
引越し先のアパートに移り住んで最初の週末、私は押入れの荷物を整理していた。
あとから思えば、すべては押入れの向こうにあった。
杉並区の住宅街にある築三十五年の二階建てアパートで、前の住人が出て行ってから半年ほど空室だったと管理会社の担当者が言っていた。
賃料が相場より少し安いのも、そのせいだろうと思っていた。古い建物だから仕方がない、と。
私はフリーランスでグラフィックデザインの仕事をしていて、在宅での作業が多かった。
前の職場を辞めてから一人でやっていける自信がついたので、少し広い部屋に引越したのだった。
一人でいる時間が長いぶん、物件選びには慎重だったつもりだった。
内見のときには特に気になるところはなかった。床が少し軋む箇所があったが、それも築年数からすれば想定内だった。
部屋そのものは悪くなかった。南向きで日当たりがよく、収納も多かった。ただ、どこかうすく埃の匂いがするような気はしていた。
前の住人がいなかった期間が長かったから、そうなるのだろうと納得していた。
押入れは二段になっていて、下段の奥の壁が、何か変だった。
最初はただの壁だと思っていた。しかし段ボール箱を全部出して奥まで手を伸ばすと、指の先にかすかに隙間を感じた。
縦に走る細い線。引いてみると、そこには引き戸があった。
幅は六十センチほど、高さは一メートル弱。人が腰をかがめれば通れるほどの大きさだった。
管理会社に電話してみた。担当者は少し間を置いてから、「そのような扉は図面にございません」と言った。
「点検口や通気口でしたら位置が違いますし、間取り上そういった収納は存在しないはずなんですが」と続けた。
現地確認をするかもしれないが、しばらく待ってほしいとのことだった。
その確認は、結局来なかった。
押入れの向こうは暗く、奥が見えなかった。懐中電灯を向けると、コンクリートの壁が見えた。それだけだった。
倉庫か点検用の空間なのだろうと、そのときは思った。
一応閉めておいて、その日は終わりにした。
押入れの向こうの音
二度目に扉を開けたのは、その三日後の夜のことだった。
別に意図したわけではなかった。荷物を取り出そうとして押入れを開けたら、奥の引き戸が少しだけ開いていた。
自分が閉め忘れたのかもしれない、と思おうとしたが、確かに前回しっかり閉めたはずだった。
扉の向こうから、かすかな音が聞こえていた。
押入れの向こうの空気は、部屋よりも少し温かく、揚げ物の油と古い紙の匂いを含んでいた。
人の声のような気がした。遠くて、はっきりとは聞き取れなかった。
屋根裏から聞こえる隣の部屋の音、という説明もできたかもしれない。しかし音の質が、そうではないような気もした。
腰をかがめて、中に入った。
扉の向こうは暗い廊下のようなところで、歩くと床がわずかに軋んだ。三歩、四歩。そこで急に視界が開けた。
アーケードだった。
蛍光灯のジーッという低い唸りと、揚げ油の匂いが、一度に押し寄せてきた。
天井は低く、波板トタンのような素材で覆われていて、蛍光灯が等間隔に下がっていた。左右に店が並んでいた。
八百屋、乾物屋、金物屋、駄菓子屋。どの店も明かりがついていて、客が出たり入ったりしていた。
人がいた。
子どもが走っていた。買い物かごを下げた主婦らしき人が、隣の店のおばさんと話し込んでいた。自転車が横を通り過ぎた。
活気のある商店街だった。ただ、誰も私を見なかった。
視線を向けてくる人がいなかった、という意味ではない。目が合う、ということが、なかった。
私がそこにいないかのように、人の流れが自然に私を迂回していった。
あたりを見回した。軒先に張り出した値札が目についた。大根一本十五円。さつまいも一山十二円。
何かがおかしかった。何がおかしいのか、うまく説明できなかった。
ただ、値段ではない何かが、ここは自分が知っている場所ではない、と告げていた。
服装も変だった。すれ違う人たちの着ているものが、今の時代の服ではなかった。和服を着た人もいた。
エプロン姿の店員が店の外を掃いていた。ロールカーラーで髪を巻いたまま買い物に来ている女性がいた。
自分だけが場違いな格好をしているのは分かっていた。それでも誰も私を見なかった。
見えていないのか、見ないことにしているのか、その区別が分からなかった。
商店街を少し歩いた。どこまで続くのか分からなかった。アーケードは緩やかにカーブしていて、先が見えなかった。
途中で立ち止まって耳を澄ますと、どこかから三味線のような音が聞こえてくるような気がした。
あるいは聞こえていなかったのかもしれない。
魚屋の前を通ったとき、氷の上に並んだ魚のことを妙に鮮明に覚えている。鯵、鰯、真鯛。
値札に書かれた文字の字体が、今のスーパーで見るものとは少し違っていた。丸みのある筆文字だった。
そこだけが記憶の中でやけに解像度が高い。
足元のコンクリートは、夏の夕方のようにぬるく湿っていた。
「また来たのね」
駄菓子屋の前で、店のおばさんと目が合った。初めて、そこにいる誰かが私を認識した、という感覚があった。
「また来たのね」とおばさんは言った。
ガラス瓶の中のラムネ菓子が、蛍光灯を受けて白く光っていた。
初めてだった。そう言いかけたが、声が出なかった。
おばさんは水飴の瓶の蓋を開けながら、「好きなものを持っていっていいよ」と言った。
「でも向こうには持って帰れないけどね」と、そのあとに続けた。まるで当たり前のことを言うような口調だった。
