
あの入江には、もう近づかないようにしている。
平成十五年の秋のことだ。
私は当時三十一歳で、金沢にある海洋土木会社の潜水士をしていた。
港湾の基礎調査や海底地形の測量が主な仕事で、日本海側の沿岸はおおむね潜ったことがある。
福井の敦賀から、新潟の佐渡まで。
底の見える浅い砂地も、視界が一メートルもない濁った泊地も、一通り経験してきた。
だから自分は、海の底のことをそれなりに理解していると思っていた。
少なくとも、あの入江に潜るまでは。
※
その年の十月、能登半島の先端近くにある無人の入江で、漁港拡張工事の事前調査を命じられた。
入江の名前は鯨ヶ浦といった。
海図に地名は載っている。
しかし、地元の漁師でもあの入江を使う者はいなかった。
理由は後になって知った。
※
調査の拠点にしたのは、入江から二キロほど離れた漁村の民宿だった。
初日の午後、機材を積んだ車で到着すると、六十すぎの女将が出迎えてくれた。
記帳を済ませたところで、女将が訊いた。
「鯨ヶ浦の調査ですか。」
そうです、と答えた。
女将は手を止めて、少し黙った。
それから、声を落として、こう言った。
「あそこは潮が妙なんです。」
潮汐表と実際の水位が合わない、という意味らしかった。
私はそのとき、地形的な要因だろうと思った。
閉じた入江では潮の出入りに時間差が生じることがある。
岩礁が複雑な地形を作っていれば、局所的に潮位が周囲とずれることは珍しくない。
教科書どおりの現象だと片づけた。
女将の表情が気にならなかったわけではない。
あの目は、単に怪異を信じている人間の目ではなかった。
何かを実際に見た人間の目だった。
しかし私はその時、それに気づいていながら、気づかないふりをした。
ただ、経験を積んだ人間ほど、土地の言い伝えより計器を信じる傾向がある。
当時の私は、完全にそちら側の人間だった。
※
翌朝、漁師の佐伯さんという七十代の男性に船を出してもらい、入江に向かった。
佐伯さんは口数の少ない人だった。
船のエンジン音だけが、朝の海面に響いていた。
十月の能登の海は、まだ穏やかだった。
空は薄曇りで、日差しは弱く、遠くの水平線がぼんやりと白んでいた。
入江の手前、百メートルほどの沖合で、佐伯さんはエンジンを切った。
「ここから先は入らん。」
理由は訊かなかった。
佐伯さんの目が、訊くなと言っていた。
私は機材を背負い、岩場を歩いて入江に入った。
※
鯨ヶ浦は、両側を二十メートルほどの崖に挟まれた、奥行き百五十メートルほどの細長い入江だった。
入口は十数メートルと狭く、奥に向かって少しずつ広がっている。
崖の上には松が茂り、岩肌は暗い灰色をしていた。
波はほとんどなかった。
外海からのうねりが岩礁に遮られて、入江の中は池のように凪いでいた。
水面が鏡のように空を映していて、水と空の境目がどこにあるのか、一瞬わからなくなった。
最初に気づいたのは、潮位の違いだった。
潮汐表では干潮から三時間が経ち、上げ潮に入っているはずだった。
しかし、岩に打った測量の基準点から水面までの距離を測ると、満潮時の水位より三十センチ高い。
計器の故障ではなかった。
三回測り直しても、同じ数字が出た。
潮が、余分に満ちていた。
あるいは、潮汐表が想定していない水が、どこかから流れ込んでいた。
※
初回の潜水は午前十時に開始した。
バディの後藤が岸で管理を担当し、私が潜る。
後藤は入社二年目の若い潜水士で、まだ単独潜水の許可は出ていなかった。
ストップウォッチと無線機を持たせ、私はレギュレータを咥えて水中に入った。
水は澄んでいた。
透視度は十五メートル以上あり、日本海の沿岸としては異例の透明度だった。
入江の底は白い砂地で、海藻はほとんど生えていなかった。
生き物の姿も見えない。
魚も、甲殻類も、海底にへばりつく貝類すら、何もいなかった。
能登の沿岸でこれほど生物のいない海底は見たことがなかった。
水は透き通っているのに、命の気配だけがない。
水族館から水だけ残して、すべての生き物を抜き取ったような海底だった。
不自然だとは思った。
しかし、不自然を感じることと、不自然の意味を理解することは別のことだった。
