
長野で伯母の見舞いを済ませて東京に戻るつもりだったのが、最終の新幹線を逃したせいで、私はその夜、群馬県内のローカル駅で降りることになりました。
宿を探すには遅すぎる時間で、けれど、すぐに動く列車があるわけでもなく、駅前のロータリーに出て、私は仕方なく、誰もいないバス停のベンチに腰を下ろしました。
時刻は深夜一時を回っていて、終バスはとうの昔に出ていました。
それでも、そのバスはやって来ました。
※
その駅は、改札を出るとすぐに国道があって、ロータリーの真ん中に小さな円形の植え込みがあるだけの、寂しいつくりでした。
駅舎の自販機が低く唸っているのと、街灯の電球の根元に小さな蛾が一匹、白い羽を震わせているのと、それだけでした。
タクシーは一台も停まっておらず、客待ちの時間はとうに過ぎているようでした。
ロータリーの端に、屋根のついたバス停がありました。
屋根は錆びていて、時刻表の紙はずいぶん色が褪せていました。
最終便の時刻は、二十二時四十分。
私が腰を下ろしたのは、それから三時間近く経った頃でした。
ベンチは木製で、塗装が剥げて、座ると尻に冷たさが伝わりました。
電波は二本立っていました。
宿は近くに二軒見つかりましたが、フロントの番号にかけても、どちらも繋がりませんでした。
風はなく、夜の音も少なくて、聞こえるのは自販機の音と、遠くの国道を時折通る車の、低いタイヤの音だけでした。
その音の合間に、もう一つ、別の音が混じり始めたのは、私が伯母のことを思い返しているときでした。
ディーゼルエンジンの、低くて重い音でした。
国道の向こうから、バスのヘッドライトが二つ、ゆっくりとこちらに近づいてきました。
最初は、回送便だろう、と思いました。
そうでなければ、別の路線の最終便で、時刻表の見間違いだったのかもしれない、と。
けれど、バスはロータリーに入ってきて、私の前のバス停の停止位置に、ちょうど停まりました。
※
行き先表示の電光板を見上げて、私は少し戸惑いました。
そこには、「終点」とだけ書かれていました。
普通、路線バスの行き先表示には、終点の地名が書かれています。
「○○駅前」「○○団地」「○○温泉」のように、固有の地名が必ず添えられています。
ところが、その夜のバスの表示は、地名が抜けていて、ただ「終点」とだけ、白い文字が浮かんでいました。
電光板の故障なのかもしれない、と私は思いました。
そう思おうとしたのですが、よく見ると、文字の縁にぼやけはなく、白の濃さも均一で、故障とは見えないようでもありました。
ドアが、空気を抜くような音で開きました。
運転席の運転手は、制服の制帽を深くかぶっていて、横顔が暗くて見えませんでした。
こちらを見ようとせず、ハンドルに片手をかけたまま、前を向いていました。
私は、立ち上がって、ステップに足をかけました。
中に入ろうかどうしようか、迷ったのですが、迷っているうちに、自分の体の方が先に動いていたように思います。
車内は、薄暗くて、蛍光灯の光が黄色っぽく、薄い砂のような色をしていました。
吊り革は古い布のもので、握る部分の革が手垢で黒く光っていました。
座席には、先客が五、六人、座っていました。
ぱっと数えて、四列目に二人、その後ろに三人、いちばん後ろに一人。
全員が、進行方向に向かって座って、窓の外を見ていました。
私が乗り込んでも、誰も振り返りませんでした。
ICカードをカードリーダーにかざしました。
普段なら、軽い電子音と一緒に、運賃表のランプが点くはずでした。
リーダーは、反応しませんでした。
運転手は、私が金額を払ったかどうかも確かめずに、ドアを閉めて、ゆっくりと発車させました。
※
バスは、ロータリーを半周して、国道に出ました。
私は、入り口に近い座席に、リュックを膝に乗せて座りました。
窓の外を眺めると、駅前の景色が、緩やかに後ろへ流れていきました。
国道沿いのコンビニの白い看板、消えかけのパチンコ屋の電飾、閉まったホームセンターの駐車場。
そこまでは、見覚えのある景色でした。
ところが、しばらく走るうちに、外の景色が、少しずつ違っていきました。
国道の両側に並んでいたはずの家屋の数が減って、田んぼの面積が増えていきました。
田んぼの真ん中に、稲架を組んで稲を干してある場所がありました。
ここは関東で、しかも五月のはずでした。
稲架は、秋の終わりに見るものです。
