ビスコ

スーパーの菓子売り場で、あの黄色い箱を見かけるたびに、私は足を止めてしまう。

ビスコ。

子どもの頃から、慣れ親しんだ味だ。

けれど、その箱を見ると、いつも、背筋がひやりとする。

あの修学旅行の夜のことを、思い出すからだ。

六個目のビスコは、誰のものだったのか。

あの夜、部屋にいたのは、確かに、五人だけだった。

それなのに、ビスコは、六つ、あったのだ。

それを、私たちは今も、知らない。

高校のとき、私は、五人組のグループでつるんでいた。

ミカ、サキ、ユイ、アヤ、そして私。

どこへ行くにも、いつも一緒だった。

教室でも、昼休みも、放課後も。

五人でいれば、それだけで、毎日が楽しかった。

一年生のとき、席が近かった五人が、なんとなく集まった。

それから、ずっと、離れなかった。

お弁当は、机をくっつけて、五人で食べた。

帰り道は、駅まで、五人で並んで歩いた。

文化祭の準備では、夜遅くまで、五人で教室に残った。

秘密も、悩みも、恋の話も、全部、共有していた。

お弁当のとき、こんなこともあった。

机を五つ、くっつけて、みんなで食べていた。

ある日、机の端に、一膳の割り箸が、置いてあった。

誰も、そこに、座っていない場所だった。

「これ、誰の?」

聞いても、みんな、覚えがなかった。

五人とも、自分の箸を、ちゃんと持っていた。

六膳目の箸だけが、そこに、ぽつんとあった。

五人でいれば、無敵な気がした。

だからこそ、あの違和感は、余計に不気味だった。

けれど、その頃から、妙なことがあった。

なぜか、いつも「もう一人いる」気がするのだ。

五人で歩いているのに、六人分の足音が、聞こえる気がする。

五人で笑っているのに、誰か、もう一人の笑い声が、混じっている気がする。

最初は、気のせいだと思っていた。

けれど、小さな出来事が、少しずつ、積み重なっていった。

ある放課後、五人で、サキの家に遊びに行った。

玄関で靴を脱いで、上がった。

帰るとき、玄関に、靴が六足、並んでいた。

私たちの、五足のほかに、もう一足。

見慣れない、白いスニーカーが、揃えて置いてあった。

「これ、誰の?」

サキの家族の靴では、なかった。

誰も、心当たりが、なかった。

次に見たときには、その白い靴は、消えていた。

他にも、こんなことが、あった。

別のクラスの子に、ある日、こう言われたのだ。

「あんたたちって、六人組だよね」

「五人だよ」と返すと、その子は、きょとんとした。

「えー、いつも六人でいる気が、してた」

そう言われて、私たちは、ぞっとした。

外から見ても、私たちは、六人に見えていたのだ。

移動教室のときのことだ。

次の授業のために、みんなで廊下に集まった。

「あれ、まだ来てないの、誰だっけ」

ミカが、そう言って、廊下の向こうを見た。

「誰か、待ってる気がするんだけど」

私たちは、顔を見合わせた。

数えてみると、五人、全員そろっていた。

「あれ、全員いるじゃん」

サキが、笑った。

「じゃあ、誰待ってたんだろ、あたしたち」

みんなで、あははと笑った。

けれど、その笑いは、どこか、ぎこちなかった。

こういうことが、何度も、あった。

ある日、五人で、プリクラを撮った。

撮り終えて、画面を覗き込んだとき、アヤが、小さく声をあげた。

「ねえ、これ……」

画面の隅に、五人のほかに、もう一つ、影のようなものが写っていた。

人の、肩のような、輪郭だった。

「誰かの、髪じゃない?」

「いや、あたしたち、みんな写ってるよ」

数えると、確かに、五人の顔が、全部そろっていた。

では、この六つ目の影は、誰のものなのか。

私たちは、そのシールを、結局、誰も持ち帰らなかった。

電話でも、おかしなことがあった。

当時は、三人で話せる機能で、よく通話をした。

ある夜、四人で、その通話をしていた。

すると、受話器の向こうで、五人目の相槌が、聞こえた。

「うんうん」と、確かに、誰かが、うなずいていた。

「今、誰か、いた?」

ミカが、そう聞いても、みんな、首をかしげるばかり。

四人しか、つないでいないはずだった。

その夜から、私たちは、なんとなく、夜の電話を避けるようになった。

担任が、出欠を取ったときのことも、忘れられない。

班ごとの点呼で、私たちの班の番になった。

先生は、名簿を見て、少し首をかしげた。

「この班……六人だっけ?」

教室が、しんとなった。

「いえ、五人です」

ミカが、答えた。

先生は、もう一度名簿を見て、「そうか、五人か」と、つぶやいた。

「なんか、一人多い気がしたな」

先生は、そう言って、笑った。

けれど、私たちは、誰も笑えなかった。

そして、二年生の秋。

修学旅行は、京都と奈良を巡る、二泊三日の旅だった。

バスのなかでも、五人は、ずっと一緒だった。

