木守りを絶やした村の声

静かな夕暮れ時の田園風景

その年の秋、村の柿の木には、実が一つも残っていなかった。

私が最初に書き留めたのは、そのことである。

昭和四十四年の十月、私は二十六だった。

県の保健所から、信州の山あいにあるその村へ、駐在保健婦として派遣された。

任期は二年と決まっていた。

村は、標高八百ほどの谷の斜面に貼り付いていた。

家は四十戸に満たない。

谷底から尾根に向かって、棚田が階段のように積み上がっている。

段の数を数えたことがある。

七十三段あった。

私の仕事は、その七十三段の斜面に散らばった家を、一軒ずつ回ることだった。

乳児の体重を量り、年寄りの血圧を測り、結核の検診を勧める。

そして、見たことを記録する。

保健婦は、記録する職業である。

私はそのことを、赴任してすぐに叩き込まれた。

感じたことではなく、見たことを書け、と。

だから私は、見たことだけを書く。

これから書くことも、そういうものだと思っていただきたい。

村は、朝と夕方で匂いが変わった。

朝は水の匂いがした。

谷の底を細い川が流れていて、その音が、尾根の上まで届いた。

夕方は煙の匂いになった。

どの家も、まだ竈を使っていた。

歩いていると、七十三段のどこかから、必ず薪の爆ぜる音がした。

静かな村だった。

村に入って三日目に、私は柿の木に気がついた。

家の裏手や、畑の隅に、必ず一本ずつ立っている。

葉はもう落ちかけていて、実だけが橙に灯っていた。

きれいだと思った。

けれど、次の週に同じ道を回ったときには、どの木にも実が無かった。

一つも無かった。

私の生まれは、隣県の、やはり山に囲まれた在所である。

そこでは、柿を全部は捥がない。

必ずいくつか、木に残す。

木守りという。

来年もまた実ってくれるように、という願いだと、祖母から聞かされていた。

鳥のために残すのだ、と言う者もいた。

どちらでもよかった。

とにかく、木に何も残っていないという景色を、私はそれまで見たことがなかった。

だから、家庭訪問の帰りに、畑にいた年寄りに尋ねた。

この村では、木守りは残さないのですか、と。

年寄りは、鍬を止めた。

そして、私の顔ではなく、私の肩の向こうを見た。

「なんの話だね」

木守りです、と私は言った。

柿を、いくつか木に残しておく風習です。

年寄りは、しばらく黙っていた。

それから、鍬を担いで畝を跨いだ。

「そんなものは、この村にはねえ」

私はそれを記録した。

「木守りの風習なし」と、三行目に書いた。

村の家を回るうちに、私は同じことを何度か尋ねた。

尋ね方は変えた。

柿は全部捥ぐのか、と聞いたり、鳥に残さないのか、と聞いたりした。

返ってくる答えは、判で押したように同じだった。

そんなものは知らない。

聞いたこともない。

四十戸に満たない村の、誰一人として、木守りを知らなかった。

歩いて二時間の隣の村では、誰もが知っていた。

私はそれも記録した。

記録したが、意味は書かなかった。

意味を書くのは、保健婦の仕事ではない。

村の上手、七十三段の棚田の一番上に、一軒だけ大きな家があった。

屋号を「上の家」といった。

三百年、この谷の水の順番を決めてきた家だと、駐在の巡査が教えてくれた。

水の順番を決める家は、村で一番強い家である。

当主は、トヨさんという八十を越した女だった。

夫は十年前に向こうへ渡り、息子夫婦は町に出ている。

広い家に、一人で住んでいた。

血圧が高いので、私は週に一度、上の家に上がった。

トヨさんは、私を嫌がらなかった。

村の年寄りは、たいてい保健婦を嫌う。

若い娘が上がり込んで、塩を減らせ、酒を減らせと言うからである。

トヨさんは、言われた通りにした。

味噌汁を薄くし、漬物を減らした。

そして、私が帰るときには、必ず柿を持たせようとした。

干し柿である。

軒に、縄が何本も下がっていた。

一本の縄に、十個ずつ吊るしてある。

それが十数本、ずらりと並んでいた。

壮観だった。

私は一度、数えたことがある。

どの縄も、きっちり十個だった。

一つも欠けていなかった。

十月の半ば、分教場の裏で、女の子が三人、手毬をついていた。

子どもの遊びは、保健婦の記録の対象になる。

体を動かしているかを見るためである。

私は立ち止まって、それを書き留めた。

数え唄だった。

「ひとつ のこせば とりが くる」

「ふたつ のこせば かぜが やむ」

「みっつ のこせば ……」

そこで、唄が止まった。

子どもたちは、また一つ目に戻った。