水深は最も深い地点で十二メートル前後のはずだった。
しかし、深度計は十八メートルを示していた。
十二メートルの底に降りたはずなのに、深度計だけが六メートル深い数値を出す。
水圧の体感は、深度計のほうに近かった。
つまり、海底そのものが、地形図よりも深い位置にあった。
地形図の測量誤差にしては大きすぎる。
私は海底を移動しながら手動で深度を記録していった。
入江の奥に進むにつれて、数値のずれは大きくなった。
奥から四十メートルの地点で、深度計は二十六メートルを示した。
地形図上の水深は十一メートルだ。
十五メートルの誤差。
ありえない数字だった。
しかし私はそのとき、恐怖よりも、ある種の知的な興奮を覚えていた。
この海底は、何かがおかしい。
※
四十分の潜水を終えて浮上すると、後藤が不思議そうな顔をしていた。
「十二分で戻ってきましたね。」
私は四十分潜っていたはずだった。
ダイブコンピュータは四十七分を記録していた。
後藤のストップウォッチは十二分を指していた。
※
その夜、民宿で測量データを整理しながら、深度の不整合について考えた。
海底地形が変動した可能性はある。
地震や海底地すべりで地盤が沈めば、深度は変わる。
しかし、それでは時間のずれが説明できなかった。
私のダイブコンピュータは四十七分。
後藤のストップウォッチは十二分。
どちらかが壊れているなら単純な故障だが、私の体感は明らかに四十七分に近かった。
翌日の潜水で確かめることにして、早めに布団に入った。
布団の中で、女将の言葉が頭を過った。
潮が妙、と女将は言った。
深度が妙だった。
時間が妙だった。
そして何より、あの入江に生き物が一匹もいないことが、妙だった。
海の生き物は、棲めない場所には棲まない。
汚染でも、水温でも、塩分でもない理由で、あの海域を避けている何かがある。
それが何なのかは、翌日の潜水で知ることになった。
※
二日目、午前九時に二度目の潜水を開始した。
今度は腕時計を二つ身につけた。
一つは防水のダイバーズウォッチ。
もう一つは安物のデジタル時計を防水ケースに入れたものだ。
後藤にも同じように二つの時計を持たせた。
入江の底に降り、前日の最深点まで一直線に泳いだ。
奥から四十メートルの地点。
そこで、それを見つけた。
石段だった。
海底の砂に半ば埋もれた状態で、石段が入江の奥に向かって続いていた。
前日は砂に覆われて見えなかったのか、あるいは前日にはなかったのか。
いずれにせよ、それは今、確かにそこにあった。
一段の幅はおよそ三十センチ。
高さは二十センチほど。
石の表面には鑿の痕があった。
明らかに人の手で造られたものだった。
角は長い年月で丸くなっていたが、段の形は崩れていない。
しかし、石段の向きが奇妙だった。
海底から入江の奥に向かって、下っているのではなく、上っていた。
海の中で、石段が上に向かっている。
水中では方向感覚が狂うことがある。
私は水平器を確認した。
石段は間違いなく上りだった。
海底から、さらに上へ。
海面に出るわけでもなく、ただ上に向かって石段が伸びていた。
私は石段を五段だけ上った。
上るたびに、水がわずかに澄んでいった。
海水の手触りが変わっていた。
指先に感じる粘度のようなものが薄れ、水が軽くなっている。
塩分の濃度が、段を上るごとに下がっている気がした。
五段目で、引き返した。
浮上して後藤に時間を確認した。
「三十五分です。」
私のダイバーズウォッチは七十二分を示していた。
安物のデジタル時計は止まっていた。
表示は9:00のまま。
潜水開始時刻で、止まっていた。
防水ケースの中で電池が切れたわけではない。
民宿に戻ってケースから出すと、時計は何事もなかったように動き始めた。
あの入江の水の中にいるあいだだけ、時間が止まっていたのだ。
あるいは、あの入江の中の時間と外の時間は、同じ速度で流れていないのだ。
※
その夜、佐伯さんが民宿に来た。
玄関に立ったまま、上がろうとはしなかった。
「もうやめたほうがいい。」
煙草の煙を細く吐きながら、低い声でそう言った。
