連鎖と数珠

和室(フリー写真)

一年経ってようやく冷静に思い出すことができるようになった出来事がある。

去年のちょうど今頃の話だ。

その日は金曜日で、俺は会社の同僚数人と何軒かの店をハシゴして、すっかり良い気持ちだった。

当然、終電は既に無く、3人の同僚と一緒にカプセルホテルに向かった。

カプセルホテルに入り、フロントで人数を告げると、2部屋しか空きが無いと言う。

仕方が無く、一番先輩である自分と、家が比較的近くて、タクシーでも同程度の料金しかかからない奴が諦めることになった。

カプセルホテルを出た所で、同僚はタクシーを捕まえるため駅方面に向かうので別れた。

俺はもう一軒あるカプセルホテルに電話をかけて、空き状況を確認した。

幸い空きがあるとの事だったので、そこに向かおうと歩き始めた。

※

カプセルホテルの入口から10メートル程歩いた所だったと思う。

何故かは解らないが、俺は突然立ち止まったんだ。

その2、3秒後、目の前3メートルくらいの所に人が降って来た。

「グシャッ」という音がして、男が仰向けの状態になってピクリともしない。

突然、訳が解らない状況に陥ると、思考停止になるのだと実感した。

1分位は突っ立ったままだったと思う。

ようやく我に返り、男に

「大丈夫か」

と言いながら近付いた。

近付きながら、

「あ~こりゃ駄目だ。嫌なもんに関わっちゃったな」

と感じた。

まず、頭の位置がおかしい。直角に90度曲がっており、右側頭部かぼっこりと凹んでいる。

結構な量の鼻血が出ていた。年齢は50前後の、どこにでも居そうなオヤジだった。

カプセルホテルの浴衣を着ていたので、直ぐにホテルに駆け込んで、フロントマンと一緒に確認した。

その後は救急車の手配、警察の事情徴収などで2時間近く拘束された。

確かにカプセルホテルに宿泊中の客であり、3階の食堂の窓が開いていたことから、俺はただの目撃者ということになり、免許証と勤務先を確認されて解放された。

時間も4時を過ぎており、今更カプセルホテルに泊っても仕方が無いので、漫画喫茶で仮眠を取ろうとしたが、目が冴えてしまって結局一睡もできなかった。

※

嫌な夢を見始めたのは、その晩からだった。

真っ暗闇の中で俺は立っている。やがて「グシャッ」という音と共に、オヤジが目の前に落ちて来る。

オヤジはゆっくり立ち上がると、頭を左右にカクカクさせながら俺に近付いて来る。

逃げようと思っても体が動かない。目の前でニヤーッと笑いながら俺に抱き着く。

抱き着かれた途端に、オヤジと一緒に深い深い所へ落ちて行く。

『落ちる』と思った瞬間に目が覚める。

寝直すとまた同じ夢を見る。そんな夢を一晩に5、6回は見た。

毎晩同じ夢を見た。最初は恐ろしかったが、恐ろしさは直ぐに慣れる。

それよりも、毎回毎回同じ夢を見続けるために、寝るのが苦痛になった。

また、夜だけではなく、電車の中でウトウトしていても夢を見るので、休まる暇が無い。

※

翌週の水曜日だったと思う。同僚が

「今夜飲みに行こうぜ」

と言ってきたので、居酒屋に行った。

日毎にどんどん顔色が悪くなって行くので、体調が悪いのではないかと心配し、話を聞きたかったらしい。

流石に夢の話は出来なかった。

最近よく眠れないと言うと、

「それじゃ熟睡するようにどんどん飲め」

という事でしこたま飲んで、家に帰り泥のように眠った。不思議と夢を見なかった。

※

次の日から毎晩浴びるように酒を飲んだ。もちろん翌日は二日酔いになるが、夢の方が嫌だった。

そんな生活が続けられる訳も無く、仕事に支障を来すようになった。

遅刻を繰り返し、営業中にサウナで酒を抜くといった日々になってしまった。

当然上司から叱責されたため、酒をやめたのだが、途端に夢を見るようになる。

心底参ってしまって、精神科への受診も考えるようになった。

※

酒をやめてから一週間ほど経ったある日、営業先へ行く途中の電車でついウトウトしてしまった。

真っ暗な中、立ち尽くす俺。またかと思ったが、その時の夢は違った。

いつもはカクカク、ニヤニヤしながら近付いて来るオヤジが、頭を倒したまま目をカッと見開き、歯を食いしばったまま一歩も近付いて来ない。

その内、口を開いて

「アーッ、アーッ」

と言い始めた。

そこで、俺は誰かの呼ぶ声に目が覚めた。

「兄さん、兄さん」

と、知らない爺さんが俺の肩を揺すっている。

パッと見に頑固そうな爺さんだったんで、イビキでもかいていて怒られるのだと思い、

「すいません」

と謝ってしまった。

爺さんは笑いながら、

「馬鹿言ってんじゃねえ。ちょっと聞きたい事があるから次の駅で降りな」

と言う。

俺は疑問に思いながらも、何となく

「はあ」

と言ってしまい、次の駅で爺さんと一緒に降りた。

駅で降りてから、客先の訪問を思い出し、断りの電話を入れることになってしまった。

爺さんは、

「あそこの店で休むぞ」

と言って、駅前の喫茶店にどんどん入って行った。

俺は訳が解らないまま店に入り、俺はコーヒー、爺さんはコーヒーとサンドイッチを注文した。

店員が戻ると、突然爺さんが