二人がけの座席が、五人だと、どうしても一つ、余る。

その余った席に、なぜか、荷物を置く気に、なれなかった。

「ここ、誰か座る?」

何気なく言ったユイの言葉に、みんな、黙り込んだ。

結局、その席は、空けたままにした。

清水の舞台でも、大仏の前でも、五人で写真を撮った。

けれど、どの写真も、なぜか、端のほうが、気になった。

誰もいないはずの余白に、視線が、吸い寄せられるのだ。

「気にしすぎだよ」

サキが、そう言って、笑い飛ばした。

その夜、私たちは、旅館に泊まった。

夕食は、大広間で、班ごとに、膳を並べて食べた。

席につこうとして、私は、思わず立ち止まった。

私たちの膳が、なぜか、六人分、用意されていたのだ。

「あれ、一つ、多くない?」

仲居さんに言うと、「あら、五人でしたか」と、首をかしげた。

「注文票には、六人と、書いてあったのですけど」

余った膳の前の座布団は、誰も座らないのに。

なぜか、ほんのりと、へこんでいるように、見えた。

私たちは、その膳を、そっと隅へ寄せて、五人で食べた。

けれど、料理の味は、あまり、覚えていない。

修学旅行の夜が、やってきた。

旅館の一室に、私たち五人は、同じ部屋だった。

消灯時間を過ぎても、私たちは、布団の上で、はしゃいでいた。

「お腹すいたね」

「お菓子、持ってきたよ」

誰からともなく、鞄から、こっそり持ち込んだお菓子を、広げ始めた。

畳の上に、ポテトチップスや、チョコレートが並んだ。

「あたし、これ持ってきた」

私は、鞄から、黄色い箱を取り出した。

「ビスコー」

すると、サキが、噴き出した。

「うそ、あたしもビスコ持ってきた!」

サキも、鞄から、同じ黄色い箱を取り出した。

「えー、かぶった!」

「あたしも実は……」

ユイまで、ビスコを取り出した。

「なんでみんなビスコなの!」

アヤも、笑いながら、四つ目のビスコを掲げた。

「ジャーン」

畳の上に、黄色い箱が、四つ、並んだ。

「あたしのも入れて、五個じゃん!」

ミカが、五つ目のビスコを、どんと置いた。

部屋じゅうが、笑いに包まれた。

「なにこれ、ビスコパーティーじゃん」

みんな、涙を流して、笑い転げた。

「示し合わせたわけでもないのに」

「なんで、みんなビスコなの」

「あたしたち、ほんと気が合うね」

畳の上に並んだ、五つの黄色い箱が、なんだか、可笑しかった。

その夜が、いつまでも、続けばいいと思った。

笑いが、少し落ち着いた、そのときだった。

畳の上に、もう一つ、黄色い箱が、置かれた。

誰かの手が、すっと、それを差し出したのだ。

「あたしも……持ってきたよ」

聞き覚えの、ない声だった。

低くて、少し、掠れた声。

私たちは、その箱を、見つめた。

六個目の、ビスコだった。

部屋には、五人しか、いないはずだった。

部屋の襖は、内側から、閉まっていた。

廊下に通じる戸にも、鍵が、かかっていた。

誰かが、外から入れるはずが、なかった。

窓の外は、二階。

暗い庭が、広がっているだけだった。

それなのに、六個目のビスコは、確かに、そこにあった。

黄色い箱が、蛍光灯の光を受けて、鈍く光っていた。

私は、そっと、隣のミカの手を、握った。

ミカの手も、氷のように、冷たかった。

誰も、その黄色い箱に、手を伸ばせなかった。

箱には、うっすらと、埃のようなものが、乗っていた。

まるで、ずっと昔から、そこにあったかのように。

けれど、さっきまで、そんな箱は、なかったのだ。

ユイが、震える声で、「捨てよう」と、言った。

けれど、誰も、それに触れる勇気は、なかった。

結局、私たちは、その箱を、部屋の隅へ、そっと押しやった。

押しやる指先が、箱の角に、触れた。

その箱は、なぜか、ほんのりと、温かかった。

誰かが、たった今まで、握りしめていたかのように。

私は、慌てて、その手を、引っ込めた。

五人とも、それ以上は、一言も、話さなかった。

時が、止まったようだった。

誰も、動かなかった。

誰も、その箱に、手を伸ばさなかった。

「……今の、誰?」

ミカが、掠れた声で、言った。

けれど、誰も、答えなかった。

私たちは、そっと、互いの顔を、確かめ合った。

五人。

確かに、五人だった。

では、六個目のビスコを置いた手は、誰のものだったのか。

「あたしも、持ってきたよ」と言った、あの声は。

五人の、どの声とも、違っていた。

低くて、少し湿った、知らない声。

一度聞いたら、二度と忘れられない声だった。

その声は、確かに、部屋の真ん中から、聞こえたのだ。

その夜、私たちは、一睡もできなかった。

布団を、五つ、隙間なくくっつけて、身を寄せ合って、朝を待った。

部屋の隅に置かれた、六個目のビスコを、誰も片づけられなかった。

誰かがトイレに行きたくても、一人では、行けなかった。