「あの入江には底がない。昔から言われとる。」
底がない、というのはどういう意味ですか。
佐伯さんは少し考えてから、こう答えた。
「わしの祖父の頃、鯨ヶ浦に素潜りで入った海女がおった。夕方に潜って、浮いてきたのは三日後だった。」
三日後。
「本人は半刻ほどのつもりだったらしい。」
半刻。およそ一時間。
「それから、あの入江には誰も入らん。船も寄せん。」
私は石段のことを話そうかと思ったが、やめた。
佐伯さんは驚かないだろうと思った。
この土地の人間は、あの入江の底に何があるのか、とうに知っている。
知っていて、言葉にしないだけだった。
佐伯さんが帰ったあと、私は布団の中で天井を見つめていた。
あの石段を上った先に何があるのか。
知りたいという気持ちと、知ってはいけないという直感が、胸の底で静かに拮抗していた。
恐怖とは違う。
もっと原始的な、この先に進めば戻れなくなるという予感だった。
半刻のつもりで三日間戻れなかった海女のことを考えた。
彼女は五段目で引き返さなかったのだろう。
十段目まで上ったのだ。
そして、三日間ぶんの場所に行ったのだ。
私が明日あそこに戻れば、何日ぶんの場所に行くことになるのか。
それでも、私は潜ることを決めていた。
潜水士というのは、そういう生き物だった。
底が見えない場所にこそ、潜りたくなる。
※
三日目の朝。
空は前日より暗く、厚い雲が海の上に垂れ込めていた。
私は三度目の潜水を行った。
後藤には、一時間で浮上しなければ海上保安庁に連絡するよう伝えた。
後藤の顔がこわばったが、何も言わなかった。
水中カメラとGPSロガーを携行し、石段のある地点まで一直線に泳いだ。
石段は前日と同じ場所にあった。
同じ角度で、同じ間隔で、海底から上に向かって伸びていた。
今度は五段では止まらなかった。
段を数えながら上った。
六段目。
七段目。
水の色が変わった。
深い藍色だった海水が、翡翠のような緑に変わっていた。
海底で翡翠色の水を見たのは初めてだった。
八段目。
水温が上がった。
十月の能登の海水温は十六、七度だ。
体感で二十二、三度はあった。
南の海に潜ったときの温度だった。
九段目。
石段の両脇に苔が見えた。
海藻ではなかった。
淡水の苔だった。
川辺の石に生えるような、鮮やかな緑の苔が、海底の石段の両脇に広がっていた。
海の中で、淡水の苔を見ている。
この矛盾を、私は冷静に観察していた。
恐怖はなかった。
あるいは、恐怖を感じるべき場所をすでに通り過ぎていたのかもしれない。
十段目を上ったとき、頭上に光が見えた。
水面だった。
私は海底にいたはずだった。
水深二十メートル以上の海底で、石段を十段上っただけで、水面に達していた。
※
水面を突き破って、顔を出した。
空があった。
曇り空だった。
しかし、雲の形が違った。
先ほどまでの灰色の層雲ではなく、白く高い雲が、見たことのない配列で空に並んでいた。
入江の両側の崖は、同じ形をしていた。
高さも、輪郭も、ほぼ同じだった。
しかし、崖の上の植生が違っていた。
松が生えているはずの場所に、葉の広い見慣れない樹木が茂っていた。
入江の奥に目をやった。
浅瀬があるはずの場所に、木造の建物が見えた。
板葺きの屋根が三棟。
軒先に、漁具のようなものが吊されていた。
網ではなかった。
形の見当がつかない、細い竹を組んだような道具だった。
人の気配は一切なかった。
鳥の声も、波の音もなかった。
そして、水面が動いていなかった。
潮が、止まっていた。
文字通り、波紋のひとつもない水面が、私の胸の高さで静止していた。
私が水面を破った波紋だけが広がっていたが、それも三メートルほどで不自然に消えた。
吸い込まれるように、消えたのだ。
私はそのとき、自分がどこにいるのか理解するのをやめた。
ここは私の知っている入江ではなかった。
同じ形をした、別の場所だった。
あるいは、同じ場所の、別の時間だった。
空気は温かく、湿っていた。
季節が違った。
十月の能登は肌寒いはずなのに、ここは夏の終わりのような空気だった。
そして、匂いがあった。
海水の塩の匂いではなく、淡水の、苔と泥の匂いだった。