「ひとつ のこせば とりが くる」

何度聞いても、同じところで戻った。

三つ目から先は、誰も知らなかった。

私は、その子の母親に聞いた。

あの唄は、何を残すのですか、と。

母親は、洗い物の手を止めた。

「知らんです」

唄の続きは、と私は聞いた。

「無いです」

無い、と言った。

忘れた、ではなかった。

私は、そこを書き分けて記録した。

保健婦は、言われた言葉をそのまま書く。

十月の半ばに、私は上の家の間取りを図に起こした。

保健所に出す家庭訪問の書式に、間取り図の欄がある。

伝染病が出たときに、隔離できる部屋があるかを見るためである。

私は玄関から順に、部屋を数えた。

八つあった。

縁側が二つあるのが、妙だと思った。

表の縁側と、裏の縁側である。

裏の縁側は、板が黒く、雨戸が閉め切られていた。

図に起こしてから、私は村役場で古い図面を借りた。

昭和の初めに、税のために作られた図面である。

上の家の欄を開いた。

部屋は、七つだった。

私は数え直した。

やはり、七つだった。

私が数えたのは、八つである。

はじめは、自分が納戸を数え忘れたのだろうと思った。

そうではないことに気づくのに、少し時間がかかった。

私は、納戸を数えていた。

数えていて、八つだったのだ。

私は、記録に一行だけ書いた。

「この家には、図面より部屋が一つ多い。」

書いてから、消さなかった。

保健婦は、見たことを書く。

その部屋は、台所の奥にあった。

納戸である。

私は一度だけ、戸を開けたことがある。

荷物が山のように積んであった。

米櫃、行李、藁縄の束、割れた臼。

天井まで積んであって、人が入れる隙間はなかった。

その荷物の向こうに、襖があるのが見えた。

古い襖だった。

紙は茶に焼けて、下のほうが破れていた。

荷物は、その襖の前にだけ、積んであった。

意図して積んであるのだと、今の私は思う。

当時は思わなかった。

暗くて、埃くさくて、私はすぐに戸を閉めた。

トヨさんが、台所から出てきた。

「そこは、開けなさんな」

いつもの声だった。

叱る声ではなかった。

私は、はい、と答えた。

上の家で、私は何度か膳を出された。

断るのも角が立つので、いただいた。

トヨさんは、膳のどれにも、必ず一箸ぶん残した。

飯を一口、菜を一切れ、汁を一啜り分。

食が細いのだろうと、私は思った。

血圧の記録に、「食欲不振の疑い」と書いた。

書いたが、トヨさんは痩せていなかった。

顔の色もよかった。

私は、その一行を、あとで線を引いて消した。

十月の終わり、私は村役場の書庫で、古い綴りを見つけた。

村誌の草稿である。

戦前に、誰かが書きかけて、やめたものらしい。

天保の年のことが、二枚だけ書いてあった。

やませ、という言葉が出てきた。

夏に、冷たい風が何日も吹き続ける。

田は実らない。

山の木の実も落ちない。

天保七年、この谷では四十七人が戻らぬ人となった、とあった。

村の三分の一である。

その先は、破ってあった。

綴じ糸のところに、紙の耳だけが残っていた。

私はそれを、記録しなかった。

保健婦の書式に、天保の欄はない。

書庫を出るときに、役場の書記が私を見た。

「なにか、ありましたかね」

何も、と私は答えた。

書記は、それ以上聞かなかった。

聞かないことが、答えだった。

十月の末、駐在の巡査と、谷を見下ろす道で立ち話をした。

棚田は、もう刈り終わっていた。

株だけが、段々に並んでいる。

私は、水がきれいですね、と言った。

段のいくつかに、まだ水が残っているように見えたからである。

巡査は、私の見ている方を見た。

それから、少し間を置いて言った。

「棚田は、彼岸に水を落としてあります」

もう一月も前です、と巡査は言った。

私はもう一度、谷を見た。

株だけだった。

光の加減だったのだろうと思った。

巡査は、煙草に火をつけた。

そして、火をつけたまま、吸わずに立っていた。

十一月の三日である。

日付は覚えている。

記録に書いたからだ。

夕方、私は谷の下の家から、上の家へ登っていた。

日が尾根に隠れる少し前だった。

棚田の斜面が、一面に赤くなった。

私は足を止めた。

きれいだったからである。

そして、段の一つに、人が立っているのを見た。

真ん中である。

畦ではない。

段の、真ん中だった。

刈った株の上に立つのなら、足首まで埋まる。

その人は、埋まっていなかった。

浮いているのでもなかった。

立っていた。

水の上に立っているように見えた。

