七枚目の見積書

子どものころ、雑誌で読んだ記事がある。

海の向こうの、百年離れて生きた二人の指導者の経歴が、日付も名前の文字数も、気味が悪いほど重なっていたという話だ。

偶然を並べただけの記事だと、当時の私は思った。

並べれば、何だって重なる。

そう思っていた。

その考えが変わったのは、平成三年の春だ。

父の転勤で、私たち家族は甲府盆地の外れへ移った。

釜無川の堤防を下りたところにある、家が三十軒ほどの集落だった。

借りたのは、三階建ての大きな家だった。

元は養蚕をしていた農家で、二階と三階は蚕室だったという。

天井が低く、窓が横に長い。

床は板張りで、歩くと乾いた音がした。

家賃は、市内のアパートの半分だった。

私は十六で、姉は大学に入ったばかりだった。

母は「掃除が大変」と言いながら、庭の梅を見て機嫌を直していた。

集落には、店が一軒もなかった。

自動販売機が一台あって、それが夜のいちばん明るいものだった。

朝は、堤防の上を軽トラックが二台か三台通る。

それ以外は、川の音しかしない。

私の通う高校は、自転車で四十分かかった。

行きは下り、帰りは上りだ。

帰り道の最後の坂を上りきると、あの三階建てが正面に見えた。

横に長い窓が三つ、二階と三階に並んでいる。

灯りをつけていない時間帯に見ると、窓が全部同じ方向を向いているのがわかる。

養蚕の家は、風を通すために窓の高さが揃っているのだと、後で知った。

知る前は、ただ、こちらを見ているように見えた。

母は近くの製菓工場へパートに出た。

姉は月に一度、下宿から帰ってきた。

最初の一年は、何も起きなかった。

正確に言えば、起きていたことに、誰も気づいていなかった。

その家には、納屋がついていた。

引っ越して二週目の日曜、父と私で中を片づけた。

桑を刻む台と、繭を入れる竹籠と、錆びた自転車。

それから、油紙に包まれた紙の束が出てきた。

油紙は、蝋を引いたように固くなっていた。

納屋の梁の上、桑籠の裏に押し込んであった。

普通に片づけていたら、まず見つからない場所だ。

父は脚立に乗って、埃を払いながらそれを下ろした。

「隠してあるな、これ」

そう言った父の声を、いまでも憶えている。

父が広げると、それは手書きの見積書だった。

「大工の書いたもんだな」

父が言った。

七枚あった。

一枚目の日付は、昭和六年になっていた。

屋号と印が押してあって、宛名の欄だけが空だった。

一枚目には、こう書いてあった。

「北面 桁 雨仕舞 手直し」

父は「うちの雨漏りと同じところだ」と笑った。

笑い事ではなかった。

屋号は「相沢」とあった。

集落に相沢という家はもうない。

笹本さんに後で訊いたら、堤防の向こうにあった大工の家で、戦後に絶えたという。

その前の週、父は北側の天井のしみを見つけて、業者に電話をしたばかりだった。

二枚目は「東縁 敷居 沈み 直し」。

三枚目は「風呂場 土台 入替」。

四枚目は「三階 north 窓 建具 調整」。

四枚目だけ、なぜか一語だけ横文字が混じっていた。

大工が測量学校に通っていたのだと、後で聞いた。

父は面白がって、その七枚を居間の壁に貼った。

「うちの修繕の予定表だ」

母は嫌がった。

「よその家の紙でしょ」

その通りだった。

けれど父は剥がさなかった。

その年の梅雨、業者が北面の雨仕舞を直した。

秋には、東の縁側の敷居が沈んで、父が自分でかんなをかけた。

翌年の春、風呂場の土台が腐っているのが見つかった。

三つとも、紙の順番どおりだった。

父は最初、「古い家はどこも同じところから傷むんだ」と言っていた。

私も、そう思っていた。

実際、そういうものだろうと思う。

おかしいのは、順番だけではなかった。

金額だった。

風呂場の見積が業者から届いた日、父は電卓を置いて、しばらく黙っていた。

壁の三枚目には、昭和六年の値段が書いてある。

桁は当然違う。

けれど、三枚目と業者の見積は、下から三桁が一致していた。

偶然だと、父は言った。

言いながら、その晩は電卓を何度も叩いていた。

音のことを書いておく。

三階の蚕室から、夜になると音がした。

包丁で何かを刻むような、規則正しい音だ。

桑を刻む音だと、私は勝手に思っていた。

季節に関係なく鳴った。

真冬にも鳴った。

桑の葉がない季節に鳴るのは、おかしい。

それでも、慣れてしまえば雨樋の音と変わらなかった。

姉だけが嫌がって、三階には一度も上がらなかった。

「あそこ、床の埃が真ん中だけないんだよ」

姉はそう言った。

私は見に行った。

たしかに、三階の板の間は、真ん中の一畳分だけ埃がなかった。

誰かが毎晩、そこに座っているような残り方だった。

匂いもあった。

青くさい、草を折ったときのような匂いだ。

