53年後に帰還した爆撃機

祖父の葬儀の晩、私は一冊の古い大学ノートを見つけました。

表紙に、几帳面な字で「覚書」とだけ書いてありました。

仕事場の道具箱の、いちばん下の段。

砥石と油差しの下に、油紙に包まれて仕舞われていました。

親族が寝静まった後、私は仕事場の裸電球の下で、それを開きました。

祖父の字は、若い頁ほど硬く、老いた頁ほど柔らかくなっていきました。

一冊のノートの中で、ひとりの人間が六十年かけて老いていくのを、私は初めて見ました。

祖父は九十七歳で亡くなりました。

房総半島の南、いまは畑と太陽光パネルになった土地に、かつて海軍の航空基地があった町です。

海と丘に挟まれた、細長い町です。

夏は海水浴の客で賑わい、冬は花畑が観光の売りになります。

基地があった時代のことは、町の資料館の一室に、写真が数枚残るだけです。

祖父は戦争の終わりごろ、その基地で整備員をしていました。

飛行機の話は、生前ほとんどしない人でした。

手先の器用な人で、町の時計も自転車も、祖父のところへ持ち込めば直ると言われていました。

ただ、テレビで戦争の特集が流れると、黙って席を立つ人でした。

誰もその理由を聞きませんでしたし、祖父も言いませんでした。

ただ、ひとつだけ、家族の誰もが知っている習慣がありました。

毎年三月の決まった夜、祖父は一人で家を出て、旧滑走路の跡へ歩いて行くのです。

手には、古いカンテラを提げて。

雨の年も、風の年も、一度も欠かしませんでした。

家族は「お参りのようなもの」と受け止めていました。

祖母だけは、毎年その夜、玄関の灯りを朝まで消しませんでした。

「ああして待っとる人を、真っ暗な家に帰すわけにはいかんもの」

祖母は、何かを知っていたのかもしれません。

けれど祖母も、多くを語らないまま、祖父より先に逝きました。

「何をしに行くの」と子どもの頃に聞いたことがあります。

祖父は少し笑って、こう答えました。

「灯りを点けにな。……留守番の続きだよ」

それ以上は、何を聞いても教えてくれませんでした。

ただ、その夜の祖父の背中は、いつもより少しだけ、まっすぐに見えました。

その意味を、私は祖父の死後、ノートを読んで初めて知ることになります。

覚書は、昭和二十年三月の夜から始まっていました。

その夜、基地からは三機が南の海へ向けて出撃しました。

月のない夜で、海からの風が強かったと書いてあります。

整列した機体の胴が、誘導灯の明かりで鈍く光っていたこと。

エナメルの匂いと、揮発油の匂いが夜気に混ざっていたこと。

覚書の描写は、六十年前のことと思えないほど細かいものでした。

書き残さなければ消えてしまうものを、祖父はよく知っていたのだと思います。

祖父が整備を受け持っていたのは、そのうちの一機。

機長は、祖父よりみっつ年上の、まだ二十代の大尉でした。

覚書によれば、豪快に笑う人だったそうです。

整備員を怒鳴りつける搭乗員も多い中で、その機長は違いました。

「発動機の癖を、お前ほど知っとる者はおらん」

そう言って、飛ぶ前には必ず、祖父と主翼の下で一服したそうです。

右の発動機が、高回転でわずかに音を落とす癖がありました。

何度調整しても直り切らない、その機だけの癖でした。

「こいつの癖は、俺とお前だけの秘密だな」

機長はそう言って笑ったと、覚書には楽しそうな字で書いてあります。

出撃の前、機長は主翼の下で祖父にこう言ったそうです。

「帰りは夜明け前になる。滑走路の端に、灯りを頼む」

「自分が、点けておきます」

「ん。……お前の灯りは、よう見えるからな」

それが、最後の会話になりました。

三機のうち二機は、夜明けに帰ってきました。

祖父の一機だけが、帰りませんでした。

帰還した二機の搭乗員は、途中で祖父の機とはぐれたとだけ報告したそうです。

夜の海の上では、僚機の灯りなど、すぐに見失う。

誰の落ち度でもない、と誰もが言いました。

誰の落ち度でもないことが、いちばん苦しいのだと、覚書は記しています。

到着予定の時刻を過ぎ、朝日が昇り、燃料が尽きているはずの時間になっても、祖父は滑走路の端に立ち続けたそうです。

「整備に落ち度はなかったか。それだけを、朝まで考えていた」

撃たれたのか。海に落ちたのか。それとも。

何ひとつ、分からないままでした。

残骸も、遺品も、ついに何ひとつ戻って来ませんでした。

戦死の公報だけが、紙一枚で届いたそうです。

覚書には、そう書いてありました。

そして戦争が終わり、基地は畑になりました。

祖父は町に残り、農機具の修理屋を開きました。

基地の敷地が畑に変わっていくのを、祖父は店先から毎日見ていたことになります。

