鉱山の縦坑へ渡すもの

暗い鉱山の中の静けさ

もう四十年以上も昔の話になる。

私が二十歳になったばかりの頃、東北の山にある銅山で働いていた。

山の名は伏せておく。

今はもう坑口も塞がれ、飯場の跡も杉に覆われて、地図からも消えている。

それでも、あの場所を口にすると、いまだに喉の奥が乾く。

私は三男坊で、田畑を継ぐ口もなく、十六で山へ上がった。

はじめは選鉱場で女衆に混じって鉱石を選り分け、十八で坑内に入れてもらった。

運搬夫という役だ。

掘り子が叩き出した鉱石やズリを、トロッコに積んで坑外へ押し出す。

暗くて、湿っていて、坑木の軋む音が一日じゅう頭の上で鳴っていた。

坑の中は、夏でもひやりと冷えていた。

汗が乾くと、背中に山の冷気が貼りついた。

カンテラの灯は心もとなく、少し先はもう闇に溶けていた。

落盤で坑木がたわむと、坑全体が低く呻いた。

その呻きに、私たちは毎日、命を預けていた。

同じ年に山へ上がった、留吉という男がいた。

麓の隣村の生まれで、私と同い年で、よく気の合う相棒だった。

坑では組になって、私が押すトロッコに、留吉が鉱石を積んだ。

夜は同じ蒲団の並びで、里に残してきた娘の話を、飽きもせず聞かされた。

あいつがいたから、私は山の暮らしに、はやく馴染めたのだと思う。

それでも里に比べれば、銭まわりはずっと良かった。

月に一度は麓の町へ下りて、銭湯に浸かり、丼を二杯食べた。

そういう暮らしだったから、私は山に不満などなかった。

山には、麓とは違う時間が流れていた。

日が稜線に隠れるのは早く、夕暮れはあっという間に闇になった。

飯場には三十人ほどが寝起きし、夜は碁を打つ者、繕い物をする者で賑わった。

だが、日が落ちてからは、誰も坑のほうへは近づかなかった。

山では、夜の坑は人の領分ではない、とされていた。

その掟を、私は最初、ただの用心だと思っていた。

今になって思えば、あれは用心ではなく、掟であり、祈りでもあった。

夜の坑に近づかないことが、山と人との、ぎりぎりの約束だったのだ。

飯場頭は庄助さんという、五十がらみの男だった。

片方の耳がつぶれていて、若い頃に落盤をくぐった人だと聞いた。

言葉は少ないが、坑のことなら何でも知っていて、掘り子も親方衆も、この人には頭を下げた。

庄助さんの下に、杢造さんという古参がいた。

この人も無口で、いつも煙草を口の端で湿らせていた。

私はこの二人に使われて、夜の細かな用を言いつけられることが多かった。

山には、坑がいくつもあった。

私たちが掘っていたのは新しい坑で、奥へ行くほど鉱脈が痩せていた。

その新坑のさらに奥に、古い坑があった。

戦の頃に軍が掘らせた坑だという。

軍は銅のほかに、何か別のものも掘らせていたらしい、と古老は言葉を濁した。

古坑のことを、掘り子たちは『軍の穴』と呼んでいた。

戦の頃、若い衆が大勢、麓から駆り出されて掘らされたという。

何を掘っていたのかは、掘った当人たちも知らされなかったらしい。

坑が深くなるにつれ、人が一人、また一人と、山から下りなくなった、とも聞いた。

戦が終わると、軍はその穴を捨てて、麓から消えた。

残されたのは、坑口の柵と、土に染みついた言い伝えだけだった。

その古坑へ通じる枝道の入口には、太い坑木で組んだ柵があった。

「あすこは入るな」

山へ上がった初日に、庄助さんからそう言われた。

理由は教えてくれなかった。

ただ、声の低さで、それが冗談でないことだけは分かった。

私は素直な質だったから、入るなと言われた所へは近づかなかった。

だが、奇妙なことに気づいてはいた。

月に一度か二度、決まって新月の晩に、親方衆だけが奥へ入っていくのだ。

掘り子は連れていかない。

庄助さんと杢造さん、それに年寄りの親方が二人ほど、提灯を提げて柵の奥へ消える。