水飴を一つもらった。竹の棒で巻いて食べると、妙な甘さだった。懐かしい味、という言い方が合っているかもしれない。
自分が生まれるより前に食べたことがあるような、そんな気がする甘さだった。
「ここはどこですか」と聞いた。
おばさんは少し首をかしげてから、「商店街だよ」と言った。
「どこの町の商店街ですか」と続けると、おばさんは答える代わりに別の客の方を向いた。その客は私には見えていなかった。
おばさんとの会話は、それで終わった。
もう少し奥に進もうとしたとき、新聞の束が目に入った。店の軒先に積み上げられた夕刊だった。日付を見た。
昭和四十二年、九月十四日。
日付の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
さきほどから感じていたずれの正体が、そこにあったのかもしれなかった。いや、確証はなかった。誤植かもしれなかった。
けれど誤植にしては、その日付はあまりにもそこに馴染んでいた。
踵を返して、来た道を戻った。廊下を抜けて、押入れの引き戸を引いた。アパートの押入れの中に戻った。
時計を見た。押入れを開けてから、十分も経っていなかった。
竹の棒だけが残る朝
水飴は、翌朝にはなくなっていた。
テーブルの上に置いておいたのに、朝起きたら竹の棒だけが残っていた。竹の棒も、その日の昼過ぎには消えていた。
商店街のおばさんが言った言葉を思い出した。「向こうには持って帰れないけどね」。
三度目、四度目と、私は押入れの引き戸を開けるようになった。
行くたびに、商店街は同じ場所にあった。同じような時間帯に、同じような人が歩いていた。
夕方の時間帯のように光が差し込んでいて、いつも同じ明るさだった。太陽が動いている様子はなかった。
駄菓子屋のおばさんは毎回「また来たのね」と言った。それ以上は何も説明しなかった。私も、あまり聞けなかった。
五度目のとき、奥まで進んでみた。アーケードはどこまでも続くかのようだったが、やがて突き当たりに出た。鳥居があった。
小さな神社の入り口のような形の鳥居で、その向こうは暗くて見えなかった。鳥居の前で立ち止まって、少し待ってみた。
中から何かが来るような気がして、そうではなかった。
鳥居の柱に、木札がかかっていた。文字が書いてあったが、読めなかった。
文字の形はしているのに、意味として頭に入ってこなかった。時間をかけて読もうとすると、文字が滲むような感覚があった。
そのまま戻った。
何度目かの訪問のあと、夢を見た。夢の中でも私は商店街にいた。しかし夢の中では声が出た。
「ここはいつの時代ですか」と八百屋のおじさんに聞いた。おじさんは私の方を向いて、「昨日も同じことを聞いたね」と言った。
夢だった、ということにしている。
一度だけ、中学生くらいの男の子と目が合った。駄菓子屋の前にしゃがんでいた子で、目が合ったとき驚いたような顔をした。
しかしすぐに視線を外して走り去った。あの子も、外から来た人間だったのだろうか、と思った。
あるいは、全く別の理由があったのかもしれなかった。
ある夜、自転車に乗った男の人が私の腕をつかんだ。正確には、つかもうとして、すり抜けた。
私の腕を認識していないかのように、彼の手は私の肩を通過した。
人から見えていないのか、存在しているのかもしれないが触れられない何かとして扱われているのか、どちらなのかが分からなかった。
そのことが、奇妙に怖かった。体験した出来事の中で、あの瞬間がもっとも不安定な感覚を残した。
私は、その商店街の中では、実体を持っていないのかもしれなかった。
平らになった壁
五月に入ったある日、押入れの引き戸を開けると、そこは普通の壁だった。
引き戸はなかった。探しても、隙間の線すらなかった。壁紙が貼られた平らな壁だった。荷物を全部出して確認した。
指でなぞっても、何も感じなかった。
管理会社に電話するのは、何となくやめた。
あれが夢だったかどうか、自分でも分からない。
夢だったなら、あの水飴の甘さの記憶がこれほど鮮明に残っているのが説明できなかった。
現実だったなら、なぜ壁になったのかが説明できなかった。あの鳥居の向こうに何があったのかも。
商店街の人々がなぜあの日付で、あの光量で、同じ時間を繰り返していたのかも。
何一つ、説明できることがなかった。
一週間後、隣の部屋のおばあさんと廊下で顔を合わせた。挨拶のついでに、ここに長く住んでいるのかを聞いた。
三十年になる、とおばあさんは言った。ここは静かでいいところだ、とも言った。
少し間を置いてから、おばあさんはこう続けた。
「あの部屋に引越してくる子は、みんなどこかに行くみたいね。押入れの奥の方に」
何でもないことのように言って、おばあさんは自分の部屋に入った。
私は廊下に立ったまま、しばらくの間、動けなかった。
今でも、あの昭和四十二年の九月十四日という日付が何を意味していたのかは分からない。
あの日に何かがあったのか、それともあの商店街において時間はずっとその日付で止まっていたのか、あるいはそもそも日付に意味はなかったのか。
分からないまま、今もこのアパートに住んでいる。押入れは普通の押入れで、引き戸はどこにもない。
荷物を出して確認することを、最近はしなくなった。
ときどき夜中に目が覚めると、押入れの向こうから、三味線のような音が聞こえてくるような気がする。
あの商店街のどこかで演奏していたのかもしれない。聞いた記憶もあるし、聞いていない気もする。気のせいだったのかもしれない。
そうではなかったのかもしれない。