それから、遠くの稜線の形が、変わりました。
平地の向こうに見える山々は、低くなだらかに広がる関東の山ではなく、急に立ち上がる、高い、寒色の山でした。
私はその山の形を、よく知っていました。
母方の祖父母の家の、二階の廊下の窓から、毎朝見ていた山でした。
長野県の北部の、ある集落の風景でした。
私はバスの揺れに合わせて、自分の体を少し前に傾けて、もう一度、外を確かめようとしました。
確かに、その山でした。
夏祭りの夜、祖父に肩車されて見上げたあの山の輪郭でした。
冬のはじめに、雪をうっすら被って、私の中学受験の合格発表の日を見送ってくれた、あの山でした。
「お客さん、次でお降りですか」というアナウンスは、流れませんでした。
行き先表示の「終点」は、車内の表示器にも、そのまま「終点」と出ていました。
降車ボタンを押そうかと、何度か手を伸ばしました。
伸ばすたびに、押すのが怖くなって、引っ込めました。
押したときに、押せなかったらどうしよう、と考えました。
それから、押せたとしても、運転手が反応しなかったらどうしよう、と考えました。
その時、ふと、車内の他の乗客のことを思い出して、もう一度後ろを振り返りました。
五、六人の人影は、最初に乗ったときと、姿勢が一つも変わっていませんでした。
進行方向に向かって、窓の外を見ています。
頭の角度も、肩の落とし方も、組まれた手の位置も、全員、最初のままでした。
私が、息を吸ったり吐いたりして、座面の上で何度も座り直しているのとは、まるで別の生き物のようでした。
そこからは、私は、後ろを振り返らないことに決めました。
※
バスは、舗装されていない、土の道に入りました。
タイヤが砂利を踏む音が、車体の下から、ゆっくり、ぽつぽつと聞こえました。
両側の田んぼに、灯りはありませんでした。
それでも、月明かりだったのでしょうか、田んぼの面が、薄く光っていました。
道の先に、私のよく知っている家が見えてきました。
二階建ての、屋根の瓦が黒くて、玄関の格子戸の脇に、いつもアルミの傘立てが置いてある、あの家でした。
私が小学校に上がる前から、お盆と正月のたびに泊まっていた、母方の祖父母の家でした。
バスは、その家の門の前で、ゆっくり止まりました。
ドアが開きました。
運転手は、何も言いませんでした。
降りてください、ともう一度走ります、ともアナウンスはありませんでした。
私は、リュックを膝から抱え直して、ステップを降りました。
足の裏に、見覚えのある、土と砂利の混じった感触が伝わりました。
バスは、私が降りるとすぐにドアを閉めて、エンジンの音を残して、道の先へと走り去っていきました。
走り去る間際、私は一度だけ、車内を振り返って見ました。
座っていた乗客は、まだ全員、進行方向を向いて座っていました。
私が降りた席だけが、空席になっていました。
家の門の格子戸は、内側から開いていました。
玄関の白い障子戸の向こうに、暖かい色の電灯が灯っているのが見えました。
私は、中に入りました。
「ばあちゃん」
と、自分でも気づかないうちに、口が動いていました。
奥の襖が開いて、祖母が顔を出しました。
祖母は、生前のままの、紺色のかすり模様の割烹着を着ていて、髪を後ろで一つに束ねていました。
頬の皺の入り方も、目尻の柔らかさも、見覚えのあるもののようでした。
「おかえり」
と、祖母は言いました。
それから、
「お茶、淹れてあるけ、上がっといで」
と続けました。
私は、靴を脱いで、上がりました。
廊下の板の張り方、襖の取っ手の真鍮の色、天井の梁の節の位置、すべて、私が知っているままでした。
居間の縁側に、もう一人、子供が座っていました。
紺色の半ズボンに、白い半袖シャツ、肩から下げたランドセルをまだ外していない、小学校低学年くらいの男の子でした。
その子は、こちらを見ました。
見覚えのある顔でした。
私の、子供の頃の顔でした。
子供の私は、私を見ても、別段おどろいたふうではなく、
「ばあちゃん、おかわり」
と、湯飲みを少し前に差し出しました。
祖母は、私と、子供の私と、両方に、ぬるいお茶を淹れてくれました。
※
私は、縁側の縁に腰を下ろしました。
子供の私は、私の隣で、ランドセルを下ろさないまま、湯飲みのお茶を、両手で抱えて飲んでいました。
縁側の向こうに、祖父が植えていた山茶花の木が、葉を広げていました。
