
平成のはじめ、私は治山と砂防の測量を生業にしていた。
山が崩れぬよう堰堤の位置を測り、谷の傾きを一枚の図面に落としていく、地味で根気のいる仕事だ。
数字は嘘をつかない、というのが、当時の私の信条だった。
測れば、世界はかならず図面の中に収まる。
歪んで見えるものも、目盛りを当てれば、ただの角度と距離に化ける。
そう信じていたから、あの谷でのことを、私は今でも、うまく人に話せずにいる。
これは、怖い話というには、あまりに静かな話かもしれない。
その年の秋、中国地方の山深い谷へ、堰堤調査の応援に入ることになった。
黒淵の谷、と地元では呼ばれていた。
かつてたたら製鉄で栄えた土地で、砂鉄を採るために山肌を水で削る、鉄穴流しという作業が、何百年と続いた場所だという。
そのせいで谷のあちこちが不自然に抉れ、削られた斜面が、赤茶けて剥き出しになっていた。
山が、内側から食われたような形をしていた。
沢の水には、舐めると鉄の味がした。
麓の役場で渡された古い地形図には、谷の最奥に、小さな集落の印が一つだけ残っていた。
狢内、と読むらしい。
役場の担当者は、図面の束を渡すあいだ、ずっと事務的だった。
ただ、最後の一枚を渡すときだけ、ふと声をひそめた。
「谷の上の石塚にだけは、近づかんでください」
理由を尋ねると、彼は目を合わせずに、土地の決まりだから、とだけ答えた。
そして、できれば日帰りで済ませたほうがいい、と付け加えた。
私は気に留めなかった。
山仕事をしていれば、その手の言い伝えは、どこの谷にも転がっている。
祟りの祠、入ってはいけない沢、夜に鳴る峠。
そのどれもが、たいていは古い水害や崩落の記憶を、形を変えて語り継いだものにすぎない。
そう思っていた。
翌朝、軽トラックで谷をさかのぼった。
舗装はすぐに切れ、轍だけの細い道が、杉の暗がりの奥へ、くねりながら続いていた。
沢の音が、やけに近く聞こえた。
窓を閉めても、水の音だけは、車内まで染み込んでくるようだった。
途中に、屋根の落ちた古い神社があった。
鳥居だけが、不自然なほど、新しかった。
誰かが、今も手入れをしている証拠だった。
こんな、人の絶えた谷で。
奇妙だったのは、谷を下るほどに、方位磁石の針が、落ち着かなくなったことだ。
製鉄の土地だから磁鉄鉱が多いのだろう、と私は自分に言い聞かせた。
実際、そういう土地では、針が振れることもある。
だが針は、振れるというより、ためらいながら、ある一点を指し続けていた。
谷の、いちばん奥のほうを。
昼前に、狢内へ着いた。
棚田が段々に積み上がり、その石垣だけが、家々の傾きとは不釣り合いなほど、立派だった。
あとで知ったが、その石垣は、鉄穴流しで出た大量の土砂を、何代もかけて押し固めて作ったものだという。
つまりこの集落そのものが、山を削った残りかすの上に、立っていた。
人の気配は、ほとんどなかった。
窓の破れた家、蔓に飲まれた納屋、傾いだまま止まった時計。
住んでいるのは、源治さんという年寄り一人だけだと、のちに知った。
棚田のいちばん上、杉木立との境に、それはあった。
人の背丈ほどの、ただ石を積み上げただけの塚だ。
角の取れた川石が、隙間なく、驚くほど丁寧に積まれていた。
近づくな、と言われた石塚は、遠目には、ただの石の山にしか見えなかった。
私は図面を広げ、堰堤の予定地から塚までの距離を、目測でざっと書き込んだ。
その日はそれで終わった。
何も起きなかった。
ただ、宿に戻る車の中で、左手だけが、妙に冷たいのに気づいた。
秋の山だから、とそのときは思った。
ハンドルを握る右手は、汗ばむほど温かかったのに。
※
翌日から、小さなことが、一つずつ続いた。
はじめは、図面の数字だった。
前日に測った、塚までの距離が合わない。
朝に測り直すと、わずかに縮んでいた。
測り間違えたのだろうと、巻尺と測距儀の両方で、もう一度測った。
やはり、縮んでいた。
塚が、こちらへ二歩ぶんほど、近づいていた。
石が動いたのではない、と私は思いたかった。
