
昭和五十八年の、梅雨入り前から年の暮れまでの話です。
私はそのころ、北関東の相見市という小さな市の市役所に勤めていました。
市民課の窓口係で、二十九歳。
婚姻の届けを受け取り、印鑑証明を出し、転入と転出の判を押す。
そういう仕事を、七年続けていました。
庁舎は昭和三十六年に建った鉄筋の四階建てで、川に面していました。
相見川といって、市の名前の元になった川です。
夏でも水の匂いが冷たく、窓を開けると足元のあたりから涼しくなる、そういう庁舎でした。
床は磨き出しのモルタルで、歩くと踵の音がよく響きました。
その年から、宿直に女性職員が入ることになりました。
それまでは男性職員と守衛だけの当番でしたが、人が足りないというので、希望者を募ったのです。
手当が付きました。
私は独り身で、家に帰っても待っている者がいませんでしたから、手を挙げました。
宿直は月に二度ほどです。
午後五時十五分に窓口を閉め、いったん夕飯を食べに出て、七時に一階の宿直室へ入ります。
仕事は三つでした。
庁舎の戸締まりの確認。
夜間の代表電話を受けること。
それから、宿直日誌をつけること。
宿直室は一階のいちばん奥にありました。
三畳ほどの板の間に畳を二枚敷いて、その上に薄い布団が畳んであります。
壁際に事務机が一つ。
机の脇に、古い交換台が据えてありました。
差込式の、木の枠のものです。
庁舎ができたときからのものだと聞きました。
昼間は交換手の女性が二階の交換室で使い、夜だけ、宿直室に線を回す仕組みでした。
その台の、番号の札のところに、私は最初の晩から気づいていました。
交換台の三番の札だけ、字が薄くなっていました。
ほかの札は墨で書いた数字がはっきり残っているのに、三番だけ、指でこすったように白いのです。
守衛の木戸さんに聞くと、笑って言いました。
「そこは触らんでよろしい」
木戸さんは七十を過ぎた人で、庁舎ができる前から市に勤めていました。
夜は守衛室にいて、一時間おきに懐中電灯を持って庁舎を回ります。
回り終えると宿直室に顔を出して、私の湯呑みにお茶を注いでいくのが決まりでした。
宿直日誌は、机の引き出しに入っていました。
厚い帳面で、日付と、天候と、当直者の名前と、その晩の出来事を書きます。
前の月の分をめくって、私は手を止めました。
宿直日誌の当直者欄に、前の月の名前が一つ、二重線で消してありました。
消し方が丁寧で、下の字が透けて見えません。
定規を当てて、二本、きれいに引いてありました。
誰かが当直を代わったのだろう、と私は思いました。
そういうことは、ままあります。
最初の宿直の晩、私は九時に戸締まりを終えて、宿直室に戻りました。
窓の外の、川向こうの街灯が、一つだけ点いていませんでした。
橋のたもとから数えて三本目です。
あとは全部、白く光っていました。
球が切れているのだろうと思って、それきり忘れました。
※
電話が鳴ったのは、その晩の十時過ぎでした。
交換台のブザーです。
低くて、身体の芯に触るような音でした。
私は受話器を取り、教わったとおりに名乗りました。
「はい、相見市役所、宿直でございます」
年配の女性の声でした。
「夜分に、申し訳ございません」
ゆっくりした、丁寧な話し方でした。
「相見町三丁目の、橋のたもとの街灯が、点いておりません」
私はメモを取りました。
「ご住所とお名前を、伺えますでしょうか」
返事はありませんでした。
受話器の向こうで、水の音がしていました。
流れの速い、堰を越すような音です。
「もしもし」
「よろしくお願いいたします」
それで切れました。
私は壁の時計を見ました。
二十二時十三分。
宿直日誌に、時刻と用件を書きました。
翌朝、土木課の窓口に伝えに行きました。
受け取った若い職員が、私のメモをしばらく見て、言いました。
「相見町三丁目というのは、うちの市にはありませんよ」
私は自分の書き間違いかと思いました。
「相見町、ですよね」
「その町名は、四十四年になくなっています」
職員は壁に貼ってある住居表示の図を指しました。
昭和四十四年に、市は住居表示を実施していました。
入り組んでいた古い町名を整理して、番地を振り直したのです。
相見町一丁目から三丁目までは、そのとき川端一丁目と二丁目になっていました。
