封じ甕を開けようとした夜

嵐の夜の海と祠

これを怖い話と呼んでいいのか、実のところ今でも分からない。

ただ、俺の人生はあの十一月の夕方で一度切れて、別の筋に繋ぎ直されたのだとは思っている。

昭和五十三年、俺は十九だった。

山陰の、入り江の底に沈んだような港町で生まれ育った。

町の名前は書かない。

仮に鷺洲としておく。

朝は魚市場のセリの声で目が覚めて、夜は製氷庫の機械の唸りが子守唄という土地だった。

俺は中学を出てから、その製氷庫で氷を挽く仕事をしていた。

氷室の扉を開けると、夏でも息が白くなった。

親方は無口な人だったが腕は確かで、俺に鋸の目立てから教えてくれた。

夏は指がふやけ、冬はあかぎれで割れる。

それでも氷を積んだ荷車が市場を走る朝の景色は、嫌いではなかった。

遊ぶ場所なんて、映画館ひとつない町だ。

だから俺たちの溜まり場は、岬の中腹にある古い御堂だった。

海難よけの観音さんを祀っていたと聞くが、俺が物心ついた頃にはもう堂守もおらず、扉は開けっ放しだった。

賽銭箱には松葉と砂しか入っていなかった。

鈴緒は千切れて、絵馬を掛けたらしい額には何も残っていなかった。

集まるのはだいたい決まった顔ぶれだった。

網元の三男の勝己。

造船所で見習いをしていた英次。

酒屋の配達をしていた修。

郵便局に入ったばかりの定男。

それに、春から遠洋に乗ることが決まっていた巌。

多い時は六人、少ない時は三人。

安い酒と煙草を持ち寄って、誰かがギターを鳴らして、たいていはくだらない話で夜になった。

誰の家の網が破れたとか、どこの船の水揚げがどうだったとか、話の中身はもう覚えていない。

ただ、板の間の冷たさと、煙草の煙の行方だけは、妙にはっきり覚えている。

煙は、いつも床下へ吸われるように沈んでいった。

御堂は町から離れていて、人がまず来ない。

二年ばかり溜まり場にして、俺たち以外の人間を見たことは一度もなかった。

ただ、あの御堂には、最初から少しだけ妙なところがあった。

堂の縁の下から、いつも風が吹き出しているのだ。

海からでも山からでもなく、床下の暗がりから、ひやりと湿った風が一定の向きに流れてくる。

それと、堂の中に入ると、潮騒が遠くなった。

岬の中腹だから、外にいれば波の音はいくらでも聞こえる。

なのに敷居をまたぐと、耳に薄い膜が張ったように、音がひとつ向こうへ下がる。

勝己は「壁が厚いんじゃ」と笑っていた。

俺も当時はそれで納得していた。

土地の年寄りは、あの岬をあまり良く言わなかった。

網元の隠居がまだ達者だった頃、酔うとよく話してくれた。

戦争の時分、岬の腹には海軍の壕が掘られていたのだという。

小さな舟を隠すための横穴で、地元の人夫も駆り出された。

ところが終戦の年、壕の奥で「何ぞあった」らしい。

何があったのかは、隠居も知らないと言った。

知らないというより、聞いてはいけない話として育った、という口ぶりだった。

壕の口は戦後すぐに塞がれて、御堂はその口を抑えるように建っているのだ、と隠居は言った。

「じゃけえ、堂の下の風はやめとけ。あれは山の息やない」

そう言うとき、隠居は笑わなかった。

あとになって定男が、郵便局の書棚で古い郷土誌を見つけてきたことがある。

岬の項に「穴屋敷」という古い呼び名が載っていて、昭和二十年の頁だけが、綴じ目から破り取られていた。

十九の俺たちには、どれもただの酔い話だった。

床下の風に手をかざして「壕の息じゃ」とふざけるのが、むしろ持ちネタのようになっていた。

その日のことは、順を追って書ける。

十一月の頭で、日が落ちるのが急に早くなった頃だった。

仕事が終わって、俺と勝己と英次と修の四人で御堂に上がった。

四時を回ったくらいで、西の空はまだ明るかった。

前の晩に雨が降って、石段は黒く濡れていた。

段の途中の椿がもう蕾をつけていたのを、なぜか覚えている。

堂に上がって、いつもの奥の段差に座った。

回し飲みのサイダーと煙草で、他愛もない話をしていた。

巌の乗る船の話だったと思う。

そのとき、石段の下から足音が聞こえた。

ざっ、ざっ、と乾いた砂を噛むような、規則正しい足音だった。

雨上がりの濡れた石段で、乾いた音がするはずがない。

