潮首の宿を出るときの作法

夕暮れの海を望む家

今でも、家を出るとき、私は履物を一度脱いで、揃え直してから履く。

習慣というほど古いものではない。

そうしないと、その日一日、どこか落ち着かないだけだ。

平成十年の夏に、そうなった。

当時、私は三十四歳だった。

盆地の底の小さな町で、夫と、夫の両親と暮らしていた。

昼のあいだだけ、川向こうの縫製工場に出ていた。

それ以外は、特に何もない生活だった。

ただ、隣に絹さんが住んでいた。

その年で七十八になる人で、十年ほど前から一人で暮らしていた。

私が子どもの頃から、その家はそこにあった。

母が町工場に出ていたので、学校から帰ると私は絹さんの家に上がり込んでいた。

居間の柱時計が、いつも二分ほど進んでいた。

直さないんですかと聞くと、「進んでるほうが、間に合うだろ」と言われた。

絹さんは自分の話をしない人だった。

生まれがどこかも、私は嫁いで来るまで知らなかった。

夏になると、縁側に麦茶と、なぜか必ず氷砂糖が出た。

甘いものは体に障ると言いながら、絹さんは一日中それを舐めていた。

口の悪い人でもあった。

私が嫁いで来た年、開口一番に「あんた、洗濯物の干し方が下手だね」と言われた。

腹は立たなかった。

実際、下手だったからだ。

その絹さんが、六月の終わりに、珍しく改まった顔で縁側に座った。

「あんた、車出せるかね」

行きたいところがある、と言う。

若狭の、潮首という在だった。

絹さんの生まれた土地で、十七で出てから、一度も帰っていないという。

六十年以上ということになる。

「別に、何があるわけでもないんだけどね」

氷砂糖を鳴らしながら、絹さんはそう言った。

「あるうちに、見ておきたいだけ」

私は二つ返事で引き受けた。

断る理由が思いつかなかった。

それに、絹さんが私に何かを頼んできたのは、そのときが初めてだった。

三十年、隣に住んでいて、頼まれたのは一度きりだ。

その一度が、これだった。

出発は七月の第三土曜と決めた。

一泊二日で、宿は絹さんが自分で電話をかけて取った。

潮首には民宿が一軒だけ残っていて、浜屋という名だった。

前の晩、私は仏間の抽斗を開けた。

抽斗の奥に、小さな木彫りの馬が入っている。

手のひらに乗るくらいの大きさで、鬣も尾も彫り出しただけの、簡単な作りだ。

戻り駒、と祖母は呼んでいた。

祖母の生家は峠向こうの宿場町で、旅に出る者にこれを持たせる家だったらしい。

「行った分だけ、帰ってこられるように」

祖母はそう言って、私が高校に上がる年にこれをくれた。

駒は四本の脚で立っているのに、右の前脚の底だけが、平らに擦れて短くなっていた。

買ったときからそうだったのか、祖母が使っていたのかは、聞かないままになった。

祖母は十年前に、静かに向こうへ渡った。

その家は、今も空き家のまま、町の外れに残っている。

年に二度、風を入れに行っている。

行くたびに、柱の背比べの傷を撫でて帰る。

思い出すことがある。

祖母の家の三和土には、いつも一足だけ、誰のものでもない下駄が揃えて置いてあった。

子どもの頃、あれは誰のと聞いたことがある。

祖母は「お客さんの」とだけ答えた。

客が来ているところは、一度も見たことがなかった。

私は駒を手拭いに包んで、鞄の内側に入れた。

特に意味はなかった。

遠出のときは、そうするものだと思っていた。

当日は、朝から晴れていた。

六時に絹さんの家へ迎えに行くと、もう玄関の前に立っていた。

荷物は風呂敷ひとつだった。

家を出るとき、絹さんは三和土で一度履物を脱いだ。

脱いで、爪先を揃えて置き直し、それからもう一度履いた。

妙に手間をかけるものだと思った。

几帳面な人なのだろうと、そのときは思った。

峠を三つ越えて、三時間半かかった。

途中、道の駅で休んだ。

絹さんはソフトクリームを二つ食べた。

体に障るんじゃなかったんですかと言うと、今日はいいの、と返ってきた。

昼過ぎに、海が見えた。

山を削った道が下りに入って、その先が急に開けた。

湾というより、山と山のあいだに海が入り込んだ、細い水の道だった。

半島の付け根が、そこだけ細くくびれている。

だから潮首というのだと、絹さんが言った。

