
これは十九年前、私が二十歳だった冬の話だ。
あまりに多くの記憶が薄れてしまったので、当時つけていた手帳と、その後に書き足したメモだけを頼りに記している。
細部や会話には補いも入っているが、できるだけ飾らずに書こうと思う。
一九九〇年代の初め、まだ携帯電話も普及していない頃のことだ。
連絡といえば、宿舎の廊下にある黒い電話が一台きりだった。
当時の私は、地方の小さな測量会社に臨時で雇われていた。
仕事は、山あいのダム建設予定地で、境界の杭を打って回ることだった。
谷はひどく深く、底には移転を待つばかりの小さな集落が、半分だけ残っていた。
柤谷(さいだに)という名の谷で、底の集落は奈半(なば)と呼ばれていた。
もう大半の家は空き、雨戸を釘で打ちつけられたまま、水に沈む日を待っていた。
朝は霧が濃く、昼を過ぎるまで谷底が見えない日もあった。
その霧の中で、私たちは赤い杭を打ち、白い紐を張り、標高を測り続けた。
手がかじかむと、息を吹きかけながら測量器を覗いた。
谷を吹き上げてくる風は、いつも濡れた土と、かすかに錆びた鉄の匂いを含んでいた。
日が落ちるのは早く、四時を過ぎると、谷はもう藍色に沈んだ。
宿舎に戻ると、私たちはストーブを囲んで、冷えた体を温めた。
外では、風が電線を、低く鳴らし続けていた。
集落のいちばん奥には、昔の鉱山の間歩(まぶ)が口を開けていた。
坑道のことだ。
間歩は、もう五十年も前に閉じられたものだと聞いた。
かつては銀と、わずかな銅を掘っていたらしい。
坑道が尽きたのか、人が集まらなくなったのか、詳しいことは誰も知らなかった。
ただ、鉱山が閉じてから、谷の人は目に見えて減っていったという。
若い者は町へ出て、年寄りだけが残った。
間歩の口の脇には、小さな石の祠が一つ、苔にまみれて立っていた。
誰が祀ったものかも、もう分からないという。
それでも、祠の前には、真新しい塩が盛られていることがあった。
誰かが、今も供えているのだ。
そこへ来て、今度はダムだ。
谷そのものが、まるごと水の下に隠れてしまう。
私が杭を打っていた斜面も、春には湖の底になるはずだった。
間歩の入口には縄が張られ、朽ちた木札に「入るな」とだけ書かれていた。
土地の者は、霧の濃い晩に谷底へ降りてはいけない、と言い伝えていた。
とりわけ間歩へは、近づくことさえ禁じられていた。
理由を聞くと、年寄りは「子供の知ることではない」と言うだけだった。
私はもう二十歳だったが、その言い方は変わらなかった。
はじめのうち、私はそれを、田舎にありがちな言い伝えだと思っていた。
測量の合間に、私はよく谷底を見下ろした。
測量の道具を片付ける頃には、いつも指の感覚がなくなっていた。
霧が晴れる短い時間、集落の屋根がまばらに見えた。
どの屋根も、同じ方向へ少しずつ傾いていた。
地盤が緩んでいるのだ、と現場監督は言った。
だが、その傾きの向きは、間歩の口のほうを指しているように見えた。
ただ、妙なことが一つだけあった。
前の日に打った杭が、翌朝には少しだけ位置がずれているのだ。
数センチではない。時には一メートルも動いていることがあった。
誰かが抜いて打ち直したにしては、土の上に踏み跡がなかった。
私は、自分の測り間違いだと思うことにした。
そう思わなければ、仕事にならなかったからだ。
翌朝も、私は杭を打ち直した。
そしてまた、翌朝には、杭は動いていた。
今度は、間歩の口のほうへ、一列に並ぶように動いていた。
私は、そのことを、誰にも言えなかった。
現場には、久米さんという先輩の作業員がいた。
四十がらみの、口の重い人だった。
ただ、霧の晩になると、久米さんはいつも谷底のほうをじっと見ていた。
私が声をかけても、しばらく返事をしないことがあった。
「あんた、あの間歩に降りたことはあるか」
ある晩、久米さんは唐突にそう聞いてきた。
私が「ないです」と答えると、久米さんは少しだけ笑った。
その笑い方が、なぜか後々まで記憶に残った。
※
十二月に入ると、現場は年内で一区切りをつけることになった。
