
置き薬という商いがある。
薬箱をひとつ、家に預けておく。
使いたいときに、勝手に使う。
代金は、次に業者が回ってきたときに、減った分だけ払う。
先用後利、というそうだ。
先に用いさせて、後から利を得る。
私は平成八年に県の保健所にいて、その商いを検査する側の人間だった。
薬事監視員という肩書きだった。
薬局を回り、配置販売業者を回り、帳面を見て、薬箱の中身を見る。
期限の切れたものが残っていないか。
登録のない品が混じっていないか。
その程度の仕事である。
二十九歳だった。
面白い仕事ではなかったが、嫌いでもなかった。
人の家の薬箱には、その家の暮らしがそのまま入っている。
胃薬ばかりが減っている家がある。
子どもの熱冷ましだけが空になっている家がある。
誰にも言わずに、それを見て帰る仕事だった。
※
その年の九月に、越中屋という配置販売業者の登録更新があった。
富山に本店のある、古い業者だった。
更新そのものは書類仕事で済む。
ただ、担当区域のひとつに、実地で確かめておいたほうがいい場所があると上司が言った。
柚木入という在だった。
魚野川の支流をさらに二つ遡って、谷が袋の形に閉じたところにある。
十一戸。
その在だけ、越中屋の帳面の数字が、二十年ぶん、ほとんど動いていなかった。
売上が伸びていないのではない。
減っていないのだ。
置き薬は消耗品である。
年寄りばかりの在なら、湿布と胃薬と目薬で、金額は少なくとも上下する。
それが二十年、同じ額で並んでいる。
帳面の写しを見せてもらったとき、私はまず入力の誤りを疑った。
誰かが前年の数字を書き写し続けているのだろうと思った。
そういうことは、たまにある。
九月の終わりに、公用車で谷へ入った。
舗装は途中で切れた。
そこから先は、川に沿って砂利道が続いていた。
両側が急に立って、空が細くなった。
午後二時だというのに、ヘッドライトをつけた。
途中に、集落がひとつあった。
屋根が落ちて、柱だけが残っている家が三軒。
そこを過ぎると、道の脇に石が並んでいた。
低い、丸みのついた石が、道に沿って十いくつ。
供養のためのものだろうと思って、車を停めずに通り過ぎた。
川は、上に行くほど細くなるのに、音は大きくなった。
谷が狭まって、音の逃げ場がなくなるからだと、あとで教わった。
柚木入は、谷が行き止まりになる手前の、日の当たる斜面に十一戸が固まっていた。
屋根はどれも赤いトタンだった。
雪の深い土地の家の建て方をしていた。
畑にはまだ大根が残っていて、白い頭が土から出ていた。
普通の在だった。
最初に伺ったのは、区長をしているという家だった。
八十を越えた女性がひとりで出てきた。
トヨさん、と近所の人が呼んでいた。
県から薬箱を見に来たと言うと、嫌な顔をせずに上げてくれた。
茶を出してくれた。
薬箱は、仏間の柱に掛かっていた。
紙の貼り箱で、越中屋の屋号が刷ってある。
私は断ってから、蓋を開けた。
中身は普通だった。
風邪薬、胃腸薬、傷薬、湿布、赤い紙の包みに入った鎮痛剤。
どれも期限内で、封も切れていない。
使った形跡がほとんどなかった。
帳面が箱の底に入っていた。
越中屋の預り帳である。
左に品名、真ん中に「使うた分」、右に「使うてない分」の欄がある。
使った分だけ書いて精算する仕組みだから、右の欄は本来、要らないはずだった。
私が右の欄を指でなぞっていると、トヨさんが言った。
「使うてない分は、書かんでええんです」
そういうものかと思った。
実際、その欄はほとんど空白だった。
ほとんど、というのは、いちばん下に一行だけ、墨で書かれた行があったからだ。
品名の欄に、品名がなかった。
代わりに、屋号らしい二文字が書いてあった。
この家の屋号だった。
数量の欄には「一」とだけあった。
私は、それが何を指すのかを聞かなかった。
聞くほどのことだと思わなかったからだ。
箱の隅に、もうひとつ、越中屋の刷り物ではない包みがあった。
晒しのような、目の粗い白い布で包んで、麻の紐で十字に縛ってある。
手のひらに載る大きさだった。
結び目の上に、墨で「一」と書いてあった。
私は職業上、それを黙って見過ごすわけにいかなかった。
登録のない品が薬箱に混じっているなら、指導の対象になる。
「これは何ですか」