三階の階段を上りきったところで、いつも一瞬だけ鼻に来る。

その先へ進むと、もう匂わない。

ちょうど、誰かが通ったあとを歩いているような順番だった。

姉は一度だけ、三階の窓の外から中を見たことがあるという。

庭で洗濯物を干していて、ふと見上げたそうだ。

「横向きに座ってる人がいた」

私が父に言うと、父は取り合わなかった。

「窓が三つあるだろう。真ん中は木が映るんだ」

庭に木はなかった。

梅は、家の裏だった。

集落の一番奥に、笹本さんという老人が住んでいた。

元は郵便を配っていた人で、この集落の家の中を全部知っていた。

ある日、堤防で会って、うちの修繕の話になった。

笹本さんは、そこで足を止めた。

「あんたんとこ、納屋から紙が出たろう」

私は驚いて頷いた。

笹本さんは、堤防の草を見たまま言った。

「あの家はな、直す順番が決まっとる」

「飛ばしたらいけんよ」

意味がわからなかった。

「順番って、あの紙のですか」

「紙が先か、家が先かは、わしにもわからん」

笹本さんは、そこで初めて私の顔を見た。

「昭和のはじめにおった家族もな、同じ紙を持っとった」

「わしの親父が、その家の子と同い年でな」

「同じ日に学校をやめて、同じ日に町を出たそうだ」

私は、その家族のことを訊いた。

笹本さんは、しばらく黙ってから話しはじめた。

昭和のはじめ、あの家には七人が住んでいた。

繭の値が落ちて、蚕をやめる家が集落に増えた年だ。

あの家だけが、最後まで三階に火を入れていた。

「あの家は、やめられんかったんだ」

笹本さんはそう言った。

「順番が、残っとったからな」

ある年の春、七人は一晩で町を出た。

荷物は、ほとんど置いていったという。

「布団も、茶碗も、そのままだった」

私は、その荷物がどうなったのかを訊いた。

笹本さんは、堤防の草を靴の先でならしていた。

「次に入った家が使ったよ」

「そういうもんだ、田舎は」

「そのあと、また置いていく」

置いていく、という言葉の順番が引っかかった。

使って、置いていく。

その繰り返しを、あの家は何回見たのだろうと思った。

「大工に頼んどった仕事の、途中だった」

同じ日に、という言い方が、耳に残った。

そこから、私は数え始めた。

納屋の紙の隅には、細かい数字が鉛筆で書き込まれていた。

日付だと、最初は思った。

三枚目の隅に「八・二九」とある。

私の誕生日だった。

五枚目の隅に「四・一一」とある。

私たちがこの家に越してきた日だった。

六枚目の隅は「三・六」。

姉の誕生日だ。

すべて、昭和六年に書かれた紙の上にある。

私は、その日から三階へ上がらなくなった。

一度だけ、姉に見せた。

姉は紙の隅を指でなぞって、それから手を引っ込めた。

「これ、書いた人はさ」

「わたしたちの誕生日を、知ってたってこと?」

私は、うまく答えられなかった。

知っていたのなら、順序が逆だ。

知らなかったのなら、なぜ揃うのか。

どちらを選んでも、行き止まりだった。

姉は、その週から下宿に帰らなくなった。

正確には、この家に帰らなくなった。

母にはそれを、就職活動が忙しいからだと言っていた。

母も、それ以上は訊かなかった。

訊けば、自分でも数え始めることになるからだ。

もうひとつ、気づいたことがあった。

私は、この家の階段の七段目で、必ずつまずいた。

一度や二度ではない。

板が反っているのだろうと思って、手をついて確かめた。

反ってはいなかった。

ただ、七段目だけ、他の段より少しだけ音が高かった。

笹本さんに話すと、こう言われた。

「あの家の七段目はな、下に何も入っとらんのだと」

「ほかの段は詰め物がしてある」

「七段目だけ、空にしてある」

なぜ、と訊いた。

笹本さんは答えなかった。

代わりに、こう言った。

「数えるためだろう」

平成五年の冬、父が四枚目を飛ばした。

三階の窓の建具は、もう使わない部屋だからと後回しにした。

代わりに、五枚目の「台所 竈跡 床 張替」に取りかかった。

その週から、家の中の音が変わった。

刻む音が、二階へ下りてきた。

母が、夜中に台所の電気をつけたまま眠るようになった。

父は、笑わなくなった。

母が、家の中で歌を歌わなくなったのもその頃だ。

台所に立つとき、必ずラジオをつけた。

音を、音で埋めていたのだと思う。

私は夜、机に向かいながら、刻む音の間隔を数えた。

一分間に、いつも四十二回だった。

速くも遅くもならない。

人が手でやる作業に、そういう均一さは出ない。

それに気づいてから、私は数えるのをやめた。

父は五枚目の床を、業者に頼まず自分で張った。

竈の跡は、思っていたより浅かった。

灰が、乾いた粉のまま残っていた。

