
同じ家の夢を、繰り返し見たことはあるだろうか。
続き物ではない。ある夜はホラーで、ある夜はただの日常で、内容に関連はない。
けれど舞台だけは、いつも同じ家だ。
昔住んでいた家だったり、親戚の家だったり。まったく覚えのない家なのに、何度も出てくることもある。
大学の学食で、そんな話になった。
そのとき友人の佐々木が、少し声を落として話してくれたのが、これから書く話だ。
同じ家の夢の間取り
佐々木には、昔からよく見る家があった。
洋風の、どこにでもある二階建ての住宅だ。
いつから見るようになったのかは、本人も覚えていない。
中学に入る頃には、「ああ、またか」と思えるほどの頻度になっていた。
夢の中の彼は、いつも玄関の前に立っている。
鍵は開いていて、ドアノブはひんやり冷たい。
中に入ると、板張りの廊下が奥へ伸びている。
夕方の光が、すりガラス越しに斜めに差している。
そして、いつも同じ匂いがする。古い畳と、乾いた土の混じった匂いだ。
階段は十三段。上から三段目だけが、踏むときしむ。
二階には窓が一つあって、外に柿の木が見える。
枝の先に、実がひとつだけ残っている。
その実が、夢のたびに少しずつ熟れていくことに、彼は気づいていた。
佐々木には、仲の良いKという友人がいた。
家が近所で、母親同士も仲が良かった。
毎日のように、お互いの家を行き来した。
好きな漫画も、ゲームで使うキャラも同じ。成績も、身長も、体重もほとんど変わらない。
中学一年の夏、いつものように遊んでいると、夢の話になった。
「俺さ、いつも同じ家の夢を見るんだよ」
そう言うと、Kが身を乗り出した。
「え、俺もだ」
Kの部屋の窓から、午後の光が差していた。
Kの母親が、冷えた麦茶を運んでくれた。
氷が、グラスの中でからりと鳴った。
「階段、十三段だろ」
「うん。上から三段目がきしむ」
「柿の木は?」
「実がひとつ、残ってる」
二人は、麦茶に口をつけるのも忘れていた。
同じ夢を見ている。それも、細部まで。
その事実が、夏の部屋の温度を、少しだけ下げた。
佐々木はメモ用紙に、間取りを描いてみせた。
玄関。廊下。階段。台所。
Kはそれを黙って見つめて、ペンを取った。
同じ位置に、同じ形の階段を描き足した。
「……同じだ」
二人は、顔を見合わせた。
入れない角部屋
家は割と広かった。四、五人の家族が住めそうな間取りだ。
台所のシンクには、いつも水滴がひとつ、落ちかけている。
蛇口の先で膨らみ、落ちる直前で、止まっている。
夢の中の時間は、その水滴のように、いつも少しだけ遅れていた。
けれど二人とも、一階の角部屋にだけは、一度も入ったことがなかった。
夢の中のその部屋の前に立つと、足が動かなくなるのだ。
扉は半分だけ開いていて、隙間から冷たい空気が流れてくる。
隙間の奥から、かすかに、衣擦れのような音がした。
誰かが、扉の内側で、息をひそめている。
そんな気配だけが、確かにあった。
中は、いつも暗い。
中学生という微妙な年頃だった。
どちらが先に、あの部屋に入れるか。
二人は、競争することにした。
その日から、悪夢が続くようになった。
家の中で、包丁を持った男に追い回される。
姿の見えない何かに、廊下の突き当たりまで追い込まれる。
どれほど走っても、角部屋には近づけなかった。
朝、目が覚めると、パジャマが汗でぐっしょり濡れていた。
最初のうちは、二人で笑っていた。
「俺たち、前世で兄弟だったんじゃね?」
けれど、夢の話は少しずつ減っていった。
佐々木は正直に、こう言っていた。
「あまりに似すぎている自分たちが、気味悪くなったんだ」
顔が似ているわけではない。
ただ、本人たちにしか分からない、共鳴のような何かがある。
それは、Kも同じだったらしい。
同じ家の夢を見ていることが、いつしか重荷になっていた。
どちらかが先に寝落ちすると、もう一方が必ず同じ夢を見る。
そう気づいたのは、二人がほとんど口をきかなくなってからだ。
お互いの顔を見ると、夢の廊下の冷たさが、足元によみがえる。
だから二人は、自然に距離を置いた。
高校は、別々の学校を選んだ。
それでも親友であることは変わらず、電話では毎週のように話した。
ある冬の夜、Kの声がいつもと違った。
「最近さ、あの夢が、長くなったんだ」
「長く?」
「前は、玄関で終わってたのに。今は、廊下の半分まで行ける」
「無理すんなよ」
「無理はしてない。ただ、呼ばれてる気がする」
