並行世界の自分が立つ卒業写真

静かな思い出の部屋

私は神保町の裏通りで、小さな古書店を一人で営んでいる。

七十をいくつか越えた今も、店番をしながら一日の半分を本の整理に費やすのが、私の性に合っている。

夫はいない。

子もいない。

ただ古い本だけが、戸籍の代わりに私の輪郭を保証してくれているような、そんな心持ちで毎日を過ごしている。

先月の半ば、中学時代からの旧友である八重さんが亡くなった、と娘さんから電話があった。

蔵書を引き取ってもらえないか、というご相談だった。

蔵が傾くほどの蔵書家で、ご遺族では手に余るのだという。

八重さんとは、中学の三年間を同じ机の並びで過ごした仲だった。

大人になってからの行き来は、年に一度の年賀状ばかりだった。

それでも、私の店の住所と電話だけは、彼女がきちんと覚えていてくれたらしい。

私はその週末、車を借りて練馬の旧宅へ出向き、段ボール十箱ほどを受け取って戻った。

娘さんは、母の同窓だと聞いて目を細められた。

母はあなたのお店のことを、ずいぶん長く気にかけておりました、と言われた。

私が小さく頭を下げると、娘さんも合わせるように深く礼をされた。

店の奥の畳の上で、ひと箱ずつ、ゆっくりと開いていく。

古書店主の習いで、私はまず装幀と発行年を確かめる。

明治の和綴本、戦中の薄い紙の文庫、戦後の全集、そして個人で写したらしい鉛筆書きの研究ノート。

八重さんの几帳面さが、本の並べ方一つひとつに残っていた。

八箱目を開けたとき、書籍に紛れて革表紙のアルバムが二冊、出てきた。

本ではないものは、ご遺族にお返しするつもりだった。

私はとりあえず中身だけ確かめておこう、と一冊目を膝の上に置いた。

背に金箔で押された文字が、ずいぶんかすれていた。

「昭和二十X年三月 ○○区立××中学校 卒業記念」とあった。

私の中学のものだった。

八重さんとは、まさに同じ卒業生である。

巻頭の集合写真を開いた。

三月の校庭に並んだ、白いブラウスの少女たちと、詰襟の少年たち。

後列の右端に背の高い男子。

前列の中央に校長と担任。

私は迷わず、前から二列目の左から三番目に視線を落とした。

そこに、立っているはずの私の姿はなかった。

正確に言えば、その位置には、確かにひとりの少女が立っている。

ただ、その少女は、私ではなかった。

あ、と小さく声が漏れた。

顔立ちは私とどこか似ていなくもないが、別人である。

頬骨の張りが違う。

瞼の襞が違う。

三つ編みの結び方の癖まで、私のものとは違っていた。

店に戻ってから私自身のアルバムと比べればよい、と私は自分に言い聞かせた。

頁を進めると、運動会の組体操、修学旅行の旅館の前、卒業式の朝の教室。

どの一葉にも、私が立っていたはずの場所に、見知らぬその少女が、ごく自然に収まっていた。

誰の隣にいても不自然がない。

当然そこに居るべき者の顔つきで、写っているのである。

ジャン・パウルが『ジーベンケース』のなかで初めて使ったとされる、ドッペルゲンガーという語がふと頭をよぎった。

ボルヘスにも『他者』という短編があったはずだ、と私は思い出した。

年老いた自分が、若い自分とベンチで出会う、あの寂しい掌篇である。

古書を扱う者の悪い癖で、私はこういうとき、まず文学のほうへ逃げてしまう。

怪異を分類することで、辛うじて怪異を飼い慣らしているつもりになっているのだろう。

けれど、これは小説の頁の上の出来事ではなかった。

畳の上に広げられた、革表紙の、八重さんの遺品である。

私は一度、アルバムを閉じた。

店の奥の薄暗がりに、夕方の光が斜めに差していた。

家の二階に上がり、簞笥の抽斗の奥から、私自身の卒業アルバムを引き出した。

背表紙の金文字は同じ、装幀も同じ、印刷所も奥付の組版も、まったく同じものだった。

当然である。

同じ年に、同じ学校で刷られた、同じ本なのだから。

巻頭の集合写真を開く。

前から二列目の左から三番目に、確かに私が立っていた。

三つ編みの結び方、頬骨、瞼の癖。

