
私は北陸の小さな病院で働く二十六の看護師である。
夜勤の続いた春の終わりに同僚から「少し休んだ方がよい」と言われ、初夏の連休に思い切って一人旅を決めた。
看護師になって四年目に入ったばかりで、近頃は受け持ちの患者さんを見送ることが続いていた。
そのような夜は決まって、母方の祖母の家でかつて飲んだ番茶の香りが、ふと胸の奥に立ちのぼるのであった。
行き先は祖母から幼い頃に幾度か聞かされていた、奥能登のひっそりとした古い湯治場であった。
北陸新幹線と二両編成のローカル線を乗り継いで、無人駅で電車を降りたのは夕方の四時すぎだった。
駅前にはタクシーも見当たらず、私は宿のしおりに描かれた地図を頼りに古道を歩き始めることにした。
湯治場までは徒歩で四十分ほどと、しおりの隅に小さく書かれてあった。
杉並木の古道は人気が少なく、雨上がりの土の匂いと苔のひやりとした香りが胸の奥にまでしずかに届いた。
その道を半分ほど来た頃から、谷あいの低い山と山のあいだから白い霧がしずかに立ちのぼり始めた。
最初は地を這うように白くたなびくだけであった霧が、ものの十分も経たぬうちに私の足元までを覆い隠してしまった。
スマートフォンの画面は圏外を示し、地図のアプリも湯治場の地点をすっかり見失ったままであった。
※
引き返そうかと一度思ったその時、道の脇に古びた木の案内板がひっそりと立っているのが見えた。
「茶店 まで 三町」と、達筆な毛筆の文字でたしかにそう書かれてあった。
宿のしおりにも駅で買ったハイキング地図にも、そのような茶店の記載はどこにもなかった。
けれども霧の中で立ち尽くしているよりは、灯のともる場所に身を寄せたいと私は思った。
案内板に従って私はわずかに右へ折れる細い道を辿ることにした。
ほどなくして霧の向こうに薄い橙色の灯がにじむように見えてきた。
近づくにつれて低い軒先と紺色の暖簾と小さな茅葺の屋根とが、しずかに姿を現した。
戸をしずかに引くと、油紙のような匂いと炭の温もりとが、土間いっぱいに広がっていた。
奥のほうから「いらっしゃいませ」と、年配の女のひとの声がしずかに届いた。
私が会釈をしてしずかに框へ腰を下ろすと、その声のあるじが奥から姿を見せた。
紺色の絣の着物にしろい割烹着を重ねた、七十をいくつか過ぎているかと思われる小柄な女のひとであった。
「霧の濃い晩は、よう道を迷うてござる」と、その方はしずかに笑った。
店の内側には小さな囲炉裏が切られていて、その上に黒く煤けた鉄瓶がしずかに湯気をあげていた。
土間の隅には古い柳行李がひとつ置かれ、その上には半分ほどに折れた赤い椿の花がしずかに供えられてあった。
差し出された茶碗には深い緑の茶が満たされていて、口に含むと、長く忘れていたはずの家の匂いが胸の奥にしずかに戻ってきた。
私は思わず肩から力が抜けるのを感じた。
「湯治場までは、もうほんのひと足でござる」と老婆は私の足元に視線を落として続けた。
「足元に気を付けて、灯のあるほうへ辿ってお行きなされませ」と、その方はしずかに添えた。
私は深く礼を述べて、茶のお代をお尋ねした。
けれども老婆は片手をしずかに横に振り、「あなたさまの分は、もういただいておるのでござる」とふっと微笑んだ。
意味の分からないまま私が首を傾げると、老婆はわずかに目を細めてこう続けた。
「お祖母さまに、くれぐれもよろしくお伝えくだされませ」と。
※
私は祖母の話をこの方に一言もしていなかった。
そもそも私の祖母は十年ほど前に北陸の地を離れ、今は関東で母と二人で暮らしている。
けれども老婆の眼差しはあまりにも穏やかで、こちらが口を開こうとするより先に、湯気だけがしずかに揺れた。
茶を飲み終えた頃、店の奥のほうから鈴のような音がただ一度だけ鳴った。
老婆は「もう、お行きなされませ」と、ふたたび土間のほうを指し示した。
戸を引いて外へ出るとき、私は振り返ってもう一度礼を言ったが、老婆は会釈のかわりにただわずかに目を伏せただけであった。
外はまだ濃い霧の中ではあったが、軒先からは確かに湯治場のある谷のほうへ、灯の連なりが見えていた。
私はその灯だけを頼りに、十五分ほど古道を歩いてようやく湯治場の宿の門前にたどり着いた。
宿は古い木造の二階建てで、玄関先には若い女将がしずかに立って私を待っていてくださった。
