黒洲の海蝕洞と半身

月光の海岸と神社の洞窟

もう四十年以上が経った話である。

あの夏のことを、私は誰にも話さずに来た。

怖い話として書き残せるようになるまで、それだけの時間が要った。

長く時間が必要だったのだと、今になって思う。

当時、私は民俗学を専攻する大学院の三年目で、紀伊半島の海岸線に残る祟り神信仰について論文を書こうとしていた。

昭和五十八年の七月、私は同じ研究室の三輪さんという二年上の先輩と、後輩の田原という男を伴って、半島の南の端にある小さな漁村に入っていた。

地図では「黒洲」と書かれていたが、地元の人々は古い呼び方で「くろっす」と発音する。

戸数は五十軒に満たず、定期船は週に二便しか入らないような寂れた集落であった。

滞在の世話を引き受けてくれたのは、村の最も奥に住む、ふみさんという八十を越えた老女だった。

ふみさんは元は神社の禰宜を務めた家の出で、地元の習俗について驚くほど整理された記憶を持っていた。

毎日、午前は彼女の縁側で聞き書きをし、午後は村の方々を歩いて、漁師の家や古い祠を回るのが私たちの仕事だった。

聞き取りは順調に進み、私のノートはあっという間に黒くなっていった。

その中で、ふみさんが一度だけ、明らかに表情を変えた話題があった。

村の西の岬の根元、引き潮の時にだけ姿を見せる海蝕洞のことである。

「あの洞だけは、決して近づきなさるな」

そう前置きしてから、ふみさんは煙草に火をつけた。

普段は穏やかに語る人が、この時だけは煙を長く吐き出し、しばらく沈黙していた。

「あの洞は祀りの場であって、観るところではないんです。観たら、向こうから返事が来てしまう」

その日の夜、宿に充てられた離れで、私と三輪さんと田原はこの話題について議論をした。

議論というよりは、三輪さんの一方的な熱弁であった。

三輪さんは博覧強記の人で、しかも怖いもの知らずを自任していた。

禁足地という言葉を聞くだけで、いつも前のめりになる癖があった。

「これはもう、見ておくべきだろう。論文の核になる」

と三輪さんは言い、私は止めた。

田原は迷っていたが、三輪さんに押されて頷いた。

私は反対の立場を貫けなかった。

あの夜、なぜもっと強く止めなかったのか。

今でも、それだけが心に残っている。

翌々日、月の出が早い夜を選んで、私たちは黒洲の西の岬へ向かった。

引き潮の時間は午前一時を少し過ぎたあたりだった。

磯靴を履き、懐中電灯を手に、岩礁づたいに南へ進む。

潮の引いた岩場は、まるで月の上を歩いているように白く乾いていた。

岬の根元に近づくにつれ、私は奇妙な感覚に襲われた。

波の音が、聞こえるはずの方角から聞こえないのである。

沖の方からではなく、足の下の岩盤の奥から、こもったような潮騒が伝わってくる。

三輪さんも田原も、口数が少なくなっていた。

やがて、それは現れた。

岩礁が大きく抉れ、月光が斜めに差し込む裂け目の奥に、ぽっかりとした洞の口があった。

洞そのものは、想像していたよりも小さい。

ただ、その入り口に張り巡らされた仕掛けが、尋常ではなかった。

太い注連縄が三本、洞の口を斜めに横切るように張られている。

その縄に、漁網の切れ端と、白い紙垂と、無数の銅の鈴がからみつくように吊られている。

鈴は何百と数えられた。

そのどれもが、潮風があるはずなのに、ぴくりとも鳴らなかった。

「これは、漁師の方々の手によるものではありませんね」

と田原が小さな声で言った。

私もそう感じた。