すべて、私の覚えているとおりの十五歳の私だった。

同じ場所、同じ角度、同じ瞬間に撮られたはずの写真である。

八重さんのアルバムには、私はいない。

私のアルバムには、私がいる。

巻末の卒業生名簿を、私はそれぞれ開いた。

私のアルバムの名簿には、私の名が刷られている。

八重さんのアルバムの名簿の、同じ行には、見知らぬ名前が印刷されている。

かわりに、見覚えのある「八重さん」の名は、両方の名簿の同じ位置に、当たり前のように並んでいた。

違うのは、私の名だけだった。

卒業文集も、念のため照合した。

私が当時書いた『春の貝塚』という、考古学の真似事のような短文がある。

私のアルバムの文集には、私の名でその文章が載っている。

八重さんのアルバムの文集の、同じ頁の同じ位置に、ほぼ同じ文章が、別人の名で載っていた。

句読点の位置まで、私の癖と一致している。

ただ、署名だけが違うのである。

私の代わりに、誰かが私の代わりを、つつがなく務めあげていた。

校歌の頁の余白に、八重さんがインクで小さく書き残した寄せ書きがあった。

「みんな、それぞれの道で達者で」

その文末に、署名でも宛名でもない、ひとことが添えられていた。

「Aさん、どうかお見つけください」

Aというのは、私の名の頭文字である。

段ボールの底に、もう一冊、革表紙のものが沈んでいた。

これは写真帖ではなく、日記帳だった。

ずいぶん使い込まれて、背がほろほろと割れていた。

表紙を開くと、最初の日付は、卒業から半年あまり後のものだった。

八重さんらしい、几帳面な小さな字で、こう書いてあった。

「今日、神保町の電車通りで、Aさんによく似た方とすれ違った」

「思わずお声を掛けたが、私のことを覚えておられない様子であった」

「同じ顔、同じ歩き方、同じ襟元の癖。けれど、別の方なのだろう」

頁を繰った。

数年おきに、同じような記述が続いていた。

「銀座の画廊で、Aさんによく似た方をお見かけした。やはり覚えておられぬ」

「鎌倉の海で、ご家族と歩くAさんによく似た方を遠目に見た。声は掛けなかった」

「Aさんによく似た方が、神保町に小さな古書店をお出しになったと聞き、訪ねた」

「やはり、覚えておられぬ。Aさんの卒業写真をお見せしたが、ご自分ではないと首を振られた」

私はその頁で、息を止めた。

その「古書店をお出しになった方」とは、私のことに違いなかった。

三十年前の春、私はちょうど神保町のこの店を開いたのである。

頁の最後のほうに、ずいぶん後年の、震える筆跡の一文があった。

インクの色が、それまでとは違っていた。

「あの方は、Aさんではない」

「Aさんは三十六年前の冬、卒業の前に、踏切で亡くなっておられる」

「あの方が誰であるのかは、私には分からない」

「けれど、店を訪ねるのは、もうおやめにしようと思う」

「Aさんは、もう、どこにもいらっしゃらない」

私は、日記を膝の上に置いたまま、しばらく動けずにいた。

並行世界の自分、という言葉が、頭の隅にぼんやり浮かんだ。

並行世界の自分とすれ違うのは、ふつう、すれ違う側の話である。

すれ違われた側の人生も、また並行世界の自分なのだとは、考えたこともなかった。

店の柱には、開店のときに父の形見の柱時計を掛けてある。

振り子の音だけは、いつも変わらず時を刻んでいたつもりだった。

顔を上げて、私はその時計を見た。

針は、五時三十六分のところで止まっていた。

三十六、という数字に、私はわずかに笑った。

笑ってから、笑った自分に小さく驚いた。

柱時計を動かそうとは、不思議と思わなかった。

そのまま、私は店じまいの戸を下ろした。

奥に戻り、簞笥の抽斗から、私自身のアルバムをもう一度、引き出した。

前から二列目の、左から三番目に立っている、十五歳の少女。

その顔と、店の鏡に映る今の私の顔とが、同じ人間の顔であるのかどうか。

それを確かめるだけの勇気が、私には、まだ、ない。

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