いちばん下の引き出しだけ取っ手がない

いちばん下の引き出しだけ取っ手がない

盆に帰省した姉と話していて、二十年ぶりにこの話になりました。

実家は、下関の海沿いにある二階建てです。

父は造船の下請けで、朝が早く、夜も遅い人でした。

居間には、母が嫁いできたときから同じ箪笥が置いてありました。

居間の箪笥は、いちばん下の引き出しだけ、取っ手が片方ありませんでした。

子どもの頃、私はそれを古いからだと思っていました。

けれど、ほかの引き出しの取っ手は、四つとも揃っています。

いちばん下の引き出しだけが、片方欠けていました。

あの家には、それが当たり前のようにありました。

取っ手のあった場所には、木のねじ穴だけが残っていました。

穴の底は、ささくれ立っていません。

工具でていねいに外した跡でした。

壊れて落ちたのなら、割れた金具が残るはずです。

そういうことを考えたのは、ずいぶん大人になってからです。

子どもの頃は、片方だけ持って引くのが当たり前でした。

斜めに開くので、いつも少し引っかかります。

母は、その引き出しをほとんど開けませんでした。

季節の入れ替えのときも、上の四段しか使いません。

だから私は、いちばん下は空だと思っていました。

一度だけ、開けようとしたことがあります。

母に見つかって、静かに閉められました。

叱られはしませんでした。

当時、姉は小学校の高学年で、私は低学年でした。

ある夜、親が二人とも留守にしていたことがあります。

父は夜勤で、母は祖父の見舞いに行っていました。

私たちは、二人で留守番をしていました。

夕飯は、母が作っておいた炊き込みご飯でした。

姉が温め直して、二人でテレビの前に運びました。

台所の窓からは、港の作業灯が見えていたのを覚えています。

船をたたく音が、夜でも遠くから届く町でした。

その音が止まると、家の中が急に静かになります。

港の作業が止まるのは、夜の十時前後です。

その日は、番組の途中で音が止まりました。

静かになった居間で、テレビの音だけが大きく聞こえました。

そのとき、見てはいけない番組を見てしまったのです。

ある人形を扱った、生放送の番組でした。

スタジオが騒然となったとか、細かいことは覚えていません。

けれど、人形の顔だけは、いまでもはっきりと浮かびます。

おかっぱの髪で、赤い服を着ていました。

画面越しに、目の位置が少しずれて見えました。

左右で高さが違うのです。

姉は「作りが悪いだけやろ」と言いました。

それでも、二人ともテレビを消せませんでした。

消すには、テレビの前まで行かなければなりません。

近づくのが、どうしても嫌だったのです。

結局、番組が終わるまで、私たちは離れた場所に座っていました。

見終わったあと、姉も私も、しばらく声が出ませんでした。

その晩から、私たちは二階の子ども部屋で寝られなくなりました。

母の布団にもぐりこんで、二人並んで寝るようになったのです。

母は何も言いませんでした。

ただ、電気を豆球にして、ふすまを少し開けておいてくれました。

母は、そのころ祖父の見舞いで疲れていました。

それでも、豆球のことは一度も忘れませんでした。

父は、「甘やかしすぎや」と言っていました。

そう言いながら、父も豆球を消しませんでした。

朝、出ていくときにも点いたままでした。

母は、それには答えませんでした。

一週間ほどで、恐怖は薄れました。

子どもは、忘れるのが早いものです。

私たちは、また二階で寝るようになりました。

そして、それが起こったのは、そのすぐあとでした。

三段目だけ鳴る階段

これは、姉から聞いた話です。

姉が眠っていると、真夜中に誰かが階段を降りていったそうです。

実家の階段は、下から三段目だけが必ず鳴ります。

だから、足音で誰かの見当がつく家でした。

父は体が重いので、三段目が大きく鳴ります。

母は軽いので、きしむだけです。

私は、いつも二段飛ばしで降りるので、鳴らないこともありました。

その癖は、いまも残っています。

実家に帰ると、無意識に三段目を飛ばしています。

姉は、それを見るたびに顔をしかめます。

「なんで飛ばすん」と、いまでも言われます。

理由は、私にも分かりません。

ところがその晩は、誰の足音か分からなかったといいます。

三段目は鳴りました。

けれど、鳴り方が父でも母でもなかったそうです。

重さは軽いのに、踏み方が丁寧すぎたといいます。

一段ずつ、両足を揃えて降りるような音でした。

子どもが階段を降りる音ではありません。

姉は、そこがいちばん気持ち悪かったと言っていました。

急いでいる音なら、まだ理由がつきます。

丁寧な音には、理由がつきません。

姉は、夢うつつで考えていました。