在は十九戸だと聞いていたが、人の気配があるのは半分ほどに見えた。

家は斜面に張りつくように並んでいて、道は車一台がやっとだった。

港には、コンクリートの防波堤が湾の口を塞ぐように伸びていた。

「あんなもの、昔は無かったよ」

絹さんは、堤防を長いこと見ていた。

絹さんの生家は、もう無かった。

石垣だけが残っていて、上は畑になっていた。

玉ねぎが植わっていた。

絹さんは石垣に手を置いて、「思ったより小さいねえ」とだけ言った。

泣きもしなかった。

畑にいた年寄りの女の人が、鍬の手を止めてこちらを見ていた。

絹さんが名乗ると、その人は少し笑って、「ああ、上の畑の」と言った。

それから私のほうを見て、「今日は泊まるんかね」と聞いた。

泊まりますと答えた。

その人は、「なら、出るときに気ぃつけてな」と言った。

何にですかと聞く前に、鍬を担いで畝の向こうへ行ってしまった。

そのときは、道が細いから運転に気をつけろという意味だと思った。

私のほうが、少し落ち着かなかった。

浜屋は、港から石段を十段ばかり上がったところにあった。

木造の二階建てで、玄関の引き戸がやたらと重かった。

女将さんは六十くらいの人で、絹さんの旧姓を聞くと、すぐに「ああ」と頷いた。

「上の畑の家ですね」

それだけで話が通じるらしかった。

部屋は二階の海側で、窓を開けると入り江が正面に見えた。

潮の匂いが、思っていたより青くさかった。

階段の途中の壁に、古い写真が一枚だけ額に入って掛かっていた。

港に船が何艘も舳先を並べて、その手前に人が二十人ばかり立っている。

全員が、こちらに背を向けていた。

撮った日付は入っていなかった。

堤防はまだ写っていなかった。

夕飯は刺身が多すぎた。

二人では到底食べきれない量が出て、絹さんが「これ、明日の朝にも出るよ」と笑った。

実際、翌朝も出た。

日が落ちる少し前、絹さんは一人で浜に降りた。

私は部屋の窓から見ていた。

絹さんは波打ち際に立って、堤防のほうを向いていた。

二十分ほど、そのままだった。

浜には、堤防の付け根に古い石積みが半分埋まっていた。

船を陸へ引き上げるための道の名残だと、あとで知った。

石は角が取れて、丸くなっていた。

戻ってきたとき、絹さんは何も言わなかった。

ただ、風呂に入る前に、風呂敷から数珠を出して枕元に置いた。

来るときには出していなかったものだった。

何かありましたかと、私は聞かなかった。

聞けば、絹さんが答えなければならなくなる。

答えたくないから黙っているのだと、そのくらいは分かる年数を隣で暮らしていた。

今は、聞いておけばよかったと思っている。

その晩、廊下で女将さんとすれ違った。

女将さんは、思い出したように言った。

「明日お発ちのとき、そこの三和土で、履物を一度脱いでくださいね」

脱いで、揃えて置き直してから履いてください、と。

意味が分からなかったので、聞き返した。

「なぜですか」

女将さんは、少し困った顔をした。

「昔から、そう言うだけです」

それ以上は説明しなかった。

部屋に戻って絹さんに話すと、絹さんは「ああ、やるやる」と言った。

「うちでもやってたよ」

何のためかと聞くと、絹さんも首をかしげた。

「知らない」

「知らないけど、やらないと親に叱られた」

その晩は、波の音がずっと聞こえていた。

内陸で育った私には、あれは思ったより大きな音だった。

音は寄せて、返して、また寄せる。

同じ間隔のようでいて、少しずつずれていく。

数えているうちに、どこまで数えたか分からなくなった。

一度、夜中に目が覚めた。

廊下を、誰かが歩いていた気がした。

板の軋みが、こちらの襖の前で止まって、それきりだった。

私は寝返りを打って、また眠った。

古い宿とはそういうものだと思っていた。

翌朝は、雨だった。

出発の支度をしていると、絹さんが左の足首をさすっていた。

昨日歩きすぎた、と言う。

「痛いですか」

「痛いんじゃない、冷たいの」

その言い方が、少し引っかかった。

早めに出たほうがいいと女将さんが言い、私たちは慌ただしく玄関に出た。

傘を差しかけて、絹さんを先に車へ乗せた。

荷物を積んで、私も乗った。

履物のことは、そのとき、頭から抜けていた。

