
これは、私が誰にも話さなかったことだ。
六十年、黙っていた。
黙っていたのは、怖かったからではない。
あの夜、自分が何を考えていたのかを、いまだに説明できないからだ。
怖かった、で済む話なら、とうに誰かに話している。
※
昭和三十四年の春から、私は九州の北のはずれにある炭鉱町にいた。
町の名は伏せる。
今はもう、その名では呼ばれていない。
山ひとつが丸ごと会社のもので、坑口を囲むように社宅が段々に建っていた。
朝は石炭の粉が霜のように屋根へ乗った。
雨が降ると、軒から落ちる水が黒かった。
洗濯物は昼までに取り込む。
それがこの町の常識だった。
私はそのとき十九だった。
父は先山といって、坑内で炭を切る側の人間だった。
私は肺が弱く、入坑の検査に通らなかった。
通らなかったと告げた日、父は何も言わずに湯を飲んでいた。
母が代わりに、よかったねえ、と言った。
その言い方だけが、いつまでも残った。
それで私は、坑口の脇にある繰込所で札番をやることになった。
札場、と町の者は呼んでいた。
※
札場は、坑口から二十歩ばかり離れた木造の小屋だ。
戸を開けると、正面の板壁一面に釘が打ってある。
釘の一本一本に番号が振ってあって、そこに小さな木の札が下がっている。
札にも同じ番号が焼きつけてある。
掌に載る大きさで、角が丸くなるまで手垢が染みていた。
坑内へ降りる者は、自分の番号の札を釘から外し、腰の革帯に下げる。
上がってきたら、その札を釘に戻す。
仕組みはそれだけだ。
札が釘に下がっていれば、その者は上がっている。
札が釘から外れていれば、その者は下にいる。
夕方になって戻っていない札があれば、その番号の人間がまだ山の中にいるということだった。
つまり札場は、山に入った数を数えるための場所だった。
数えるだけの仕事だ。
それでもこの町では、数えるという仕事がいちばん重いとされていた。
札が一枚戻らないというのは、そういうことだった。
※
札の受け渡しの作法を教えてくれたのは、源治さんという人だった。
五十の半ばで、父よりずっと年上だったが、父より背が低かった。
笑うと前歯が一本なかった。
坑内では先山の親方をしていて、若い者がよく後ろをついて回っていた。
私も、その一人だった。
源治さんは私を、札場の坊、と呼んだ。
「坊、札は片手で受けたらいかん」
初日にそう言われた。
「片手やと、山がもう一本の手を空いとると数える」
意味はわからなかった。
わからないまま、私はその日から両手で受け取るようになった。
源治さんが言うのなら、そうなのだろうと思っていた。
十九というのは、そういう年だ。
※
板壁の釘は、左の端から順に番号が振ってある。
百八十七本あった。
町の人間の数ではない。
坑内へ降りる者の数だ。
その百八十七本の右のいちばん端に、番号の振られていない釘が一本だけ打ってあった。
札は下がっていない。
錆びて、頭が少し曲がっていた。
「これは何ですか」
一度だけ、源治さんに聞いたことがある。
「知らん」
「打ち忘れですか」
「知らんて言うとろうが」
源治さんはそれきり、その釘のほうを見なかった。
私も、それきり聞かなかった。
※
札場の隅には、蓋のない木箱が置いてあった。
予備の札が入っている。
番号を焼く前の、白木のままの札だ。
誰かが札をなくしたときに、番号を焼いて足す。
私がいた一年で、足したのは二枚きりだった。
箱の底までは覗かなかった。
覗く用事がなかった。
※
一日の仕事は単純だった。
朝の繰込は五時半に始まる。
男たちが土間に並び、番号を名乗る。
私は帳面に番号と時刻を書き、札を渡す。
柱には会社の払い下げの柱時計が掛かっていて、これが少し進む癖があった。
進むぶんを頭で引きながら書いた。
昼を挟んで方が替わり、夕方にまた繰込がある。
あとは、上がってきた者から札を受け取る。
両手で受ける。
それだけを一年続けた。
名乗りは番号だけで、名は言わない。
「三十八」
「九十一」
「百二十」
低い声が、朝の土間によく響いた。
名を言わないのは、そのほうが早いからだと私は思っていた。
一度だけ、新しく入った男が自分の名を名乗ったことがある。
源治さんが後ろから頭を叩いた。
「番号じゃ」
それだけだった。
※