「年寄りは、まだ古い町名で言いますからね」
職員はそう言って、メモを受け取ってくれました。
私はそのとき、少しも変だと思いませんでした。
古い町名で話す年寄りは、窓口にも来ます。
むしろ、丁寧な声の人だったな、と思い返したくらいでした。
※
次の宿直は、翌月の十三日に当たりました。
その晩も、二十二時十三分に交換台が鳴りました。
「夜分に、申し訳ございません」
同じ声でした。
「相見町三丁目の、橋のたもとの街灯が、点いておりません」
一言一句、同じでした。
抑揚の上がる場所まで、同じでした。
私は受話器を持ち替えました。
「先月も、お電話をいただきましたね」
間がありました。
「よろしくお願いいたします」
切れました。
私は宿直日誌を前の月までめくり返しました。
私の字で、同じ時刻に、同じ用件が書いてありました。
ただ、その晩は少し違うことがありました。
電話が鳴ったとき、交換台のランプが点いていなかったのです。
差込のどこに線が来ているかは、小さな豆電球で分かる仕組みでした。
ブザーは鳴っている。
けれど、どの豆電球も暗いままでした。
私は手探りで受話器を取っていたことになります。
木戸さんが回ってきたので、そのことを話しました。
木戸さんはお茶を注ぐ手を止めませんでした。
「球が古いんだよ」
「でも、鳴りましたよ」
「鳴ったなら、出りゃあいい」
湯気の向こうで、木戸さんの顔はよく見えませんでした。
それから、思い出したように言いました。
「昔はね、街灯の球が切れると、近所の人が市に電話をくれたもんだ」
「今は違うんですか」
「今は業者が月に一遍、車で回って見とる」
「じゃあ、市民から電話が来ることは」
「まず、ない」
木戸さんは湯呑みを置いて、出ていきました。
戸を閉める前に、一度だけ振り向きました。
「日誌には、書いときなさい」
※
私は昼休みに、三階の郷土資料室へ行くようになりました。
市報の綴じ込みが、創刊号から並んでいます。
紙は日に灼けて、めくるたびに古い糊の匂いがしました。
相見町三丁目という町名を、私は初めてきちんと調べました。
川の内側に細長く張り出した、家が三十軒ほどの一角でした。
川に沿って古い商店が並び、橋のたもとに、木の電柱の街灯が立っていたそうです。
昭和四十二年から四年にかけて、市は相見川の改修をしています。
堤防を川側へ広げる工事でした。
三丁目の一帯は、堤防の下に入りました。
住んでいた人たちは、川の反対側に造成された団地へ移っています。
そして昭和四十四年、住居表示の実施で、相見町という町名そのものが消えました。
市報の白黒の写真に、その橋のたもとが写っていました。
電柱に、笠のついた街灯が一つ。
下に、割烹着の女の人が立っていました。
顔は小さくて、分かりません。
写真の説明には、街灯の設置を市に願い出た町内の代表だと書いてありました。
私は綴じ込みを閉じました。
閉じてから、指先に灰のような紙の粉がついているのに気づきました。
※
九月と十月の十三日にも、電話は来ました。
言葉は変わりません。
変わったのは、鳴る場所でした。
九月は、交換台の三番から鳴りました。
ブザーの音の下で、三番の差込口が小さく震えていたのです。
私は初めて、その札に触りました。
字の薄い、三番の札です。
指の腹に、木の毛羽が立っているのが分かりました。
十月には、庁舎じゅうの電話が一斉に一度だけ鳴りました。
二階も、三階も、四階も。
誰もいない部屋の電話が、天井の高い廊下に響きました。
それから、宿直室の一台だけが鳴り続けました。
私はもう、その音がどこから来るのか考えないようにしていました。
考えないようにしている、ということ自体が怖いのだと、あとで気づきました。
私はその前の週に、宿直日誌の古い綴じを書庫から出していました。
昭和四十四年の分です。
秋の欄に、同じ形の二重線がありました。
定規を当てて、二本。
私は帳面を裸電球にかざしました。
紙が薄いので、下の字が影になって浮きました。
姓が三字、名が二字。
それを、私は手帳に写しておきました。
写しながら、手が汗ばんでいたのを覚えています。
※
十一月十三日は、朝から雨でした。
宿直に入る前に、私は電話の保守に来ていた技手をつかまえました。
交換台を見てもらったのです。
技手は差込の裏板を外して、しばらく手を入れていました。
