてはいけない決まりだった。

私は板壁の前に座って、七十四番の空いた釘を見ていた。

空いた釘は、ほかの釘より白く見える。

札の影がついていないからだ。

三日目の夜だった。

雨はもう上がっていて、風もなかった。

戸が開いて、源治さんが入ってきた。

濡れていた。

頭から爪先まで、絞れるほど濡れていた。

「源治さん、下から上がったんですか」

源治さんは答えなかった。

私は立って、手拭いを取った。

渡そうとして、匂いに気づいた。

鉄気の匂いがしなかった。

井戸水の匂いだった。

冷たくて、匂いのない匂いだ。

源治さんは右手に何か握っていた。

木の札だ。

会社の札と同じ大きさで、全体が真っ黒に染めてあった。

番号は焼かれていない。

焼き印ではなく、彫りだった。

平仮名で二文字。

あがり、と彫ってあった。

「どこにあったんですか」

「箱じゃ」

私は隅の木箱を見た。

白木の予備札が、いつもどおり入っている。

「底に張りついとった」

源治さんの声は、いつもの声だった。

前歯の抜けた、間の抜けた声だ。

「坊、書け」

「なにをですか」

「名をじゃ」

ここからのことを、私は六十年、うまく人に話せないでいる。

私は、書くのだと思った。

疑わなかった。

そうか、書くのか、と思った。

朝、札を渡すのと同じことだと思った。

帳面に番号と時刻を書くのと、同じことだと思った。

恐ろしいのは、そこだ。

私はあのとき、少しも困っていなかった。

むしろ、長いあいだ合わなかった何かが合う、という気持ちがあった。

気持ちがよかった、と言ってもいい。

私は硯の蓋を開けた。

筆を取った。

源治さんが、黒い札を差し出した。

私はそのとき、右手だけを差し出していた。

受け取る寸前に、源治さんの顔を見た。

源治さんは泣いていた。

声も出さず、顔も動かさず、目からだけ流れていた。

その顔を見た瞬間に、私は戻った。

何が戻ったのかはわからない。

ただ、右手が空中で止まった。

筆の先を見た。

墨がついていなかった。

硯に、水も入っていなかった。

私は一字も書いていなかった。

一字も書けるはずがなかった。

顔を上げた。

板壁を見た。

百八十七本の釘の、右のいちばん端。

番号のない釘に、私の字で書いた札が下がっていた。

白木ではなかった。

煤けて、角が丸くなっていた。

手垢が染みて、ほかの札と同じ色になっていた。

何年も下がっていた札の色だ。

私の名が、私の字で書いてあった。

十九の私の字だった。

札が釘に下がっているということは、その者は上がったということだ。

私は、一度も降りていない。

私は源治さんの手から黒い札を叩き落とした。

札は土間に落ちて、乾いた音を立てた。

割れなかった。

源治さんが、はっ、と息を吸った。

「わしは」

それだけ言って、自分の濡れた袖を見た。

「わしは、何をしよったんか」

私は答えられなかった。

私も同じだったからだ。

その夜のうちに、七十四番が上がってきた。

生きていた。

三日、風管の口のところで水を避けていたのだという。

女たちが泣いて、男たちが煙草を配った。

私は札場へ走った。

七十四番の釘に、札が戻っていた。

誰も戻していない。

私は三日、その釘を見ていた。

上がってきた七十四番の男は、腰に札を下げていなかった。

「どこで落としたか、覚えとらん」

男はそう言って笑った。

みんなも笑った。

落としても、札は釘に戻っていたのだ。

誰も、そのことを不思議がらなかった。

翌朝、黒い札は隅の木箱の底に戻っていた。

箱に蓋はない。

鍵もない。

誰でも戻せる。

誰も戻していない。

私はその日、番号のない釘を見た。

何も下がっていなかった。

錆びて、頭が少し曲がっているだけだった。

私は月末で札場を辞めた。

父は何も言わなかった。

母は、よかったねえ、とは言わなかった。

源治さんには、辞めるとだけ言った。

源治さんは、そうか、と言った。

それから、私の両手を見た。

「坊、両手じゃぞ」

「はい」

それが、源治さんと交わした最後の言葉になった。

私は町を出て、下関の鉄工所に入った。

数年で山は閉じた。

坑口はコンクリで塞がれ、櫓は解かれ、社宅の段は草に沈んだ。

父は最後まで町にいた。

源治さんのことは、父の便りにも出てこなかった。

私も、聞かなかった。

聞かなかったのは、怖かったからだ。

それは、はっきり怖かった。

去年、閉山から六十年になるというので、町に小さな資料館ができた。

私は行った。

七十九になっていた。

ガラスの中に、札場の板壁が復元してあった。

本物の釘と、本物の札だという。

説明の板に、こう書いてあった。

繰込札 百八十七枚。

私は立ったまま、数えた。

目が悪くなっていたので、時間がかかった。

百八十八あった。

端の一枚は、黒かった。

係の女の人が、図録を持ってきてくれた。

若い人だった。

この町の生まれではないと言っていた。

「よく復元できとりますね」

「ええ、写真が残っていましたので」

「札は、全部で百八十七ですか」

「はい、百八十七です」

私はもう一度数えることをしなかった。

図録を受け取るとき、私は両手を出した。

六十年、そうしている。

片手で物を受け取れたことは、一度もない。

怖かった話として、これを話せたらよかったと思う。

だが、怖かったのは、あとになってからだ。

あの夜、私は少しも怖くなかった。

名を書くのは当たり前のことだと思っていた。

その一点だけが、六十年経っても説明できない。

山は数を合わせるという。

私は、一度も降りていない。

それでも、あの壁は、私が上がったことにしている。

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