そう思ったのは、ずっとあとになってからだ。

四人の話が、同時に止まった。

二年間で、初めての来客だった。

境内に入ってきたのは、黒い着物の年寄りだった。

男だ。

細くて、背が高くて、首の長い、鷺のような爺さんだった。

喪服のように黒い着物の裾が、歩くたびに足に絡んでいた。

俺たちは奥の暗がりにいたから、向こうからは見えていなかったと思う。

誰が言い出したわけでもないのに、四人とも黙って、息をひそめた。

見つかったらまずい、という気が、理屈より先に働いた。

爺さんは賽銭箱の前に立って、手を合わせた。

そして何かを唱え始めた。

祝詞のようでも、経のようでもあった。

ただ、どこの言葉でもなかった。

強いて言えば、知っている言葉を後ろから読んでいるような、裏返った響きだった。

一分ほど唱えると、爺さんは持っていた風呂敷包みを、賽銭箱の裏にそっと置いた。

置くというより、据える、という手つきだった。

それから一度も振り返らずに、石段を下りていった。

足音が消えるまで、誰も口をきかなかった。

最初に笑ったのは勝己だった。

「なんじゃ今の。びっくりしたわ」

「置いていったぞ、あれ」

修はもう腰を浮かせて、風呂敷を見ていた。

俺は、嫌な感じがしていた。

わざわざ人の来ない堂に置いていくものが、まともなものであるはずがない。

「やめとけ、触らんでええ」

そう言ったが、勝己はもう風呂敷を抱えて戻ってきていた。

「札束やったらどうする」

結び目を解くと、まず出てきたのは古新聞だった。

黄ばみ方が尋常でなく、触ると端がぼろぼろと崩れた。

日付は昭和十二年とあった。

大陸の戦況を伝える見出しが並んでいた。

「なんで四十年も前の新聞が」

英次が呟いた。

次に出てきたのは、革の財布だった。

中には見たことのない札が一枚。

日本の古い札ではなく、異国の札だった。

あとで思えば、あれは満洲の札だったのだと思う。

それと、色の抜けた護符が一枚。

梵字のようで梵字でない、読めない文字が刷られていた。

英次が護符を裏返すと、裏には墨で、小さく人の形が描かれていた。

手足の先が、みな内側へ折れている絵だった。

修が「うちのばあちゃんが言うとった」と急に言った。

「浜で甕を拾うな、て。拾うたら、名前を呼ばれる、て」

修の祖母は、若い頃、岬の人夫たちの飯炊きをしていた人だった。

「甕て、なんの話じゃ」

そう笑った勝己の手が、風呂敷の底から最後のものを取り出した。

朱塗りの、小さな甕だった。

片手に乗るほどの大きさで、口には晒し布が幾重にも巻かれ、その上から針金で締め上げてあった。

朱は方々剥げて、下から黒い地肌が覗いていた。

振っても、音はしなかった。

なのに、持つ手を替えるたびに、重さが違う気がした。

「開かんの」

英次が言った。

勝己が針金に指をかけた。

そこから先のことを、俺は今でもうまく言葉にできない。

最初は、二人ともふざけていたのだ。

「固いのう」「貸してみい」と笑いながら、針金をねじっていた。

だが、いつからか笑い声が消えた。

勝己の手が、止まらなくなっていた。

針金で指の腹が切れて血が滲んでいるのに、手だけが動き続けていた。

英次の言葉が、繰り返しになっていった。

「開くぞ」

「開くぞ、これ」

「開くぞ」

同じ言葉が、同じ調子で、何度も続いた。

修が「もうやめとこうや」と言った。

その声は、はっきり震えていた。

俺も言った。

「置いて帰ろう。な」

二人には、聞こえていなかった。

聞こえていないというより、俺たちがいることが、もう分かっていないようだった。

堂の中が、静かすぎることに気づいたのはその時だ。

潮騒が、遠いのではなく、消えていた。

床下の風の音も、しなかった。

音があるのは、針金の軋みと、二人の荒い息だけだった。

勝己が甕を床板に叩きつけ始めた。

朱の欠片が飛んだのに、甕には罅ひとつ入らなかった。

英次と勝己が甕を取り合って、引っ張り合いになった。

その目を見て、俺は本当に怖くなった。

二人とも、目が黒すぎた。

白目のところが、暗がりのせいだけとは思えないほど、狭くなっていた。

子供の頃、犬の目を間近で見たことがある。

あれに似ていた。