地面が動いた、地滑りの前兆だ、そう書けば、報告書としては筋が通る。
だが、塚以外のものは、何ひとつ動いていなかった。
次に、宿で借りた古い治山台帳に、妙な記述を見つけた。
昭和のはじめ、この谷で堰堤を作ろうとした技師が三人、調査の途中で、山を下りられなくなった、とある。
下りられなくなった、という言い方が、引っかかった。
向こうへ渡ったとも、行方知れずとも、書いていない。
ただ、下りられなくなった、と。
その三人のうち一人は、何年も経ってから麓の療養所で見つかったが、自分の名前も、谷のことも、何ひとつ語れなかったらしい。
台帳の余白に、当時の担当者が万年筆で、走り書きを残していた。
「谷の石を、図ってはならぬ」
図る、という字が、測るではなく、図るだったのを、私はよく覚えている。
念のため役場に電話を入れると、その担当者は、私が石塚の距離を測ったと言った途端、しばらく黙り込んだ。
そして、もう測った数字は、二度と見ないほうがいい、とだけ言って、電話を切った。
受話器を置いたあと、私の手のひらには、汗ではない、冷たい湿り気が残っていた。
その日の夕方、源治さんが、私の宿に米を届けに来てくれた。
骨ばった、小柄な老人だった。
左の目だけが、白く濁っていた。
私が台帳の話をすると、源治さんは囲炉裏の火を見たまま、ぽつりと言った。
「あの石はな、数えちゃならんのですよ」
数える、という言葉に、私は前日の測量を思い出した。
距離を測るというのは、石の数を、間接に数えていたのと、同じことだったのか。
「あんた、もう図りなさったろう」
私は、答えられなかった。
源治さんは、自分の家が代々この谷で石を積む役目を負ってきたのだ、と静かに語りはじめた。
神主でも、坊主でもない。
ただ、石を積む家だという。
「谷の底に、口があるんです」
「ずうっと昔から、そこにあったものを、石で蓋をしとるんです」
何を蓋しているのか、と私は尋ねた。
源治さんは、しばらく、火を見ていた。
「祟りなら、まだええ」
「祟りには、わけがある。恨みでも、約束破りでも、なんでもええ、わけがある」
「あれには、わけがない。ただ、そこにあるだけで、近くにおる者を、おかしくする」
「人を選ばん。子どもも、年寄りも、よそ者も、みな同じに、おかしくする」
「よそ者は、特にいけん」
「土地の者は、知らんうちに、避け方を体で覚えとる。あんたらは、それを知らんから」
「祀るんじゃない。蓋をするんじゃ。そこを、間違えたらいけん」
その口ぶりは、長い年月、同じ言葉を、自分に言い聞かせてきた者のものだった。
源治さんは、この谷の来歴を、低い声で語った。
千年以上も昔、ここは人の住めぬ、忌まれた土地だったという。
ところが、良い砂鉄の採れることがわかり、時の都は、この谷を欲しがった。
鉄は、国の力を、左右する。
それで都は、遠い土地から、力のある一柱の神と、石を扱う一族を、この谷へ送り込んだ。
神を祀るためではない。
谷の底にあるものに、蓋をするためだった。
送られた一族は、そのままこの谷に根を下ろし、代々、石を積み続けた。
源治さんの家は、その末である、と。
「神社が焼けて無うなった頃に、一度、谷じゅうがおかしくなったそうです」
「それからは、欠かさず石を積んどります。一日でも、休んだらいけん」
私は、棚田の立派な石垣を、思い出した。
あれも、ただの畑の壁では、なかったのかもしれない。
谷そのものを抑え込むための、巨大な蓋だったのではないか。
翌日、私は、源治さんの家を訪ねた。
土間の奥に、黒ずんだ木箱が、いくつも積まれていた。
中には、石の積み方を記した、古い帳面が入っているのだという。
源治さんは、その一冊を開いて見せてくれた。
墨で、石の数だけが、延々と書き連ねてあった。
日付と、その日に積んだ石の数。
ただ、それだけ。
途中、何度か、数が大きく増えている年があった。
「このへんが、いっぺん、ゆるんだ年です」と源治さんは言った。
「ゆるむと、向こうから、まとめて来よる」