「遅うございましたね、霧でお迷いになりましたか」と女将は気遣ってくださり、奥の小さな部屋へと案内してくれた。
その晩、私は温い湯にゆっくりと浸かり、夕餉の膳をいただいて、敷かれた布団に潜るとすぐに深い眠りへと落ちていった。
夢のなかで、紺色の絣の老婆がもう一度しずかに茶を差し出してくれていた。
枕元のほうから古い柱時計の振り子の音が聞こえた気がして、私は一度だけ夜半に目を覚ました。
けれども宿の廊下のどこにも振り子の柱時計は掛けられてはいないと、翌朝の私は気づくのであった。
※
翌朝、私は早起きをして宿の朝餉の前に女将と少しばかりの話を交わした。
「昨日こちらに来る途中で、古道の脇の茶店に立ち寄りました」と、私は世間話のつもりで切り出した。
「霧が濃くて道を迷いかけたところで、着物姿のお年寄りにお茶を一杯いただいたのです」と続けると、女将の手がわずかに止まったのが分かった。
「そのような茶店は、もう何十年も前からこの古道沿いにはございません」と、女将はしずかに答えた。
私は冗談だと思って小さく笑いかけたが、女将の表情はあまりにも真剣であった。
「霧の濃い晩にだけ軒先の灯がひとつ立つのを見た、というお話は、宿の古い者から幾度か伺っておりました」と女将は続けた。
「明治の終わり頃に火事で焼け落ちたきり、ついぞ建て直されてはおらぬ茶店でございます」と、女将は付け加えてくれた。
私はゆっくりと湯のみを朝餉の膳に置いた。
「その茶店の女主は、若い頃に町の医院で看護見習いをしていた方でございましたよ」と女将はそう続けてくれた。
「私の祖母の、そのまた祖母にあたる方なのでございます」と。
私はその場で自分の祖母の旧姓を、女将にしずかにお伝えした。
女将は黙ったまま目を見開いて、しばらく動かなかった。
「やはり、そうでございましたか」と、ようやくひと言だけ返してくださった。
私の祖母の旧姓は、女将のお祖母さまそのまた祖母にあたる方の血筋とも、遠縁にあたるのだと女将はしずかに語った。
むかし湯治場のすぐそばの茶店で看護見習いをしていた女のひとの嫁いだ先の家のおぼろな縁が、ぐるりと巡って私の祖母の家にも結ばれているのだという。
そして女将の話によれば、その茶店の女主はあの大正の終わりに、町の医院の小さな部屋でひっそりと息を引き取られた方なのだという。
看護見習いをしていた頃に世話をした子供たちの行く末を、ずっと案じていたお人なのだとも、女将はしずかに教えてくださった。
私は朝餉の膳の前で、しばらくのあいだ箸を取ることができなかった。
「あの茶店は、霧が連れてくる、もうひとつの夜のことなのでございましょう」と女将はそうしずかに結んでくださった。
朝餉のあと私は古道へ向かい、もう一度案内板のあった細道を探した。
けれどもそれらしいものは、どこにも見当たらなかった。
霧はすっかり晴れて、初夏のやわらかな日差しのなかに、ただ杉並木の影だけがしずかに揺れていた。
それでも私の口の中には、あの深い緑の茶の味だけがただひとつ、しずかに残ったままであった。
帰京した日の晩、私は祖母の家に電話をかけた。
事の次第をすべて話そうかとも思ったが、口にすべきではないという気がして、ただ「お元気でいらっしゃいますか」とだけ尋ねた。
祖母は受話器の向こうで、しずかに笑った。
「霧の濃い晩には、無理に出歩いてはなりませんよ」と、祖母はそれだけを返してくれた。
受話器を置いたあと、私はふと、祖母がなぜ私の旅先を尋ねもしないままそう告げたのか、しばらく考え込んでしまった。
その晩私は長いあいだ、湯治場のある北の方角に向けて、窓辺にしずかに立っていた。
霧はもうそこにはなかったけれども、あの茶店の軒先の灯はいまも私の胸の奥に、しずかに揺れている。
あれが世にいう一夜のタイムスリップであったのか、それとも遠い縁が霧に乗って迎えに来た不思議な体験であったのか、私には今もって、よく分からない。
ただ、湯治場の女将が口にしてくださった「霧が連れてくる、もうひとつの夜」というひと言だけは、いまも私の胸の奥にしずかに灯っている。
もし夜更けの古道で霧の向こうに橙色の灯を見つけたなら、それはどうかふいに現れたタイムスリップの茶店なのだと、信じて立ち寄ってあげてくださいませ。