朝にはもう、何ごともなかったように坑へ下りている。

飯場の誰も、それを口にしなかった。

訊いてはいけないことだと、皆が体で覚えているふうだった。

異変というほどのものではない。

だが、いま振り返れば、小さな綻びはいくつもあった。

ひとつは、山に上がってくる「客」のことだ。

鉱山には、月に何度か麓から人が荷を担いで上がってくる。

米や味噌や、坑で使う道具を運ぶ人夫たちだ。

その人夫に混じって、たまに見慣れぬ男が一人、山に着くことがあった。

荷を持たず、案内の者に挟まれるようにして、飯場には入らず、親方の小屋へ通される。

そして翌朝には、もういない。

麓へ下りる道で会うこともなかった。

私は最初、博打の借りでも背負った男が、山で稼いで帰るのだろうと思っていた。

あるとき、留吉が、その男たちのことを気にしていた。

「なあ、あの客な。上がってくるとこは見るのに、下りてくとこを、誰も見てねえ」

言われてみれば、その通りだった。

麓へ続く道は一本きりで、私たちは毎月そこを下りていた。

なのに、あの男たちと、すれ違ったことが一度もなかった。

「別の道でもあるんだべか」

留吉はそう言って笑ったが、その目は、笑っていなかった。

私たちは、それきり、その話をしなくなった。

ふたつめは、古老の話だった。

飯場にトメさんという、もう坑へは下りない年寄りがいた。

飯炊きと薪割りで食わせてもらっている、山の生き字引のような人だ。

ある雪の晩、囲炉裏端で、トメさんがぽつりと言った。

「お山はな、ときどき、人を一人欲しがるのよ」

私が黙っていると、トメさんは火箸で灰を均しながら続けた。

「昔から、痩せた年は、山の底へ一人渡したもんだ。そうすると、また鉱脈が太る」

「渡す、というのは」

「向こうへ、ということよ。生きたまま、お山の底へな」

トメさんはそれきり口を閉じて、私が何を訊いても、もう答えなかった。

作り話だと思った。

山にはそういう怖い話が、いくらでも転がっている。

だが、その晩を境に、トメさんは私に、少しずつ昔のことを漏らすようになった。

山にはかつて、麓の寺から坊主が上がってきて、年に一度、坑口で経をあげる習わしがあったという。

その習わしも、戦の前に絶えた。

坊主が、二度と山へ上がらなくなったからだ。

理由を訊くと、トメさんは『下の経は、もう底には届かんとさ』とだけ言った。

底、というのが何を指すのか、そのときの私には分からなかった。

トメさんはまた、こんなことも言った。

「山が一人渡すとな、その年は、誰も坑で怪我をせん。落盤も起きん」

「その代わり、渡しそびれた年は、坑がいくつも崩れて、人がまとめて持っていかれる」

だから、痩せた年ほど、親方衆は急ぐのだ、と。

私は、背筋が寒くなった。

その年が、まさに、ひどく痩せた年だったからだ。

だが、その晩から、私は親方衆が新月に奥へ入る理由を、考えるようになった。

みっつめは、音だった。

坑の奥で鉱石を積んでいると、足の下から、低い音が伝わってくることがあった。

地鳴りとも違う。

水の落ちる音とも違う。

何か大きなものが、ゆっくりと寝返りを打つような、そういう鈍い響きだった。

古参の掘り子に訊くと、「地下水だべ」と言って、目を合わせなかった。

だが、地下水にしては、その音には、息遣いのような間があった。

満ちて、引いて、また満ちる。

まるで、深い眠りの底で、大きなものが寝息を立てているようだった。

私はそれを聞くたびに、トロッコを押す足が、ひとりでに速くなった。

留吉も、同じ音を聞いていた。

あいつは、その音がする日は、坑の奥へは行きたがらなかった。

「あれは、山の腹の音だ」

留吉は、本気の顔で、そう言った。

よっつめは、庄助さんの掌だった。

あるとき、庄助さんがランプを掲げた拍子に、袖がまくれて、手首から先が見えた。