結界の仕様が、村の他の祠とは明らかに違うのである。

三輪さんはすでに縄をくぐる位置に立ち、しばらく観察していたが、やがて意を決したように体を低くした。

「行きますよ」

私と田原は顔を見合わせ、それから三輪さんに続いた。

縄をくぐった瞬間に、空気が変わった。

あれを「閉ざされる」と表現するのが正しいのかどうか、今でもわからない。

外の月光は届いているのに、頬に当たる空気だけが、明らかに別の場所のものに変わっていた。

その時、私の耳が音を捉えた。

かさり、と、湿った砂利を踏むような音が、洞の奥の方から微かに聞こえた。

三輪さんも気付いたらしく、足を止めた。

「待って下さい」

と私は囁いた。

音は、私たちが動きを止めた瞬間に、ぴたりと止んだ。

三輪さんが一歩進むと、奥の音も一歩進んだ。

田原が二歩戻ると、奥の音も二歩戻った。

「動きが、合わせられている」

三輪さんの声は乾いていた。

明らかに動揺していたが、引き返すとは言わなかった。

私は懐中電灯の光を奥に向けたが、洞は内側で曲がっており、光は途中で岩壁に吸い込まれていった。

奥に何がいるのか、目視はできなかった。

ただ、潮の匂いに混ざって、私は別の匂いを嗅ぎ取っていた。

古い木と、漆と、それから、煮詰めた魚の鱗のような、説明のつかない匂いだった。

洞の奥は、思いがけず広い空間に開けていた。

天井は高く、岩肌は黒く濡れていた。

その中央に、小さな祠と呼ぶべきものが、しつらえてあった。

五本の流木が大人の背丈ほどの高さで地に立てられ、五本それぞれを白い縄で結んで、いびつな五角形がつくられている。

流木は海水で晒されきり、ほとんど骨のように白かった。

五角形の中央に、古い船箪笥に似た黒い箱が、地に半分埋まる形で置いてあった。

箱は私の腰ほどの高さで、四面に細かい家紋のようなものが、白い顔料で執拗に書き込まれていた。

同じ紋は二つとない。

少なく見積もっても二十は超えていた。

「これは、引き受けてきた家の数でしょうね」

と田原が呟いた。

聡明な後輩だった。

箱の四隅には、欠けた青い小皿が伏せられて置かれていた。

あとから考えれば、あれは盃に近いものだった。

箱の上面は蓋になっているらしかったが、上から見るかぎりは何も穴がない。

三輪さんは箱の周りをぐるりと回り、ある側面に小さな引き手があることに気付いた。

金具の銅は緑青を吹いており、相当に古いものに見えた。

「開けてみましょう」

三輪さんの声に、私は思わず手を伸ばした。

「先輩、これは観てはいけない種類のものでは」

三輪さんは振り返り、私の方を見て、わずかに微笑んだ。

「ここまで来て引き返す方が、後悔が大きいでしょう」

引き手が小さな音を立てて動き、側面の板が外れた。

箱の中は、月光も懐中電灯の光も届いていなかったが、私たちが覗き込むと、内部の様子が浮かび上がった。

底に薄く水が張られていた。

四隅には、外の小皿よりさらに小さい、四つの白い貝が伏せて置かれていた。

そして、中央に、五本の漆塗りの細い棒が、ある形に置かれていた。

長さはどれも私の小指くらいで、両端と、互いに接する点に、赤い顔料が差されていた。

形を言葉で表すのは難しい。

あえて記せば、こうなる。

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五本が斜めに重なり、波が立ち上がる瞬間のような、あるいは何かが背を反らしている瞬間のような、奇妙な形だった。

