終点と書かれたバス

月夜の田舎道とバス

長野で伯母の見舞いを済ませて東京に戻るつもりだったのが、最終の新幹線を逃したせいで、私はその夜、群馬県内のローカル駅で降りることになりました。

宿を探すには遅すぎる時間で、けれど、すぐに動く列車があるわけでもなく、駅前のロータリーに出て、私は仕方なく、誰もいないバス停のベンチに腰を下ろしました。

時刻は深夜一時を回っていて、終バスはとうの昔に出ていました。

それでも、そのバスはやって来ました。

その駅は、改札を出るとすぐに国道があって、ロータリーの真ん中に小さな円形の植え込みがあるだけの、寂しいつくりでした。

駅舎の自販機が低く唸っているのと、街灯の電球の根元に小さな蛾が一匹、白い羽を震わせているのと、それだけでした。

タクシーは一台も停まっておらず、客待ちの時間はとうに過ぎているようでした。

ロータリーの端に、屋根のついたバス停がありました。

屋根は錆びていて、時刻表の紙はずいぶん色が褪せていました。

最終便の時刻は、二十二時四十分。

私が腰を下ろしたのは、それから三時間近く経った頃でした。

ベンチは木製で、塗装が剥げて、座ると尻に冷たさが伝わりました。

電波は二本立っていました。

宿は近くに二軒見つかりましたが、フロントの番号にかけても、どちらも繋がりませんでした。

風はなく、夜の音も少なくて、聞こえるのは自販機の音と、遠くの国道を時折通る車の、低いタイヤの音だけでした。

その音の合間に、もう一つ、別の音が混じり始めたのは、私が伯母のことを思い返しているときでした。

ディーゼルエンジンの、低くて重い音でした。

国道の向こうから、バスのヘッドライトが二つ、ゆっくりとこちらに近づいてきました。

最初は、回送便だろう、と思いました。

そうでなければ、別の路線の最終便で、時刻表の見間違いだったのかもしれない、と。

けれど、バスはロータリーに入ってきて、私の前のバス停の停止位置に、ちょうど停まりました。

行き先表示の電光板を見上げて、私は少し戸惑いました。

そこには、「終点」とだけ書かれていました。

普通、路線バスの行き先表示には、終点の地名が書かれています。

「○○駅前」「○○団地」「○○温泉」のように、固有の地名が必ず添えられています。

ところが、その夜のバスの表示は、地名が抜けていて、ただ「終点」とだけ、白い文字が浮かんでいました。

電光板の故障なのかもしれない、と私は思いました。

そう思おうとしたのですが、よく見ると、文字の縁にぼやけはなく、白の濃さも均一で、故障とは見えないようでもありました。

ドアが、空気を抜くような音で開きました。

運転席の運転手は、制服の制帽を深くかぶっていて、横顔が暗くて見えませんでした。

こちらを見ようとせず、ハンドルに片手をかけたまま、前を向いていました。

私は、立ち上がって、ステップに足をかけました。

中に入ろうかどうしようか、迷ったのですが、迷っているうちに、自分の体の方が先に動いていたように思います。

車内は、薄暗くて、蛍光灯の光が黄色っぽく、薄い砂のような色をしていました。

吊り革は古い布のもので、握る部分の革が手垢で黒く光っていました。

座席には、先客が五、六人、座っていました。

ぱっと数えて、四列目に二人、その後ろに三人、いちばん後ろに一人。

全員が、進行方向に向かって座って、窓の外を見ていました。

私が乗り込んでも、誰も振り返りませんでした。

ICカードをカードリーダーにかざしました。

普段なら、軽い電子音と一緒に、運賃表のランプが点くはずでした。

リーダーは、反応しませんでした。

運転手は、私が金額を払ったかどうかも確かめずに、ドアを閉めて、ゆっくりと発車させました。

バスは、ロータリーを半周して、国道に出ました。

私は、入り口に近い座席に、リュックを膝に乗せて座りました。

窓の外を眺めると、駅前の景色が、緩やかに後ろへ流れていきました。

国道沿いのコンビニの白い看板、消えかけのパチンコ屋の電飾、閉まったホームセンターの駐車場。

そこまでは、見覚えのある景色でした。

ところが、しばらく走るうちに、外の景色が、少しずつ違っていきました。

国道の両側に並んでいたはずの家屋の数が減って、田んぼの面積が増えていきました。

田んぼの真ん中に、稲架を組んで稲を干してある場所がありました。

ここは関東で、しかも五月のはずでした。

稲架は、秋の終わりに見るものです。

それから、遠くの稜線の形が、変わりました。

平地の向こうに見える山々は、低くなだらかに広がる関東の山ではなく、急に立ち上がる、高い、寒色の山でした。

私はその山の形を、よく知っていました。

