
私の実家は、佐賀県の北部、脊振山地の裾野にある小さな農村にある。
最寄りのコンビニまで車で二十分、信号機が三つしかないような集落だ。
子供の頃はそれが退屈でしかなかったが、今は年に一度か二度、福岡の自宅から車を走らせて帰省している。
特に何があるわけでもない。父と母がいて、古い家があって、裏に田んぼが広がっているだけの場所だ。
それでも帰省のたびに、私がほぼ必ず立ち寄る場所がある。
実家から徒歩で五分ほど、旧街道沿いの小道に並んでいる石地蔵のことだ。
今は軽トラックがやっと通れるくらいの農道で、舗装もされておらず、石畳の一部が崩れかけているような道だが、江戸時代には峠越えの主要な街道だったらしい。
道沿いには、間隔をあけながら石地蔵が点在していた。
高さはどれも四十センチから六十センチほど、台座つきで、苔がびっしり生えていて、顔の彫りがほとんど分からなくなっているものもある。
夏は雑草に埋もれるようにして見えなくなり、冬になると草が枯れてまた姿を現す。
かつては旅人の道中の安全を祈って置かれたものだと、子供の頃に父から聞いたことがある。
峠を越えて行き来していた商人や、修験者たちが手を合わせていった地蔵だろうと父は言っていた。
子供の頃の私にとっては、ただの石の塊にしか見えなかった。
私が地蔵の数を意識するようになったのは、小学三年生の夏のことだった。
近所のおじいさん、田中さんという方が、地蔵の前にしゃがみ込んで何かをしているのを見かけた。
手桶に水を入れて、一体一体、手ぬぐいで丁寧に拭いていた。
汗だくになりながら、でも急いでいる様子でもなく、ゆっくりと一体ずつ水をかけていた。
私が近寄って「何をしてるんですか」と聞くと、田中さんは顔を上げないまま「水をかけてやっとる」と言った。
「何体あるんですか」と続けて聞いた。
田中さんはしばらく間を置いてから、「今日で六体だね」と答えた。
今日で、という言葉が少し引っかかった。
昨日まで六体ではなく、今日で六体、という言い方が。
でも、炎天下に水を運んでいる老人に詳しく聞き返す気にもなれなくて、私はそのまま帰った。
ただ、六体という数は、しっかりと頭に残った。
その日から私は、帰省のたびに、なんとなく地蔵の数を数えるようになった。
六体。それが私の中の基準になった。
※
中学一年の春、進学後初めての帰省で地蔵を数えた。
一体ずつ目で追って、七体あった。
確かに六体だったはずだが、一体増えていた。
新しく置かれたのかと思って一体ずつ近くまで行って確認したが、どれも同じように苔むしていて、どれが新しいものなのか判別できなかった。
母に「地蔵が一体増えてる」と言うと、「そうかね、ずっとこれくらいあるよ」と言った。
父は縁側でお茶を飲みながら「増えることもあるよ、ああいうのは」と言い、それ以上は何も言わなかった。
増えることもある、という言い方が少し不思議だったが、父の口調があまりにも普通だったので、私もそれ以上は追及しなかった。
高校に上がってから帰省の機会がさらに減り、数えるのを一時期やめていた。
成人式で帰省した時に久しぶりに数えると、八体になっていた。
増えた二体がいつから増えたのかは分からない。
その後も、就職して一人暮らしを始め、結婚して、子供が生まれた。
帰省のたびに、私は地蔵を数えた。
二十六歳の帰省で九体。三十二歳で十体。
誰かに話してみたことも一度ある。
夫に「実家の近くの地蔵が帰省するたびに増えてる」と話したら、「石地蔵って自然にできるわけじゃないから、誰かが置いてるんだろうね」と言われた。
そりゃそうなのだが、ならば誰が、という問いには答えてくれなかった。
写真を撮り始めたのも、ちょうどその頃だ。
スマートフォンで地蔵の列を撮っておけば、次回との比較ができると思ったからだ。
写真の中の地蔵は、静止している。
当たり前のことなのに、見返すたびにその当たり前さがかえって奇妙に感じられることがあった。
撮った写真を見返すたびに、何体かは台座の角度が微妙に変わっているようでもあり、見間違いなのかそうでないのか、確認するたびに少し疲弊した。
それでも、数えることをやめることはできなかった。
六体、七体、八体、九体、十体。帰省のたびに、記録はひとつずつ更新されていった。
※
三十五歳の春のこと、少し時間ができたので地元の図書館に行って郷土史の資料を調べてみた。
特に目的があったわけではない。
ただ、あの地蔵のことが長年ずっと気になり続けていたので、何か手がかりになるものがあればと思っただけだ。
図書館の司書さんに旧街道沿いの歴史を調べたいと伝えると、昭和初期からの集落記録を綴じたファイルをいくつか出してくれた。
薄茶色に変色したページを、空調の効いた閲覧室でめくっていく。
虫眼鏡が必要なほど小さな活字で書かれた記録を追いながら、埃の匂いの中で数時間が過ぎた。
その途中で、街道沿いで起きた事故や変死を記録した文書が出てきた。
