
五年ぶりに、実家の敷居をまたぎました。
母の四十九日が、ようやく済んだばかりでした。
あの家で私が触れてはいけなかったものが、ひとつだけあります。
母の書斎の、机の引き出しに入っていた日付の紙片です。
十三枚ありました。
そのうちの一枚を、私は自分の手で、向きを直してしまいました。
駅から実家までの道を、私はゆっくりと歩きました。
見慣れた商店街は、半分ほどシャッターを下ろしていました。
子どものころ、母に手を引かれて歩いた道です。
その記憶だけが、色褪せずに胸に残っています。
母が、もういない。
その実感が、家が近づくにつれて込み上げてきました。
古い木造の家は、私が出ていったころと何ひとつ変わっていませんでした。
ただ、母の気配だけが、すっぽりと抜け落ちていました。
玄関で出迎えた父は、思いのほか穏やかな顔をしていました。
「よく帰ってきたな。さあ、上がりなさい」
その声に、私はかすかな違和感を覚えました。
母の介護であれほど憔悴していた父が、妙に生き生きとして見えたのです。
母は、晩年、認知症を患っていました。
身の回りの世話をつきっきりでする父を、ずいぶん困らせたと聞きます。
夜中に徘徊し、父の名前さえわからなくなることもあったそうです。
その母を、父は最後まで家で看取りました。
立派なことだと、親戚は口々に言いました。
私だけが、その看病を何ひとつ手伝いませんでした。
「あんたの父さんは、本当に、よくやったよ」
親戚の伯母が、しみじみとそう言いました。
「夜も寝ずに、付きっきりでね」
「あんな旦那さん、なかなかいないよ」
私は、その言葉にただ頷くしかありませんでした。
けれど、葬儀のときの父の顔が、ふと思い出されました。
涙ひとつ見せず、どこか晴れやかな表情でした。
疲れ果てた末の安堵だろうと、そのときは思っていました。
後ろめたさが、胸の奥で小さく疼きました。
伯母は、帰り際にもうひとつだけ言いました。
「そういえば、去年の秋くらいから、手紙が来んようになったねえ」
母は筆まめな人でした。
盆と正月のほかにも、思いついたように便りを出す人でした。
その話を、私はそのときは聞き流しました。
古い家にまつわる話は、箪笥の引き出しの取っ手の話や、開かずの仏間の木札の話にも書き残しました。どれも、家の中でいちばん静かな場所から始まります。
晴れやかな父の顔
夕飯まで、まだ時間がありました。
私は線香をあげようと、母の書斎へ向かいました。
そこは、母が生前いちばん長く過ごした、小さな和室です。
襖を開けると、かび臭い空気と墨の匂いが、ふわりと流れ出ました。
机も本棚も、母がいたころのまま、きちんと残されていました。
母はこの書斎で、よく手紙を書いていました。
几帳面な人で、筆まめでした。
棚には、古い便箋や、万年筆が、きちんと並んでいました。
その整然とした様子が、かえって私の胸を締めつけました。
ここに座る母は、もういないのです。
私は机に手をついて、しばらく目を閉じていました。
ふと、あるものを探していることに気づきました。
去年の暮れ、私が母に贈った、一冊のカレンダーです。
花の写真が月ごとに変わる、ささやかな贈り物でした。
電話で礼を言われたとき、母の声はまだしっかりしていました。
「きれいな花ねえ。毎月、めくるのが楽しみだわ」
「体に気をつけてね、お母さん」
「あなたこそ。たまには、顔を見せに帰ってきなさいな」
そのときの母は、いつもの母でした。
認知症の影など、まだどこにもありませんでした。
それから、ほんの数か月で、母は人が変わったように衰えていきました。
あまりに急な変化に、私はただ戸惑うばかりでした。
けれど、壁のどこにも、そのカレンダーは見当たりませんでした。
廊下側の壁に、釘だけが一本、残っていました。
机の前からは、その釘は見えません。
襖を開けた人の目にだけ入る位置です。
母は、自分のためではなく、廊下から見えるところに掛けていたのです。
捨ててしまったのだろうか。
認知症だったのだから、仕方のないことだ。
そう思いながら、私は机の引き出しを開けました。
日付の紙片の順番
引き出しの中を見て、私は息を止めました。
あのカレンダーが、ハサミでバラバラに切り刻まれていたのです。
日付の書かれた、小さな紙片が何枚も入っていました。
けれど、それはでたらめに切られたものではありませんでした。
日付の紙片は、意味があるように、きちんと順番に並べられていました。
母は、認知症が進んでも、私からの贈り物だけは大切にしてくれていた。
それなのに、こんな形に切り刻んでしまうなんて。
病とは、こんなにも人を変えてしまうものなのか。
私はしばらく、その紙片をただ見つめていました。
切り口は、まっすぐではありませんでした。
どの紙片も、左から右へ、わずかに斜めに落ちています。
右手でハサミを使えば、こうはなりません。
母は、左手で切ったのです。
そして、感傷とともに、並べられた日付をそっと読み上げてみました。
四月四日、四月四日、四月十日。
六月十一日、三月一日、六月十二日。