その灰の上に、丸い跡が三つ並んでいた。

釜を置いた跡だと父は言った。

三つとも、大きさが違った。

いちばん小さい跡は、湯呑みほどだった。

竈に湯呑みは置かない。

父は、その部分だけ写真も撮らずに板を張った。

「順番のことは、言うな」

父はそれだけ言って、六枚目に取りかかった。

六枚目は「玄関 上がり框 取替」。

取り替えた框の下から、古い草履が片方だけ出てきた。

小さかった。

子どもの足の大きさだった。

母は、それを見て台所へ行ってしまった。

その晩、両親が言い争った。

襖の向こうで、母の声だけが聞こえた。

「もう、あの紙は捨ててください」

父は、何も言わなかった。

翌朝、紙は壁に貼ったままだった。

父が捨てられなかった理由が、私にはわかる気がした。

あの七枚は、この家の予定表ではなかった。

この家に住む者の予定表だった。

捨てたところで、予定は進む。

父は、せめて何が来るかを知っていたかったのだと思う。

そして、七枚目になった。

七枚目には「三階 north 床 一畳 上ゲ」とだけ書いてある。

真ん中の一畳分。

埃のない、あの場所だ。

父は、業者を呼んで見積を取った。

取ってから、壁の紙を見て、動かなくなった。

七枚目の見積書の合計金額は、父が前の晩に電卓ではじいた数字と、一円まで同じだった。

桁が違うはずだった。

六十年も前の紙だ。

それなのに、七枚目だけは、下の桁まで揃っていた。

父はその夜、七枚とも壁から剥がした。

剥がして、納屋へ戻した。

三階の床は、上げなかった。

その代わりに、父は納戸から板を出してきた。

三階へ上がる階段の入口を、板で塞いだ。

釘を打つ音が、家じゅうに響いた。

打ち終わったあと、上から刻む音がした。

いつもより、少しだけ速かった。

一分間に、四十二回ではなかった。

父は板を見上げたまま、金槌を持っていた。

母が後ろから、何も言わずに電気をつけた。

その晩、家族の誰も三階の話をしなかった。

翌朝、板は打ったままの形で残っていた。

ただ、階段の七段目に、青い葉のかけらが一枚だけ落ちていた。

桑の葉だった。

三月の、まだ芽の出ない時期だった。

私たちは、その春に家を出た。

父の転勤が早まったのだと、母は近所に説明していた。

本当のところはわからない。

引っ越しの日、笹本さんが堤防のところに立っていた。

「上げんかったか」

父は頷いた。

笹本さんは、それでいいというふうに、何度も頷いた。

それから、思い出したように言った。

「昭和の家族もな、七枚目の前に出ていったんだ」

私は訊いた。

「八枚目は、ないんですか」

笹本さんは、堤防を下りながら答えた。

私は、もうひとつだけ訊いた。

「あの家は、何を数えてるんですか」

笹本さんは足を止めなかった。

「家は、数えん」

「数えるのは、いつも住んどるほうだ」

「八枚目を見た者の話は、聞いたことがない」

それから三十年以上が経った。

私は今、東京の郊外で、築四十年の家に住んでいる。

去年、北側の天井にしみが出た。

業者を呼んで直した。

今年になって、東の縁側の敷居が沈んだ。

自分でかんなをかけた。

先月、風呂場の土台が傷んでいるのが見つかった。

見積を見て、私は電卓を置いた。

下から三桁が、記憶にある数字と同じだった。

甲府の家の紙は、もう手元にない。

納屋に戻したまま、私は一枚も持ち出していない。

それなのに、順番だけは体が憶えている。

妻には、甲府の家の話をしていない。

話せば、順番の名前を教えることになる。

名前をつけたものは、家の中で場所を持ってしまう。

そういう気がして、口にできずにいる。

次が四枚目だということも。

四枚目を飛ばしてはいけないということも。

この家の階段は、十四段ある。

私は最近、七段目でつまずくようになった。

最初は、疲れているのだと思った。

けれど、つまずくのは決まって夜の同じ時間だ。

階段の電気をつけていても、つまずく。

手すりを持っていても、つまずく。

足が、そこだけ半歩ぶん先を測っている感じがする。

甲府の家の七段目と、同じ幅で。

板は反っていない。

確かめた。

ただ、七段目だけ、他の段より少しだけ音が高い。

妻に話したら、笑われた。

「気にしすぎ。前の家のことでしょ」

そうかもしれない。

あの雑誌の記事のように、並べれば、何だって重なるのかもしれない。

ただ、ひとつだけ、どうしても説明のつかないことがある。

先週、三階のない我が家の物置を片づけていて、油紙の包みが出てきた。

中身は、手書きの紙が七枚。

私が引っ越してくる二年前の日付で、宛名の欄は空になっていた。

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