昭和三十二年の大雨による土砂崩れで一名死亡。
昭和四十五年、旧街道を走っていたオート三輪が横転し、運転手と同乗者の二名が死亡。
昭和五十三年、農作業中の老人が突然倒れて死亡。
昭和六十年前後には水路での溺死事故が一件。
他にも、資料を辿っていくと、旧街道周辺での死亡記録が合計七件あった。
七件。
私は思わず、その数を頭の中と照らし合わせた。
私が小学三年生の時に田中さんから聞いた「今日で六体」という数。それ以前の記録は六件だった。
その後の一体の増加と、一件の死亡記録が、時期的にもほぼ一致していた。
偶然かもしれない、とは思った。
資料に残っていない事故もあっただろうし、地蔵はもともと旅人のために置かれたものだ。
でも私は、しばらく図書館の椅子に座ったまま立ち上がれなかった。
田中さんが「今日で六体」と言った、あの「今日で」という言葉の意味が、ようやく別のものとして入ってきた。
あの時も、誰かが亡くなったのではないか。
あの日の前日には、五体だったのではないか。
その日の夜、地元の農協に勤める幼馴染の女性に電話してみた。
「あの地蔵って、誰かが亡くなるたびに増えるって話を聞いたことある?」と聞いた。
「ああ、そうだよ」と彼女は特に驚いた様子もなく言った。
「うちのおばあちゃんがそう言ってた。街道沿いで誰かが不意に亡くなると、気づいたら一体増えてるって」
「誰が置くの?」と私は聞いた。
「分からないらしいよ。気づいたら増えてるって、そういうものらしいから」
その「そういうもの」という言い方が、父の「増えることもある」という言い方と、妙に重なった。
「最近も誰か亡くなった?」と続けると、少し間があって、「先月、田んぼの向こうの松本さんのじいちゃんが急に亡くなってたよ」と彼女は言った。
「八十過ぎで、一人で田んぼの畦道を歩いてたところを、夕方に倒れてるのを見つけたって」
電話を切った後、私はしばらくそのことを考えた。
次の帰省では、地蔵が十一体になっているのかもしれない。
そう思うと、帰省の日程を決めるのを、少しためらう気持ちがあった。
※
今年の五月の連休、八歳になった娘を連れて帰省した。
娘にとっては三度目の実家への訪問だが、旧街道の地蔵の前を一緒に通るのは今回が初めてだった。
帰省の翌朝、朝食を済ませてから、私は地蔵を見に行くことにした。
一人で行くつもりだったが、娘が「ついていく」と言い張って、結局二人で小道を歩くことになった。
五月の農道は、両脇の水田に水が張られていて、朝の光が水面に反射してやけに明るかった。
カエルの声が四方から聞こえていた。
地蔵の並びが見えてきたところで、私は心の中で数え始めた。
一体、二体、三体……と、歩きながら目で追っていく。
十体で終わるはずだった。
小道の奥の、少し草に覆われた場所に、もう一体あった。
台座の石の感じも、表面の苔の付き方も、新しく置かれたばかりのようには見えなかった。
でも、去年の帰省の時に撮った写真には、その位置には何もなかった。
十一体。
私は足を止めた。
隣で娘も止まった。
「ねえ、お母さん」と娘が言った。「このお地蔵さん、何て言ってるの?」
「何も言ってないと思うよ」と私は答えた。
「でも、なんか言ってる気がする」と娘は言って、また歩き出した。
私はもう一度、十一体目の地蔵を見た。
他の地蔵は皆、道に沿って正面を向いていた。
十一体目の地蔵の顔は、少しだけ私の方を向いていた。
※
その日の夕方、夕食の後に母に話した。
「地蔵が十一体になってた」と言うと、母はしばらく考えてから「そうかもね」と言った。
「春に、向こうの集落の人が、田んぼの近くで亡くなったって話があったから」
「誰が増やしてるの?」と私は聞いた。
母は少し首を傾けて、「さあ」と言った。
「ずっと前からそういうものだから。考えたことなかったわ」
まるで、地蔵が増えることを、季節の移り変わりと同じくらい普通のこととして話しているような口調だった。
「私が子供の頃から数えてたんだよ」と言うと、母はおかしそうに笑って「変な子だね」と言った。
その反応が少し寂しかった。
帰りの高速道路で、助手席の娘は音楽を聴きながらいつの間にか眠ってしまった。
私はハンドルを握りながら、ずっと頭の中で地蔵を数えていた。
一、二、三……十一。
田中さんが「今日で六体」と言ったのは、あの夏に誰かが亡くなった、ということだったのかもしれない。
田中さん自身は十年前に亡くなっていると聞いた。
ならば、田中さんのために置かれた地蔵も、あの並びのどこかに混じっているのかもしれない。
次に帰省した時にまた一体増えているとしたら、それは誰のためなのか。
あの地蔵は、誰かに何かを伝えようとしているのかもしれないし、ただそこにあるだけなのかもしれない。
今も、あの石地蔵が何を意味するのかはわからない。
ただ、分からないまま、私は次の帰省の日程を、もう考え始めている。