
平成がはじまって二年目の、冬の話だ。
当時の私は三十代の半ばで、山あいの盆地の町で小さな時計店を営んでいた。
父から継いだ店だった。
町の名は伏せるが、三方を山に囲まれた、鍋の底のような土地だとだけ言っておく。
電車は通っておらず、峠を越えるバスが一日に四本あるきりだった。
朝は豆腐売りの鈴の音で始まり、夜は八時に商店街の灯りが落ちた。
静かな、音の少ない町だった。
だからこそ、時計屋という商売が成り立ったのだと思う。
冬になると、霧が深い。
夜明け前に立ちこめて、向かいの店の看板も見えなくなり、晴れるのは決まって昼前だった。
年寄りたちはそれを「湖霧」と呼んでいた。
湖などどこにもないのに、妙な呼び名だとは思っていた。
商店街には蕎麦屋と床屋と呉服屋があった。
呉服屋はとうに店を閉めて、隠居の老人が蔵の手入れだけをして暮らしていた。
時計店の仕事の中心は、分解掃除である。
機械式の時計をばらして油を差し、また組み直す。
細かい仕事だから、人も車も動かない夜明け前が、いちばん捗った。
店の壁には、修理を終えた柱時計が二十挺ばかり掛かっている。
振り子の音は一つずつ癖があって、揃うことはまずない。
柱の傾きや床の湿りで、拍というものは必ずずれる。
それが職人としての私の常識だった。
冬は、時計のよく狂う季節でもある。
油が固くなり、金属が縮むからだ。
持ち込まれる時計は増え、夜明け前の作業台に向かう時間は自然と長くなっていた。
恩師の話をしておきたい。
中学時代の理科の教員で、名を仮に篠田先生としておく。
星の好きな人だった。
授業そっちのけで月の話ばかりして、教頭に叱られているような人だった。
退職してからも月に一度は店に来て、古い懐中時計の油を差させながら、観測の話をしていった。
「時計と星は同じ商売だよ」というのが口癖だった。
どちらも、狂いを数える仕事だからだそうだ。
先生は裏山に、小さな観測小屋を持っていた。
冬の晴れた夜は、そこで夜明かしをしていたらしい。
「夜明け前が、いちばんよく見える」と言っていた。
今にして思えば、あれは星の話だけではなかったのかもしれない。
「この盆地は音がよく澄む」とも、よく言っていた。
「水の中で聞いているようだ」と。
父が失くした懐中時計の話を、私は先生に冗談半分にしたことがある。
私が子供の頃、父は銀側の懐中時計を町のどこかで落とし、とうとう出てこなかった。
川さらいの日に、町の衆が総出で探してもくれたそうだが、出なかった。
父は晩年まで、時折その話をした。
「あれだけは、どこへ行ったか分からん」と。
先生は笑って、物は失せるのではなく置き場所が変わるだけだ、と言った。
妙な言い方をする人だと、その時は思っただけだった。
その先生が、三年前の冬に静かに眠りについた。
形見分けの席で、私は先生の観測手帳を一冊もらった。
黒い布張りの、角の擦り切れた手帳だった。
頁の端は、何度も指で繰ったように黒ずんでいた。
※
最初の違和感は、時計の音だった。
夜明け前のほんの数秒、店中の時計の音がぴたりと揃うことがあった。
二十の振り子が、示し合わせたように同じ拍を刻む。
揃うといっても、十秒かそこらのことだ。
すぐにまた、ばらばらにほどけていく。
職人の耳には、それがどれほどあり得ないことか分かる。
はじめは疲れのせいにした。
だが気味が悪いというより、腑に落ちなかった。
時刻を控えるようになって、気づいたことがある。
揃うのは、いつも四時十九分だった。
そして揃う朝は、決まって湖霧の深い朝だった。
二つ目の違和感は、先生の手帳にあった。
観測記録の後ろに、星と関わりのない頁が挟まっていた。
「耳澄まし」と表題があった。
手順らしきものが、箇条書きで並んでいた。
夜明け前、灯りを一つに絞ること。
息を浅くして、部屋の音がひとつに揃うのを待つこと。
揃ったら、その音の奥を聞くこと。
奥、という言葉にだけ、傍点が振ってあった。
そして頁の隅に、先生の癖のある字で一行だけ強く書いてあった。
「数えるな。聞くだけにすること」
何のことか、その時の私にはまだ分からなかった。