滑走路のコンクリートは、剥がすのに費用がかかるからと、一部だけ残されました。

「あれが残ったのは、幸いであった」

覚書には、そう書いてあります。

灯りを点ける場所が、なくならずに済んだからです。

三月のあの夜に灯りを提げて滑走路跡へ立つ習慣は、その年から始まったようです。

「約束の灯りを、まだ消すわけにはいかん」

覚書の若い字は、そう記していました。

ノートを読み進めると、奇妙な記述が、ぽつり、ぽつりと現れ始めます。

最初は、昭和三十年代の頁でした。

「今年も行く。海の方角に、爆音を聞いた気がした。気のせいであろう」

次は、昭和五十年代。

「商店街の無線屋のラジオが、あの晩だけ空電で埋まったと主人が言う。三月のあの夜である。偶然であろう」

さらに、昭和の終わりごろの頁には、こうあります。

「灯りを消して帰ろうとした刻、背後の海の方角で、発動機の試運転に似た音を聞いた。振り向いたが、闇のみである」

「右の発動機が、わずかに音を落とした。……あの癖のままであった」

この行の後、覚書は半頁ほど、空白になっています。

あの几帳面な祖父が、書けなかったのだと思います。

気のせいであろう。偶然であろう。

祖父は幾度も、自分にそう言い聞かせるように書いています。

けれど頁を追うごとに、その「であろう」は、少しずつ短くなっていきました。

そして、平成十年の三月。

出撃の夜から数えて、ちょうど五十三年目の頁だけ、字の色が違いました。

その夜のことだけは、後から一気に書いたのだと分かる、乱れた字でした。

平成十年三月のその夜は、春には珍しい、深い霧だったそうです。

七十代になっていた祖父は、いつものようにカンテラを提げ、滑走路跡に立ちました。

畑の畝の間に、コンクリートの帯が一筋だけ残っている場所です。

霧で、十歩先も見えなかったと書いてあります。

「今夜は誰も来るまい。そう思うた。思いながら、灯りの芯を、いつもより長く出した」

祖父の字は、その一行から乱れ始めます。

最初の異変は、匂いでした。

「油の匂いがした。航空揮発油の、あの甘い匂いである。五十年、嗅いだことのない匂いである」

次に、音が来ました。

海の方角から、低い唸りが近づいて来る。

「発動機二基。片方が、わずかに調子を落としている。あの機の癖のままである」

整備員の耳は、五十三年経っても、自分の機の音を忘れていませんでした。

「膝が震えた。恐ろしさではない。恐ろしさではないのだ。ただ、震えた」

覚書のこの行は、何度も筆圧で紙がへこんでいました。

祖父はカンテラを高く掲げました。

霧の奥に、ぼんやりと、着陸灯の白い光がふたつ滲んだそうです。

光は高度を下げ、コンクリートの帯の向こうに消えました。

接地の、重い音がした。

砂利を踏む車輪の音が、ゆっくりと近づいて、止まった。

そして、霧の中から、飛行帽の人影が歩いて来たのです。

「――おう。灯り、見えたぞ」

若い声でした。

五十三年前と、寸分違わぬ声でした。

祖父は、気をつけの姿勢を取ろうとして、足が動かなかったと書いています。

「大尉殿。……お帰りなさいませ」

「うん。遅くなった」

人影は、霧の向こうで笑ったようでした。

「途中でな、時計が狂った。二時間ほど、遅れたようだ」

「整備の落ち度では、ありません」

「分かっとる。お前の仕事に、落ち度なぞあるものか」

五十三年間、胸の底に沈めていた問いへの答えが、そこで返って来たのです。

二時間。

五十三年と、二時間。

祖父は声が出ず、ただカンテラを掲げ続けました。

霧の奥には、他の搭乗員たちの気配もあったそうです。

誰も、老いていない気配でした。

「老いたのは、わしひとりである。それが、たまらなく面目なかった」

覚書のこの一行を、私は何度も読み返しました。

面目ない、と書くところに、あの世代の人の律儀さが滲んでいる気がします。

「みな、無事でありますか」

「無事だ。全員、揃っておる」

それから機長は、少しだけ声を落として、こう言ったそうです。

「灯り、ようも五十三年、点けといてくれたな」

祖父はそこで、初めて泣いたと書いています。

出撃の朝も、終戦の日も泣かなかった人が、です。

「乗って行くか、とも聞かれた。冗談の口調であった。……わしは、首を横に振った」

「家の者の顔が、浮かんだからである」

機長は、そうか、とだけ言ったそうです。

そして人影は霧の中へ戻り、発動機の音が高まり、車輪の音が遠ざかり、光が空へ滑り出しました。

音は海の方角へ小さくなり、やがて、霧の静けさだけが残りました。

「どれほどの間、そこに立っておったか、分からぬ」

「カンテラの油が尽きて、火が消えた。それでようやく、夜が明けかけとることに気づいた」