上がってくるのは、櫓の音でわかる。
坑口の上に鉄の櫓が立っていて、そのてっぺんの滑車を鋼索が回る。
ケージが上がってくると、滑車が鳴る。
乗っている重さで鳴りが違う。
三月もすると、私は音だけで人数がおおよそ当てられるようになった。
当てても誰も褒めなかったが、私はそれが少し得意だった。
十九というのは、そういう年だ。
※
音がおかしいと気づいたのは、六月の終わりだった。
梅雨の晴れ間で、風がぬるかった。
夕方の上がりで、滑車が鳴った。
十六人ぶんの鳴りだ。
私は帳面に十六と書いた。
だが、鳴りの終わりに、半拍だけ余分な擦れが混じった。
鋼索が滑車の溝を出るときの、細い音だ。
十六人ぶんが終わってから、それが鳴った。
その日は十六人が上がってきた。
札も十六枚戻った。
数は合っていた。
私は柱時計を見て、帳面を閉じた。
※
翌日も鳴った。
その次の日も鳴った。
毎日ではない。
三日に一度か、四日に一度。
鳴る日は、決まって朝から風が止まっていた。
私は父に聞いてみた。
「櫓の滑車、油が切れとらんかね」
「切れとったら鳴りっぱなしになる」
父はそう言って、それきりだった。
父は坑内のことを家で話さない人だった。
※
その月の給料日に、私は町の購買会で白いズックを買った。
石炭の粉で、三日のうちに灰色になった。
それでも嬉しかったので、日曜にはそのズックで映画館へ行った。
会館は坑口の下の段にあって、よく雨漏りがした。
客席の真ん中あたりに、いつも受けのバケツが置いてある。
その日は源治さんも来ていて、私の三列前に座っていた。
前歯の抜けたところに指を当てて口笛を吹く癖があって、拍手の代わりにそれをやる。
場内が笑った。
盆には、社宅の広場で踊りがあった。
源治さんは踊りが下手で、手と足が同じ側に出ていた。
女たちに笑われて、本人がいちばん笑っていた。
私は、この町は悪くないと思っていた。
実際、悪くない町だったのだと思う。
※
濡れた札に気づいたのは、七月だった。
夕方の上がりで、札を受け取っていく。
両手で受ける。
その中の一枚が、湿っていた。
坑内は水が多い。
濡れた札はめずらしくない。
めずらしくないから、私は手拭いで拭いて釘に掛けた。
掛けてから、指を嗅いだ。
坑内の水は、鉄気と硫黄の匂いがする。
一日中それを嗅いでいるから、間違えようがない。
その札は、井戸水の匂いがした。
冷たくて、匂いのない匂いだ。
説明が下手で申し訳ないが、そうとしか言えない。
私は番号を確かめた。
五十二番だった。
帳面を繰った。
五十二番の男は、その日、入坑していなかった。
前の日も、その前の日も入坑していない。
腰を痛めて、半月ほど休んでいた男だった。
では、私はいま、誰から札を受け取ったのか。
私は土間を見た。
誰もいない。
上がってきた者は、みな坑口のほうへ歩いていくところだった。
その夜、私は帳面に何も書き足さなかった。
書きようがなかった。
※
八月に入って、私は吉三郎さんという隠居の家へ行った。
私の前に札場にいた人だ。
耳は遠かったが、目はよく見えていた。
縁側で、瓜を切ってくれた。
私は札のことを聞いた。
音のことと、濡れた札のことは言わなかった。
ただ、札はいつからあの形なのかを聞いた。
「会社が来てからじゃ」
「その前は、札はなかったんですか」
「あったよ」
吉三郎さんは立って、簞笥の抽斗を開けた。
古い札を一枚持ってきた。
会社の札より少し厚く、角が欠けていた。
番号は焼かれていない。
墨で、名字が書いてあった。
梶原、と読めた。
「昔は番号やのうて、家の名を書いた」
「梶原さんというのは、どこの家ですか」
吉三郎さんは瓜を噛んだ。
「おらん」
「もう越されたということですか」
「町にもおらんし、山にもおらん」
山にもおらん、という言い方が引っかかった。
墓地のことを言っているのだと、そのときは思った。
札場に戻ってから、私は会社の古い名簿を出した。
坑夫名簿は開坑の年から綴じてある。
梶原という名字を探した。
一冊目にはなかった。
二冊目にもなかった。
三冊目まで繰って、私はやめた。
名簿にないのなら、会社が来る前の人だ。
それだけのことだ。
そう思おうとしたが、うまく思えなかった。
帰りに、町の墓地の前を通った。