ダムの本体工事が始まれば、私たち測量の臨時雇いは用済みになる。
奈半の集落も、春を待たずに水の底へ移る予定だった。
最後の見納めに、私は一人で集落を歩いておこうと思った。
空き家の間を歩いていると、一軒だけ、まだ人の住んでいる家があった。
移転を拒んでいる、年老いた女の人の家だった。
縁側に腰かけたその人は、私を見て「測量の兄さんか」と言った。
私が、谷の言い伝えのことを尋ねると、その人は間歩のほうへ目をやった。
「この谷では、昔から一つだけ、してはいけないことがあった」
その人は、湯呑みを両手で包みながら言った。
「霧のいちばん濃い晩には、戸を開けて谷底を覗いてはならん」
「覗けば、向こうから覗き返される」
私は、子供だましだと思いながらも、なぜか笑えなかった。
その人の家の軒には、古い籠が一つ、紐でぶら下げてあった。
中には、黄ばんだ紙の札が幾枚も差してあった。
「魔除けかね」と私が聞くと、その人は「見られんためのものじゃ」と答えた。
「昔は、どの家にも吊るしとった」
「今は、吊るす者もおらんようになった」
それから、その人は間歩のことを話しはじめた。
「あそこには、輪がある」
「昔、鉱山の巻揚げに使うた、大きな鉄の輪がな、奥に据えたままになっとる」
「あれをくぐった者は、こちら側へは戻ってこん」
戻ってこない、とはどういうことか。
私が聞き返すと、その人は静かに首を振った。
「昔、間歩に入ったきり、戻らんかった子が幾人もおる」
「戻った者も、幾人かはおった」
「じゃが、戻った者はみな、別の名を名乗るようになってな」
「親の顔も分からん、生まれた家も分からんと言うて、やがて谷を出ていった」
「気の触れたんじゃと、皆は言うたが」
その人は、そこで一度、言葉を切った。
「わしは、そうは思わん」
「戻ってきても、それはもう、別の人になっとる」
「顔も、名も、生まれた国さえも、みな入れ替わってしもうとる」
作り話にしては、その人の声はあまりに落ち着いていた。
「霧の濃い晩は、輪の向こう側が、こちらへ寄ってくる」
「じゃから、その晩は降りてはいかんのじゃ」
「兄さんも、霧の晩には、谷を覗きなさんなよ」
別れ際に、その人はもう一度、そう言った。
その声が、しばらく耳の奥に残った。
私は礼を言って、その家を出た。
帰り道で、久米さんに会った。
久米さんは、私がその家から出てきたのを見ていたようだった。
「あの婆さんに、輪の話を聞いたか」
私が黙っていると、久米さんは「今夜、降りてみんか」と言った。
ただの肝だめしだ、と久米さんは笑った。
だが、その目は笑っていなかった。
私は、断ろうと思った。
けれど、あの杭のずれのことが、頭の隅に引っかかっていた。
確かめたい、という気持ちが、怖さより少しだけ勝ってしまった。
久米さんのことを、私はその晩、宿舎で少し調べてみた。
だが、久米さんがどこの生まれで、いつからこの現場にいるのか、誰も知らなかった。
作業員の名簿にも、久米という名は、なぜか載っていなかった。
その晩、宿舎の前に集まったのは、四人になるはずだった。
私と、久米さん。
同じ臨時雇いの柏(かしわ)。
後輩の梶(かじ)。
それに、大工見習いの戸並(となみ)を加えて、五人の約束だった。
だが、宿舎を出ようとしたとき、戸並が青い顔をして戻ってきた。
待ち合わせへ向かう途中、間歩の口の前を通ったのだという。
泥の上に、真新しい足跡が幾つも、坑道の中へ向かって続いていた。
だが、出てくる向きの足跡は、一つもなかったという。
戸並は、それを見て引き返してきたのだ。
「お前ら、あそこへ行くんはやめとけ」と戸並は言った。
私たちは、笑って取り合わなかった。
今にして思えば、戸並の言うことを聞いておけばよかった。
結局、戸並を残して、四人で谷を降りることになった。
霧は、その晩もひどく濃かった。
懐中電灯の光が、白い壁のような霧に吸い込まれて、先まで届かない。
集落を抜け、間歩の入口まで来ると、木札の縄が切れて落ちていた。
昼に通ったときには、確かに張られていたはずだった。
「誰が切ったんや」と、柏が声を潜めて言った。
