
実家の仏間の戸棚に、桐の箱が一つある。
髪を納めた箱だ。
中身は、俺の曾爺ちゃんが持ち帰った、知らない男の頭髪だ。
年に一度、命日にだけ蓋を開けて、線香を上げる。
それが、うちの決まりになっている。
蓋は、桐の合わせが固い。
湿気の多い年は、指では開かない。
爺ちゃんは、そういう年ほど丁寧に線香を上げていた。
曾爺ちゃんは、俺が物心付く前に亡くなっている。
だからこれは、爺ちゃんに聞いた話だ。
それを思い出しながら書くので、辻褄合わせで多少脚色もする。
そこはご勘弁いただきたい。
俺の曾爺ちゃんは、坊主だったらしい。
というか、曾爺ちゃんの代まで坊主の家系だったそうだ。
そんでもって、曾爺ちゃんは霊感があったらしい。
除霊やら鎮魂やらで、何かと有名だったという。
でも、ありがたい崇高な霊力者という感じではない。
変な能力はあるけれども、普通の、多少目端の利く人だったようだ。
そんな曾爺ちゃんには、人伝でオカルトチックな依頼が来る。
それで旅に出て家を空けることが多かった。
爺ちゃんも、寂しい思いをしていたらしい。
曾爺ちゃんが旅から帰ってくると、爺ちゃんは土産話を要求した。
けれど曾爺ちゃんは、大抵、当たり障りのない話ばかりをしていたそうだ。
怨念やらの絡みになると、色恋沙汰や依頼者の恥部となる話になる。
だから、口は堅かったのだろう。
俺は一度だけ、爺ちゃんに聞いたことがある。
捨てるという選択は、なかったのかと。
「捨てた家が、一軒あるらしい」
それだけ言って、爺ちゃんは話を変えた。
前置きが長くなった。
爺ちゃんがこの話をしてくれたのは、俺が高校を出た年の盆だった。
仏間で、箱を前に座らされた。
「お前がやる番になるから」
それが、話の始まりだった。
数少ない旅の話の中から、曾爺ちゃんが坊主を辞める原因になった一件を書く。
羽織袴の来客
ある日、どこかの地方から、羽織袴の名士っぽい人が訪ねてきた。
曾爺ちゃんは、見た目で祟られていると判ったらしい。
そんな事はおくびにも出さず、応接間に通して何事かと聞いてみた。
その人は、丁寧に名乗りから始めた。
「某県の何処其処で何々をしています誰々です」
そんな話し口から、名主というか、纏め役みたいな家系だと曾爺ちゃんは感じた。
その時に頼まれたのは、不幸な最期を迎えた女性の供養、という程度だったそうだ。
曾爺ちゃんは、この人は隠し事が多いなあ、などと思った。
そして、多少、身の危険を感じたらしい。
霊的な危険ではない。
人が人に手をかける類の出来事に、この人の身内や知り合いが関わっている。
そういう気配だった。
羽織袴の人は、座布団の上で一度も足を崩さなかった。
三日いて、一度も崩さなかったそうだ。
曾爺ちゃんは、それを見て確信を深めたという。
楽にできない人は、大抵、見られている自覚がある。
それだと、場合によっては自分の身も危うい。
取り敢えず曾爺ちゃんは、その人にこう言った。
「多少準備がかかるし、お疲れでしょう」
そうして三日ほど家に泊めた。
その間に、その地方の議員や親分、警察署長あたりの名前を調べた。
知人に紹介して貰って、実際に電話をしたりもした。
繋ぎを作っておいたのだ。
なかなか世俗チックな曾爺ちゃんだと思う。
爺ちゃんが言うには、これが一番大事だったらしい。
「霊より、人のほうが先に手を出してくる」
「山の中で一人になる前に、外に線を引いておくんだ」
曾爺ちゃんは、そういう考え方の人だった。
対人の下準備のあとは、今度はそれなりに霊的な準備もした。
「じゃあ行きましょうか」
そう言って、その人の案内で地方に向かったそうだ。
山を越えた先の村
地方に着いたら、曾爺ちゃんはまず挨拶回りをした。