「兄さん死ぬぞ。自分でも何かしら自覚してんだろ」

と言う。

俺は何か急に涙が出てしまい、泣きながら

「はい」

と答えた。

一連の経緯を話したのだが、爺さんは黙々と飲んだり食ったりしていた。

食い終わった爺さんが、

「これから俺の家に行くぞ。ちょっと時間がかかるから、会社は早退しろ」

と言うので、会社には出先で体調が悪くなり、病院に寄って帰宅するということにした。

※

喫茶店を出て、爺さんの後を付いて家まで行ったのだが、爺さんは黙ったまま一言も喋らない。

電車に乗り、さっき降りた駅より3駅先の駅の住宅街に、爺さんの家はあった。

家に入ると、優しそうな婆さんに挨拶し、和室に案内されてお茶を頂いた。

爺さんは別の部屋に行っていたが、30分ほど経つと数珠と経本を持って和室に現れた。

俺の前に正座し、お茶を飲んだ後に話し始めた。

「今までよく生きていたな。兄さんのお守りさんの力がなかったら、俺と会うことも無かっただろう」

俺はまた涙が出た。

「俺はな、○○寺の次男坊なんだよ。

小さい時から経文を読んだり、親父の真似事をしてる内に、自然と目に見えない物が見えて聞こえるようになった。

だけど、そんなに強い力がある訳じゃねえ。

電車に兄さんが乗って来た時から、かなり性質の悪い物に魅入られてるのが分かった。

まともに相手したら、俺なんか直ぐに憑り殺されるだろ。

兄貴だったら何とでもなると思うが、死んじまってるし、跡継ぎは役に立たねえ。

だから、初めの内は見なかったことにする気だったんだよ。

兄さんはその男が原因だと思ってるけどな、本当におっかねえのはな、その男を憑り殺した奴なんだよ。

男が落ちたのも偶然の事故じゃねえ。兄さんの上に落ちて殺そうとしたんだよ。

そうやってどんどん殺して取り込んで強くなる。

ああなったら手が付けられねえ。何でもかんでも見境なく殺しやがる。

そんな奴の気配が兄さんの周りにあったんだ。

だけどちょっと様子が妙だった。気配はするんだが、残りカスみてえなもんだ。

気配を探ってくと、お守りさんが必死になって兄さんへの干渉を食い止めてるんだ。

お守りさんは、そっちの相手をするのが精一杯で、変な男の相手をしてる暇がねえんだよ。

それで、兄さんは変な男の影響をもろに受けちまった訳だ。

今のうちなら、その変な男を払って、おっかねえ奴と兄さんとの縁を切っちまえばいい。

これなら俺でも何とかなると思ったよ。それで、居眠りしてる兄さんを起こしたんだよ。

助けられる者を見捨てるのは、気分の良いもんじゃねえからな」

俺が泣きながらポカンとしていると、

「言ってみりゃ、兄さんを捕まえようとしている化物が居る。

必死にこっちへ手を伸ばしているんだが、障害物に隠れてよく分かってねえし、手も上手く突っ込めてねえ。

手の指先に兄さんが引っ掛かってるんで、何とか掴もうとしてんだ。

障害物が兄さんのお守りさんだ。指先が兄さんが見てる変な男。

縁て言うのは、兄さんがそこに居ると化物が知っている事って例えになるのかな。

だから、障害物が壊れないうちに、指先をぶった斬って、兄さんを隠しちまえば良いんだ。

そうすれば、化物も諦めて次の獲物を見つけに行くよ。そのくらいなら俺にもできるってことだ」

そう言われて、凄く納得した。

そして、爺さんの数珠を持たされ、爺さんの読経を2時間近く聞いた。

もう良いぞと言われた後、今後のことについて言われた。

「その数珠は、俺の親父の形見で大事なものだけど兄さんに貸す。肌身離さず持て。

数珠を持っていれば、化物でも簡単には分からんだろう。

化物と完全に縁が切れたかどうか調べるから、俺が良いと言うまで毎月ここに来い。

そして、変な男に憑かれた場所には二度と近付いちゃならねえ。

多分払われた男は、あの死んだ場所に戻るだろう。近くに必ず化物が居る。

そこに近付いちまったら、数珠なんか効果は無い。

今回は、化物も様子見みたいなもんで本気じゃなかったと思う。

簡単に憑り殺せると思ったのが、思わぬ反撃を喰らって、手を引っ込めた隙に逃げられた。

逃がした獲物が目の前に現れたら、間違いなく本気で来るぞ。

そうなったら助けられない。助けるどころか兄さんを通して、必ず俺の所にも来る。

皆死ぬんだよ。そして、縁が切れたら出来る限り今回の件は忘れろ。

忘れるのが一番良いんだ」

爺さんからそう言い聞かされて帰った。

※

その日から男の夢は見なくなった。

正しく言えば見る事はある。しかし寝直せば見る事はないし、ごく偶にだ。

ずっと数珠は持ったままだ。寝る時は腕に付けて、更にセロハンテープで止めていた。

一週間後に会社も辞めた。実家に戻って零細企業だが就職も出来た。

そして、一ヶ月に一度、爺さんの家に顔を出す。

先月になって、漸く爺さんの安全宣言が聞け、形見の数珠は返却した。

だけど、念のため爺さんが作った数珠を頂いた。

セロハンテープ止めまではしていないが、寝る時も腕に付けている。

もう来なくて良いと言われたが、俺は爺さんが死ぬまで通い続けるつもりだ。

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