五月六日、七月二日、六月七日、六月十七日。
四月十日、四月十四日、五月十六日。
ただ、月日が並んでいるだけでした。
特別な記念日でも、誕生日でもありません。
母の頭の中の混乱が、そのまま形になったようでした。
裏返してみると、鉛筆で薄く番号が振ってありました。
一から十三まで、順番どおりです。
ただ一枚だけ、番号のない紙片がありました。
六月十七日の紙片です。
そしてその一枚だけが、上下、逆さまに置かれていました。
私は何の気なしに、その一枚をほかと同じ向きに直しました。
直してから、番号のない理由を考えるべきでした。
番号を書けないなら、向きで示すしかありません。
母は、向きそのものを、十四番目の合図にしていたのです。
三杯目の白い飯
そのとき、一階から父の声が響きました。
「おーい。飯ができたぞ。降りてきなさい」
いつになく、弾んだ声でした。
私は紙片を引き出しに戻し、書斎を出ました。
階段を降りると、台所からいい匂いが漂っていました。
食卓には、湯気の立つ料理が所狭しと並べられていました。
煮魚、ほうれん草のおひたし、味噌汁、それに炊きたての白い飯。
「お前の好きだったものを、作っておいた」
父は得意げにそう言いました。
考えてみれば、父の手料理を食べるのは五年ぶりです。
母が倒れてから、この家の台所に父が立つことはなかったはずでした。
「さあ、たくさん食べなさい。遠慮するな」
父はしきりに、私に飯をよそいました。
「最近、どうだ。仕事は、うまくいってるのか」
父は、私の茶碗に三杯目の飯をよそいました。
「もう、いいよ。そんなに食べられない」
「何を言う。痩せたんじゃないか。ほら、食え」
その勧め方には、もはや断らせない響きがありました。
私は苦笑しながら、また箸を取りました。
父の目が、私の口元をじっと追っているのに気づきました。
ちゃんと飲み込んだかを、確かめるようにです。
食卓で、父は味噌汁を自分ではほとんど口にしませんでした。
煮魚にも、あまり箸をつけませんでした。
そのことに、私はあとになって気づきました。
父がしきりに勧めたのは、私の茶碗だけでした。
「遠慮するな」と、何度も父は繰り返しました。
あの言葉が、いまはまるで違う響きでよみがえります。
私は、出されたものを何ひとつ残しませんでした。
いい子だ、とでも言うように、父は頷いていました。
食事のあいだ、父は機嫌よく喋り続けました。
母の介護が、どれほど大変だったか。
夜も眠れず、自分までおかしくなりそうだったこと。
「あれで、わしもようやく解放されたよ」
そう言って、父はかすかに笑いました。
その笑い方に、私はまたあの違和感を覚えました。
解放、という言葉が、妙に生々しかったのです。
私は曖昧に頷きながら、出された飯を平らげました。
父は満足そうに、その様子を見つめていました。
部屋に戻ったのは、夜もすっかり更けてからでした。
懐中電灯の光
布団に入っても、私はなかなか寝つけませんでした。
あの切り刻まれたカレンダーが、頭から離れませんでした。
母は、なぜ私の贈ったものを、あんな形にしたのか。
順番に並べられていた、というのがどうにも気にかかりました。
認知症の人間が、あれほど几帳面に紙を並べるでしょうか。
日付の紙片の並びが、まぶたの裏に貼りついて離れないのです。
私は起き上がり、もう一度書斎へ向かいました。
懐中電灯の光で、紙片を一枚ずつ見つめ直しました。
そして、ふとあることに気づきました。
日付の数字を、月と日に分けてみる。
四と四。四と四。四と十。
その数字を、私は化学の周期表に当てはめてみました。
学生のころ、理科だけは得意だったのです。
なぜ、母が元素記号など知っていたのか。
いえ、母は若いころ、薬剤師を目指していました。
周期表など、暗誦できて当たり前です。
その記憶だけは、病に蝕まれても最後まで残っていたのでしょう。
私は一枚いちまい、数字を記号に置き換えていきました。
手が震えて、なかなか字が書けませんでした。
母が使ったのは、原子番号ではありませんでした。
周期と、族の番号を組み合わせていたのです。
四の四。第四周期、第四族。
その交点にある元素をたどっていきます。
母は、誰にも気づかれぬよう、二重に暗号をかけていました。
病に蝕まれた頭で、ここまでの仕掛けを。
それは、母の最後の知性のともしびでした。
消えゆく意識の中で、母は私だけにそれを託したのです。
四番目の元素は、チタン。記号は、ティーアイ。
私は震える指で、紙片の順に記号を書き出していきました。
ティー、アイ。ティー、アイ。エヌ、アイ。
エー、ユー。エヌ、エー。エイチ、ジー。
エム、オー。アール、エー。アール、イー。
そして、十七番目の、エー、ティー。
並んだアルファベットを、私は声に出して読んでみました。
ち、ち、に……あう、な……。
そこまで読んで、私の背筋に冷たいものが走りました。
逆さまだった、六月十七日。
あれを、私は自分の手で元の向きに直してしまいました。
本当は、逆さに読むべき一枚だったのです。