必ず、五人で連れ立って、廊下に出た。

廊下の常夜灯が、じじ、と、音を立てた。

部屋に戻るたび、あの箱の位置が、少しずつ、変わっている気がした。

気のせいだと、思いたかった。

窓の外で、風が、木を揺らした。

その音が、まるで、誰かの、忍び笑いのように、聞こえた。

朝になると、その箱は、なくなっていた。

畳の上に、四つと、私たちの五つ。

数え直しても、五個しか、なかった。

六個目だけが、消えていた。

誰かが片づけたのか、聞いても、みんな首を横に振った。

それきり、私たちは、その夜のことを、口にしなくなった。

翌日の観光は、みんな、心ここにあらずだった。

金閣寺の金色も、その日は、少しも目に入らなかった。

誰も、あの夜のことに、触れようとしなかった。

けれど、バスの余った席を見るたびに、胸が、ざわついた。

あの席に、本当は、誰かが座っていたのではないか。

そう思うと、背中が、ぞくりとした。

家に帰ってからも、私は、しばらく、一人で眠れなかった。

暗い部屋で、目を閉じると、あの掠れた声が、耳の奥で蘇った。

「あたしも、持ってきたよ」

あの声だけが、いつまでも、消えなかった。

卒業して、私たちは、それぞれの町へ散った。

それでも、五人は、時々集まる。

みんな、結婚して、子どもも生まれた。

あの夜の話は、長いあいだ、誰も持ち出さなかった。

触れてはいけない話だと、みんな、分かっていた。

楽しかった三年間の、たった一つの、暗い染みだった。

それでも、五人の絆は、少しも、変わらなかった。

いや、あの夜を、五人で越えたからこそ。

私たちは、より強く、結ばれたのかもしれない。

けれど、去年の同窓会で、ミカが、ぽつりと言った。

「ねえ、あのビスコの夜、覚えてる?」

全員が、一瞬、黙った。

覚えていた。

みんな、ずっと、覚えていたのだ。

「あの声、今でも、思い出すことがある」

サキが、そう言って、身を震わせた。

五人で、しばらく、黙り込んだ。

居酒屋の喧騒が、やけに、遠くに聞こえた。

「あの子、今、どうしてるのかな」

ユイが、ぽつりと、つぶやいた。

「あの子、って言い方、するんだね」

私が言うと、ユイは、はっとした顔をした。

いつのまにか、私たちは、あの六人目を、「あの子」と、呼んでいた。

まるで、昔からの、仲間のように。

誰も、それを、否定しなかった。

実は、と、アヤが、鞄から、一枚の写真を取り出した。

修学旅行のときの、部屋での集合写真だった。

引率の先生が、廊下から撮ってくれた一枚。

私たち五人が、布団の上で、ピースをしている。

けれど、その写真の、いちばん端。

布団の、六つ目があるべき、暗がりのところに。

ほんの、かすかに。

誰かの、白い手が、写っていた。

黄色い箱を、そっと、差し出すように。

その写真を、五人で、じっと見つめた。

誰も、言葉が、出なかった。

「これ……ずっと、持ってたの?」

私が聞くと、アヤは、静かにうなずいた。

「捨てられなかった。捨てたら、いけない気がして」

白い手は、爪の先まで、はっきりと写っていた。

けれど、その手首から先は、暗がりに溶けて、見えなかった。

腕も、顔も、そこには、なかった。

ただ、手だけが、私たちに、ビスコを差し出していた。

アヤは、その写真を、そっと、鞄にしまった。

あれから、二十年以上が過ぎた。

六人目が、誰だったのかは、今も分からない。

いつから、私たちの五人に、その子が混じっていたのかも。

もしかしたら、あの子は、ずっと、一緒にいたかっただけなのかもしれない。

五人の輪に、ただ、加わりたかっただけなのかも。

だから、みんなと同じ、ビスコを持ってきた。

そう思うと、あの夜の記憶が、少しだけ、優しく思える。

それでも、あの声を思い出すと、やはり、背筋が凍る。

もし、五人のうち、誰か一人でも欠けたら。

あの子が、その空いた場所に、そっと座るのだろうか。

そんなことを、ふと、考えてしまう。

怖い。

けれど、どこか、寂しくもある。

あの子は、ただ、私たちの輪に、入りたかっただけなのかもしれないから。

けれど、真相は、今も、闇の中だ。

あの掠れた声の主が、誰だったのか。

いつから、私たちのそばに、いたのか。

何一つ、分からないまま、月日だけが、過ぎていく。

スーパーであの黄色い箱を見るたびに、私は、そっと胸のうちで問いかける。

六個目のビスコは、今も、どこかで、差し出されているのだろうか。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

ミステリーを応援する

読んでいただけるだけで、十分に励みになります。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。