石は思ったより少なかった。
炭鉱町の墓地というのは、案外少ない。
みな、よそから来て、よそへ帰るからだ。
私はその日、梶原という石を探さなかった。
見つからなかったら困ると思った。
見つかっても困ると思った。
※
帰りぎわに、吉三郎さんが縁側から言った。
「坊、あの山はな、数を合わせるんじゃ」
私は振り返った。
「入った数と、出た数をな」
「合わんときは、どうなるんですか」
「山のほうで、一枚引く」
蟬が鳴いていた。
「引かれた者を、こっちでは上がりと言う」
「上がり」
「上がりの札を引いた者は、上がらん」
吉三郎さんは、瓜の皮を庭へ放った。
「昔の話じゃ」
※
会社が来る前、山は村の者が小さく掘っていた。
狸掘りという。
穴を細く掘り進めて、炭を担いで出る。
落盤があれば、掘り出す道がない。
出せない者は、そのまま置いてきた。
置いてきた、という言い方を、この町の年寄りは平気で使った。
出す道がなかったのだから、置くしかない。
そうやって、山に入った数と、出た数が合わなくなった。
何十年も、合わないまま掘り進んだ。
私はその話を、年寄りの作り話として聞いた。
実際、半分は作り話だったのだと思う。
ただ、半分は違った。
※
時刻のことに気づいたのは、その月の半ばだ。
月末に本社の監査が来るというので、私は札場の帳面と坑口事務所の帳面を突き合わせていた。
繰込の時刻が、どこも三分ずれていた。
私の帳面のほうが、三分早い。
柱時計が進む癖があるから、進むぶんを引いて書いていた。
引きすぎたのかと思って、時計を合わせ直した。
翌日も三分ずれた。
その次の日も三分ずれた。
私は時計を止め、坑口事務所の時計と針を揃えた。
それでも三分ずれた。
私はケージの降りる時間を計った。
坑底まで、ちょうど三分だった。
私が書いていたのは、男たちが土間で名乗った時刻ではなかった。
男たちが坑底に着く、三分前の時刻だった。
札場では、いつも三分先の時刻が書かれていた。
誰も、そのことを気にしていなかった。
監査は何も言わずに帰った。
※
八月の終わりに、台風が来た。
二日降り続いて、三日目の朝に晴れた。
その日の夕方の方で、水が出た。
坑内で水が出るというのは、下からも上からも来るということだ。
詳しいことを、私は知らない。
私は坑口の外にいた人間だ。
知っているのは、その日、三十一枚の札を渡したということだけだ。
上がってきたのは、三十人だった。
その日の櫓の鳴りを、私は覚えていない。
数えるどころではなかった、と言えば嘘になる。
私は数えた。
数えて、合わなかった。
※
釘に戻らない札は、七十四番だった。
私は帳面を三度確かめた。
三度とも七十四だった。
七十四番は、二十二の男だった。
前の年に所帯を持って、社宅の下の段にいた。
救護隊が降りた。
坑口に人が集まり、女たちが立ったまま夜を越した。
私は札場を閉められなかった。
札が一枚戻っていないうちは閉めてはいけない決まりだった。
私は板壁の前に座って、七十四番の空いた釘を見ていた。
空いた釘は、ほかの釘より白く見える。
札の影がついていないからだ。
※
三日目の夜だった。
雨はもう上がっていて、風もなかった。
戸が開いて、源治さんが入ってきた。
濡れていた。
頭から爪先まで、絞れるほど濡れていた。
「源治さん、下から上がったんですか」
源治さんは答えなかった。
私は立って、手拭いを取った。
渡そうとして、匂いに気づいた。
鉄気の匂いがしなかった。
井戸水の匂いだった。
冷たくて、匂いのない匂いだ。
※
源治さんは右手に何か握っていた。
木の札だ。
会社の札と同じ大きさで、全体が真っ黒に染めてあった。
番号は焼かれていない。
焼き印ではなく、彫りだった。
平仮名で二文字。
あがり、と彫ってあった。
「どこにあったんですか」
「箱じゃ」
私は隅の木箱を見た。
白木の予備札が、いつもどおり入っている。
「底に張りついとった」
源治さんの声は、いつもの声だった。
前歯の抜けた、間の抜けた声だ。
「坊、書け」
「なにをですか」
「名をじゃ」
※
ここからのことを、私は六十年、うまく人に話せないでいる。
私は、書くのだと思った。
疑わなかった。
そうか、書くのか、と思った。
朝、札を渡すのと同じことだと思った。