一度だけ、手帳の手順を途中まで試したことがある。
灯りを一つに絞り、息を浅くして、音の揃うのを待った。
揃いかけたところで、店の電話が鳴った。
間違い電話だった。
受話器の向こうは長いこと無言で、ずっと遠くで、水の音だけがしていた。
三つ目は、床屋でのことだ。
月に一度、私は商店街の床屋で髪を刈ってもらう。
世間話の切れ目に、主人が鏡越しにふと言った。
「あんた、朝方に耳ぃ澄ましたりしなさんなよ」
どういう意味かと聞き返すと、主人は鋏を動かしたまま、なんでもない、と笑った。
「この町の年寄りの言い草だよ」
「霧の朝に耳を澄ますと、湖の水音が聞こえるんだと」
湖なら、そもそもこの盆地にはない。
その時は、そう思った。
四つ目は、山裾の神社である。
正月の挨拶に出向いた折、社務所に貼られた由緒書きを何気なく読んだ。
この盆地は、遠い昔、湖だったと書いてあった。
水が引いたあとに人が入り、宮を建てたのだという。
例祭の名は「音返し」といった。
二月の夜明け前、鈴と太鼓を北の山に向かって鳴らし、最後に氏子全員で耳を塞ぐ。
子供の頃から変わった祭だとは思っていたが、由緒書きには理由まで書いていなかった。
老いた宮司に尋ねると、宮司は少し困った顔をした。
「借りた音を、返すのだそうですよ」
誰から借りたのかは、伝わっていないと言った。
五つ目は、蕎麦屋の主人から聞いた。
若い頃、仕込みの水を汲みに夜明け前の井戸へ出て、水音を聞いたのだという。
「井戸の中からじゃなかった」
「町の下の、もっと深いところから聞こえた」
主人はそれきり、夜明け前に井戸へ行くのをやめたそうだ。
小さな違和感は、ほかにもあった。
霧の朝に、商店街の犬が一斉に北の山を向いて座っていたことがある。
蕎麦屋の出汁の匂いが、水草のような匂いに変わる朝もあった。
一つずつなら、気のせいで済む話ばかりだった。
その冬は、湖霧の朝が続いた。
時計の音は、三日にあげず揃うようになった。
四時十九分が近づくと、店の空気がすっと薄くなる気がした。
一月の末の朝だった。
私は作業台で、先生の形見の懐中時計を開けていた。
手をつけるのが、ずっと億劫だった時計である。
香箱を外したところで、壁の時計が揃い始めた。
こつ、こつ、と二十の音が一つに重なっていく。
手帳の一行が頭をよぎった。
数えるな、と書いてあった。
だが職人の性というのは度し難い。
気がつくと、私は揃った拍を数えていた。
一つ、二つ、三つ。
十を数えたあたりで、音の景色が変わった。
二十の音が、一本の太い音になった。
電燈の灯りが、水飴のように横へ伸びた。
作業台の木目が、ゆっくりと流れ出した。
墨を水に落としたときのように、部屋中の色が渦を巻いた。
椅子から立とうとしたが、胸から上が先に浮いて、床の感覚がなかった。
怖い、と思う間もなかった。
私はその渦の中へ、沈むように吸い込まれた。
※
気がつくと、白と藍の縞の中にいた。
縞はゆっくりと渦を巻き、伸び、ちぎれ、また繋がった。
墨流しの模様の中に、放り込まれたようだった。
上下の感覚はなかった。
足元というものが、そもそもなかった。
そして、音がなかった。
あれほど耳にまとわりついていた時計の音が、一つも聞こえなかった。
自分の息の音さえ、聞こえなかった。
どれほど漂ったのかは分からない。
やがて縞の合間に、丸いものがいくつも浮かんでいるのが見えた。
近づくと、それは手水鉢ほどの大きさの、水を湛えた鉢だった。
数えきれないほどの鉢が、暗い縞の間にぽつぽつと浮かんでいた。
鉢は、どれも中身が違った。
隣の鉢には、雪をかぶった知らない村が沈んでいた。
別の鉢には、誰もいない駅のホームが沈んでいて、立て札の文字までは読めなかった。
いちばん近くの鉢を覗き込んで、私は息を呑んだ。
水の底に、町があった。
見覚えのある商店街の瓦屋根が、静かな水の底に並んでいた。
神社の鳥居も、蕎麦屋の暖簾も、私の店の看板も見えた。
町はまるごと、湖の底にあった。
水面のすぐ上には、見慣れた北の山が浮かんでいた。
思わず手を伸ばし、その水を掬おうとした。
「掬うな」
声は、すぐ後ろからした。