母方の祖父母の家の、二階の廊下の窓から、毎朝見ていた山でした。

長野県の北部の、ある集落の風景でした。

私はバスの揺れに合わせて、自分の体を少し前に傾けて、もう一度、外を確かめようとしました。

確かに、その山でした。

夏祭りの夜、祖父に肩車されて見上げたあの山の輪郭でした。

冬のはじめに、雪をうっすら被って、私の中学受験の合格発表の日を見送ってくれた、あの山でした。

「お客さん、次でお降りですか」というアナウンスは、流れませんでした。

行き先表示の「終点」は、車内の表示器にも、そのまま「終点」と出ていました。

降車ボタンを押そうかと、何度か手を伸ばしました。

伸ばすたびに、押すのが怖くなって、引っ込めました。

押したときに、押せなかったらどうしよう、と考えました。

それから、押せたとしても、運転手が反応しなかったらどうしよう、と考えました。

その時、ふと、車内の他の乗客のことを思い出して、もう一度後ろを振り返りました。

五、六人の人影は、最初に乗ったときと、姿勢が一つも変わっていませんでした。

進行方向に向かって、窓の外を見ています。

頭の角度も、肩の落とし方も、組まれた手の位置も、全員、最初のままでした。

私が、息を吸ったり吐いたりして、座面の上で何度も座り直しているのとは、まるで別の生き物のようでした。

そこからは、私は、後ろを振り返らないことに決めました。

バスは、舗装されていない、土の道に入りました。

タイヤが砂利を踏む音が、車体の下から、ゆっくり、ぽつぽつと聞こえました。

両側の田んぼに、灯りはありませんでした。

それでも、月明かりだったのでしょうか、田んぼの面が、薄く光っていました。

道の先に、私のよく知っている家が見えてきました。

二階建ての、屋根の瓦が黒くて、玄関の格子戸の脇に、いつもアルミの傘立てが置いてある、あの家でした。

私が小学校に上がる前から、お盆と正月のたびに泊まっていた、母方の祖父母の家でした。

バスは、その家の門の前で、ゆっくり止まりました。

ドアが開きました。

運転手は、何も言いませんでした。

降りてください、ともう一度走ります、ともアナウンスはありませんでした。

私は、リュックを膝から抱え直して、ステップを降りました。

足の裏に、見覚えのある、土と砂利の混じった感触が伝わりました。

バスは、私が降りるとすぐにドアを閉めて、エンジンの音を残して、道の先へと走り去っていきました。

走り去る間際、私は一度だけ、車内を振り返って見ました。

座っていた乗客は、まだ全員、進行方向を向いて座っていました。

私が降りた席だけが、空席になっていました。

家の門の格子戸は、内側から開いていました。

玄関の白い障子戸の向こうに、暖かい色の電灯が灯っているのが見えました。

私は、中に入りました。

「ばあちゃん」

と、自分でも気づかないうちに、口が動いていました。

奥の襖が開いて、祖母が顔を出しました。

祖母は、生前のままの、紺色のかすり模様の割烹着を着ていて、髪を後ろで一つに束ねていました。

頬の皺の入り方も、目尻の柔らかさも、見覚えのあるもののようでした。

「おかえり」

と、祖母は言いました。

それから、

「お茶、淹れてあるけ、上がっといで」

と続けました。

私は、靴を脱いで、上がりました。

廊下の板の張り方、襖の取っ手の真鍮の色、天井の梁の節の位置、すべて、私が知っているままでした。

居間の縁側に、もう一人、子供が座っていました。

紺色の半ズボンに、白い半袖シャツ、肩から下げたランドセルをまだ外していない、小学校低学年くらいの男の子でした。

その子は、こちらを見ました。

見覚えのある顔でした。

私の、子供の頃の顔でした。

子供の私は、私を見ても、別段おどろいたふうではなく、

「ばあちゃん、おかわり」

と、湯飲みを少し前に差し出しました。

祖母は、私と、子供の私と、両方に、ぬるいお茶を淹れてくれました。

私は、縁側の縁に腰を下ろしました。

子供の私は、私の隣で、ランドセルを下ろさないまま、湯飲みのお茶を、両手で抱えて飲んでいました。

縁側の向こうに、祖父が植えていた山茶花の木が、葉を広げていました。

虫の声は、しませんでした。

風も、ありませんでした。

時計の音もしませんでした。

家の中はただ、祖母が湯飲みを置く、陶の音と、土瓶を置く、もう一つの陶の音だけが、ぽつぽつと聞こえました。

「ばあちゃん」

と、私は声に出して呼びました。

何を言うつもりだったのかは、自分でも、はっきりしていませんでした。

ばあちゃんは、もう亡くなっているはずだ、と言いそうになって、口にしませんでした。