トヨさんは、湯呑みを持ち直しただけだった。
「それは、越中屋さんのじゃありません」
では何ですか、と聞いた。
「うちのです」
私は、家の常備薬か何かだろうと解釈した。
民間の煎じ薬を薬箱に一緒に入れている家は、いくらでもある。
「開けてもいいですか」
「開けたことはありません」
八十年、一度も、という言い方だった。
私はそれ以上言わずに、蓋を閉じた。
※
その日、十一戸のうち九戸を回った。
九戸すべての薬箱に、同じ包みが入っていた。
同じ晒し、同じ麻紐、同じ結び方。
結び目の上に、墨で「一」。
どの家でも、私が包みを指すと、同じ答えが返ってきた。
越中屋のものではない。
うちのものだ。
開けたことはない。
九戸で同じ答えが並ぶと、それはもう個々の家の事情ではない。
在の決まりごとである。
私は野帳に「白包・要確認」と書いた。
それから、匂いのことを書き足した。
どの家でも、薬箱の蓋を開けた瞬間に、同じ匂いがしたのだ。
薬の匂いではなかった。
雨に濡れた麻袋の匂いに近かった。
土間に置いたままの、湿った袋の匂いである。
最初の家では、家が古いせいだと思った。
三軒目で、家の造りが違うのに同じ匂いがすることに気づいた。
五軒目で、蓋を開けた瞬間にだけ匂って、しばらく開けていると消えることに気づいた。
七軒目で、試しに包みだけを箱から出して縁側に置いてみた。
外の空気に触れたとたん、匂いは消えた。
箱に戻して蓋をし、もう一度開けると、また匂った。
私は理系の教育を受けた人間である。
気密の悪い紙箱に有機物が入っていれば、そういうこともあるだろうと思った。
思ったが、野帳にはそう書かなかった。
書いたのは、匂いがした、という事実だけだった。
八戸目は、在でいちばん若い夫婦の家だった。
奥さんが三十半ばくらいで、私と年が近かった。
台所で、子どもの水筒を洗いながら話をした。
この在に嫁いで十二年になるという。
薬箱を見せてもらうと、やはり包みが入っていた。
私が何か聞く前に、奥さんのほうから言った。
「わたし、来た年に、それ開けようとしたんです」
手が滑って、箱ごと落としたのだという。
包みの紐がほどけかけた。
「そしたら、姑が走ってきて」
結び直しながら、義母は一言だけ言ったそうだ。
開けると、こっちの数が減る。
減った分は、どこかで増える。
「意味がわからんかったので、そのままにしてます」
奥さんは笑って、水筒の蓋を伏せた。
「田舎って、こういうの多いでしょう」
私も笑って、そうですね、と答えた。
笑いながら、野帳に「開封歴なし」と書いた。
※
十戸目の家で、私は包みをひとつ、預かった。
その家の主人が、七十くらいの男性で、他の家より話しやすかった。
成分を調べたい、県の試験所で分析にかけるだけだ、と説明した。
もし薬効を謳って配られているものなら、無許可の医薬品になる。
それは在のためにもならない、と言った。
主人は長いこと黙っていた。
それから、こう言った。
「持って行きなさるのは、かまいません」
「ただ、返しに来てもらわんと困ります」
必ず返します、と私は言った。
「日ぃを決めてください」
私は手帳を見て、十月の十九日と言った。
三週間後の土曜だった。
主人は、その日付を預り帳の右の欄に書いた。
使うてない分の欄である。
私は、自分の名前も書かれるのを見た。
役所の人間として当然のことだと思った。
包みを紙袋に入れて、車に積んだ。
谷を出るころには日が落ちていた。
川の音が、行きより大きく聞こえた。
※
翌週の月曜、私は試験所に持ち込む前に、事務室の電子天びんで重さを量った。
手続き上、預かり品の重量を控えておく決まりがある。
十二・四グラムだった。
その日の夕方、退庁前にもう一度量った。
十二・四グラム。
翌朝、量った。
十二・九グラムだった。
私は天びんの水平を確かめ、校正用の分銅を載せて確認した。
天びんは正しかった。
包みを別の階の天びんに持って行った。
十二・九グラムだった。
湿気を吸ったのだろうと考えた。
晒しは吸湿する。
デシケーターに入れて、二日置いた。
乾燥剤の入った密閉容器である。
取り出して量った。
十三・六グラムだった。
私はそこで、はじめて手が止まった。
乾かしたものが重くなることは、ない。