帳面に番号と時刻を書くのと、同じことだと思った。
恐ろしいのは、そこだ。
私はあのとき、少しも困っていなかった。
むしろ、長いあいだ合わなかった何かが合う、という気持ちがあった。
気持ちがよかった、と言ってもいい。
私は硯の蓋を開けた。
筆を取った。
源治さんが、黒い札を差し出した。
私はそのとき、右手だけを差し出していた。
※
受け取る寸前に、源治さんの顔を見た。
源治さんは泣いていた。
声も出さず、顔も動かさず、目からだけ流れていた。
その顔を見た瞬間に、私は戻った。
何が戻ったのかはわからない。
ただ、右手が空中で止まった。
筆の先を見た。
墨がついていなかった。
硯に、水も入っていなかった。
私は一字も書いていなかった。
一字も書けるはずがなかった。
※
顔を上げた。
板壁を見た。
百八十七本の釘の、右のいちばん端。
番号のない釘に、私の字で書いた札が下がっていた。
白木ではなかった。
煤けて、角が丸くなっていた。
手垢が染みて、ほかの札と同じ色になっていた。
何年も下がっていた札の色だ。
私の名が、私の字で書いてあった。
十九の私の字だった。
札が釘に下がっているということは、その者は上がったということだ。
私は、一度も降りていない。
※
私は源治さんの手から黒い札を叩き落とした。
札は土間に落ちて、乾いた音を立てた。
割れなかった。
源治さんが、はっ、と息を吸った。
「わしは」
それだけ言って、自分の濡れた袖を見た。
「わしは、何をしよったんか」
私は答えられなかった。
私も同じだったからだ。
※
その夜のうちに、七十四番が上がってきた。
生きていた。
三日、風管の口のところで水を避けていたのだという。
女たちが泣いて、男たちが煙草を配った。
私は札場へ走った。
七十四番の釘に、札が戻っていた。
誰も戻していない。
私は三日、その釘を見ていた。
※
上がってきた七十四番の男は、腰に札を下げていなかった。
「どこで落としたか、覚えとらん」
男はそう言って笑った。
みんなも笑った。
落としても、札は釘に戻っていたのだ。
誰も、そのことを不思議がらなかった。
※
翌朝、黒い札は隅の木箱の底に戻っていた。
箱に蓋はない。
鍵もない。
誰でも戻せる。
誰も戻していない。
私はその日、番号のない釘を見た。
何も下がっていなかった。
錆びて、頭が少し曲がっているだけだった。
※
私は月末で札場を辞めた。
父は何も言わなかった。
母は、よかったねえ、とは言わなかった。
源治さんには、辞めるとだけ言った。
源治さんは、そうか、と言った。
それから、私の両手を見た。
「坊、両手じゃぞ」
「はい」
それが、源治さんと交わした最後の言葉になった。
※
私は町を出て、下関の鉄工所に入った。
数年で山は閉じた。
坑口はコンクリで塞がれ、櫓は解かれ、社宅の段は草に沈んだ。
父は最後まで町にいた。
源治さんのことは、父の便りにも出てこなかった。
私も、聞かなかった。
聞かなかったのは、怖かったからだ。
それは、はっきり怖かった。
※
去年、閉山から六十年になるというので、町に小さな資料館ができた。
私は行った。
七十九になっていた。
ガラスの中に、札場の板壁が復元してあった。
本物の釘と、本物の札だという。
説明の板に、こう書いてあった。
繰込札 百八十七枚。
私は立ったまま、数えた。
目が悪くなっていたので、時間がかかった。
百八十八あった。
端の一枚は、黒かった。
※
係の女の人が、図録を持ってきてくれた。
若い人だった。
この町の生まれではないと言っていた。
「よく復元できとりますね」
「ええ、写真が残っていましたので」
「札は、全部で百八十七ですか」
「はい、百八十七です」
私はもう一度数えることをしなかった。
図録を受け取るとき、私は両手を出した。
六十年、そうしている。
片手で物を受け取れたことは、一度もない。
※
怖かった話として、これを話せたらよかったと思う。
だが、怖かったのは、あとになってからだ。
あの夜、私は少しも怖くなかった。
名を書くのは当たり前のことだと思っていた。
その一点だけが、六十年経っても説明できない。
山は数を合わせるという。
私は、一度も降りていない。
それでも、あの壁は、私が上がったことにしている。