白目のない赤子の編み籠

夕暮れの雪道と一人の老人

私は七十を過ぎた、引退した教師である。

二十二で師範学校を出てから、四十一年の間、信州と上州とで教鞭を執った。

そのうちの十年ほどを、信州木曽の北の方の、小さな分校で過ごした。

児童は、最も多い年でも十二名足らずで、教師は校長と私の二人であった。

標高は一千メートルに近く、四月になっても、谷の杉の根方には雪が残った。

その日のことを、私はおおよそ五十年の間、誰にも話さずに過ごしてきた。

話してよいのか、悪いのか、今もって、判断がつかぬのである。

老いた今、ようやく筆を執るのは、誰かに聞いてほしいというよりも、自分のなかに置き場のないものを、紙の上に置きたいからである。

昭和四十九年の、三月の末のことであった。

春休みに入る前日で、午前中で授業を切り上げた。

同僚はみな、町まで降りており、校舎には私一人が残っていた。

放課の鐘を、自らの手で鳴らした。

その音が、谷を渡る杉林の上で、長く尾を引いて消えた。

鐘の余韻が消える頃、谷からは、まだ雪解け水の音が立ちのぼっていた。

水の音は、近いようで、遠かった。

戸締りのため、校舎の裏手へまわった。

裏手は北向きで、午後の光が薄く差していた。

体育倉庫の戸が、半ばほど開いていた。

私は、戸を閉めにいくつもりであった。

戸の脇に、見覚えのない藤の編み籠が置かれていた。

古いものであった。

蔓は黒く煤け、口縁の所々がほつれていた。

取っ手の藁紐も、すっかり毛羽立っていた。

日のあたらぬ側であるのに、編み籠の表面だけが、ほのかに温かそうに見えた。

誰かが置き忘れていったのだろうと、私は近づいた。

編み籠の中には、白い綿のような布が、こんもりと盛り上がっていた。

その綿の中央に、人の顔があった。

赤子であった。

私は息を呑んだ。

こんな山中の、児童しか出入りせぬはずの倉庫の脇に、なぜ赤子があるのか。

分校の児童たちには、まだ歳の若い兄弟姉妹もある。

誰かの母親が、用足しの隙に、置き去ったのだろうか。

そう思いながら、籠の上にかがんだ。

赤子は深い眠りの中にあった。

頬は紅潮し、息は静かであった。

愛らしい寝顔であった。

耳の形が、奇妙なほどに、整っていた。

指の爪までもが、磨かれたように整えられていた。

そのどれもが、山里で見慣れた子のものではなかった。

私は小さく声をかけた。

「おやおや、どこの子じゃろうか」

すると赤子が、ふいに目を覚ました。

そして、私を見上げた。

その目には、白い部分が、ひとつもなかった。

瞳孔も、虹彩も、白目も、判別のつかぬほどに、ただ漆を流したように黒かった。

犬の眼に似ていた。

いや、犬の眼にすら、白いところはあるものだ。

それよりも、なお深い、黒玉のような、ただ黒だけの眼であった。

恐ろしくはなかった。

ただ、見たこともない、奇妙に整いきった顔立ちのまま、その目だけが異質であった。

赤子は私を、瞬きもせずに見上げた。

私もまた、目を逸らせなかった。

どのほどの時間であったろうか。

おそらく、ほんの数分であったと思う。

しかし、夕方の冷気が肩を伝う頃まで、私はそこにかがんだままであった。

目を逸らせば、何かが終わってしまうように思われた。

逸らさずにいれば、何かが始まってしまうようにも思われた。

教師として、しっかり抱き上げて職員室へ連れ戻るべきであった。

けれど、私の手は、編み籠の縁にかけたまま、動かなかった。

赤子の唇が、ほんのわずかに、形をつくった気がした。

何の言葉であったか、聞き取ることはできなかった。

背後から、軽い咳が聞こえた。

振り向くと、校門の方に、見知った老婦人が立っていた。

分校の児童の祖母にあたる、佐久間の婆さまであった。

七十は越えた、小柄な、痩せた人であった。

近所の人々からは、敬意をこめて「お婆」と呼ばれて慕われていた。

村の祭礼の支度を、いつも黙々と差配する人であった。

「先生」と、婆さまは静かに言った。