私は、自分が前の日に測った数字のことを、思った。
あれも、向こうにとっては、ゆるみの合図だったのではないか。
帳面のいちばん新しい頁には、その日の日付と、たった一つの『一』が、書かれていた。
その夜のことを、私は今も覚えている。
宿の天井から、音がした。
誰かが、ゆっくりと、石を一つ、また一つと、置いていくような音だった。
硬いものが、木の上に、ことり、ことりと、載っていく音。
私は脚立を借りて、屋根裏に上がってみた。
埃のほかには、何もなかった。
ただ、太い梁の真ん中に、川で磨かれたような丸い石が、一つだけ置かれていた。
私は、山の中の、二階家の屋根裏にいた。
川石が、そこにあるはずが、なかった。
ラジオも、おかしかった。
谷の奥では、どの局も雑音にしかならないのに、夜になると、その雑音の底から、規則正しい音が混じった。
ことり、ことり、と、何かを置くような、間隔の揃った音だった。
私は布団の中で、その音を、夜通し、数えてしまった。
数えてはいけない、と言われたばかりなのに。
二百を超えたあたりで、私は、数えるのをやめた。
やめた途端、音も、ぴたりと、止んだ。
翌朝、その石を、棚田の脇の藪に投げ捨てて、仕事に出た。
昼すぎ、源治さんが、畑から私を呼び止めた。
その手の中に、見覚えのある、丸い石があった。
「これ、あんたのとこの屋根に、載っとったろう」
「捨てても、戻ってくる。数が、合わんようになるからな」
「向こうは、数が合うまで、寄越し続ける」
その日から、谷の奥へ歩くほど、左手の冷たさが、肘のあたりまで、上ってくるようになった。
方位磁石の針は、もう、迷わなかった。
まっすぐに、塚の向こうの、杉木立の奥を、指していた。
そしてその奥に、苔むした坑道の口が、ぽっかりと開いているのを、私はその日になって、初めて見つけた。
間歩、と源治さんは呼んでいた。
たたらの時代に、砂鉄ではない、別の何かを掘り当ててしまった穴だ、とも言った。
掘った者たちは、その後、一人として、山を下りなかったという。
※
近づくな、と言われていた。
数えるな、図るな、とも言われていた。
それでも私は、三日目の午後、その口の前に立っていた。
測量とは、世界を数字に置き換える仕事だ。
わからないものが、わからないまま、目の前にあること。
それが、当時の私には、どうしても、我慢ならなかったのだと思う。
一目だけ見て、図面に印を一つ入れて、すぐ戻る。
そう自分に言い聞かせて、私は坑道へ、足を踏み入れた。
中は、昼だというのに、墨を流したように、暗かった。
懐中電灯の光が、奥まで届かない。
光が、途中で、すうっと吸い込まれて、消えるのだ。
足元の岩が、人の手で削られた、四角い形をしているのがわかった。
壁には、古い鑿の跡が、無数に残っていた。
その跡の一つ一つが、まだ濡れているように、黒く光っていた。
鑿の跡は、途中で、ぴたりと、途絶えていた。
まるで、掘っていた者が、ある一点で手を止めたまま、いなくなったように。
その奥の闇の真ん中に、ぼんやりと、丸いものが浮かんでいた。
直径一メートルほどの、光をまったく返さない、黒い球。
その表面に、注連縄ではなく、無数の細い石の鎖が、幾重にも巻きついていた。
川石を縄でつないだものが、球をぐるぐると、衛星の軌道のように、縛っているのだった。
私はそれを、一瞬、美しいとさえ思った。
よくぞこんなものを、人の手で、縛りとめたものだ、と。
思った、その瞬間だった。
視界が、ぐにゃりと、歪んだ。
足元の岩肌が、急に遠ざかったり、近づいたりした。
距離という距離が、その場で、意味を失っていった。
測量技師の私が、初めて、距離を信じられなくなった瞬間だった。
球を縛る石の鎖の、その隙間から、墨よりも黒い、水のようなものが、すうっと滲み出した。
それは床を這い、私の足元へ向かって、ゆっくりと、伸びてきた。
逃げよう、と思った。
足が、動かなかった。
黒いものは、私の右足の手前で、見えない壁に阻まれたように、ぴたりと止まった。
私の体には、何の加護も、ないはずだった。