「これは、何かを表していますね」

と田原が静かに言った。

「人ではないでしょうか」

とも言った。

三輪さんは答えず、しばらく形を凝視していた。

そして、無意識のうちにだったと思う、人差し指の腹で、棒の一本に触れた。

触れただけのつもりだったらしい。

しかし、湿気の多い洞の中で、彼の指先には汗が滲んでいた。

棒は指に張りつき、戻すときに、僅かに位置をずらした。

「あ」

と三輪さんが小さな声を上げた。

その瞬間だった。

洞の口の方角から、ありとあらゆる鈴が一斉に鳴った。

あれだけ静かだった結界の鈴が、嵐の中の風鈴のごとく、けたたましい音を立てた。

続いて、洞の奥、私たちの背後の岩壁の影から、潮の匂いがひときわ濃く立ち上った。

三輪さんと田原が、同時にそちらを見た。

私は、見るな、と叫びそうになった。

しかし、二人の視線の先には、確かに何かがいた。

岩の根元から、地に縛り付けられたように、それは立ち上がっていた。

女の腰から下の半身であった。

上はなかった。

白い着物の裾が、ゆっくりと風もないのに揺れていた。

そして、腰の切断面から、生え変わるように、六本の細い腕が左右に伸びていた。

その腕の先に、また小さな鈴がいくつもからみついていた。

「うわ」

と田原が短く言った。

三輪さんは固まったまま動かなかった。

私は、なぜか冷静だった。

正確に言えば、頭の片隅が、これを覚えておけ、必ず覚えておけ、と命じていた。

研究者としての職業病だったのだろう。

その半身が、こちらへ、ゆっくりと、岩を撫でるようにして近づきはじめた。

足はない。

けれども、腕が地を掴み、滑るように寄ってくる。

その動きで、私たちの金縛りはようやく解けた。

三輪さんが先に走り出し、田原がそれに続き、私はしんがりだった。

洞の入り口までは、来た時の倍は遠く感じた。

結界の縄をくぐった瞬間、後ろの鈴の音が、ぴたりと止んだ。

振り返ってはいけないと、私はその場で全身で理解した。

三人とも振り返らずに走った。

岩礁の磯靴の足音だけが、ばらばらに、夜の海岸線に響いていた。

翌日、三輪さんは寝床から起き上がれなくなっていた。

厳密に言えば、起き上がろうとすると、両手と両足が痛むのだという。

「引き伸ばされているような痛みだ」

と三輪さんは言った。

本人は手足を真っすぐに伸ばし、体を板のようにして、布団の上に横たわっていた。

少しでも曲げようとすると、骨の奥が軋むのだと、額に汗を浮かべて訴えた。

ふみさんは私たちの説明を聞き終えると、座敷の中央に正座をし、長く沈黙した。

そして、私と田原だけを呼んで言った。

「あなた方、棒に触れて、形を崩しなさったか」

私たちは、三輪さんがそうしたと答えた。

ふみさんは目を閉じた。

そして、自分の足では遠出のできない自分が情けない、と一言呟いてから、押入れの古い文箱を開け、一通の手紙のような書付を取り出した。

その書付に従って、彼女は近くの郵便局まで歩き、長距離電話をかけてきた。

「半島の北、山の奥に、ある御家がございます。あなた方には、そこへ伺っていただきます」

事情は道々話す、と彼女は言った。

三輪さんは村の漁師の方々に運ばれ、別の自動車で先に送り出されていた。

私と田原は、ふみさんと共に、夜行の鈍行と長距離バスを乗り継いで、丸一日かけて山深い村にたどり着いた。

古い屋敷だった。

玄関の手前で出迎えてくださったのは、四十路ほどに見える背の高い男性と、白い装束を纏った一人の女性だった。

男性は私たちに、ありふれた名字で挨拶をされたが、白装束の女性は名を名乗らなかった。

後に、その家ではそういう習わしであると教わった。

便宜上、ここでは「綺羅さん」と仮に書く。

歳の頃は、私たちより少し下に見えた。

奥座敷で、私たちは事の次第を順を追って語った。

男性は時折、太い眉をぴくりと動かしながら、最後まで黙って聞いていた。

綺羅さんは、終始、目を伏せていた。

「棒は、何本ありましたか」

と綺羅さんが、初めて口を開いて尋ねた。

「五本でした」と田原が答えた。

「では、その五本が表しておりましたのは」

と綺羅さんは続けて、机の上に指で形を描いた。

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記憶にあった通りだった。

私は頷いた。

綺羅さんはわずかに頷き返し、男性に視線を移した。

男性は腕を組んだまま、ゆっくりと話し始めた。

「あれは、波切と申します」

古くは「凪切(なみきり)」「波伐(なみきり)」、地方によっては「あら姫」とも呼ばれる、海岸線の祟り神であるという。

もとを正せば、人であった。

遥か昔、ある漁村が、人を食らう大きな魚に悩まされていた。

魚というよりは、いくつもの腕を持つ巨大な海の怪異であったらしい。

近隣の巫女の家に依頼が来て、その家で最も力の強かった巫女が、退魔を引き受けた。

巫女は岬の岩礁で、潮の満ち引きを操る術を以て怪異と対峙した。

しかし、僅かな術の隙を突かれ、上半身を喰われた。

残った下半身だけで、なお巫女は岩を掴み、村の方角へ怪異を渡らせまいと術を保ち続けた。

そこへ、岩陰から事の成り行きを見ていた村人達が、最悪の判断を下した。

下半身だけになった巫女を、生けるうちに怪異へ差し出すかわりに、これより後の村の安寧を保証してくれと、彼らは怪異と契りを結んだ。

怪異はそれを受け、村人達に巫女の腕を切り落とさせ、それから残った下の半身を腹に収めて、沖へ消えていった。