振り向くと、篠田先生が立っていた。
眠りにつく前と同じ、灰色の外套を着ていた。
私はその場に座り込んだ。
懐かしさと心細さが一度に来て、しばらく言葉にならなかった。
「先生」
ようやく、それだけ言った。
先生は困ったように首を振った。
「その名で呼ぶのは、少し違うな」
「あなたは、篠田先生でしょう」
「お前に馴染みの深い姿が、こちらの側からはこう映る、というだけのことだ」
声も、眼鏡の傾きも、湯呑みを持つときの指の癖まで、先生そのものだった。
それだけに、その言葉は薄ら寒かった。
「ここは、どこなんですか」
「お前の言葉で言うのは難しい」
「距離や大きさや時間の決まりが、お前の側とは違う」
「それだけの、同じ世界だよ」
私は目の前の鉢を指した。
「これは、私の町ですか」
「そうだ」
「どうして、水の底にあるんです」
「こちらの決まりでは、あの土地はまだ湖なのだよ」
水が引いたのではない、とそれは言った。
水は、しまわれたのだ。
私は、盆地の北の山を思い浮かべた。
「では、あの山は」
「あれは山じゃない、蓋なんだよ」
蓋、と私は繰り返した。
「湖をしまった上に、置いてあるものだ」
「お前の町の宮が、音を返しているだろう」
「あれは蓋の目方を保つための、古い約束ごとだ」
「では、あの朝の霧は」
「合わせ目から、こちらの水が少し漏れる」
「お前たちはあれを、霧と呼んでいるだけだ」
湖霧という呼び名を、私は思い出していた。
「四時十九分に、何があるんですか」
「こちらの朝と、お前の側の朝が、いちばん近づく時刻だ」
「近づけば、音は揃う」
説明になっているようで、なっていなかった。
それでも、それ以上聞いてはいけない気がした。
音返しの祭を、なぜ知っているのか、とはもう思わなかった。
少し離れた縞の奥に、水のない鉢が一つだけあるのが見えた。
空の鉢は、内側が白く乾いていた。
「あれは」
「しまい損ねたところだ」
それきり、そのことは教えてくれなかった。
「湖には、誰か住んでいたんですか」
それは、少しのあいだ黙った。
「ミナワ、と呼ばれていたものたちがいた」
水泡と書いて、みなわと読む古い言葉がある。
「耳澄ましは、もともと彼らの話し方だ」
「水の中では、声より先に、音の揃いで語り合う」
「よく揃う耳は、こちらでは同じ仲間として数えられてしまう」
数えられたら、どうなるのですか、と聞いた。
それは答えず、鉢の水面を静かに見ていた。
「迎えが来る前に、帰りなさい」
それだけを言った。
そう言われた途端、縞の奥で、何かがゆっくり動いた気がした。
目を凝らすと、遠くの鉢と鉢のあいだを、影のようなものがいくつも渡っていた。
魚の群れのようでもあり、人の列のようでもあった。
こちらへ向かっているのかどうかは、分からなかった。
ただ、見てはいけないものだという気だけがした。
帰り際、私は往生際悪く尋ねた。
「これが夢でないという証しが、何かありますか」
それは、わずかに笑ったように見えた。
「二軒隣の呉服屋に、蔵があるだろう」
「階段の下の、いちばん暗いところが光って見える」
「お前の探しものは、そこにある」
探しものに、心当たりはなかった。
それでも黙って頷いた。
「もう、耳を揃えるな」
「それから、ここのことは、なるべく思い出すな」
最後に、一つだけ聞いた。
「先生の手帳に、耳澄ましの頁がありました」
「あの人も、ここへ来たんですか」
長い間があった。
「帳面の男には、別の懐かしい顔で会った」
その答えの意味を考える前に、胸から足へ抜けるような浮遊感が来た。
気がつくと、作業台に突っ伏していた。
壁の時計の音は、ばらばらにほどけて戻っていた。
窓の外はまだ暗く、針は四時二十六分を指していた。
渦に呑まれてから、七分しか経っていなかった。
※
日が昇るのを待って、私は呉服屋の隠居を訪ねた。
蔵の階段の下を見せてほしいと頼むと、隠居は怪訝な顔をしながらも通してくれた。
階段下の暗がりには、行李や火鉢が押し込まれていた。
いちばん奥に、新聞紙の包みがあった。
新聞紙の包みの中から、父の懐中時計が出てきた。
