五厘残しと呼ばれた建具の隙

五厘残しと呼ばれた建具の隙

棚と箱段のあいだ

平成十一年の、二月のことです。

私は大学一年で、冬休みに実家へ帰っていました。

実家は、青森の黒石にあります。

こみせ通りという、古い通りです。

商家の前に、木の柱と屋根が張り出しています。

雪よけのための、屋根つきの通路です。

その下を歩けば、冬でも雪をかぶらずに町を通れます。

うちは、明治の頃から呉服を商っていました。

私が生まれた時分には、もう店をたたんでいます。

建物だけが残りました。

その晩、私は奥の座敷で本を読んでいました。

電気ストーブの音だけがしていました。

背中に、視線を感じました。

気のせいだと思いました。

しばらくして、また感じました。

振り返りました。

座敷の隅に、箱段があります。

引き出しのついた、階段状の箪笥です。

その横に、たとう紙をしまう棚が立ててあります。

たとう紙と箱段のあいだから、知らない子どもがこちらを見ていました。

男の子でした。

小学校の高学年くらいに見えました。

髪が短く、色が白い子です。

まばたきをしませんでした。

目を逸らしました

私は、とっさに目を逸らしました。

理屈ではありません。

体が勝手に、そうしました。

一秒か、二秒だったと思います。

もう一度、そちらを見ました。

誰もいませんでした。

親戚の子が来ているのかと思いました。

台所へ行って、母に訊きました。

「誰か来てる」

「来てないよ」

「子ども」

母は、菜箸を持ったまま、私の顔を見ました。

それから、こう言いました。

「見たの」

訊き返したのではありません。

確かめる言い方でした。

五ミリでした

座敷に戻って、私は棚を動かしました。

たとう紙の棚と、箱段のあいだです。

隙間は、五ミリしかありませんでした。

定規を当てて、二度測りました。

五ミリです。

指も入りません。

子どもどころか、猫も通れません。

私は、しばらくその隙間を見ていました。

その晩は、居間で寝ました。

こみせの下は、外でも中でもありません

こみせの説明を、少しだけさせてください。

家の前に、庇を長く出します。

柱を立てて、屋根を張ります。

そこに戸をはめれば、通路になります。

冬は雪囲いの板を立てて、閉じます。

春になると、また外します。

つまり、家と道のあいだに、季節によって現れる部屋があるわけです。

祖母は、そこを「あいだ」と呼んでいました。

「あいだに置いてけ」

「あいだで待ってれ」

外でも、中でもありません。

子どもの頃、私はそこで遊ぶのが好きでした。

雪の日でも濡れませんし、暗くて狭いのが楽しかったのです。

ただ、日が暮れたら入るな、と言われていました。

理由は、聞いていません。

閉め切ってはいけない家

この家の建具は、閉め切ってはいけないと、祖母に言われて育ちました。

襖も、障子も、板戸もです。

必ず、わずかに開けておく。

私は、それを寒さの話だと思っていました。

雪国の家は、湿気で建具が膨らみます。

締めきると開かなくなる、という理屈だろうと。

祖母は、そういう説明をしませんでした。

「閉めるな」

それだけです。

子どもの頃、一度、面白がって全部閉めたことがあります。

祖母は、私を叱りませんでした。

ただ、黙って、一枚ずつ開けて回りました。

最後に一枚だけ、指の幅ほど開けて、そこで手を止めました。

その手が、少し震えていたのを覚えています。

翌朝、開いていました

次の日から、私は建具を気にするようになりました。

家じゅうの襖と障子を、寝る前に見て回りました。

閉めたのではありません。

どれくらい開いているかを、覚えておこうと思ったのです。

ほとんどは、指一本ぶんです。

ところが、座敷の東側の襖だけが違いました。

そこだけ、五ミリでした。

試しに、その一枚を閉め切ってみました。

翌朝、五ミリ開いていました。

次の晩も閉めました。

翌朝、また五ミリでした。

指一本ぶんでも、二センチでもありません。

毎朝、きっかり五ミリです。

たとう紙が一枚

四日目の朝です。

座敷のたとう紙の棚を、なんとなく見ました。

たとう紙は、着物を包む厚い紙です。

店をたたんだあとも、二十枚ほど残っていました。

棚に、平たく積んであります。

いちばん上の一枚が、少しずれていました。

右へ、五ミリほどです。

私は、それを揃えました。

次の朝も、同じでした。

同じ一枚が、同じ方向へ、同じだけ動いています。

抜き取られてはいません。

汚れてもいません。

ただ、ずれています。

私は、揃えるのをやめました。

三日目には、二枚目もずれていました。

衣擦れのような音

その晩、襖の向こうから音がしました。

紙を撫でるような音です。

衣擦れに近いかもしれません。

私は、布団の中で目だけを開けていました。

音は、一定の間隔でした。

数えました。

三回鳴って、間が空く。