誰かなあ、と思っているうちに、下から音がしはじめました。

「ガタン、ガサガサ、ピシッ」

「ガタン、ガサガサ、ピシッ」

引き出しを開けて、中を探って、閉める音です。

それが、何度も何度も繰り返されます。

十回か、二十回か、数えたことはないそうです。

ただ、順番はいつも同じでした。

ガタン、で開き、ガサガサ、で探り、ピシッ、で終わる。

その三つ目だけ、姉には何の音か分かりませんでした。

紙をこするような、乾いた音だったといいます。

新聞紙とも、封筒とも違う音でした。

姉は、父が何か探しているのだろうと思って、また寝ました。

翌朝、父に聞くと、そんなことはしていないと言います。

母は、音に敏感な人でした。

廊下を歩く猫の音でも目を覚ますような人です。

その母が、何も聞いていないと言いました。

寝ぼけたのだろうということで、その話は終わりました。

ところが、それは何度も繰り返されたのです。

週に一度か二度、決まって真夜中に音がします。

姉が訴えるたび、親は取り合いませんでした。

最後には、嘘をつくなと叱られたそうです。

父は、朝が早い人です。

夜中の話をされること自体が、迷惑だったのだと思います。

母は、叱りはしませんでした。

ただ、「もう寝なさい」とだけ言ったそうです。

その言い方が、いつもと少し違ったと姉は言います。

姉は悔しくてたまらなくなりました。

誰の仕業か、絶対に突き止めてやる。

そう決めたのだと言っていました。

たとう紙の音

その夜も、階段の音で姉は目を覚ましました。

下では、いつもの音がしています。

怖さより、親に対する腹立ちのほうが強かったそうです。

姉は足音を忍ばせて、階段を降りました。

階段の電気は、いつもつけっぱなしの家でした。

けれど、下は真っ暗です。

「ガタン、ガサガサ、ピシッ」

暗闇の中で、音だけが響いています。

何も見えないのに、確かに誰かがそこにいる。

姉は、体が動かなくなりました。

闇の中で、音のする場所だけが分かります。

箪笥は、居間の奥の壁際にありました。

そこまでは、三歩か四歩です。

その三歩が、どうしても踏み出せなかったそうです。

代わりに、姉は壁づたいに手を伸ばしました。

電気のスイッチは、入口のすぐ横にあります。

指先が届くまでに、ずいぶん長くかかったそうです。

その間も、音は止まりませんでした。

それでも、部屋に戻ればまた叱られます。

意を決して、居間の電気をつけました。

そこに、赤い服を着たおかっぱ頭の女の子がいました。

箪笥の引き出しを開けて、何かを探しています。

それは、半分目を開けた、白目に近い顔をした私でした。

姉が話しかけても、私は返事をしなかったそうです。

無言のまま、次々に引き出しを開けていく。

取り憑かれたように、ただ何かを探していたといいます。

手つきは、急いでいなかったそうです。

上の引き出しから順に開けて、確かめて、閉める。

そして、いちばん下でいちばん長く止まる。

そこだけ、指を隙間に入れて開けていました。

取っ手のない側に、指を差し込むのです。

毎晩そうしていたので、私の右手の爪は少し欠けていました。

母は、それを見ていたはずです。

爪のことを、母は一度も聞きませんでした。

絆創膏だけが、毎朝、洗面所に置いてありました。

姉は二階へ駆け上がり、母を起こしました。

あとは、母に任せたそうです。

私は、病院で夢遊病と診断されました。

けれど姉には、あの人形が私に乗り移ったとしか思えませんでした。

背格好も、髪型も、赤い服も、そっくりだったからです。

赤い服は、実際にはパジャマでした。

私のお気に入りの、赤い花柄のパジャマです。

姉は、私におかっぱをやめるようすすめました。

美容院で短くして、耳が出るようにしたのです。

赤いパジャマも、いつのまにか見当たらなくなりました。

私は、しばらく探しました。

姉に聞くと、「洗濯で色が出たけん、捨てた」と言われました。

そのときは、そういうものかと思いました。

いまになって考えると、あの説明はおかしいのです。

赤い花柄のパジャマは、二枚ありました。

もう一枚だけは、なぜか残っていました。

残っていたのは、袖の長いほうです。

テレビで見た人形の服は、袖が短いものでした。

人形との共通点がなくなってから、それは二度と起こりませんでした。

いちばん下の引き出し

ここからは、去年になって母が話したことです。

あの夜、母は起きていました。

音に敏感な母が、聞こえないはずがなかったのです。

聞こえていて、降りてこなかった。

「降りたら、あの子が起きてしまう気がして」

母は、そう言いました。

夢遊病の人を無理に起こしてはいけない。

そう聞いたことがあったのだそうです。