なのに、なぜ、止まったのか。
その答えに気づいたとき、私の背筋を、冷たいものが走り抜けた。
止まったのは、私を、避けたからではない。
より確実な、近いほうへ、向きを変えただけだった。
黒いものは、すっと持ち上がり、私の左手に、触れた。
そこから先のことを、私は、うまく言葉にできない。
目の奥と、耳の奥と、左手の先に、同時に、冷たい釘を打ち込まれたような感覚があった。
痛みでは、なかった。
痛みなら、まだ、人のものだ。
それは、自分の体の一部が、ゆっくりと、自分のものでなくなっていく感覚だった。
左手の指先が、私の知らない誰かの指に、すり替わっていくようだった。
遠ざかる意識の底で、私は、声を聞いた。
低い、地の底から這い上がってくるような、声だった。
「ヒトツ……フエタ」
※
気がつくと、私は谷の入口の、軽トラックの脇に、座り込んでいた。
日は、もう、暮れかけていた。
坑道から入口まで、自分がどうやって戻ったのか、まったく覚えていない。
左手だけが、氷を握ったように、冷たかった。
指は、動く。
だが、これが自分の手だという気が、どうしても、しなかった。
宿に戻ると、源治さんが、土間に立って、待っていた。
私の左手を一目見て、源治さんは、ああ、と短く、息を吐いた。
「半分、繋がれましたな」
私は、塚へ行ったこと、坑道を覗いたことを、正直に打ち明けた。
源治さんは、怒らなかった。
ただ、その晩、提灯を一つ提げて、私を棚田の上の塚まで、連れていった。
そして、谷の川から拾ってきた石を一つ、塚のてっぺんに、そっと足した。
両手で包むようにして、何か低い声で唱えながら、ゆっくりと。
「これで、一つぶん、向こうへ行きにくうなる」
「あんたの左手はな、もう半分、向こうのもんじゃ」
「けど、こっち半分は、わしらが、石で引きとめとく」
「だから、この谷の石は、減らしたらいけん。一つでも、な」
翌朝、私は、逃げるように谷を下りた。
バックミラーに、見送る源治さんの姿が、だんだん小さくなっていった。
源治さんは、最後まで、手を振らなかった。
ただ、塚のほうを、じっと見上げていた。
その姿を、私は今も、夢に見る。
塚を見上げる源治さんの、白く濁った左目だけが、なぜか、こちらを向いていた。
堰堤の計画は、後日、別の理由をつけて、立ち消えになった。
私が、止めたのだ。
あの谷の地形を、これ以上、数字に変えてはいけない気がした。
測れば、また、何かの数が、合わなくなる。
それから、三十年が、過ぎた。
私は、何度か、職を変えた。
けれど、地図や図面に関わる仕事だけは、二度と選ばなかった。
それでも、左手の冷たさだけは、消えなかった。
医者にかかっても、原因は、わからなかった。
血の巡りには、何の問題もない、と言われた。
ただ、左手で水に触れると、その水だけが、なぜか、すぐに冷たくなった。
夏でも、だ。
家の者には、左手が冷えるのは、ただの持病だと説明してある。
嘘では、ないと思う。
けれど、本当のことでも、ない。
そのことだけは、自分でも、よくわかっている。
私の左手は、今も時々、何の前触れもなく、氷のように冷たくなる。
そういう夜は、決まって、遠い谷の方角から、石を一つ置くような、ことり、という音が、聞こえる気がする。
源治さんは、もう、向こうへ渡った。
あの谷で、今、石を積んでいる者がいるのかどうか、私は知らない。
去年、古い同僚に頼んで、衛星写真で、あの谷を、そっと見てもらった。
棚田の上の石塚は、まだ、そこにあった。
ただ、私が見たときより、ひとまわり、高くなっていた。
石は、私がいた頃より、いくつも、増えていた。
誰かが、今も、積んでいるのか。
それとも、向こうから、一つずつ、こちらへ、増えてきているのか。
私はこれを、怖い話として、誰かにきちんと語ったことが、一度もない。
語れば、また、どこかで数が動く気がして、ならないからだ。
私の左手だけが、その答えを、知っている気がする。
だからもう、私はこの手で、何も測らないことに、している。