「頬が濡れておった。霧のせいばかりでは、あるまい」

帰り道、祖父は一度だけ振り返ったそうです。

コンクリートの帯の上には、もう何の気配もありませんでした。

夜が明けてから、祖父はもう一度、滑走路跡へ行ったそうです。

コンクリートの帯の上に、油の染みが点々と落ちていました。

砂の上には、太い車輪の轍が、着地の位置から二百メートルほど続いて、ふつりと途切れていました。

そして、灯りを置いていた場所の傍らの石の上に、それは残されていました。

腕時計です。

革帯の千切れた、海軍の航空時計でした。

裏蓋に、機長の姓が刻まれていました。

針は、あの夜の到着予定時刻を、きっかり二時間だけ過ぎて、止まっていました。

「預かる。返しに来られるまで、預かるのである」

返しに来られるまで。

祖父はあの夜のことを、別れではなく、次の約束だと受け取っていたのです。

覚書のその頁は、そこで終わっていました。

それ以降の頁に、あの夜のような記述は二度と現れません。

ただ、毎年三月の頁の隅に、小さな丸印だけが、亡くなる前の年まで欠かさず付けられていました。

灯りを点けに行った印だったのだと思います。

五十三年目のあの夜以降も、祖父は二十年以上、灯りを点け続けたことになります。

帰って来た者を迎えるためではなく、また通る者に、道標を残すために。

「留守番の続きだよ」

子どもの私に答えた祖父の言葉を、私はようやく、そのとおりの意味で理解しました。

四十九日を終えた後、私はその時計を探しました。

仏壇の引き出しの、いちばん奥にありました。

油紙に包まれ、五十年前の新聞紙にくるまれて。

針は、覚書のとおりの時刻で止まっていました。

町の時計店に持ち込んで、中を検めてもらったことがあります。

老いた店主は、裏蓋を開けて、しばらく黙っていました。

「……妙だね。部品は綺麗なもんだ。今にも動きそうだよ」

「動かないんですか」

「動かない。どこも壊れてないのに、動かない。こういうのは、私らの手には負えん」

店主は蓋を閉じ、時計を布で拭いてから、両手で返して寄越しました。

「これは、直すもんじゃないよ。預かりもんだろう」

祖父と同じ言葉を使ったことに、店主は気づいていない様子でした。

私は時計を持って、旧滑走路の跡へ行ってみました。

畑の中に、コンクリートの帯は、今もひび割れたまま残っています。

近くの直売所で店番をしていた古老に、それとなく聞いてみました。

「昔、ここの滑走路で、変わったことがあったって話、ありますか」

「変わったこと、ねえ」

古老はお茶をすすってから、こともなげに言いました。

「霧の晩に、飛行機の音がする言う人は、昔からたまにおるよ」

「音、ですか」

「うちの親父も聞いた言うとった。平成の十年ごろかな、消防団で騒ぎになりかけた年があってな」

「けど、あくる朝、畑を見ても何もねえ。……いや、何もねえは嘘か」

古老は湯呑みを置いて、畑の一角を顎で指しました。

「轍だけは、あったそうだ。どこにも繋がらん轍がな」

背筋のあたりが、すっと冷えました。

覚書の存在を、この古老は知らないはずなのです。

「その話、他に覚えてる人はいますか」

「さあて。……ただ、あんたの爺さまなら、何か知っとったかもしれんよ」

「どうしてですか」

「あの晩に限らず、三月の霧の晩はな、あの畑の端に、灯りがひとつ揺れとったから」

「みんな知っとって、みんな聞かんかった。そういうもんだよ、この町は」

帰り際、古老はひとつだけ、付け加えました。

「あんた、あの畑で夜に灯りを振っちゃいかんよ」

「どうしてですか」

「降りて来ちまうから。……冗談だよ」

古老は笑いましたが、目は笑っていませんでした。

時計は今、私の家の仏壇に、祖父の位牌と並んでいます。

妻は最初、気味悪がっていましたが、今では毎朝、位牌と一緒に手を合わせています。

「留守番なんでしょう。それなら、家族と同じよ」

妻のほうが、祖父の心情を先に飲み込んだようでした。

動かないはずのその時計が、年に一度だけ、妙な振る舞いをすることを、私はもう知っています。

三月のあの夜です。

去年、初めて自分の目で見ました。

止まっていた秒針が、ことり、と一度だけ揺れて、また止まるのです。

時報を確かめると、ちょうど、あの到着予定時刻でした。

彼らは今も、どこかの空を飛んでいて、年に一度、この町の上を通るのかもしれません。

祖父が五十三年間灯し続けた灯りを、私はまだ、引き継ぐと決められずにいます。

ただ、今年の三月には、カンテラの油だけ、買い足しておきました。

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