掌のひらに、古い火傷とも痣ともつかぬ、白い斑が広がっていた。

杢造さんの掌にも、同じ白い斑があった。

その斑は、肌が白く抜けたようで、灯にかざすと、わずかに光って見えた。

掘り子の中には、その印を見ると、そっと手を合わせる者もいた。

奥へ入る親方衆には、皆その印があるのだと、後で知った。

その年は、雪解けが遅く、鉱脈がひどく痩せた年だった。

掘り子の取り分が減り、飯場の空気は重かった。

そして、また新月が近づいていた。

ある晩、私は庄助さんに小屋へ呼ばれた。

「明日の晩、奥の用を手伝え」

はじめてのことだった。

私は嬉しさよりも先に、背中を冷たいものが這うのを感じた。

なぜ、よりによって自分なのか。

掘り子なら、ほかにいくらでもいる。

だが、断れば、もう山にはいられない。

そういう類の頼みだと、声の重さで分かった。

私は、うなずくしかなかった。

「掘り子には言うな。お前が、いちばん口が固いと見込んだ」

庄助さんはそう言って、私の掌に古い鍵を二本、握らせた。

冷たい、ずしりと重い鉄の鍵だった。

翌晩は、墨を流したような闇だった。

提灯の灯が、足もとを丸く照らすだけで、一歩外は何も見えない。

庄助さんと杢造さん、それに年寄りの親方が一人。

そして私の四人で、柵の奥へ入った。

親方衆は、筵にくるんだ長い荷を、二人で担いでいた。

私はその荷を、初めて間近に見た。

米俵より重そうで、置くときの音が、俵とはまるで違っていた。

柔らかく、それでいて芯のある、いやな音だった。

古坑の中は、新坑とは造りがまるで違った。

坑木ではなく、切り石とコンクリで固められた、四角い通路だった。

壁には、ところどころ鉄の扉がついていた。

扉のひとつに、古い字で何か彫り込まれていた。

提灯を近づけると、「陸軍第八坑」と読めた。

信じられるだろうか。

私たちが掘っていたのは、ただの銅山のはずだった。

その地の底に、軍が遺した別の坑が、口を開けていたのだ。

通路は下りに下りた。

何十段あったか分からぬ石段を、私たちは黙って下りた。

石段は、人の手で削ったにしては、妙に揃っていた。

壁には、点々と、油の煤で黒ずんだ窪みがあった。

昔、ここに灯を掲げて、誰かが行き来していたのだ。

その誰かが、今どこにいるのかは、考えないようにした。

下りるほどに、空気が重く、生暖かくなっていった。

坑の冷気とは、まるで逆だった。

地の底へ近づくほど、何かの体温に近づいていくようだった。

親方衆は時おり立ち止まり、肩の荷を担ぎ直した。

そのたびに、荷が、かすかに身じろぎするように見えた。

気のせいだ、と私は自分に言い聞かせた。

重い荷を担げば、揺れるのは当たり前だ。

だが、石段を下りきった広間で、それは起きた。

杢造さんが足を滑らせ、荷の片端を取り落とした。

筵の口がほどけて、中から、人の顔が覗いた。

猿轡を噛まされた、中年の男だった。

麓から山に着いて、翌朝にはいなくなる、あの「客」の一人だった。

男は、生きていた。

目を見開いて、私を見ていた。

私は、その場に縫いつけられたように動けなかった。

「縛り直せ」

庄助さんが低く言った。

杢造さんが筵を引き寄せ、男の肩を押さえて、また中へ押し込んだ。

男は唸り声をあげ、筵の中で激しく身をよじった。

庄助さんは、筵の上から、二度、三度と体を押さえつけた。

乱暴ではあったが、決して芯までは痛めぬ、加減した手つきだった。

「弱らせるな。向こうへ渡すまでは、息をさせておけ」

庄助さんの言葉の意味が、私には分からなかった。

渡すなら、なぜ生かしておく必要があるのか。

なぜ、息のあるまま、底へ落とさねばならぬのか。

考えると、足の裏から、悪寒が這い上がってきた。

男はやがて、力尽きたように動かなくなった。