包みは、机の上に置いてあった。
白い布で、麻紐で十字に縛ってあって、結び目の上に墨で「一」と書いてある。
それだけのものだった。
私は分析の依頼書を書きかけて、破った。
理由を、いまでもうまく説明できない。
ただ、この包みを開けて中身を紙の上に広げることが、手続き上は正しくても、何か別の勘定においては間違っている気がした。
そういう感覚を、書類に書く欄はない。
包みは、私の机の引き出しに入れたままになった。
※
十月の初め、越中屋の巡回に同行させてもらうことになった。
柚木入を回るのは、杉森という老人だった。
七十六だと言った。
五十年、同じ谷を回っているという。
待ち合わせは、舗装の切れるあたりの空き地だった。
私が車を降りると、杉森さんはこちらを見もせずに、柳行李の紐を締め直しながら言った。
「あんた、どこの家の分を持っとる」
包みは車の中にも持って来ていなかった。
役所の引き出しの中である。
私は答えられなかった。
杉森さんは顔を上げた。
そして、私の名を呼んだ。
名乗る前だった。
それだけなら、上司から名前を聞いていたのだろうと思えた。
思えなかったのは、読み方のほうだった。
私の名字は、県の名簿では濁らずに登録されている。
役所の人間はみな、名簿どおりに濁らずに呼ぶ。
訂正するのが面倒で、二十九年、直したことがなかった。
杉森さんは、家で呼ばれていたほうの読みで、私を呼んだ。
その読みを知っているのは、私の家の者だけだった。
※
その日、私たちは十一戸を回った。
杉森さんの仕事はきれいだった。
上がり框に片膝をついて、柳行李を開ける。
薬箱を下ろし、使った分を数え、補充し、帳面に書く。
家人と天気の話をして、次の家へ行く。
どの家でも、使った分は、ほとんどなかった。
湿布が二枚、目薬がひとつ。
それだけを書いて、金額にすれば数百円である。
五十年、そうやって回っているのだと言った。
四軒目を出たところで、私は聞いた。
あの白い包みは何ですか、と。
杉森さんは、しばらく川のほうを見ていた。
「わしらの品ではありません」
「わしらは、あれを数えん」
数えないのなら、なぜ薬箱に入れているのか。
「入れとるのは、家のほうです」
「うちの箱は、あれを入れる場所として借りられとるだけで」
それから、はじめて谷の話をした。
明治二十三年に、この谷で疫が出た。
夏の終わりから秋にかけて、十七戸のうち、いくつもの家から人が減った。
医者は谷の外にひとりしかおらず、雪の前に道が崩れていた。
そのとき、谷に入ってきた薬売りがいた。
富山の者だったという。
杉森さんの店の、二代前だった。
薬売りは、持っていた分をすべて置いていった。
代金は取らなかった。
置き薬の商いだから、それでよかった。
先に使わせて、後から払う。
いつ払うとは、決めなかった。
「決めなんだのが、まずかった」と杉森さんは言った。
その冬、谷では十七戸のうち十六戸から人が減った。
減らなかった家が、一戸だけあった。
いちばん奥の、日の当たらない側の家だという。
薬売りが最後に寄って、残っていた分をすべて置いていった家だった。
その家では、寝込んだ者が三人いて、三人とも起きた。
「よその家から見れば、ありがたい話ではありません」
春になって、道が通じて、外から医者が入ってきた。
医者は、谷の減り方を数えて、首をかしげたそうだ。
この谷の減り方は、一戸ぶん足りない、と言ったという。
私は、来る途中に見た石の列を思い出していた。
あれは道端の供養塔ではなく、十六戸ぶんの標なのだろうと、そのとき思った。
谷は、その冬を越した。
越したが、払っていない分が残った。
薬の代金の話ではない。
「あの年、谷は一戸ぶん、先に借りたんです」
「本当なら減るはずだった一戸が、減らなんだ」
私は、その言い方の意味を、そのときはまだ図りかねていた。
「借りたもんは、返さんとなりません」
「けど、一度に返せる額ではないので」
だから、分けて返している。
各戸がひとつずつ、包みを預かる。
包みには、その家がまだ返し終えていない分が入っている。
結び目の墨は、その家が背負っている口数である。
「どの家も『一』でしょう」
「十一戸で十一。ちょうど、一戸ぶんです」
返し方は簡単だという。
使わないこと。
薬を、なるべく使わないこと。