思い出したのは、峠を一つ越えたあとだった。

「あ」と声が出た。

絹さんに言うと、「まあ、いいさ」と返ってきた。

「六十年ぶりに帰って、忘れるくらいがちょうどいい」

私も笑った。

その日は、それで終わりのはずだった。

二つ目の峠に差しかかったあたりで、後ろで金具の鳴る音がした。

シートベルトの尾錠が、座席の縁にぶつかったときのような、乾いた音だった。

後部座席には、絹さんの風呂敷しか乗っていない。

バックミラーで確かめた。

風呂敷は動いていなかった。

私は何も言わなかった。

絹さんは眠っていた。

家に着いたのは、夕方だった。

絹さんを送って、自分の家の玄関を開けた。

三和土が濡れていた。

雨で濡れたのだろうと思ったが、そうではなかった。

濡れているのは、上がり框の手前だけだった。

屈んで見た。

砂が混じっていた。

白っぽい、粒の粗い砂だった。

うちの町の川の砂は、もっと黒くて細かい。

私は雑巾で拭いた。

拭きながら、砂の残り方が足跡の形をしていることに気づいた。

一人分の歩幅で、玄関から上がり框まで、二つ。

翌日の夕方、向かいの梅原さんに呼び止められた。

「昨日、お客さん来てたね」

心当たりがなかったので、そう答えた。

梅原さんは不思議そうな顔をした。

「玄関のところに立ってたよ」

「靴を、こう、揃えてた」

梅原さんは腰をかがめる仕草をしてみせた。

どんな人でしたかと聞いた。

梅原さんはしばらく考えて、「わからない」と言った。

「見たんだけどね、どんな人だったか、思い出せない」

その週のうちに、絹さんが寝込んだ。

左の足首から下に、力が入らなくなった。

医者は、腫れてもいないし、熱も無いと言った。

血の流れも悪くないという。

ただ、その部分だけが、触ると冷たかった。

夏の盛りだった。

私が毎日、湯たんぽを取り替えに行った。

湯たんぽを当てても、朝には冷めていた。

冷めるというより、冷たさのほうが戻ってくるようだった。

八月に入って、浜屋から葉書が届いた。

忘れ物は無かったかという、丁寧な文面だった。

宛名を見て、手が止まった。

私の名前でも、絹さんの名前でもなかった。

祖母の名前が書いてあった。

旧姓のほうで、しかも祖母の家の、古い住所だった。

私は宿の名簿にそんなことを書いていない。

書けるはずもない。

その葉書は、今も持っている。

翌日、私はその住所を確かめに行った。

祖母の家の、昔の番地だった。

町名が変わる前の書き方で、今の郵便では届かないはずのものだ。

それでも葉書は、私の家の郵便受けに入っていた。

宿に問い合わせる気には、しばらくなれなかった。

盆の少し前、絹さんが妙なことを言った。

「後ろから、一緒に帰ってきた気がするんだよ」

布団の上に起きて、足をさすりながらだった。

誰がですか、と聞いた。

「わからない」

「わからないけど、あの朝、うちの分が済んでないままだった気がする」

済んでいない、というのが何を指すのかは、私にも分かった。

三和土のことだ。

揃えて置き直さずに出たのは、絹さんではなく私だ。

絹さんは、自分の家を出るときにはきちんとやっていた。

浜屋の三和土で忘れたのは、傘を差しかけて先に絹さんを乗せた、私のほうだった。

私はその日、家に帰ってから、仏間の抽斗を開けた。

戻り駒を出した。

手拭いを解いて、脚の底を見た。

右の前脚の擦れは、そのままだった。

それを持って、絹さんの家へ行った。

枕元に置くとき、絹さんは笑った。

「なんだいそれ、馬かい」

馬です、と答えた。

「あんたの婆さんのかい」

そうです、と答えた。

絹さんは「ふうん」と言って、それきり何も聞かなかった。

私は、駒の鼻先を絹さんの足のほうへ向けて置いた。

なぜそうしたのかは、自分でも説明できない。

行った分だけ帰ってこられるように、という祖母の言葉が、頭にあっただけだ。

祖母は、駒のことでもう一つだけ言っていた。

「一度に一人分しか、歩けないからね」

意味が分からないまま、そのときは頷いた。

駒に、何かが乗るとは思っていなかった。

その晩、私の家では、足音がしなかった。

気づいてから、私はそれまで毎晩、足音を聞いていたことに気づいた。