海なのに、川の匂いがした。
※
どれくらいそこにいただろう。
三十秒か、一分か。
板葺きの建物の戸口に、何かが動いた気がした。
人ではなかった。
人の形をしていたが、動き方が違った。
関節の曲がる順序が、人間のそれとは異なっていた。
戸口の暗がりの中で、それはゆっくりとこちらを向いた。
顔は見えなかった。
距離があったせいなのか、そもそも顔がなかったのか、今でもわからない。
ただ、見られている、と思った。
視線というよりも、存在を把握された、という感覚だった。
私は石段を下り始めた。
ゆっくりとではなく、ほとんど転げ落ちるように。
十段目。水面が頭上に閉じた。
九段目。海水の色が藍に戻る。
八段目。水温が下がった。
七段目で、止まっていたダイブコンピュータが動き始めた。
止まっていたことに、そのとき初めて気づいた。
五段目まで下りたとき、体が急に重くなった。
自分の体に、重力が戻ったような感覚だった。
石段を離れ、海底を泳いで浮上点に戻った。
※
水面に出て、後藤の顔を見た。
後藤は蒼白だった。
「六時間です」
声が震えていた。
「六時間、連絡がつきませんでした。浮上信号も出ない。泡も見えない。海保に電話する直前でした」
六時間。
私の感覚では、四十分ほどだった。
残圧計を見た。
残圧計は二十分ぶんしか減っていなかった。
六時間のあいだ、私はほとんど呼吸をしていなかったことになる。
水中カメラを確認した。
シャッターは二十回以上切ったはずだった。
再生すると、すべてのコマが同じ画像だった。
白い砂地の海底。
石段は一段も写っていなかった。
GPSロガーのデータは、潜水開始地点から一歩も移動していないことを示していた。
記録の上では、私は六時間のあいだ、同じ場所に浮いていたことになる。
しかし、私の膝には擦り傷がついていた。
石段で膝をぶつけたときのものだ。
その傷だけが、私があそこに行った証拠だった。
※
その日のうちに、調査の中止を決めた。
会社には、海底地形が不安定で安全な潜水調査に適さないと報告した。
嘘ではなかった。
あの場所は、確かに安定していなかった。
ただし、不安定なのは地形ではなく、もっと根本的な何かだった。
言葉にできる類のものではなかった。
民宿を発つ朝、女将が玄関まで出てきた。
「お気をつけて」と言い、少し間を置いて、こう付け足した。
「あの入江のことは、お忘れになったほうがいいですよ。」
忘れようとした。
実際、しばらくは忘れることに成功していた。
仕事は忙しく、別の現場が次々と入った。
鯨ヶ浦のことを思い出す時間は、日を追うごとに減っていった。
しかし、三年後に忘れられなくなった。
※
平成十八年の冬、元同僚から連絡があった。
鯨ヶ浦の漁港拡張計画が、別の業者によって再開されたという。
私が「不適」と報告した海域に、別の会社の潜水士が入った。
潜水士は二名だった。
一名は予定どおり浮上した。
もう一名は、浮上しなかった。
入江の中を三日間捜索したが、見つからなかった。
海上保安庁が広域捜索に切り替えたが、その潜水士の体は出てこなかった。
ただ、四日目の朝に、潜水装備だけが入江の浅瀬に現れた。
ウェットスーツ。BCジャケット。フィン。マスク。
一式が、浅瀬にきれいに並べて置かれていた。
波で打ち上げられた形跡はなかった。
誰かが丁寧に並べたとしか思えない状態だった。
タンクの残圧を確認した者がいたかどうかは、私は知らない。
もし確認していたなら、四十七分ぶんの空気が残っていたのではないかと思っている。
根拠はない。
ただ、あの入江では、四十七という数字がいつも残るのだ。
※
あの入江には、もう近づかないようにしている。
ただ、ときどき石段のことを考える。
十段を上った先にあった、潮の止まった入江。
板葺きの建物の戸口に立っていたものの気配。
あの場所で、私はほんの数分間だけ、別の世界を見た。
不思議な話だと思うだろう。
私もそう思いたい。
あるいは、別の世界から、見られた。
潮汐表を開くと、鯨ヶ浦の欄だけが空白になっている。
空白のまま、もう二十年になる。
あの入江には、まだ誰かが潜っている。