また三回鳴って、間が空く。

それが、二十分ほど続きました。

止まったあと、私は起き上がって襖を見ました。

五ミリ、開いていました。

閉めた覚えは、その晩はありません。

畳の埃

三日目の朝、妙なことに気づきました。

座敷は、ふだん使っていません。

畳の上に、うっすらと埃が積もっています。

朝の光が横から入ると、その埃の筋が見えます。

襖の前だけ、その筋が途切れていました。

幅は、人が一人立つほどです。

誰かがそこに立っていれば、そうなります。

足跡ではありません。

足の形が残らないくらい、長く立っていた跡です。

私は、母を呼びませんでした。

呼べば、母が何か知っていることを、認めなければならなくなります。

友人を泊めた夜

その冬、大学の友人が一人、遊びに来ました。

弘前から、電車で来ました。

私は、何も話しませんでした。

面白がられるのが嫌だったからです。

座敷に布団を二組敷いて、寝ました。

夜中に、友人が私を揺すりました。

「おい」

「なに」

「棚のとこ、なんかいる」

私は、体を起こしませんでした。

「見るな」

そう言いました。

自分でも、なぜそう言ったのかわかりません。

友人は、しばらく黙っていました。

それから、こう言いました。

「もう見た」

次の日、友人は始発で帰りました。

朝食も食べませんでした。

玄関で、こんなことを言いました。

「おまえんち、なんで襖ちょっと開いてんの」

「決まりなんだ」

「ふうん」

友人は、それきり黒石には来ませんでした。

いまも年賀状のやりとりはあります。

あの晩のことは、二十五年、お互いに一度も書いていません。

建具屋の帳面

その冬、たまたま建具屋が家に来ました。

台所の戸の建て付けを直しに来たのです。

小田桐さんという、三代目の方でした。

私は、座敷の襖のことを話しました。

小田桐さんは、道具箱の上に腰かけて、しばらく黙っていました。

それから、車から古い帳面を持ってきました。

祖父の代、その前の代の仕事が書いてあります。

うちの家の欄を開いて、指で押さえました。

「散り 五厘残し」

そう書いてありました。

散りというのは、柱と建具のあいだの、細い決りのことです。

五厘は、一分の半分です。

いまの寸法でいえば、一ミリ半ほどしかありません。

「五厘残しは、閉め切らないための寸法でした」

小田桐さんは、そう言いました。

建具屋がわざと隙を残す家が、この町には何軒かあるのだそうです。

「風の通り道だとか、いろいろ言う人はいますけどね」

そう言って、少し笑いました。

笑い方が、うまくありませんでした。

三倍でした

私は、五ミリという数字を言いました。

小田桐さんの顔から、笑いが消えました。

「五厘は、一ミリ半です」

「はい」

「三倍ですね」

帳面には、うちの建具の記録が三度あります。

明治の建て替え、昭和の初め、昭和三十年代です。

そのたびに「五厘残し」と書かれています。

「写すんですよ」

小田桐さんは言いました。

「古い戸の隙を、新しい戸に写す。それが、うちの仕事でした」

写せば、五厘のままのはずです。

足されなければ、増えません。

三度写して、三倍になっている。

つまり、写すたびに、誰かが五厘を足していたことになります。

「うちは、足しません」

小田桐さんは、はっきりそう言いました。

「足したら、閉まらなくなる」

隙を足していたのは、家の者ではありませんでした。

この町で、隙を残す家

小田桐さんに、隙を残す家は何軒あるのかと訊きました。

「昔は、七軒だと聞きました」

いまは、三軒だそうです。

やめた家もあれば、家そのものがなくなった家もあります。

私は、そのうちの一軒へ行きました。

通りの北の端の、中村さんという家です。

当主は九十近い方でした。

用件を言うと、玄関先で、こう言われました。

「あんたのとこは、三上屋か」

「はい」

「三上屋のは、うちのとは違う」

意味がわかりませんでした。

「うちのは、こっちが空けとる」

そこで、いったん言葉が切れました。

「三上屋のは、向こうが空けとる」

私は、返す言葉がありませんでした。

中村さんは、それ以上は何も言いませんでした。

帰りぎわに、一つだけ教えてくれました。

「数えるな。数えると、こっちも数えられる」

祖母は、それでも数えていたことになります。

減っていないか、を。

定規を入れました

小田桐さんが帰ったあと、私は座敷へ行きました。

竹の物差しを持っていきました。

たとう紙の棚と箱段のあいだです。

五ミリの隙に、物差しの端を差し込みました。

すっと入りました。

この家の壁は、四寸です。

十二センチほどしかありません。

物差しは、そこで止まるはずでした。

止まりませんでした。

定規は、壁の厚みを越えて、二十センチまで入りました。

手ごたえがありません。

向こう側に、空いた場所があるということです。