本当かどうかは、母も分かっていませんでした。

ただ、起こしてはいけない気がしたのだと言います。

起こしたら、探しているものを聞いてしまう。

聞いたら、答えなければならなくなる。

母は、答えたくなかったのだと思います。

答えれば、祖母の話をすることになります。

だから毎晩、母は階段の上に座って、下の音を聞いていました。

「ガタン、ガサガサ、ピシッ」

母には、その三つ目の音が何か分かっていました。

引き出しの音ではありません。

たとう紙の音です。

着物や布をしまう、あの白い紙をひらく音でした。

たとう紙は、いちばん下の引き出しにだけ入っていました。

私が毎晩探していたのは、そこだったのです。

取っ手を外したのは、母でした。

最初に私がその引き出しを開けた翌日、母が片方を外したそうです。

片手では開けにくくなる。

それだけの理由でした。

父には、壊れたことにしたそうです。

父は、直そうともしませんでした。

「そのうちな」と言ったきり、二十年が過ぎました。

いまも、あの引き出しの取っ手は片方だけです。

帰省するたび、私はそこを一度だけ見ます。

開けたことは、まだありません。

見せてもらったのは、母が広げてくれたときだけです。

けれど、私は片手が使えなくても開けていました。

指を隙間に入れて、引いていたのだといいます。

母は、それを階段の上から毎晩見ていました。

あの引き出しには、祖母の縫ったものが入っていました。

祖母は、私が生まれる前に亡くなっています。

生まれてくる孫のために、服を一枚縫っていたそうです。

赤い、木綿の服でした。

襟のところに、小さな白い花が刺してあります。

母は、それを一度も私に着せませんでした。

着せてしまうと、祖母のものではなくなる気がしたのだそうです。

祖母は、最後の半年を私たちの家で過ごしました。

母のお腹が大きくなっていくのを、毎日見ていたそうです。

布は、下関の商店街で母と一緒に選んだといいます。

「これは、女の子やね」

祖母は、生まれる前からそう決めていました。

実際に、生まれたのは女の子でした。

祖母は、それを見ることなく逝きました。

服だけが、たとう紙にくるまれて残りました。

母は、それをいちばん下の引き出しにしまったのです。

盆に帰った姉の話

ここまで書いて、ひとつ打ち明けなければなりません。

妹というのは、私のことです。

人形の記憶は、はっきりあります。

けれど、夢遊病のことは何ひとつ覚えていません。

階段を降りた記憶も、引き出しを開けた記憶もないのです。

覚えているのは、朝、髪が汗で額に貼りついていたことだけでした。

夏でもない季節に、なぜあんなに汗をかいていたのか。

それだけは、子どもの頃から不思議でした。

階段を上り下りすれば、それくらいはかくのでしょう。

そう思うことにしています。

姉は、よほど怖かったのだと思います。

いまでも、口うるさく言ってきます。

「赤いの着て寝たら、あかんよ」

「髪は、もっと伸ばすか短くするか、どっちかにしな」

四十を過ぎた妹に、言うことではありません。

姉が私の髪を切らせたのは、自分で思いついたことではないそうです。

母に頼まれたのだと、盆に初めて聞きました。

「お母さんが、あんたに言うわけにいかんかったんよ」

理由を聞くと、姉は少し黙りました。

「あんたが探しとるもんの話は、せんでええって」

姉は、そこで話をやめようとしました。

私が黙っていると、麦茶を一口飲んでから続けました。

「あんた、寝言も言うとったんよ」

「なんて」

「ばあちゃん、って」

私には、祖母の記憶がありません。

写真でしか、顔を知らないのです。

母は、私に何を探していたのか気づかせたくなかったのです。

世の中には、最後まで説明されない話があります。

指さし表の端の空欄だけが黒く汚れていたという話を読んだことがあります。

お守り袋の米粒に字が彫ってあったという話もそうでした。

どちらも、書いた人が答えを出していません。

この話も、たぶん同じです。

母は、毎年一度だけ、その服を広げていたそうです。

祖母の命日に、たとう紙をひらいて、また戻す。

それだけを、四十年続けていました。

去年、私は初めてその服を見せてもらいました。

赤い木綿の、袖の短い服です。

けれど、広げてたたむだけでは、あんな跡はつきません。

その服には、袖を通した折り目が、はっきりとついていました。

母は、それについては何も言いませんでした。

私も、聞きませんでした。

去年の冬、私は自分の娘に赤い上着を買いました。

それを姉に話したのは、たぶん、間違いでした。

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