エー、ティーを、ひっくり返せば、ティー、エー。
私は最後の記号を入れ替えて、もう一度読み直しました。
つなげて読んだその言葉に、私は凍りつきました。
——父に会うな、水銀を盛られた、逃げて。
母は、認知症などではありませんでした。
少しずつ、何かを飲まされていたのです。
その意識が混濁していく中で、母は最後の力を振り絞りました。
私への贈り物を切り刻み、暗号にして警告を遺したのです。
母が徘徊していたという話を、私は思い返していました。
父の名前がわからなくなった、という話も。
けれど、本当にそうだったのでしょうか。
母はわかっていて、父から逃げようとしていたのではないか。
父の名を呼ばなかったのは、忘れたからではなく、拒んでいたから。
そう考えると、すべての辻褄が不気味なほど合ってしまいます。
認知症という言葉が、都合よくすべてを覆い隠していました。
周りは、母の異変をただ病のせいだと信じ込んでいたのです。
父も、それを利用していたのかもしれません。
伯母の言葉も、そこでつながりました。
几帳面な母が、最後の半年だけ、誰にも便りを出していなかったのです。
便箋も万年筆も、棚にきちんと並んだままでした。
最後の一通は、去年の九月の消印だったと伯母は言っていました。
父が家の郵便物をまとめて出すようになったのも、そのころだそうです。
書けなかったのではなく、出せなかった。
投函する前に、必ず誰かの手を通るからです。
開かない二階の窓
廊下側の壁に掛けたカレンダーも、同じ理由だったのでしょう。
自分の机からは見えなくていい。
見つけてほしいのは、襖を開けて入ってくる人ではなく、そこに立つ私だったのです。
線香をあげに来る人間は、必ずあの位置に立ちます。
母は、自分がいなくなったあとのことまで計算していたことになります。
母の訴えは、誰の耳にも届きませんでした。
認知症の老婆の言葉を、誰が本気で聞いたでしょう。
水銀を盛られている、と訴えても、また始まったと流されます。
母は、それを痛いほどわかっていました。
だから、言葉ではなく暗号に託すしかなかったのです。
誰にも気づかれず、けれど私にだけは解ける形で。
カレンダーを選んだのは、私からの贈り物だったからです。
私なら、きっと見つけて解いてくれると信じて。
母の、その一心を思うと、胸が張り裂けそうになりました。
左手で切ったのは、右手がもう、震えて使えなかったからでした。
私は看病を何ひとつ手伝いませんでした。
母がいちばん助けを必要としていた、その時に。
その後悔が、いまになって刃のように私を抉りました。
私は、解読を終えた紙片を震える手で握りしめました。
窓は、開きません。
襖の向こうには、父がいます。
携帯電話は、一階の上着の中でした。
助けを呼ぶ手立ては、何ひとつありませんでした。
私は、母が遺した暗号の紙をそっと懐にしまいました。
これだけは、絶対に父に渡してはなりません。
母の最後の声を、ここで消されるわけにはいかないのです。
母を蝕んだものが、いま、私の体に入っているのかもしれない。
そう思った瞬間、胃の底がすっと冷たくなりました。
私は、紙片を一枚も動かさなかったことを悔やみました。
いえ、一枚だけ動かしてしまいました。
六月十七日の、あの逆さまの紙です。
もし、あのまま気づかずにいたら。
私は、暗号を解けなかったかもしれません。
そうすれば、何も知らずに、またこの家で眠っていた。
知ってしまったことが幸運なのか、不運なのか。
いまの私には、まるでわかりませんでした。
私は、自分の手を見つめました。
その手は、たった今、父の作った飯を残さず食べた手でした。
階下から、ぎし、ぎし、と階段を踏む音が聞こえてきました。
父が、ゆっくりと上がってきます。
「どうした。眠れんのか」
襖の向こうから、あの穏やかな声がしました。
襖が、すっと十センチほど開きました。
廊下の暗がりに、父の影が立っていました。
「明かりが、漏れていたぞ。何を、しているんだ」
父の手には、湯気の立つ湯呑みが握られていました。
「眠れないなら、これを飲むといい。よく眠れる」
私は、その湯呑みから目を離せませんでした。
父の顔は、相変わらず穏やかに微笑んでいました。
その微笑みの意味を、私はもう知ってしまっていました。
逃げて、と母は、最後の力で書き遺しました。
けれど、出口の前には父が静かに立っています。
私は、書斎の窓にそっと近づきました。
二階の窓の下は、暗い庭でした。
飛び降りれば、足くらいは折るかもしれません。
それでも、ここにいてはいけない。
母の警告が、頭の中で鳴り響いていました。
逃げて。逃げて。逃げて。
窓の鍵に手をかけたとき、それは固く錆びついていました。
何年も開けられていない窓でした。
がたがたと音を立てるばかりで、びくともしません。
その音に、廊下の足音がぴたりと止まりました。
襖の隙間から、父がもう一歩踏み込んできました。
私は後ずさりしながら、懐の紙片を強く握りしめました。
私の茶碗は、夕餉の食卓で、もう空になっていました。