「そう言えば、先生はここに居られるそうだから挨拶したい」
そんな調子で、先に手を回しておいた相手を順に訪ねた。
議員、署長、土地の親分。
自分に変に手を出したら後々厄介ですよ、と臭わせておいたわけだ。
署長は、村の名を出したとたんに顔をしかめたそうだ。
「あそこは、うちの管轄でもやりにくい」
それ以上は、何も言わなかった。
それから、その人の家に行くことにした。
その人の家は、街から外れて幾つか山を越えた山間の村にあった。
村に近づくにつれて、嫌な感じが強くなってきた。
「これは村ごと祟られているな」
「女一人を供養して済むのかね」
そう思ったらしい。
村に入ると、出会う人がどいつもこいつも祟りの影響を受けている。
そしてもう一つ、曾爺ちゃんが気づいたことがあった。
村で出会う人は、どいつもこいつも同じ方向を向いて歩いていたらしい。
朝でも昼でも、行き先が違うはずなのに、顔だけが同じ側を向く。
そのときは、意味が分からなかったそうだ。
流石に曾爺ちゃんも、村ぐるみの事情がありそうだと嫌になってきた。
けれど、こんな辺鄙な場所から逃げ出すのも大変だ。
一応その人の家で、詳しい事情を聞いてみることにした。
その人の家は結構大きかったらしい。
屋敷という感じで、村の纏め役という予想は当たっていた。
庄屋の家系の当代、というところだ。
屋敷は、門に入る前から恨まれている感じが臭いまくっていた。
門の脇に、井戸の跡があった。
石で塞いで、その上に漬物石を三つ積んである。
曾爺ちゃんは、そこだけ見ないようにして通ったらしい。
かなり業の深いことをしてしまった家系だと思いながら、家に入ったそうだ。
農家の納屋の柱
部屋に案内されて、改めて話を聞いた。
供養して欲しい女性は三名。
曾爺ちゃんは、屋敷の人間がその三名の最期に関わっていると思った。
だから、その辺は深くは聞かなかった。
代わりに、村に何か起こっているのかを聞いてみた。
どうやら村では、人が人に手をかける出来事が続いているらしい。
しかも、そのことを警察に届けていない。
手をかけた者は、土蔵に閉じこめたり、納屋に縛ったりしていた。
戻らなかった者は、事故や病ということにして、医者に見せずに土葬にする。
かなりまずい処置をしていた。
現代なら、まず引っ張られるようなやり方だ。
そこまでするからには、村人を外に出したくない理由があるはずだ。
曾爺ちゃんは突っ込み所が多すぎるのをグッと我慢した。
まずは、縛られている一人に会って見ることにした。
多分この屋敷にも居るのだろう。
けれど、当代に案内されたのは、屋敷から少し離れた農家の納屋だった。
納屋の中はジメっとして、臭いが酷かった。
中には、怯えた感じで縮こまっている女性が一人、柱に縛られていた。
曾爺ちゃんは、憑かれていたな、と思ったらしい。
この女性はもう危険ではないことを教えた。
「暫く安静にしていたら、今より良くは成るだろう」
そして、手をかけた相手は多分、旦那か子供だなと感じた。
可愛そうに思ったそうだ。
さらに、この人への祟りはもう終わっている。
けれど、多分完全に治ることは無いだろうとも思えたらしい。
曾爺ちゃんは、当代に向かってこう言った。
「供養はするが、あなた方は供養でどうにかなると思っているのかね」
しかし、他に当たっても、祟りがあってからは供養さえ怖がってしてくれない。
それでお鉢が回ってきたらしい。
どうしても供養はして欲しいということで、曾爺ちゃんは引き受けることにした。
お墓の位置は、村外れの山道を進んで行った山にあるという。
昔はそこに寺があったが、廃寺となった後は村の墓地として使っている。
案内されて近づくにつれて、悪寒がしてくる。
案内していた当代は、どんどん顔色が悪くなってきた。