そのとき、男の目が、もう一度こちらを向いた。

泣いているような、私に何かを乞うような、そういう目だった。

あの目は、今も瞼の裏に焼きついている。

私たちは、また狭い通路を進んだ。

右手は壁、左手には時おり、底へ下りる短い石段があった。

その一つの先に、鉄の扉があった。

扉にも、古い字で彫り込みがあった。

「第百二十六 渡井」

渡井、と書いて、わたい、と読むのだろうか。

渡す井戸、ということなのか。

その三文字を見た瞬間、トメさんの言葉が、耳の奥で甦った。

——お山はな、ときどき、人を一人欲しがるのよ。

私は、握った鍵を取り落としそうになった。

庄助さんが、私の握った鍵で、その扉を開けさせた。

中は、思いのほか広い、丸天井の部屋だった。

その真ん中に、井戸があった。

いや、井戸というより、底の知れぬ縦坑だった。

円い口に、重い鉄の盤が蓋をしていた。

盤の縁から鎖が伸び、天井の滑車を通って、もう一本の鎖になって垂れている。

「引け」

言われるまま、私は垂れた鎖を手繰った。

鎖が軋み、盤がゆっくりと持ち上がっていく。

円い闇が、口を開けた。

その闇から、生暖かい風が、ふうっと吹き上げてきた。

獣とも、土とも、古い水ともつかぬ、嗅いだことのない匂いだった。

甘く、それでいて、腐ったものとは違う、生き物の巣の匂いだった。

私は思わず袖で鼻を覆った。

庄助さんも杢造さんも、その匂いには、もう慣れているふうだった。

縦坑の縁には、何本も、太い縄を結びつけた跡が残っていた。

昔は、縄で吊るして、底へ下ろしていたのかもしれない。

今は、ただ落とすだけになったのだろう。

親方衆が、筵の荷を抱え上げ、縦坑の縁へ運んだ。

そして、底へ向けて、静かに落とした。

水音が、するはずだった。

だが、聞こえてきたのは、ぬかるみに何かが沈むような、湿った音だった。

枯れている。

この縦坑は、水が涸れている。

庄助さんが、私の提灯を顎で指した。

覗け、ということらしかった。

私は縁に膝をつき、提灯を底へ差し向けた。

灯は、はじめ底まで届かなかった。

目が慣れてくると、遠い底に、筵の白い色が、ぼんやりと浮かんで見えた。

そこへ、底から、白い手が伸びてきた。

細く、節くれだった、骨のような手だった。

続いて、つるりと白い頭が、筵の脇から起き上がった。

あの男は、髪のある人だった。

なのに、その頭には、一筋の髪もなかった。

頭がこちらを向いた。

目が、なかった。

くぼみでも、瞼でもない。

ただ、鼻の穴のような、小さな二つの穴があるだけだった。

その白いものの周りで、底の闇が、ゆっくりとうごめいていた。

一つではない。

いくつもの白いものが、底で身を起こし、筵のほうへ、にじり寄っていた。

その動きは、ひどく緩慢で、それでいて、迷いがなかった。

長いあいだ、そうやって、渡されるものを迎えてきたのだ。

筵の中の荷が、ひとつ、大きく身じろぎした。

まだ、息があるのだ。

生きたまま渡せ、という言葉の意味が、ようやく腑に落ちた。

あれは、息のあるものでなければ、受け取らないのだ。

白いものの一つが、その筵に、そっと手をかけた。

骨のような指が、筵の縄を、内側から解くように、たぐっていく。

私は、見ていられなくて、目を逸らした。

耳を塞ぎたかったが、手が、動かなかった。

底から、衣擦れのような、かすかな音だけが、上ってきた。

私は、声も出せなかった。

これに、生きた人を渡している。

涸れた縦坑の底に、生きたまま。

そういうことだったのか、と、頭の芯が冷たくなった。

庄助さんが、私の肩を掴んだ。

「閉めろ。見るな」

私は震える手で、反対の鎖を手繰った。

鉄の盤が、軋みながら、円い闇を覆っていく。

蓋が閉じる寸前、底から、ひとつの、長い吐息のような音が立ち上ってきた。