受話器の向こうで、Kは小さく笑った。
その笑い声が、妙に遠かった。
部活や進路を決めるとき、二人は暗黙のうちに、別々の道を選んだ。
年賀状の一行
大学に進む頃には、生活環境が違って、少しずつ疎遠になった。
冬休みに実家へ帰ると、Kからの年賀状が届いていた。
写真は、ペットの犬だった。
茶色い毛並みの、少し太った柴犬だ。
首輪には、小さな鈴がついている。
Kの家の玄関先で、よく吼えられたことを思い出した。
「ああ、チョコまだ生きてるんだ」
懐かしくて、思わず頬がゆるんだ。
印刷された「あけましておめでとう」の下に、小さく、Kの筆跡があった。
「あの部屋に呼ばれた。俺が先に行くぜ」
佐々木の血の気が、引いた。
数日前に見た夢で、彼自身もまた、部屋に呼ばれていたからだ。
その夢は、いつもと雰囲気が違った。
誰もいない家の中を歩いていると、不思議と怖くなかった。
「ああ、今なら、あそこへ行けるな」
足は、驚くほど軽かった。
廊下の板が、一歩ごとに、きゅ、と鳴る。
角部屋の扉は、半分ではなく、ほとんど開いていた。
中から、畳の匂いが濃く流れてくる。
誰かが、手招きをしているような気がした。
そんな気がした。
ただ、佐々木は部屋の前で目が覚めた。
枕元の携帯が、鳴っていたのだ。
画面には、母親からの着信が表示されていた。
あのとき電話が鳴らなければ。
佐々木は、今でもそう考えるという。
学校が始まって、しばらく経った頃だった。
着信音を聞いたとき、なぜか受話器を取るのがためらわれた。
机の上の時計は、午後三時を少し回ったところだった。
窓の外では、乾いた風が洗濯物を揺らしていた。
受話器を持つ手が、わずかに冷たかった。
ひと呼吸おいて、佐々木はようやく耳に当てた。
母から電話があった。
「Kくんが、行方不明になったらしいの」
一人暮らしのアパートから、忽然と姿が見えなくなったという。
荷物はそのまま。靴だけが、なかった。
警察は、事件性はないと判断した。
鍵は内側から掛かっていなかった。
窓も、玄関も、ただ静かに閉まっていた。
Kの母親は、毎週のようにビラを配っているという。
佐々木は、一度だけそれを手伝った。
駅前で配ったビラは、一枚残らず、風に飛ばされた。
Kの両親が、何か知らないかと、聞きに来たのだそうだ。
あとで、佐々木はKの母親に頼まれて、アパートを訪ねた。
部屋は、きれいに片づいていた。
机の上に、一枚のメモ用紙が置いてあった。
中学一年の夏、二人で描いた、あの間取りだった。
一階の角部屋に、赤いペンで丸がつけてあった。
丸の横に、小さな字で、こう書き足されていた。
「入れた」
窓が少し開いていて、カーテンが、静かに揺れていた。
夢の話など、できるはずもない。
「知らない」と答えるしかなかった。
それから半年以上が経った。
Kは、まだ見つかっていない。
疎遠になってはいたけれど、佐々木は寂しくてたまらなかった。
夜、布団に入ると、天井の木目が廊下の板に見えてくる。
目を閉じるのが、少し怖くなった。
それでも眠りは、容赦なく訪れた。
夢の中で、玄関の鍵は、今日も開いている。
先を越された、と悔しい気持ちも、どこかにあるという。
話してはいけない夢
話を聞き終えて、私は黙ってしまった。
「たいして怖くもない話かもしれないけど」
佐々木は、そう前置きしてから言った。
「正直、俺は、ぞっとしたんだ」
彼は、自分の手のひらを見つめていた。
「俺もまた、同じように、毎度見る家があるから」
祖母が昔から言っていた。
夢で見たことを、他人に話してはいけない、と。
それまでは、なんとなく言いつけを守っていた。
けれど今になって、そういう意味だったのかと納得した。
夢の話を、俺は誰かに話してしまった。
その誰かが、先に呼ばれたのだ。
佐々木は、そこで話を切った。
私は、それ以上、何も聞けなかった。
あの家の夢を、彼は今も、見ているのだろう。
私は、そっと席を立った。
背中に、冷めたうどんの湯気が、まだ貼りついているような気がした。
学食の窓の外では、夕立の前の雲が低く垂れこめていた。
佐々木は、トレーに残った冷めたうどんを、箸でつついていた。
やがて、小さな声で言った。
「最近、玄関のドアノブが、前より温かいんだ」
その言葉に、私は何も返せなかった。
帰り道、夕焼けの中で、ふと考えた。
私にも、繰り返し見る場所がある。
今夜も、きっと見るのだろう。