
棚と箱段のあいだ
平成十一年の、二月のことです。
私は大学一年で、冬休みに実家へ帰っていました。
実家は、青森の黒石にあります。
こみせ通りという、古い通りです。
商家の前に、木の柱と屋根が張り出しています。
雪よけのための、屋根つきの通路です。
その下を歩けば、冬でも雪をかぶらずに町を通れます。
うちは、明治の頃から呉服を商っていました。
私が生まれた時分には、もう店をたたんでいます。
建物だけが残りました。
その晩、私は奥の座敷で本を読んでいました。
電気ストーブの音だけがしていました。
背中に、視線を感じました。
気のせいだと思いました。
しばらくして、また感じました。
振り返りました。
座敷の隅に、箱段があります。
引き出しのついた、階段状の箪笥です。
その横に、たとう紙をしまう棚が立ててあります。
たとう紙と箱段のあいだから、知らない子どもがこちらを見ていました。
男の子でした。
小学校の高学年くらいに見えました。
髪が短く、色が白い子です。
まばたきをしませんでした。
※
目を逸らしました
私は、とっさに目を逸らしました。
理屈ではありません。
体が勝手に、そうしました。
一秒か、二秒だったと思います。
もう一度、そちらを見ました。
誰もいませんでした。
親戚の子が来ているのかと思いました。
台所へ行って、母に訊きました。
「誰か来てる」
「来てないよ」
「子ども」
母は、菜箸を持ったまま、私の顔を見ました。
それから、こう言いました。
「見たの」
訊き返したのではありません。
確かめる言い方でした。
※
五ミリでした
座敷に戻って、私は棚を動かしました。
たとう紙の棚と、箱段のあいだです。
隙間は、五ミリしかありませんでした。
定規を当てて、二度測りました。
五ミリです。
指も入りません。
子どもどころか、猫も通れません。
私は、しばらくその隙間を見ていました。
その晩は、居間で寝ました。
※
こみせの下は、外でも中でもありません
こみせの説明を、少しだけさせてください。
家の前に、庇を長く出します。
柱を立てて、屋根を張ります。
そこに戸をはめれば、通路になります。
冬は雪囲いの板を立てて、閉じます。
春になると、また外します。
つまり、家と道のあいだに、季節によって現れる部屋があるわけです。
祖母は、そこを「あいだ」と呼んでいました。
「あいだに置いてけ」
「あいだで待ってれ」
外でも、中でもありません。
子どもの頃、私はそこで遊ぶのが好きでした。
雪の日でも濡れませんし、暗くて狭いのが楽しかったのです。
ただ、日が暮れたら入るな、と言われていました。
理由は、聞いていません。
※
閉め切ってはいけない家
この家の建具は、閉め切ってはいけないと、祖母に言われて育ちました。
襖も、障子も、板戸もです。
必ず、わずかに開けておく。
私は、それを寒さの話だと思っていました。
雪国の家は、湿気で建具が膨らみます。
締めきると開かなくなる、という理屈だろうと。
祖母は、そういう説明をしませんでした。
「閉めるな」
それだけです。
子どもの頃、一度、面白がって全部閉めたことがあります。
祖母は、私を叱りませんでした。
ただ、黙って、一枚ずつ開けて回りました。
最後に一枚だけ、指の幅ほど開けて、そこで手を止めました。
その手が、少し震えていたのを覚えています。
※
翌朝、開いていました
次の日から、私は建具を気にするようになりました。
家じゅうの襖と障子を、寝る前に見て回りました。
閉めたのではありません。
どれくらい開いているかを、覚えておこうと思ったのです。
ほとんどは、指一本ぶんです。
ところが、座敷の東側の襖だけが違いました。
そこだけ、五ミリでした。
試しに、その一枚を閉め切ってみました。
翌朝、五ミリ開いていました。
次の晩も閉めました。
翌朝、また五ミリでした。
指一本ぶんでも、二センチでもありません。
毎朝、きっかり五ミリです。
※
たとう紙が一枚
四日目の朝です。
座敷のたとう紙の棚を、なんとなく見ました。
たとう紙は、着物を包む厚い紙です。
店をたたんだあとも、二十枚ほど残っていました。
棚に、平たく積んであります。
いちばん上の一枚が、少しずれていました。
右へ、五ミリほどです。
私は、それを揃えました。
次の朝も、同じでした。
同じ一枚が、同じ方向へ、同じだけ動いています。
抜き取られてはいません。
汚れてもいません。
ただ、ずれています。
私は、揃えるのをやめました。
三日目には、二枚目もずれていました。
※
衣擦れのような音
その晩、襖の向こうから音がしました。
紙を撫でるような音です。
衣擦れに近いかもしれません。
私は、布団の中で目だけを開けていました。
音は、一定の間隔でした。
数えました。
三回鳴って、間が空く。