これは半端じゃない。
当代は、鳥居のない祠の前で一度立ち止まった。
「ここから先は、私はどうも」
顔の色が、紙のようになっていた。
とりあえず墓の方向に向かって経をあげて様子を見た。
どうにもならない感じなので、ある程度の道筋を聞いて当代を帰したそうだ。
当代に活を入れて返した後に暫く進むと、何かとすれ違った。
曾爺ちゃんには姿は見えなかった。
多分、彼女らの誰かだろう。
その気配は、当代を追うわけでもない。
自分を追う様にも感じなかった。
すれ違ったとき、右の袖だけが冷たくなったそうだ。
左は、何ともなかった。
山を下りるまで、袖はそのままだったという。
気を落ち着けながら、先へ進むことにした。
山の斜面を這うように進む山道を歩いて行くと、開けた場所があった。
斜面に沿って卒塔婆や墓石が並んでいる。
ここがその墓地だろうと感じて、中に入った。
すると、多くの盛り土の墓の内に、はっきり分かる存在感の墓が三つあった。
曾爺ちゃんはそこで経をあげて供養を試みた。
けれど、ずっと空気が重い。
どこからか、視線をずっと感じる。
無理だな、業が深い。
そう思って、屋敷まで引き上げる事にした。
山道を下りながら、曾爺ちゃんは村を見下ろした。
そして、朝の光景の意味が分かったそうだ。
墓地は、村のどの家からも同じ方角にあった。
村の者は、歩きながら、無意識にそちらへ顔を向けていたのだ。
藪の中の盛り土
屋敷まで戻った曾爺ちゃんは、当代に告げた。
「供養を試みたが、このままでは祟りは収まらない」
そして、こう続けた。
「あなた方は業が深いので、言えないことも多いと思う」
「三人が戻らなくなった経緯にも、関わっているだろう」
「しかし、祟りが無かったものが何故祟る様になったのか」
「何でも話せる事があれば言いなさい」
当代も言い辛かっただろうが、話した内容はこうだった。
父に当たる先代は、乱暴で狡猾な人物だったそうだ。
若い頃から問題ばかり起こしていた。
それでも、先々代が存命の内はまだマシな方だった。
先々代が亡くなると、素行に歯止めが効かなくなった。
多くの村人を巧妙に利害で巻き込みながら、悪事を繰り返した。
村では、誰も逆らうことが出来なくなってしまったそうだ。
祟っている三名が戻らなくなった経緯にも、先代は関わっているらしい。
それから先代は、三年前に実の妹の手にかかって亡くなった。
多分これが、最初の祟りじゃないかとのこと。
そして先代は、祟りで倒れる前に、一人の男に罪を着せていた。
三名の女性と関わりのある男だ。
そして、私刑にかけていた。
それ以来、村では身内や血縁者に手をかけてしまう出来事が時々起こるようになった。
曾爺ちゃんはこの話を聞いて、思ったらしい。
その男をまず供養しないと、この祟りは収まらない。
それで、墓の場所を訪ねた。
当代の答えはこうだった。
「墓はない。埋めただけになっている」
埋めた場所に、次の日に行くことになった。
曾爺ちゃんは、その晩は屋敷には泊まらなかった。
明日の事を考えたら、ここで気力を消耗したくない。
そういう気持ちになったらしい。
次の日、当代と村の男数名に案内されて出かけた。
その男が埋まっている場所は、村はずれの藪の中だった。
ジメジメと腐った枯れ草が覆い被さっている。
枯れ草の隙間から、育ちが悪い感じの雑草が生えていた。
そこに、高さの余りない盛り土がある。
近くには、申し訳程度の供え物が朽ちていた。
曾爺ちゃんは当代に言った。
「ちゃんと埋葬し直して供養しないといけない」
村の男たちは、鍬を持つ手が止まっていた。
誰も、最初の一振りをやりたがらない。
当代が、自分で鍬を取った。
そして、掘り返させた。
大して掘り返さないうちに、それは現れた。