銀側の、蓋の裏に父の名が彫ってある、あの時計だった。
包んでいた新聞は、私が生まれるより前の日付だった。
隠居は時計を手に取って、長いこと首をかしげていた。
「この蔵に、よその家の時計が入る道理がないがなあ」
道理がないのは、私がいちばんよく分かっていた。
父がこの時計を落としたのは、蔵の建て替えよりずっと後のはずだった。
時計は、油の切れたまま、四時十九分で止まっていた。
二月、私は生まれて初めて、音返しの祭を最初から最後まで見た。
夜明け前の境内で、宮司が北の山へ向けて太鼓を打つ。
その拍が、あの朝に揃った時計の拍と同じであることに、私は気がついた。
最後に氏子がいっせいに耳を塞ぐのを見て、私も黙って耳を塞いだ。
塞いだ手のひらの奥で、遠い水音を聞いたような気がした。
気のせいだと、今でも思うことにしている。
春になって、私は峠向こうの町の図書館で郷土誌を繰った。
明治の頃に写されたという古い絵図が載っていた。
盆地は、絵図の中でも盆地だった。
ただ、隣の谷に「早瀬」という村の名が書いてあった。
今の地図に、その名はない。
司書に尋ねても、そんな村は聞いたことがないと言われた。
帰り道、峠の途中で足を止めて、隣の谷を見下ろした。
早瀬という名の通り、水のよく流れる谷だったのだろう。
谷には、白く乾いた石の川原だけがあった。
私は、内側の白く乾いたあの空の鉢を思い出して、それきり考えるのをやめた。
次の月、床屋の椅子で、私はあの朝のことを話した。
誰かに話さずには、いられなかったのだ。
主人は鋏を止めなかった。
驚きも、しなかった。
「わしも若い頃、あっちに行った」と、主人は鏡を見たまま言った。
主人のときは、先代の親方の姿をしたものが出てきたそうだ。
「二度と耳を揃えるなと、わしも言われたよ」
「それからは、朝方は必ず鼻歌を歌うことにしとる」
音を、揃えさせないためだそうだ。
笑い話のような口ぶりで、鏡の中の主人の目は、笑っていなかった。
白状すると、私はそれから一年ばかり、幾度も耳を澄ました。
あの場所に、もう一度行きたかったのだと思う。
帳面の男に会ったという「別の懐かしい顔」が、誰の顔なのか、確かめたかった。
だが時計の音は、あれきり二度と揃わなかった。
揃いかけると、どこかで必ず一挺だけ、わずかに拍を外した。
まるで、誰かに外させているようだった。
次の正月、私は宮司に、祭の太鼓の拍のことを尋ねてみた。
宮司は少し黙ってから、言った。
「拍を変えてはならんと、それだけは代々やかましく言われております」
誰に言われたのかは、宮司も知らないのだった。
先生の手帳は、今も店の抽斗にある。
あの朝のあとで、最後の頁を初めて開いた。
鉛筆で、盆地の絵が描いてあった。
北の山があり、宮があり、商店街の並びがあった。
そして町のあるべきところだけが、細かい波の線で埋め尽くされていた。
頁の隅に、小さく日付があった。
先生が戻らぬ人となる、ひと月前の日付だった。
床屋の主人は、五年ほど前に店を畳んだ。
湖のある土地の、娘の家に身を寄せると言っていた。
一度だけ、葉書が来た。
差出人の住所は、書いていなかった。
「こっちの湖は、水がぬるい」
それだけ、書いてあった。
消印は、読めないほど薄かった。
娘さんの住む町の名を、私は聞きそびれたままだった。
私は今も、同じ店で時計を直している。
壁には、二十挺の柱時計が掛かっている。
夜明け前、二十の音がいっせいに揃いかける朝が、年に幾度かある。
決まって、湖霧の深い朝である。
そういう朝は、やかんを火にかけ、わざと蓋を鳴らして湯の沸くのを待つ。
四時十九分は、そうしてやり過ごす。
父の懐中時計には、あれから油を差していない。
針は、あの時刻を指したまま止まっている。
直そうと思えば、直せる。
直さないでいるのは、職人の勘のようなものだ。
先生の言った通り、物は失せるのではなく、置き場所が変わるだけなのだろう。
だとすれば、しまわれた湖も、ミナワも、まだどこにも失せてはいないことになる。
私はそのことを、なるべく考えないようにしている。
そして時計の音は、決して数えないようにしている。