その代わりに、

「久しぶりだ」

と、それだけ言いました。

祖母は、笑いました。

笑い方は、私が小学生の頃に見ていた笑い方と、同じでした。

「久しぶりに来てくれたなあ。元気でやっとるかね」

と、祖母は言いました。

私は、「うん、元気だ」と答えました。

声が少しだけ詰まりました。

子供の私は、湯飲みを縁側の板に置いて、足を投げ出して、靴下のかかとで、縁側の板をぽん、ぽん、と軽く叩いていました。

その音が、家の中で唯一、生きている音のようでした。

祖母は、私の方を、しばらく、何も言わずに見ていました。

それから、私の目をまっすぐに見て、

「明日の朝な、行ってきますは、言わんと行きや」

と、はっきりした声で言いました。

私は、その意味を、すぐに理解できませんでした。

理解できないままに、

「うん」

と返事をしてしまいました。

祖母は、それから何も言いませんでした。

子供の私は、いつの間にか、湯飲みを抱え直して、縁側の上に、半ば横になって、寝てしまっていました。

寝息が、子供のときの私の、よく知っている寝息でした。

その後のことは、はっきりしません。

縁側で、祖母と、少し話していたような気もします。

祖母が、お茶のおかわりを淹れてくれたような気もします。

縁側に座ったまま、目を閉じてしまったような気もします。

気がついたとき、私は、駅前のバス停のベンチに、座っていました。

膝の上には、リュックがあって、リュックの肩紐は、右手で握ったままでした。

自販機が、低く唸っていました。

蛾は、まだ、街灯の根元にいました。

スマートフォンを取り出して、時刻を見ると、午前四時を、少しだけ過ぎていました。

私が、ベンチに座ったときから、三時間近くが経っていたことになります。

その三時間を、私が、どう過ごしていたのか、説明はつきませんでした。

国道の向こうに、バスのヘッドライトはなく、ディーゼルの音も、聞こえませんでした。

私は、駅の自動販売機で、温かいお茶を一本買って、それを両手で抱えながら、夜が明けるのを待ちました。

始発の改札が開く頃、私は、母に電話をかけました。

母は、私が朝の電話をかけたことに、少しだけ怪訝な声を出しました。

「どうかしたん」

と、母は言いました。

私は、出張の話を、それから、終バスを逃して群馬の駅で夜を明かした話を、簡単にしました。

母は、

「そうかね」

と言って、それから、

「今日は、ばあちゃんの命日や」

と、付け足しました。

私は、何も言えませんでした。

家に帰り、その日は、家を出るときに、

「行ってきます」

を、言いませんでした。

何故そうしたのかは、自分でも、うまく説明できないのです。

祖母が縁側で、「言わんと行きや」と言ったのが、頭のどこかに残っていたから、というのは、たぶん本当のところに近いと思います。

それから、私は、家を出るときに、「行ってきます」を、言わない癖がついてしまいました。

家の者には、何度か、

「最近、なんで言わないの」

と、訊かれました。

そのたびに、

「縁起が悪い気がして」

と、適当に答えてきました。

それで本当に何かが救われたのかは、私には、わかりません。

ただ、何度か、出かけた先で、ぎりぎりのところで事故に遭わずに済んだ夜があり、もしかしたらそれは、あの夜の祖母の言葉のおかげだったのかもしれない、と、思うことが、いまでもあります。

あの夜のバスが、どこから来て、どこへ行こうとしていたのかは、いまでもわからないままです。

「終点」とだけ書かれた行き先表示が、何の終点だったのかも、わからないままです。

ただ、たまに、出張で深夜の駅前に降り立つたびに、私は、ロータリーのバス停のベンチには、座らないようにしています。

座ってしまうと、もう一度、あのバスが来てしまうような気が、するのです。

そして、そのときに乗るのは、たぶん最後の乗車になるだろう、ということだけは、なんとなく、わかっているような気がするのです。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

ミステリーを応援する

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

月額 150円(初月無料)または 480円 の買い切りで、
広告のない、静かな読書体験をお届けします。

プランを見る
メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。

読んでいただけるだけで、十分に励みになります。
それでも応援したいと思ってくださる方へ、心より感謝いたします。