久米さんは何も答えず、先に立って坑道へ入っていった。
※
坑道の中は、思っていたより広かった。
湿った岩の匂いに、どこか焦げたような匂いが混じっていた。
奥へ進むと、道が二つに分かれていた。
昼のうちに描いておいた見取り図には、その分岐はなかった。
「こんな道、あったか」と梶が言った。
誰も、答えられなかった。
久米さんは、迷いなく右の道を選んだ。
初めて来たはずの坑道を、久米さんは知り尽くしているようだった。
私は、この肝だめしそのものが、おかしいと気づき始めていた。
久米さんが急に誘ってきたこと。
縄が、切られていたこと。
地図にない道を、ためらいもなく進むこと。
やがて、道の先に小さな灯りが見えた。
豆電球のような、淡いオレンジ色の光だった。
光の下には、鉄の扉があった。
久米さんが押すと、扉は音もなく開いた。
扉の向こうの部屋は、外の寒さが嘘のように、生ぬるかった。
空気は淀み、線香に似た匂いが、かすかに漂っていた。
中は、十五畳ほどの、何もない岩の部屋だった。
天井から、いくつもの豆電球が垂れ下がっていた。
そして、部屋の真ん中に、それはあった。
巨大な、鉄の輪だった。
赤茶けて錆びた鉄の輪が、縦にして据えられていた。
両端が壁につくほど大きく、人がくぐるにはちょうどいい高さだった。
婆さんの言った、巻揚げの輪だ、と私は思った。
豆電球の光は弱く、輪の影が、壁の上で大きく揺れていた。
よく見ると、輪の内側の縁には、細かな文字のようなものが刻まれていた。
だが、それは私の知る、どの文字とも違っていた。
梶が、その文字に触れようとして、手を止めた。
部屋の奥のほうは、豆電球の光も届かず、闇に沈んでいた。
その闇の中に、輪の向こう側がどこまで続いているのか、まるで見えなかった。
私は、なぜかその闇を、まっすぐに見ることができなかった。
久米さんは、その輪を、じっと見つめていた。
「俺は、ずっとここへ戻ってきたかったんだ」
久米さんは、そう呟いた。
意味が、分からなかった。
そのとき、坑道の奥のほうから、足音が聞こえてきた。
ザッ、ザッ、ザッ、と、幾人もの足音だった。
「誰か来る」と、柏が声を潜めて言った。
足音は、確実にこちらへ近づいていた。
私たちは、部屋の壁際に身を寄せた。
逃げようにも、来た道は一本きりで、足音はその道から響いていた。
梶が、部屋の隅にあった、もう一つの扉に手をかけた。
だが、その扉は開かなかった。
内側から、閂がかかっているようだった。
誰かが、初めからその向こう側にいる。
そう思った瞬間、背筋が冷たくなった。
足音は、もうすぐそこまで来ていた。
久米さんが、輪のほうを振り返って言った。
「くぐれ。こっちにいたら、連れていかれる」
柏が、悲鳴をあげて輪へ走った。
そして、輪を跳んでくぐった瞬間、柏の姿が消えた。
輪の向こう側へ、ただ抜けるだけのはずだった。
なのに、柏は忽然と、いなくなっていた。
私は、声も出せずに立ち尽くした。
閂のかかっていたはずの、もう一つの扉が、ゆっくりと開いた。
隙間から、白髪の頭がのぞいた。
錆びた鉄の輪を、冠のように頭に載せた人影だった。
顔だけを、こちらへ突き出すようにして、それは笑っていた。
それは、人の笑みではなかった。
私は、その顔にこれ以上、見られたくないと思った。
喉の奥から、自分のものとは思えない声が漏れた。
気がつくと、私も輪へ向かって、走り出していた。
※
目を開けると、白い部屋にいた。
病室だった。
腕には管が刺さり、私は仰向けに寝かされていた。
窓の外は、きれいな夕焼けだった。
起き上がるのに、ずいぶん時間がかかった。
やがて看護の人が入ってきて、私を見るなり、部屋を駆け出していった。
少しして、医師が数人来て、私に何かを話しかけていた。
私は、ただぼんやりしていた。
しばらくして、母だという女の人と、若い娘が、泣きながら入ってきた。
だが、それは私の母ではなかった。
娘は「お兄ちゃん、おかえり」と言って、泣き崩れた。
私に、妹はいない。
医師は、私が二年近く眠っていたのだと言った。