その後、村は確かに、暫くは穏やかであった。

しかし、怪異が現れなくなった代わりに、巫女の親族五人を含む、村人の何人かが、次々と戻らぬ人となった。

森で、岩礁で、山の中で。

戻らぬ姿で見つかった人々は、皆、片腕がもがれていたという。

残ったのは、岩陰で事の経緯を見ていなかった、四人の村人だけであった。

その四人が、後に巫女の家を訪ね、悔悟の限りを尽くして、独自の鎮めの形を編み出したのだという。

「五本の棒は、巫女の御親族五人。四隅の貝は、生き残られた四人の村人。そして、五本が成しておりましたあの形は」

と綺羅さんが言葉を切り、私と田原を順番に見た。

「あの形こそが、巫女御本人のお姿でございます」

箱の中に閉じ込めていたのは、巫女の本来の姿の像であった。

外の五角形の流木は、後に祠の体裁を成すために加えられたもので、本義は内側の箱にあるのだという。

形を崩した者は、巫女の御本体の姿を、必ず見る。

そして、その姿を見た者は、巫女の最も強い嘆きに、直接触れることになる。

男性が、低く言った。

「あの嘆きに触れた者は、これまで、ほとんど助かっておりません」

瞬間、田原の顔が真っ青になった。

私もそうだったろう。

三輪さんは、もう、駄目なのだろうか。

私たちが言葉を失っていると、綺羅さんが、ふと顔を上げた。

「失礼ながら、もう一度、お尋ねさせてください。あなた方が御覧になられましたのは、ほんとうに、腰から下の半身だけでしたか。上の方は、見ておられませんでしたか」

私と田原は顔を見合わせた。

あの女の半身は、確かに腰から上が、なかった。

白い裾と、地を撫でる六本の腕しか、私の記憶には残っていない。

田原もまた、強く頷いた。

「下半身しか、見ておりません」

男性と綺羅さんは、互いに目を合わせ、それから、ほとんど同時に長い息を吐いた。

「そうですか」

男性は、ようやくわずかに笑った。

「それでしたら、なんとかなる、かもしれません」

綺羅さんが、その仔細を説明してくれた。

箱の中の像が表しているのは、巫女の本来の姿、すなわち上下揃った、まだ怪異に喰われる前の、人としての姿である。

その姿を見た者は、巫女の嘆きの全てを浴びる。

「ですが」

と綺羅さんは続けた。

「巫女御自身は、ご自身を見舞った非道に対して、必ずしも全ての者に嘆きを向けられるわけではございません」

あの夜、巫女は、私たちには「波切」という祟り神としてではなく、ただ「巫女として」現れたのだという。

あなた方が御覧になったのは、地に縛られた半身でした。あれは決して、お命をいただきに来た姿ではありません。

と綺羅さんは静かに言った。

形を崩した三輪さん自身も、もしも巫女の上下揃った姿を見ていなければ、まだ助かる余地があるという。

男性は私たちに、三輪さんが何を見たのか、知っているか、と尋ねた。

私たちは、洞を出てから今までの間、三輪さんがそれを話していないことに、ようやく気がついた。

「では、御本人にお伺いいたします」

と男性は言い、奥の間へ静かに歩いていった。

長いやり取りの後、男性が戻ってきて、ひとつ深く頷いた。

「三輪さんも、下の半身しか御覧になっておりません」

その時、田原の目から、ぽろり、と涙が落ちた。

私は、ようやく息ができたような気がした。

その夜、私と田原は屋敷の離れに泊めていただき、翌朝、綺羅さんの手によって祓いを受けた。

祓いの間、綺羅さんは何も語らず、ただ、白い紙垂を何度も振っていた。

三輪さんはその家に長く逗留することになり、私たちは先に大学へ戻された。

御家の決まりで、最後の挨拶を交わすこともできなかった。

その後の話を、簡単に書く。

三輪さんは半年ほどかけて、ゆっくりと回復した。

大学院は退かれ、地方の役所に勤めながら、御家のしきたりに従って、定期的に山奥の屋敷を訪ねる生活を、長く続けられたと聞く。

田原は無事に学業を終え、別の分野の研究者になった。

そして、私である。

私は結局、民俗学の論文を最後まで書き上げることができなかった。

祟り神信仰のフィールドノートを、何度開いてもあの夜のことが頭をよぎり、書き進めることができなかった。

研究室を辞し、それから長く別の仕事をして、今は故郷で小さな書店を営んでいる。

黒洲の村には、二度と足を向けていない。

あの海蝕洞が、今もそこにあるのかどうか、確かめる気にはなれない。

後で知ったことを、ひとつだけ書いておく。

あの夜、結界の縄をくぐった瞬間に静まった鈴が、私たちが洞を出た時にもう一度、静かになった理由について、御家の男性はこう仰った。

「あの音は、波切と一緒に閉じ込められておる者の足音です。柵の中で放し飼いになっておる、巫女のお身内のうち、誰かの足音であったかもしれません」

はじめ、洞に入った瞬間から私たちの動きに合わせていたあの音は、私たちを案内していたのだ、というのだ。

近づき過ぎぬよう、しかし、離し過ぎぬよう、こちらの歩幅に合わせて。

「あれは、お遊戯ではなかったのでございましょう」

と綺羅さんは言った。

「あの方々は、御親族のお一人を、最後まで案内されておられたのです」

これを怖い話と呼んでよいのかどうか、私には今もわからない。

私はいまでも、海岸線で潮の音を聞くと、その合間に微かな砂利を踏む音が混じっているような気がして、足を止めてしまう。

私は決して、その方角を、振り返らないことにしている。

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