その段には、水が張ってあった。

ほかの段は、株だけである。

その段だけが、鏡のようだった。

人は、こちらを向いていなかった。

背中だった。

野良着のようにも見えたし、そうでないようにも見えた。

私は、目を離さずに数を数えた。

十まで数えた。

その間、人は動かなかった。

十一で、私は瞬きをした。

段には、株しかなかった。

水も、無かった。

私は上の家に着いた。

トヨさんは、土間に立っていた。

私が戸を開けるより先に、戸は開いていた。

トヨさんは、私の顔を見た。

そして言った。

「何も見なんだな」

私は答えなかった。

答えられなかった、というほうが正確である。

トヨさんは、もう一度言った。

「何も見なんだな」

声が、いつもと違った。

私は、見ました、と言った。

棚田に、人が立っていました、と。

トヨさんは、土間にしゃがみ込んだ。

倒れたのではない。

膝が抜けたように、ゆっくりとしゃがんだ。

そして、私の草履を掴んだ。

私はまだ、草履を履いていた。

半刻もしないうちに、村の男が四人来た。

駐在も来た。

誰も、私を叱らなかった。

叱られるほうが、まだよかった。

男たちは、土間に立ったまま、上がり框のトヨさんを見ていた。

誰も何も言わなかった。

駐在が、山向こうへ電話をかけに行った。

私は、座敷に座らされた。

膳が出た。

トヨさんが出したのではない。

近所の女が出した。

女は、私の顔を見ずに膳を置いた。

「食べときない」

私は、食べた。

味は覚えていない。

庵主が来たのは、翌日の午後である。

山向こうの庵から、四時間かけて歩いてきたという。

八十近い尼だった。

小さな人だった。

庵主は、まっすぐ納戸へ行った。

私も呼ばれた。

男たちが、荷物を運び出していた。

米櫃、行李、藁縄の束、割れた臼。

天井まで積んであったものが、全部出された。

襖が現れた。

襖は、閉まっていなかった。

三寸ほど、開いていた。

庵主が、私に言った。

「あんた、あの向こうに何があるか、聞きたいかね」

私は、はい、と言った。

言わなければよかったと、今も思う。

庵主は、襖を見たまま話した。

天保の年のことである。

やませが三年続いた。

田は実らず、山も実らなかった。

村の者は、柿を捥いだ。

木守りも捥いだ。

一つも残さなかった。

「残しておけば、鳥が来る」

庵主は、そう言った。

「鳥が来れば、種を落とす。種が落ちれば、来年、実がなる」

そして、こう続けた。

「残さなんだら、来年は来ん」

村は、来年を捨てたのである。

その秋に、最後の一つを落とした竹竿があった。

先に、鉄の鉤がついている。

枝を挟んで捻ると、実が落ちる。

その鉤で、村は木守りを一つ残らず落とした。

四十七人が戻らぬ人になったのは、その次の年である。

竹は、とうに朽ちた。

鉤だけが残った。

錆びて赤くなった鉤が、襖の向こうに転がっている。

上の家が、三百年、預かっている。

「こちらから開けることは、御祓いのときのほかは、無い」

庵主はそう言って、初めて私の方を見た。

「向こうから開くことは、たまにある」

庵主は、一刻ほど、襖の前で経を上げた。

私は座敷に戻された。

夕方、庵主が座敷に来て、私に言った。

「今夜、少しびっくりすることがあるかもしれん」

私は黙っていた。

「けれど、大丈夫だから、そこにいなさい」

そことは、どこですか、と私は聞いた。

「あんたの寝る部屋」

庵主は、私の目を見て言った。

「何が起きても、その場を離れなさんな」

私は、はい、と答えた。

素直に答えた。

ほかに答えようがなかった。

私が寝かされたのは、納戸の斜向かいの部屋だった。

なぜその部屋なのかは、聞かなかった。

聞ける空気ではなかった。

雨戸を閉めると、真っ暗になった。

軒の干し柿が、風で揺れる音がした。

コ、コ、コ、と、実が縄に当たる。

その音を聞きながら、私は目を閉じていた。

眠れるはずがなかった。

何時だったかは、わからない。

時計は持っていなかった。

壁の向こうから、声がした。

一人ではなかった。

「ひもじ……」

低い声だった。

「ひもじ……ひもじ……」

別の声が重なった。

「まんま……まんま……」

女の声もあった。

子どもの声もあった。

「まだ生きてぇ……」

「まだ、生きてぇ……」

声は、増えた。

壁の向こうから、床の下から、天井から。

四十七人だ、と私は思った。

思ってしまった。

そのうちの一つが、はっきりと言った。