「勝己。おい、勝己」

肩に手をかけたら、突き飛ばされた。

背中から床に落ちて、息が詰まった。

その時、勝己の喉から出た音を、人の声だとは思いたくない。

がぐ、と濁った、音だった。

俺と修だけでは、もうどうにもならなかった。

誰か大人を、せめて定男と巌を呼ぶしかない。

だが二人とも、ここに残りたくはない。

情けない話だが、じゃんけんをした。

勝った俺が呼びに走り、修が残ることになった。

「頼むけえ、はよ戻ってきてくれよ」

修の声は、泣く一歩手前だった。

石段を駆け下りるあいだ、膝が笑って、二度つんのめった。

自転車に飛び乗ろうとして、心臓が跳ねた。

防波堤の先に、あの爺さんが立っていた。

黒い着物が、夕方の灰色の中で、そこだけ切り抜いたように黒かった。

爺さんは俺を見ていなかった。

岬の御堂の方を見上げて、笑っていた。

声は聞こえない。

ただ、首の長い影が、肩を小さく揺すっていた。

話しかける勇気など、あるはずもなかった。

ハンドルが定まらないまま、俺は一番近い定男の家まで漕いだ。

定男は最初、笑いながら聞いていた。

俺の顔を見ているうちに、笑いが消えた。

「巌も呼ぼう。人手はいる」

定男が巌の家に電話をかけて、出た弟に「巌が戻ったら御堂へ」と言付けて、二人で戻ることにした。

外はもう、ほとんど夜だった。

石段の下に、爺さんの姿はなかった。

俺と定男は、石段を駆け上がった。

記憶は、そこで切れている。

次に覚えているのは、白い天井だった。

起き上がろうとして、起き上がれなかった。

足に石膏が巻かれ、腕に包帯があった。

全身の鈍い痛みで、自分がどこか壊れていることだけは分かった。

騒ぎになって、母が来て、医者が来た。

事故だった、と聞かされた。

坂の下の県道で、ブレーキの利かなくなった木材の運搬車が、歩いていた俺たちに突っ込んだのだという。

俺は四日間、目を覚まさなかったらしい。

「勝己は。英次は。定男は」

母は最初、答えなかった。

何度も聞いた。

母は目を伏せて、勝己と英次はその場で戻らぬ人になった、と言った。

定男は隣の市の病院で、まだ目を開けていない、と。

意味が、分からなかった。

俺は御堂に向かっていた。

定男と二人で、石段を上がっていた。

県道になど、いなかった。

そう説明したが、母にも、駆けつけた製氷庫の親方にも、伝わらなかった。

四日も眠っていた頭の混乱だと思われた。

夜、寝たり起きたりを繰り返しながら、悲しさより先に「おかしい」という思いばかりが膨らんだ。

消灯のあと、廊下の足音を数えながら、あの堂の静けさを思い出していた。

病室の窓は海と反対を向いているのに、夜中に一度だけ、潮の匂いがした。

翌朝、修と巌が見舞いに来た。

修は、俺の顔を見るなり泣いた。

「すまん。俺、三十分待っても誰も来んけえ、逃げた」

責める気にはなれなかった。

俺だって、残る側になっていたら同じことをしただろう。

修は、途切れ途切れに話した。

俺が出て行ったあと、勝己が急に「もう開く」と言い出したこと。

英次も「開く、開く」と繰り返して、二人の声がだんだん揃っていったこと。

揃った声が、寄せては引く波の調子になっていったこと。

「あれが、人間の声のもんか」

修はそれきり黙った。

巌の話は、もっとおかしかった。

弟の言付けで、夜になってから御堂に行った、と巌は言った。

「行ったら、おまえらの自転車が一台もない。ほんでも、いつもの奥の段のとこに、何人か座っとった」

「何人か、て」

「暗うてよう見えん。じゃけど、あれはおまえらやなかった。座り方が、なんかおかしかった」

巌は気味が悪くなって、声もかけずに引き返したのだという。

その晩に、事故の報せを聞いた。

あとから知ったことも書いておく。

駐在と保険屋が何度か病室に来たが、聞かれるのは事故の瞬間のことばかりだった。

御堂の話をしても、書き留めてはくれなかった。

運搬車の運転手は、以前から心を病んでいた人だったらしい。

事故のあと行方をくらまして、山向こうで見つかった時には、もう話のできる状態ではなかったそうだ。

定男は、年が明ける前に、向こうへ渡った。

通夜に行った俺を、定男の弟は最後まで見なかった。