出てきたものは、一つにまとまっていなかった。
三年前に土に入ったはずなのに、乾いてもいなかった。
湿り気を帯びたまま、そこにあったそうだ。
曾爺ちゃんは、呪物になっているな、と感じた。
この辺の詳しい理屈は、爺ちゃんにも分からないらしい。
ただ、こういう話をしていたという。
その男は、多分、三名の女性を弔っていた者だった。
そのことで、三名の霊的な干渉を良くも悪くも受けていた。
しかし、私刑にかけられた後は、本人の無念も重なった。
それで、三名の祟りの呪物になったのではないか。
そういう感じの話だ。
髪を納めた箱の底
とにかく曾爺ちゃんは、その男の頭髪を一房だけ切り取った。
残りは全てカメに詰めて埋め直し、経をあげて供養した。
カメは、屋敷の納屋から出させた古いものを使った。
新しいものは、村に一つも売っていなかったそうだ。
供養といっても、成仏させた訳ではないらしい。
成仏させる訳にもいかなかったので、その地で安息できるように色々したようだ。
頭髪を切り取ったのには、理由がある。
業が深すぎる件なので、関わった自分への祟りもあると思ったからだ。
この男を、自分も供養しないと危ない。
そう考えたらしい。
曾爺ちゃんは、当代にこんな注意をして別れたそうだ。
あなたの直系は、子々孫々まで男の命日の供養を欠かさないこと。
三名の墓を除いた墓地にある他の墓を、村の近くに移すこと。
墓を移したら、誰も三名の墓に近づかないこと。
祟りや三名の霊が現れることがあったら、男の墓に供物を捧げ、助命の願をかけること。
曾爺ちゃんは、村にはあまり長居したくなかったそうだ。
旅費くらいにしかならない報酬を貰った。
そして来た時と同じように、地元の議員や有力者に挨拶を済ませてから、一人で家に帰った。
家に着いた曾爺ちゃんは、家族に髪を納めた箱を見せた。
そして、この話をしたそうだ。
もし自分が祟りで倒れた場合に、この髪の供養を続けて貰わなければならないから。
この件で、曾爺ちゃんが坊主を辞めなくてはならなかった理由も聞いている。
曾爺ちゃんがやった方法は、呪い返しに近い方法だった。
それがお偉いさんに知れた時に、世話になった上司の立場をかなり悪くしてしまった。
歴史物では、お偉い坊さんが権力者に頼まれて呪ったりする話がある。
下端の坊主が何かすると厳しいのかな、と俺は思う。
ここからは、爺ちゃんから聞いた話ではない。
俺が、自分の目で見ている話だ。
うちには、髪を納めた箱と一緒に、細い帳面が一冊ある。
年に一度、命日に蓋を開けて、髪の長さを測って書き込む。
始めたのは、曾爺ちゃん自身だ。
最初の行の日付は、村から帰った年の秋になっている。
去年、俺は初めてその役をやらされた。
物差しの当て方を、爺ちゃんに三回直された。
物差しは、曾爺ちゃんが使っていた竹のものだ。
目盛りが、二つ分だけ削れている。
「端から、まっすぐだ」
「曲げて測ると、次の年が分からなくなる」
測り終えて、俺は前の年の行を見た。
箱の中の髪は、いまも少しずつ伸びている。
帳面の数字は、七十年、一度も前の年を下回っていない。
土地に残ったものが人を連れていく話を読んだことがあるが、あれは人のほうが動いていた。
うちの場合は、動くのは箱の中だけだ。
建物のほうに何かが残っていた話とも、少し違う。
数字が動かなかった年は、一度もない。
一年でいちばん伸びたのは、曾爺ちゃんが亡くなった年だそうだ。
その行だけ、字が震えている。
書いたのは、当時まだ若かった爺ちゃんだ。
村がどこなのかは、爺ちゃんも教えてくれなかった。
ただ一つ、言われていることがある。
もし、どこかの村で人の顔が同じ方角を向いていたら。
その村には、入るなと。