「それは、うちの孫じゃ。連れて帰るで」

私は驚いた。

佐久間家には、孫はいないはずだった。

長男の嫁御が、長らく子に恵まれず、村の祠に願をかけているという話を、職員室で耳にしていた。

けれど、婆さまの口調には、迷いがなかった。

声の調子は、近所の子を呼ぶときのものと、すこしも変わらなかった。

「ここに置いておくと、寒うてかわいそうじゃ」

そう言って、婆さまは編み籠ごと、軽々と持ち上げた。

七十を越えた人の腕とは思えぬ、しっかりとした抱えようであった。

赤子の顔は、もう、こちらからは見えなかった。

「待ってください」と、私は言いかけた。

けれど、婆さまはもう、こちらに背を向けていた。

細く曲がった分校の坂を、ゆっくりと降りていった。

その背は、来たときよりも、まっすぐに見えた。

白い綿の中の赤子は、もう私の方を見ていなかった。

夕日が、藤の編み籠の蔓を、淡く赤く染めていた。

私は校門のところで、その姿が杉の影に消えるまで、見送った。

杉の影に呑まれる瞬間、編み籠の縁の藁が、わずかに揺れたように見えた。

その揺れだけが、いつまでも目に残った。

その晩、町から戻った同僚に、編み籠の話をしようとした。

けれど、なぜか、言葉が出なかった。

「春休みに、変わったことはなかったかね」と問われたが、「いえ、何も」と答えた。

自分の声が、ひどく遠くから聞こえた。

その晩、私は、湯飲みを取り落とした。

湯飲みの底が、思いがけぬ低い音を立てた。

翌春、新学期が始まった。

佐久間家の長男のもとに、女の子が生まれたという報せがあった。

嫁御が永らく授からなかった、待望の子であった。

村中で祝うた。

婆さまも、頬を緩めて喜んでいた。

祠の前で、深々と頭を下げる姿を、私も見た。

その日、私は婆さまに、声をかけることができなかった。

婆さまも、私と目を合わせなかった。

いや、合わせなかったのか、合わさなかったのか、それすらわからない。

その女の子は、後に分校に入学した。

明るく、よく笑う、健やかな子であった。

白目はきちんとあり、瞳は澄んだ榛色であった。

あの編み籠の中の赤子とは、似ても似つかなかった。

私は学級簿に、その子の名を丁寧に記した。

記しながら、手の中の鉛筆が、わずかに震えた。

あれから、半世紀が経った。

私は分校を去り、町の中学校で長く教えた。

定年で退いた後は、信州の家を畳んで、息子の家のある関東に移った。

佐久間の婆さまは、もう亡くなって久しい。

婆さまの孫娘も、今は四十を過ぎ、町の方で家庭を持っているという。

あの編み籠の中の赤子のことを、私は誰にも話してこなかった。

話せば、人は私の年齢を心配するであろう。

けれど、白目のない赤子の眼の黒さは、五十年経った今も、まぶたの裏に焼きついている。

あれは、夢ではなかった。

私の手は、籠の藤の冷たさを、今も覚えている。

耳の奥には、藁紐の毛羽立った感触まで残っている。

あの赤子は、何であったのか。

婆さまは、どこから連れてきたと言ったのか。

そして、長らく授からなかった嫁御に、後に生まれた女の子と、なぜ婆さまは、あの夕方、間違いなく入れ違うことができたのか。

これは、私が教師生活の四十一年で、ただ一度、説明のつかなかった出来事である。

先日、その分校の建物が取り壊されたと、新聞の地方欄で読んだ。

体育倉庫もろとも、更地にされたという。

取り壊しの前日に、関係者で簡単な式があったらしい。

記事には、列席者の写真が小さく載っていた。

私は老眼鏡をかけ直し、その写真に顔を寄せた。

その隅の方に、見覚えのある藤の編み籠が、地面に置かれていた。

白い綿のような布が、こんもりと、盛り上がっていた。

記事の文面のどこにも、その編み籠のことには、触れられていなかった。

写真の白い綿は、五十年前と同じ高さに、盛り上がっていた。

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