「ひとつ……ひとつ残しとくれ……」

私は、動かなかった。

庵主の言葉を、口の中で繰り返した。

その場を離れなさんな。

離れなさんな。

離れなさんな。

子どもの声が、唄いはじめた。

「ひとつ のこせば とりが くる」

私は、目を閉じたままだった。

「ふたつ のこせば かぜが やむ」

息を止めた。

「みっつ のこせば ……」

そこで、止まった。

村の子と、同じところで止まった。

軒の音が、変わった。

コ、コ、コ、ではなくなった。

コ、コ、になった。

私は、雨戸の隙間を見た。

隙間から、月の光が細く入っている。

その光に、縄の影が映っていた。

干し柿の影が、並んでいる。

私は数えた。

九つだった。

きっちり十個のはずである。

私は数え直した。

八つだった。

数えるたびに、減った。

七つ。

五つ。

三つ。

音が、止んだ。

声も、止んだ。

縄には、干し柿が一つだけ残っていた。

私は、その場を離れなかった。

朝まで、離れなかった。

朝、雨戸を開けた。

軒の縄には、干し柿が十個、下がっていた。

きっちり十個だった。

一つも欠けていなかった。

庵主が、土間に立っていた。

私を見て、うなずいた。

「よう、こらえたな」

それだけ言って、庵主は山を越えて帰っていった。

その日から、村は元に戻った。

年寄りは鍬を担ぎ、女は漬物を漬け、子どもは谷を駆けた。

トヨさんは、いつも通り、膳を少し残した。

飯を一口、菜を一切れ、汁を一啜り分。

私は、それを見て、ようやくわかった。

トヨさんが膳に残していたのも、木守りだったのだと思う。

一つ残す。

この家は、三百年、それをやめなかった。

やめたのは、村のほうだ。

だから上の家が、鉤を預かっている。

そういうことなのだと、私は思っている。

確かめてはいない。

確かめる方法が、無い。

駐在の言葉を、私は何度も思い返した。

棚田は、彼岸に水を落としてある。

私が人を見たのは、十一月の三日である。

一月半、水は無かったはずである。

あの晩、水の無いはずの棚田に、水面があった。

私は、それを記録に書かなかった。

書式に、欄がない。

任期の二年が過ぎて、私は村を出た。

出る前に、もう一度、村役場で図面を見た。

上の家の部屋は、七つだった。

私は、自分の書いた家庭訪問の記録を出してもらった。

間取り図の欄は、白紙だった。

私が書いたはずの図が、無かった。

「この家には、図面より部屋が一つ多い」と書いた行も、無かった。

あの納戸は、はじめから図面のどこにも無かった。

書記は、私を見て言った。

「保健婦さん、書き忘れとるね」

そうですね、と私は答えた。

そう答えるしか、なかった。

十年ほど前、私は一度だけ、その村を訪ねた。

もう七十を越えていた。

村は、三十戸を切っていた。

私を覚えている者が、二人いた。

保健婦さん、と呼ばれた。

私は、上の家のことを聞いた。

上の家は、とうに無くなっていた。

トヨさんの息子が、更地にして売ったという。

私は、納戸のことを聞いた。

そんな部屋は無かった、と言われた。

私は、庵主のことを聞いた。

山向こうの庵は、戦後すぐに畳んだ、と言われた。

昭和四十四年に、庵主は歩いて来ましたよ、と私は言った。

二人は、顔を見合わせた。

そして、笑った。

「保健婦さん、よう覚えとるなあ」

覚えていることを、否定はされなかった。

ただ、無かったことにされた。

帰りに、私は畑の隅の柿の木を見た。

一本だけ、残っていた。

実は、一つも無かった。

十一月だった。

私は、その村のことを、誰にも話さなかった。

四十年、話さなかった。

保健婦を辞めてからも、話さなかった。

見たことを書く職業だったのに、あれだけは書かなかった。

書式に、欄がなかったからである。

いまはもう、書式もない。

だから、書いている。

私の家には、小さな庭がある。

柿の木が、一本ある。

秋になると、私は捥ぐ。

けれど、全部は捥がない。

私の庭の柿には、いつも一つだけ、実が残っている。

孫が、なぜ全部捥がないのかと聞く。

鳥のためだよ、と答える。

そう答えることにしている。

けれど、あの晩の声を、私は今も覚えている。

「ひとつ……ひとつ残しとくれ……」

あれは、ねだっていたのではないと思う。

教えていたのだ。

村が忘れたことを、四十七人が、まだ覚えている。

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