痛みも、熱も、できるだけそのまま通すこと。
通した分だけ、返済に充てられる。
だから柚木入の帳面は、二十年、動かない。
「使えば、返済が止まります」
「止まった分は、どこかに寄ります」
どこに寄るのか、と私は聞いた。
杉森さんは答えなかった。
代わりに、こう言った。
「持って行きなさった包みは、いまも重うなっとるでしょう」
※
十月に入って、私の身体に、順番の狂いが起きはじめた。
最初は台所だった。
薬缶の湯を、左手の甲にこぼした。
音でわかるくらいの量だった。
痛くなかった。
皮膚は赤くなっていて、あとで水ぶくれにもなった。
それなのに、その瞬間も、その晩も、痛みが来なかった。
来たのは、九日後だった。
会議中に、左手の甲が、湯をかぶった瞬間の熱さで痛んだ。
傷はもう乾いて、かさぶたも取れていた。
それから、順番の狂いは日常のことになった。
階段で膝を打つ。
痛まない。
一週間して、何もしていない夜に、その膝だけが打った瞬間の痛みで目が覚める。
歯の治療で麻酔が切れる時刻に、何ともない。
十日後の朝、削られている最中の痛みが、そのままの強さで戻ってくる。
職場の健康診断で、採血の針が入るのを、私はまばたきもせずに見ていた。
看護師が、慣れてますね、と言った。
慣れたのではない。
感じていないだけである。
その日の分は、次の週の火曜の夕方に来た。
電車のなかで、左肘の内側に針が入った。
入っていないのに、入った。
私は吊り革を持ったまま、しばらくそうしていた。
痛みそのものは、来るべき量だけ来た。
減っても増えてもいなかった。
ただ、遅れた。
私は、自分が支払いを遅らせている人間になったのだと理解した。
そう理解したことのほうが、痛みよりも、身体に来た。
※
十月十九日に、私は柚木入へ行った。
約束の日である。
包みを返しに行った。
紙袋に入れて、助手席に置いた。
持ったとき、明らかに、九月より重かった。
量ってはこなかった。
量ることが、意味のない行為に思えたからだ。
谷は、三週間で色が変わっていた。
大根は抜かれ、畑は黒い土だけになっていた。
十戸目の家の主人は、庭で薪を割っていた。
私を見て、手を止めた。
「日ぃを守ってくださって」
そう言って、家に上げてくれた。
仏間の柱から薬箱を下ろし、蓋を開けた。
私は紙袋から包みを出して、箱の隅の、元あった場所に置いた。
晒しも、麻紐も、九月のままだった。
結び目の上の墨だけが、違っていた。
「一」ではなかった。
その家の包みだけ、墨の字が「二」になっていた。
私は主人の顔を見た。
主人は、私の顔を見ていなかった。
薬箱の底から、預り帳を出していた。
左に品名、真ん中に使うた分、右に使うてない分。
右の欄の、いちばん下。
屋号の下に、一行、増えていた。
私の名は、使うてない欄にあった。
数量は「一」だった。
「うちが二になって、あんたが一です」
「合わせて、変わっとりません」
変わっていないのは、谷の勘定である。
十一戸で十一だったものが、十一戸で十二になり、うち一つを私が持っている。
数は増えていた。
増えた分が、私だった。
「返さんでもええんです」
主人は、そう言った。
「ただ、あんたはもう、この谷の帳面に載っとりますから」
「使わんほうが、楽です」
※
私は、その年のうちに配置販売業の担当を外れた。
希望を出したわけではない。
異動の時期が来ただけである。
柚木入には、それきり行っていない。
越中屋は、平成の終わりに廃業した。
杉森さんは、その前に向こうへ渡ったと聞いた。
谷の十一戸は、いま四戸になっているそうだ。
四戸で、十一戸ぶんを返しているのか。
それとも、減った七戸ぶんが、どこかに寄っているのか。
私にはわからない。
わかっているのは、自分の身体のことだけである。
二十数年経ったいまも、痛みは遅れて来る。
指を切った日は何ともなく、忘れたころに、切った瞬間の痛みが来る。
だから私は、薬を飲まない。
飲んでも、飲むべき時刻に、痛みがないからだ。
痛みが来たときには、薬を飲む理由を、もう思い出せない。
先に用いて、後から払う。
そういう商いだった。
私はまだ、払い終えていない。
いくら払ったのか、帳面は私の手元にはない。
あの谷の、どこかの家の薬箱の底にある。