記憶が混乱しているだけで、じきに戻る、と。
私は、自分の名も、その人たちのことも、何一つ分からなかった。
付き添われてトイレに立ち、鏡で自分の顔を見て、私は声をあげた。
それは、私の顔ではなかった。
まったくの別人が、鏡の中にいた。
退院の日、私は病院の玄関で、一度だけ振り返った。
白い建物は、どこにでもあるような、ありふれた病院だった。
けれど、その空の色だけが、私の知る空より、わずかに淡く見えた。
退院までには、一月ほどかかった。
その間、私は自分の名を、繰り返し訂正し続けた。
間歩での一夜のことを、柏のことも、久米さんのことも、柤谷のことも話した。
だが、そんな谷は存在しない、と言われた。
そればかりか、私の知っている県の名も、この世界にはなかった。
その世界の地図の上に、日本という国はどこにもなかった。
通貨も、歴史も、聞いたことのないものばかりだった。
それでも、椅子や、窓や、日々のありふれた言葉には、なぜか違和感がなかった。
やがて私自身、どちらが本当の自分なのか、分からなくなっていった。
『前の人生は、眠っている間に見た夢だったのだ』
そう思うほうが、ずっと楽だった。
カウンセリングに通ううち、私は少しずつ、その考えに慣れていった。
新しい家族との暮らしにも、少しずつ慣れていった。
はじめは他人行儀に敬語で話し、下着を洗われるのも嫌がった。
それが、いつのまにか、本当の家族のように思えてくるのだ。
人の心とは、思っているよりも、たやすく作り変えられるものらしい。
私は、別人として生きていくしか、なかった。
新しい家族は、みな、私に優しかった。
やがて私は、前の人生のほうが夢だったのだと、思うようになった。
そう思い始めると、元の世界の記憶は、少しずつ薄れていった。
両親の顔も、谷の霧の匂いも、思い出すのに時間がかかるようになった。
ただ、あの一夜のことだけは、消えなかった。
錆びた輪を冠のように載せた、あの人影の笑みだけは、今も忘れられない。
半年ほどして、私はこの世界で、新しい勤め先を見つけた。
見るもの、聞くものの、すべてが目新しかった。
県の名も、駅の名も、初めて耳にするものばかりだった。
それでも、人は親切で、日々は少しずつ回り始めた。
季節が一つめぐった頃、意外な形で、二つの世界がつながった。
仕事の帰りに立ち寄った古書店で、私は一冊の郷土史を手に取った。
背表紙に、『柤谷』という文字があった。
間違いなく、私が最後の夜に降りていった、あの谷の名だった。
私は、震える手でその本を開いた。
この世界では、柤谷は水没を免れ、今も谷底に集落が残っているという。
間歩は史跡として保存され、観光の案内板まで立っているらしかった。
私のいた世界では、名も知られぬ、沈みゆくだけの谷だったのに。
こちらでは、人の絶えない、生きた谷だったのだ。
私は、その本を買って帰り、何度も読み返した。
だが、読んだところで、何も変わりはしなかった。
戻れるわけでもなく、私の過去を証してくれるものでもなかった。
郷土史のどこにも、久米という名も、柏という名も、載ってはいなかった。
十九年が経ち、私は都会で、ごく普通に暮らしている。
なぜ今さら、こんなことを書くのか。
先月、私の家に、差出人の名のない手紙が届いたからだ。
手紙の字は、丁寧だが、どこか急いたような筆跡だった。
「あなたは私を知っているはずです」と、そこには書かれていた。
「あなたを見つけるのに、とても長い時間がかかりました」
最初に読んだとき、不思議と、恐れも驚きもなかった。
どこか、他人事のように感じていた。
数日後に届いた二通目には、会う日と場所が書かれていた。
「必ず、一人で来てください」と。
差出人の名に、覚えはない。
それでも、私は行くつもりでいる。
行かなければならない気が、している。
できれば、あの晩に先に輪をくぐった、柏であってほしい。
誰が立っていても、顔では分からないだろう。
それでも、あの夜の谷の話をすれば、きっと相手が誰か分かる。
もし私が戻らなかったときのために、こうして書き残しておくことにした。