また三回鳴って、間が空く。
それが、二十分ほど続きました。
止まったあと、私は起き上がって襖を見ました。
五ミリ、開いていました。
閉めた覚えは、その晩はありません。
※
畳の埃
三日目の朝、妙なことに気づきました。
座敷は、ふだん使っていません。
畳の上に、うっすらと埃が積もっています。
朝の光が横から入ると、その埃の筋が見えます。
襖の前だけ、その筋が途切れていました。
幅は、人が一人立つほどです。
誰かがそこに立っていれば、そうなります。
足跡ではありません。
足の形が残らないくらい、長く立っていた跡です。
私は、母を呼びませんでした。
呼べば、母が何か知っていることを、認めなければならなくなります。
※
友人を泊めた夜
その冬、大学の友人が一人、遊びに来ました。
弘前から、電車で来ました。
私は、何も話しませんでした。
面白がられるのが嫌だったからです。
座敷に布団を二組敷いて、寝ました。
夜中に、友人が私を揺すりました。
「おい」
「なに」
「棚のとこ、なんかいる」
私は、体を起こしませんでした。
「見るな」
そう言いました。
自分でも、なぜそう言ったのかわかりません。
友人は、しばらく黙っていました。
それから、こう言いました。
「もう見た」
次の日、友人は始発で帰りました。
朝食も食べませんでした。
玄関で、こんなことを言いました。
「おまえんち、なんで襖ちょっと開いてんの」
「決まりなんだ」
「ふうん」
友人は、それきり黒石には来ませんでした。
いまも年賀状のやりとりはあります。
あの晩のことは、二十五年、お互いに一度も書いていません。
※
建具屋の帳面
その冬、たまたま建具屋が家に来ました。
台所の戸の建て付けを直しに来たのです。
小田桐さんという、三代目の方でした。
私は、座敷の襖のことを話しました。
小田桐さんは、道具箱の上に腰かけて、しばらく黙っていました。
それから、車から古い帳面を持ってきました。
祖父の代、その前の代の仕事が書いてあります。
うちの家の欄を開いて、指で押さえました。
「散り 五厘残し」
そう書いてありました。
散りというのは、柱と建具のあいだの、細い決りのことです。
五厘は、一分の半分です。
いまの寸法でいえば、一ミリ半ほどしかありません。
「五厘残しは、閉め切らないための寸法でした」
小田桐さんは、そう言いました。
建具屋がわざと隙を残す家が、この町には何軒かあるのだそうです。
「風の通り道だとか、いろいろ言う人はいますけどね」
そう言って、少し笑いました。
笑い方が、うまくありませんでした。
※
三倍でした
私は、五ミリという数字を言いました。
小田桐さんの顔から、笑いが消えました。
「五厘は、一ミリ半です」
「はい」
「三倍ですね」
帳面には、うちの建具の記録が三度あります。
明治の建て替え、昭和の初め、昭和三十年代です。
そのたびに「五厘残し」と書かれています。
「写すんですよ」
小田桐さんは言いました。
「古い戸の隙を、新しい戸に写す。それが、うちの仕事でした」
写せば、五厘のままのはずです。
足されなければ、増えません。
三度写して、三倍になっている。
つまり、写すたびに、誰かが五厘を足していたことになります。
「うちは、足しません」
小田桐さんは、はっきりそう言いました。
「足したら、閉まらなくなる」
隙を足していたのは、家の者ではありませんでした。
※
この町で、隙を残す家
小田桐さんに、隙を残す家は何軒あるのかと訊きました。
「昔は、七軒だと聞きました」
いまは、三軒だそうです。
やめた家もあれば、家そのものがなくなった家もあります。
私は、そのうちの一軒へ行きました。
通りの北の端の、中村さんという家です。
当主は九十近い方でした。
用件を言うと、玄関先で、こう言われました。
「あんたのとこは、三上屋か」
「はい」
「三上屋のは、うちのとは違う」
意味がわかりませんでした。
「うちのは、こっちが空けとる」
そこで、いったん言葉が切れました。
「三上屋のは、向こうが空けとる」
私は、返す言葉がありませんでした。
中村さんは、それ以上は何も言いませんでした。
帰りぎわに、一つだけ教えてくれました。
「数えるな。数えると、こっちも数えられる」
祖母は、それでも数えていたことになります。
減っていないか、を。
※
定規を入れました
小田桐さんが帰ったあと、私は座敷へ行きました。
竹の物差しを持っていきました。
たとう紙の棚と箱段のあいだです。
五ミリの隙に、物差しの端を差し込みました。
すっと入りました。
この家の壁は、四寸です。
十二センチほどしかありません。
物差しは、そこで止まるはずでした。
止まりませんでした。
定規は、壁の厚みを越えて、二十センチまで入りました。
手ごたえがありません。