私は、物差しを抜きました。

抜くとき、先のほうが、ほんの少し重く感じました。

明治の写真

その年の春、母が仏間の押入れから、古い写真を出してきました。

明治の終わりに撮った、店の集合写真です。

番頭と、女中と、家の者が、店先に並んでいます。

裏に、人数と名前が墨で書いてありました。

十九人です。

写真を数えると、二十人います。

一人多いのは、店の奥、箱段のところに立っている子どもでした。

私が座敷で見た子と、同じ背丈でした。

「これはね」

母が言いました。

「数に入れないんだって」

祖母から、そう聞かされていたそうです。

数えないし、名前も呼ばない。

ただ、隙は空けておく。

祖母が毎晩していたこと

母は、もうひとつ話してくれました。

祖母は、寝る前に必ず、家じゅうの建具を見て回っていたそうです。

私が真似したのと、同じことです。

ただ、祖母は最後に、座敷の東側の襖の前で、しばらく立っていたといいます。

何をしていたのか、母は知りません。

一度だけ、訊いたことがあるそうです。

祖母は、こう答えました。

「減っとらんか、見とるだけだ」

増えていないか、ではありません。

減っていないか、です。

私は、その言い方を、いまでも考えています。

隙が減れば、閉まってしまいます。

閉まれば、どうなるのか。

祖母は、そこまでは言いませんでした。

雪囲いを立てた日

解体の話が出る前の年、私は年末に帰りました。

母が一人で暮らしていました。

こみせの雪囲いを、私が立てました。

板を、柱の溝に落としていく作業です。

二十枚ほどあります。

順番が決まっていて、番号が焼き付けてあります。

一から十九まで、順に入れました。

最後の一枚が、入りませんでした。

幅が合わないのです。

裏を見ると、番号がありません。

ほかの十九枚には、すべて焼き印があります。

その一枚だけ、無地でした。

母に訊きました。

「毎年、余るのよ」

「余るって」

「入らないの。だから、そこに立てかけとくの」

こみせの隅に、その板を立てかけました。

柱とのあいだに、隙ができます。

私は、それを測りました。

五ミリでした。

そのとき初めて、こみせの雪囲いも「あいだ」を作っているのだと気づきました。

閉じているように見えて、一箇所だけ、閉じていないのです。

祖母が日暮れにこみせへ入るなと言った理由も、たぶんそこにあります。

大学に戻ってから

春になって、私は東京へ戻りました。

実家のことは、しばらく考えないようにしていました。

年に何度か、母から電話が来ます。

用件は、たいてい何もありません。

ある夏の電話で、母がこう言いました。

「あんたの部屋の襖ね」

「うん」

「勝手に開くのよ」

私は、五ミリか、と訊きました。

母は、少し黙って、

「測ってないよ」

と言いました。

測っていない、というのは、測るのが怖いということです。

私は、それ以上訊きませんでした。

家は取り壊しました

祖母がいなくなってから、家は取り壊しました。

十年ほど前のことです。

解体の日、私は立ち会いました。

座敷の東側の壁を落としたとき、業者の人が手を止めました。

壁の中に、空間がありました。

幅は三十センチほど、高さは大人の背丈ほどです。

何も入っていませんでした。

ただ、内側の板に、細い縦の傷が並んでいました。

爪の跡のようにも、鑿の跡のようにも見えました。

数えると、三本ずつの束が、いくつも並んでいました。

小田桐さんの帳面の、三度の建て替えを思い出しました。

私は、数えるのをやめました。

中村さんの言葉を思い出したからです。

業者の人には、傷のことは黙っていました。

その壁は、その日のうちに運ばれていきました。

いまも五ミリです

私はいま、青森市のマンションに住んでいます。

建具は、洋室の引き戸だけです。

それでも、私は閉め切りません。

癖です。

妻には、実家がそうだったからと説明してあります。

去年の冬、仕事部屋の本棚を一つ買い足しました。

並べて置いたとき、あいだが少しだけ空きました。

気になって、測りました。

五ミリでした。

私は、それを詰めていません。

詰めていいものかどうかが、わからないからです。

詰めれば、閉め切ることになります。

閉め切ったらどうなるのかを、私は誰にも教わりませんでした。

祖母は、たぶん知っていました。

訊いておけばよかったと思います。

祖母は、減っていないかを見ていました。

私は、増えていないかを見ています。

五厘のつもりで、私はいま、五ミリを空けています。

建物のあいだにできた狭い場所の話はビルの隙間に、こちらを見ていたものの話は覗いていたにも書いています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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