それから、変な顔をして私を見ました。
「三番は、線が来てませんよ」
「鳴るんです」
「鳴りません」
三番は十年前に外した回線だと、技手は言いました。
庁舎の増築のときに外の線を引き直して、三番は使わなくなったのだそうです。
「札だけ残しといたんでしょうね」
技手は裏板を戻して、帰りました。
その晩、私は宿直室で二十二時を待ちました。
雨は強くなっていました。
窓を打つ音が、板の間に低く響いていました。
畳が湿って、足の裏が冷たかったのを覚えています。
二十二時十三分に、ブザーが鳴りました。
「夜分に、申し訳ございません」
私は決めていたことを言いました。
「お名前を、伺えますでしょうか」
今度は、間がありませんでした。
相手は、名乗りました。
姓と、名と、それから「市役所の者です」と付け加えました。
私は受話器を耳から離せませんでした。
その名前を、私は知っていたからです。
二重線の下にあった名を、その晩、受話器の向こうが名乗りました。
手帳に写した五文字と、一字も違いませんでした。
受話器の向こうで、私の後ろの窓を打つ雨の音が、鳴っていました。
同じ間隔で、同じ強さで。
私は振り返りませんでした。
「相見町三丁目の、橋のたもとの街灯が、点いておりません」
声はそれだけを言いました。
「あの街灯は、堤防の下です」
私は言いました。
言ってしまってから、後悔しました。
返事は、少し遅れて来ました。
「よろしくお願いいたします」
電話は切れました。
雨の音は、それきり窓の外だけになりました。
※
十二月十三日、私は宿直の当番でした。
代わってもらうこともできましたが、代わりませんでした。
宿直日誌に、二重線を引きたくなかったのです。
その晩、電話は鳴りませんでした。
二十二時十三分を過ぎても、交換台は静かなままでした。
私は窓を開けて、川を見ました。
雪の前の、乾いた風が入ってきました。
川向こうの街灯は、一本残らず点いていました。
橋のたもとから三本目も、白く光っていました。
私は少しほっとして、窓を閉めようとしました。
そのとき、足元の板の間が暗いことに気づきました。
いつもは、庁舎の前の街灯の光が、窓から斜めに入ってきます。
その晩は、入っていませんでした。
庁舎の前の街灯が、一つだけ、消えていました。
私は受話器を取りました。
取ってから、どこへ掛けるつもりなのか分からなくなりました。
市役所の代表番号は、そのとき私の手元にありました。
私はそれを回しました。
宿直室の私の机の上で、ブザーが鳴りました。
私は受話器を置きました。
その晩は、朝まで一度も目を閉じませんでした。
※
年が明けて、私は宿直の希望を取り下げました。
理由は書きませんでした。
春に市民課から水道局へ移り、そのまま定年まで勤めました。
庁舎は平成の終わりに建て替えられました。
交換台は、古い庁舎と一緒になくなりました。
宿直日誌は、書庫の整理のときに処分されたと聞いています。
私は一度だけ、木戸さんに、あの名前のことを尋ねました。
木戸さんは湯呑みを置いて、しばらく黙っていました。
「あの人はね、四十四年の秋に、宿直の晩に庁舎を出たきりだよ」
「出たきり、というのは」
「市の名簿から、名前がなくなった」
「どちらへ行かれたんですか」
「そこまでは、聞いとらん」
「日誌の二重線は、どなたが引いたんでしょう」
木戸さんはそれきり、その話をしませんでした。
木戸さんも、私が水道局へ移った年に、勤めを退きました。
ひとつだけ、思い当たることがあります。
あの電話は、いつも街灯のことしか言いませんでした。
橋のたもとの街灯が、点いておりません。
それだけです。
消えた町名からの通報を、私は半年のあいだ、月に一度ずつ受け続けました。
四十四年の秋から、誰かが同じ用件を伝え続けていたのだとしたら。
受けた者は、どうしたのでしょう。
私は伝えました。
土木課に、一度だけ。
そのメモがどうなったのかは、知りません。
私は今、市の外れの団地に住んでいます。
相見川の、反対側に造成された、あの団地です。
越してきて十年になります。
今、私の家の前の街灯が、一つだけ点いていません。
市に電話をしようかと、毎晩思います。
けれど、二十二時十三分を過ぎると、受話器を取る気がなくなるのです。