満ち足りた、というような響きだった。

帰り道のことを、私はよく覚えていない。

気がつくと、私は飯場の自分の蒲団の中で、夜着を握りしめていた。

翌朝、坑は何ごともなく動いていた。

庄助さんも杢造さんも、いつものように煙草を湿らせ、掘り子を坑へ下ろしていた。

私だけが、別の世界から戻ってきたようだった。

その年、痩せていた鉱脈は、嘘のように太った。

取り分は増え、飯場の空気は明るくなった。

皆が、良い年だと言って笑った。

私は、笑えなかった。

鉱脈が太るたびに、誰か一人が、あの底へ渡されたのだと、考えてしまうからだ。

麓から上がってきて、翌朝にはいなくなる「客」。

あれは、借りを背負った男ではなかった。

山が、欲しがった一人だったのだ。

留吉は、私よりも、ずっと早くそれを察していた。

あいつは、あの新月の晩から、めっきり口数が減った。

私が奥の用に呼ばれたことを、留吉は知っていたのだと思う。

何も訊かず、ただ、私の手をじっと見るようになった。

白い斑が出ていないか、確かめていたのだ。

夏の終わりに、留吉は里へ帰ると言って、山を下りた。

娘と所帯を持つのだと、嬉しそうに笑っていた。

だが、後で聞いたところでは、留吉は里へは帰っていなかった。

麓の道を下りる姿を、誰も見ていないという。

あの『客』たちと、同じだった。

私は今でも、あいつのことを思うと、胸が塞がる。

留吉が、山に欲しがられた一人でなかったと、いったい誰が言えるだろう。

その報せを聞いて、私は山を下りる肚を決めた。

病の母を見舞うという口実をつけて、二度と戻らなかった。

庄助さんは、引き止めなかった。

ただ、私の掌をしばらく見て、それから、ぽつりと言った。

「お前の掌には、まだ印がない。下りるなら、今のうちだ」

その意味を、私はずっと後になって悟った。

あの白い斑は、底のものに一度でも近づいた者に、ゆっくりと移っていくのだ。

私の掌に、斑は出なかった。

覗いただけで、渡す側には回らなかったからだろう。

それから数年して、その銅山は閉じたと聞いた。

鉱脈が尽きたのだという。

庄助さんも、杢造さんも、山が閉じる前に姿を消したと、人づてに聞いた。

麓へ下りた様子はなく、どこへ行ったのかは、誰も知らないという。

私は、なんとなく、分かる気がした。

印を負った者は、最後には、自分が渡る番になるのではないか。

あの満ち足りた吐息を、私はときどき、夢の中で聞く。

そのたびに、布団の中で、自分の両の掌を、灯にかざして確かめる。

白い斑が、出ていないかどうかを。

妻にも、子にも、この話だけはしなかった。

墓まで持っていくつもりだった。

だが、年を取るほどに、あの男が、私を見たあの目が、夜ごと瞼に浮かぶ。

乞うような、すがるような、あの目が。

私は、何もしてやれなかった。

ただ、見ていただけだった。

せめて、こうして書き残せば、あの目が、少しは報われるだろうか。

今のところ、私の掌は、ただの老人の掌だ。

だが、坑の塞がれたあの山の底で、白いものたちは、まだ涸れた縦坑にいるはずだ。

次に山が誰かを欲しがる日を、目のない顔を上に向けて、静かに待ちながら。

誰か、あの縦坑を探してはくれまいか。

そうして、底の蓋が、二度と開かぬよう、固く封じてやってほしい。

私はもう年だ。

あそこへ戻る力はない。

ただ、こうして書き残すことだけが、私にできる、たった一つのことだった。

もし、この拙い書き物が、いつか誰かの目に留まったなら。

どうか、面白半分に、あの山へ立ち入らないでほしい。

塞がれた坑の、そのまた底で、目のないものたちは、今も静かに待っている。

次に山が痩せる年を、ただ、待っている。

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