廊下を一往復するくらいの、短いものだった。

家の誰かだと思っていた。

誰も歩いていなかったのだと、無くなってから分かった。

翌朝、私は祖母の家へ行った。

空き家になって十年、鍵は私が預かっていた。

引き戸を開けると、埃と、乾いた畳の匂いがした。

仏壇の扉は、私が閉めたときのままだった。

柱の傷も、そのままあった。

三和土に、あの下駄は無かった。

十年、誰も入っていない家だった。

私はしばらく、そこに立っていた。

下駄が置かれていた場所だけ、埃が薄く、抜けていた。

抜けた形は、下駄の底ではなかった。

もっと大きい、人が立っていたくらいの形だった。

私はそのまま戸を閉めて、鍵をかけて帰った。

帰る途中、何度か立ち止まった。

足が重いわけではなかった。

ただ、一歩踏み出すのに、少し時間がかかった。

その日の夕方、駒を見に絹さんの家へ寄った。

絹さんは布団の上に座って、氷砂糖を舐めていた。

「今朝から、あったかいんだよ」

左足を、掌で叩いてみせた。

私は駒を手に取った。

右の前脚の擦れは、そのままだった。

代わりに、左の後脚の底が、白く毛羽立っていた。

昨日までは、何ともなかった場所だ。

木は、一晩でこうはならない。

私は駒を包み直して、絹さんの枕元に戻した。

もうしばらく置かせてください、と言った。

絹さんは「勝手にしな」と言った。

九月に入って、私は浜屋に電話をかけた。

葉書の礼を言うつもりだった。

女将さんは、私の名前を聞いて、少し黙った。

それから、こう聞いた。

「あの朝、揃えて出られましたか」

忘れました、と答えた。

受話器の向こうで、何かを置くような音がした。

「そうですか」

それだけだった。

あれは何の作法なんですかと、私は聞いた。

女将さんは、少し考えてから答えた。

「昔、ここは風待ちの在でしてね」

時化で入った船の者を、家々が順に泊めたのだという。

帰る者が、いつ帰るか分からない土地だった。

「戸口が、覚えてるんです」

誰が入って、誰が出たか。

「揃えて置くのは、ここまでですよ、と知らせるためです」

知らせずに出たら、どうなるんですか。

女将さんは答えなかった。

「もう、そういう家も少なくなりました」

そう言って、電話は切れた。

かけ直そうかと思って、やめた。

聞いても、答えは同じだった気がする。

絹さんは、秋の彼岸には縁側に戻ってきた。

相変わらず氷砂糖を舐めていた。

足のことは、もう何も言わなかった。

私は駒を返してもらって、仏間の抽斗にしまった。

左の後脚の底は、白いままだった。

その後、擦れが増えることはなかった。

毎年、正月に一度、脚の底を確かめている。

二十八年、白いままだ。

白いということは、まだ歩き終えていないということなのか、それとも歩き終えたということなのか。

私には判じようがない。

潮首には、二度と行っていない。

絹さんも、行きたいとは言わなかった。

絹さんは、十四年前の冬に向こうへ渡った。

九十二だった。

最後まで口が悪かった。

人が集まった日、私は絹さんの家の玄関に立った。

三和土に、履物がたくさん並んでいた。

その端に、一足だけ、見覚えのないものがあった。

古い、女物の下駄だった。

誰のかと聞いて回ったが、心当たりのある人はいなかった。

私はそれを、少し離れた場所に、揃えて置き直した。

触ったとき、下駄の裏が湿っていた。

その日は、雪も雨も降っていなかった。

揃えながら、指のほうが先に覚えていることに気づいた。

爪先をわずかに内へ向ける、あの置き方だった。

祖母の三和土に、いつも置いてあったのと、同じ揃え方だった。

あれから、二十八年になる。

絹さんの家は、五年ほど空いたあと、取り壊された。

更地になった日、私は見に行った。

三和土のあったあたりに、四角く、土の色の違う場所があった。

それだけだった。

私は今でも、家を出るとき、履物を一度脱いで、揃え直してから履く。

揃えるとき、いつも一足、多く揃えている。

誰の分なのかは、考えないことにしている。

考えると、そのうち、思い出しそうな気がするからだ。

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