俺は春に町を出た。

親方が世話してくれた関西の造船所に移って、それきり、ほとんど帰らなかった。

発つ朝、汽車の窓から岬が見えた。

御堂の屋根が、木々の間に一瞬だけ覗いて、消えた。

俺は目を逸らした。

修とも巌とも、少しずつ音信が絶えた。

逃げたのだと思う。

町からというより、あの御堂の記憶からだ。

長い年月が経った。

平成も半ばを過ぎた年に、母が向こうへ渡って、俺は久しぶりに鷺洲へ帰った。

弔いを終えて、二、三日、実家の片付けをした。

昼間、やることがなくなって町を歩いた。

市場は建て替わり、製氷庫は更地になって、覚えのない量販店が建っていた。

あの隠居も、修の祖母も、もうとうにいない。

知った顔には、ひとつも会わなかった。

歩くうちに、足が勝手に岬へ向かっていることに気づいた。

思い出したくもないはずなのに、行きたい、という力が外から掛かっているようだった。

石段は、掃き清められていた。

椿が、あの頃と同じ場所で咲いていた。

御堂は、建て直されていた。

小さいが真新しい庵になって、脇に手水鉢まで据えられていた。

箒を持った若い男が掃除をしていて、俺が事情を話すと、奥から堂守が出てきた。

灰色の作務衣を着た、小柄な老僧だった。

俺は、全部話した。

溜まり場にしていたこと、黒い着物の爺さんのこと、風呂敷の甕のこと、勝己と英次のこと、事故のこと。

老僧は驚くでもなく、時々目を閉じながら聞いていた。

そして、こう言った。

「それはまた、ようお話しくださった」

この庵は十年ほど前に、麓の寺が引き取って建て直したのだという。

先代の堂守は、俺の知らない間にここへ入り、ある年の冬に行方が知れなくなった。

堂の中は荒れておらず、ただ須弥壇の裏に、封の緩みかけた小さな甕が転がっていたそうだ。

「うちらはあれを、移し甕と呼んどります」

老僧は静かに言った。

大陸から引き揚げてきた者が持ち帰った、と伝わっていること。

中に何かが入っている、という考え方が、そもそも逆であること。

「あれはね、入れ物やないんです。口なんです」

「口」

「開けよう、と思うたその心に、あちらが先に入る。じゃけえ、甕はいちども開いたことがない。開くのは、いつも、人の側です」

俺は、何も言えなかった。

勝己の血の滲んだ指を思い出していた。

あれは甕を開けようとしていたのではなく、開かされていたのか。

それとも、もうあの時、開いていたのか。

「あなたの他にも、この甕のことを話しに見えた方が、一人だけおられます」

帰り際に、老僧はそう言った。

「黒い着物の、首の長い年寄りではなかったですか」

俺が聞くと、箒を持った若い男の手が、止まった。

老僧は、それには答えず、衣に着替えて長い回向をしてくれた。

回向のあいだ、庵の外で箒の音が、規則正しく続いていた。

ざっ、ざっ、という、あの夕方の足音とよく似た音だった。

振り向いて確かめる勇気は、なかった。

石段の下まで送ってくれた若い男に、思い切って聞いた。

「あの、封は」

「今は、うちでお預かりしとります。封じ直しは、代替わりのたびに、やり直すんです」

「解けるんですか」

「解けません。緩むんです」

それ以上は、聞けなかった。

関西に戻って、しばらくして、夢を見るようになった。

三日に一度は見る。

あの日、定男と石段を上がったあとの光景だ。

断片ばかりで、繋がらない。

ただ、夢の中の県道で、運搬車は俺たちを避けようとしていた。

道の真ん中で揉み合っていたのは、俺たちの方だった。

御堂の中の光景も見る。

その中身は、誰にも言っていない。

口にしたら、封がまたひとつ、緩む気がするからだ。

去年、荷物の整理をしていて、古い葉書が出てきた。

修からだった。

消印は十何年も前で、うちの町のものではない、山あいの局のものだった。

修は俺が町を出て何年かのち、誰にも行き先を告げずに姿を消したと、風の便りに聞いていた。

葉書には、短くこうあった。

「同じ夢を見る。あれは夢やないと思う」

最近になって、俺も、そう思い始めている。

夢の中の俺は、封を、内側から見ている。

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