向こう側に、空いた場所があるということです。
私は、物差しを抜きました。
抜くとき、先のほうが、ほんの少し重く感じました。
※
明治の写真
その年の春、母が仏間の押入れから、古い写真を出してきました。
明治の終わりに撮った、店の集合写真です。
番頭と、女中と、家の者が、店先に並んでいます。
裏に、人数と名前が墨で書いてありました。
十九人です。
写真を数えると、二十人います。
一人多いのは、店の奥、箱段のところに立っている子どもでした。
私が座敷で見た子と、同じ背丈でした。
「これはね」
母が言いました。
「数に入れないんだって」
祖母から、そう聞かされていたそうです。
数えないし、名前も呼ばない。
ただ、隙は空けておく。
※
祖母が毎晩していたこと
母は、もうひとつ話してくれました。
祖母は、寝る前に必ず、家じゅうの建具を見て回っていたそうです。
私が真似したのと、同じことです。
ただ、祖母は最後に、座敷の東側の襖の前で、しばらく立っていたといいます。
何をしていたのか、母は知りません。
一度だけ、訊いたことがあるそうです。
祖母は、こう答えました。
「減っとらんか、見とるだけだ」
増えていないか、ではありません。
減っていないか、です。
私は、その言い方を、いまでも考えています。
隙が減れば、閉まってしまいます。
閉まれば、どうなるのか。
祖母は、そこまでは言いませんでした。
※
雪囲いを立てた日
解体の話が出る前の年、私は年末に帰りました。
母が一人で暮らしていました。
こみせの雪囲いを、私が立てました。
板を、柱の溝に落としていく作業です。
二十枚ほどあります。
順番が決まっていて、番号が焼き付けてあります。
一から十九まで、順に入れました。
最後の一枚が、入りませんでした。
幅が合わないのです。
裏を見ると、番号がありません。
ほかの十九枚には、すべて焼き印があります。
その一枚だけ、無地でした。
母に訊きました。
「毎年、余るのよ」
「余るって」
「入らないの。だから、そこに立てかけとくの」
こみせの隅に、その板を立てかけました。
柱とのあいだに、隙ができます。
私は、それを測りました。
五ミリでした。
そのとき初めて、こみせの雪囲いも「あいだ」を作っているのだと気づきました。
閉じているように見えて、一箇所だけ、閉じていないのです。
祖母が日暮れにこみせへ入るなと言った理由も、たぶんそこにあります。
※
大学に戻ってから
春になって、私は東京へ戻りました。
実家のことは、しばらく考えないようにしていました。
年に何度か、母から電話が来ます。
用件は、たいてい何もありません。
ある夏の電話で、母がこう言いました。
「あんたの部屋の襖ね」
「うん」
「勝手に開くのよ」
私は、五ミリか、と訊きました。
母は、少し黙って、
「測ってないよ」
と言いました。
測っていない、というのは、測るのが怖いということです。
私は、それ以上訊きませんでした。
※
家は取り壊しました
祖母がいなくなってから、家は取り壊しました。
十年ほど前のことです。
解体の日、私は立ち会いました。
座敷の東側の壁を落としたとき、業者の人が手を止めました。
壁の中に、空間がありました。
幅は三十センチほど、高さは大人の背丈ほどです。
何も入っていませんでした。
ただ、内側の板に、細い縦の傷が並んでいました。
爪の跡のようにも、鑿の跡のようにも見えました。
数えると、三本ずつの束が、いくつも並んでいました。
小田桐さんの帳面の、三度の建て替えを思い出しました。
私は、数えるのをやめました。
中村さんの言葉を思い出したからです。
業者の人には、傷のことは黙っていました。
その壁は、その日のうちに運ばれていきました。
※
いまも五ミリです
私はいま、青森市のマンションに住んでいます。
建具は、洋室の引き戸だけです。
それでも、私は閉め切りません。
癖です。
妻には、実家がそうだったからと説明してあります。
去年の冬、仕事部屋の本棚を一つ買い足しました。
並べて置いたとき、あいだが少しだけ空きました。
気になって、測りました。
五ミリでした。
私は、それを詰めていません。
詰めていいものかどうかが、わからないからです。
詰めれば、閉め切ることになります。
閉め切ったらどうなるのかを、私は誰にも教わりませんでした。
祖母は、たぶん知っていました。
訊いておけばよかったと思います。
祖母は、減っていないかを見ていました。
私は、増えていないかを見ています。
五厘のつもりで、私はいま、五ミリを空けています。
建物のあいだにできた狭い場所の話はビルの隙間に、こちらを見ていたものの話は覗いていたにも書いています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。