虫の声は、しませんでした。
風も、ありませんでした。
時計の音もしませんでした。
家の中はただ、祖母が湯飲みを置く、陶の音と、土瓶を置く、もう一つの陶の音だけが、ぽつぽつと聞こえました。
「ばあちゃん」
と、私は声に出して呼びました。
何を言うつもりだったのかは、自分でも、はっきりしていませんでした。
ばあちゃんは、もう亡くなっているはずだ、と言いそうになって、口にしませんでした。
その代わりに、
「久しぶりだ」
と、それだけ言いました。
祖母は、笑いました。
笑い方は、私が小学生の頃に見ていた笑い方と、同じでした。
「久しぶりに来てくれたなあ。元気でやっとるかね」
と、祖母は言いました。
私は、「うん、元気だ」と答えました。
声が少しだけ詰まりました。
子供の私は、湯飲みを縁側の板に置いて、足を投げ出して、靴下のかかとで、縁側の板をぽん、ぽん、と軽く叩いていました。
その音が、家の中で唯一、生きている音のようでした。
祖母は、私の方を、しばらく、何も言わずに見ていました。
それから、私の目をまっすぐに見て、
「明日の朝な、行ってきますは、言わんと行きや」
と、はっきりした声で言いました。
私は、その意味を、すぐに理解できませんでした。
理解できないままに、
「うん」
と返事をしてしまいました。
祖母は、それから何も言いませんでした。
子供の私は、いつの間にか、湯飲みを抱え直して、縁側の上に、半ば横になって、寝てしまっていました。
寝息が、子供のときの私の、よく知っている寝息でした。
※
その後のことは、はっきりしません。
縁側で、祖母と、少し話していたような気もします。
祖母が、お茶のおかわりを淹れてくれたような気もします。
縁側に座ったまま、目を閉じてしまったような気もします。
気がついたとき、私は、駅前のバス停のベンチに、座っていました。
膝の上には、リュックがあって、リュックの肩紐は、右手で握ったままでした。
自販機が、低く唸っていました。
蛾は、まだ、街灯の根元にいました。
スマートフォンを取り出して、時刻を見ると、午前四時を、少しだけ過ぎていました。
私が、ベンチに座ったときから、三時間近くが経っていたことになります。
その三時間を、私が、どう過ごしていたのか、説明はつきませんでした。
国道の向こうに、バスのヘッドライトはなく、ディーゼルの音も、聞こえませんでした。
私は、駅の自動販売機で、温かいお茶を一本買って、それを両手で抱えながら、夜が明けるのを待ちました。
始発の改札が開く頃、私は、母に電話をかけました。
母は、私が朝の電話をかけたことに、少しだけ怪訝な声を出しました。
「どうかしたん」
と、母は言いました。
私は、出張の話を、それから、終バスを逃して群馬の駅で夜を明かした話を、簡単にしました。
母は、
「そうかね」
と言って、それから、
「今日は、ばあちゃんの命日や」
と、付け足しました。
私は、何も言えませんでした。
※
家に帰り、その日は、家を出るときに、
「行ってきます」
を、言いませんでした。
何故そうしたのかは、自分でも、うまく説明できないのです。
祖母が縁側で、「言わんと行きや」と言ったのが、頭のどこかに残っていたから、というのは、たぶん本当のところに近いと思います。
それから、私は、家を出るときに、「行ってきます」を、言わない癖がついてしまいました。
家の者には、何度か、
「最近、なんで言わないの」
と、訊かれました。
そのたびに、
「縁起が悪い気がして」
と、適当に答えてきました。
それで本当に何かが救われたのかは、私には、わかりません。
ただ、何度か、出かけた先で、ぎりぎりのところで事故に遭わずに済んだ夜があり、もしかしたらそれは、あの夜の祖母の言葉のおかげだったのかもしれない、と、思うことが、いまでもあります。
あの夜のバスが、どこから来て、どこへ行こうとしていたのかは、いまでもわからないままです。
「終点」とだけ書かれた行き先表示が、何の終点だったのかも、わからないままです。
ただ、たまに、出張で深夜の駅前に降り立つたびに、私は、ロータリーのバス停のベンチには、座らないようにしています。
座ってしまうと、もう一度、あのバスが来てしまうような気が、するのです。
そして、そのときに乗るのは、たぶん最後の乗車になるだろう、ということだけは、なんとなく、わかっているような気がするのです。