サイレンが二度鳴った昼

岡山の笠岡に、海を埋め立ててつくった、まっすぐな道ばかりの土地があります。

干拓地です。

見渡すかぎり畑で、電柱と、風を防ぐための細い並木しかありません。

私が通っていた小学校は、その干拓地の縁に建っていました。

三十年以上前の話になります。

いまも、時計の秒針を見ていると、あの昼休みのことを思い出します。

昼休みの終わりは、サイレンで知らされた

うちの学校には、昼休みの終わりのチャイムがありませんでした。

代わりに、干拓の放水路のサイレンが鳴りました。

水門を動かすときに鳴らすものです。

潮の具合で、鳴る時刻は毎日少しずつずれます。

三分早い日もあれば、七分遅い日もありました。

だから私たちは、サイレンが鳴るまで校庭にいてよかったのです。

これは、いま考えるとずいぶん妙な決まりでした。

先生も、そのことを不思議とは言いませんでした。

干拓地では、時計より水のほうが偉いのだと、みんなが思っていました。

もうひとつ、決まりがありました。

サイレンが鳴らなかった日は、校舎に入ってはいけない。

そういう言い伝えです。

六年間で、鳴らなかった日は一度もありませんでした。

だから誰も、その決まりの意味を考えませんでした。

校庭の隅にあった、ゼロの石

校庭の南の隅に、四角いコンクリートが埋まっていました。

地面から三十センチほど頭を出しています。

上面に、細かい数字が彫ってありました。

私たちはそれを「ゼロの石」と呼んでいました。

鬼ごっこのベースにしたり、缶蹴りの缶を置いたりする場所です。

先生は、干拓の測量に使う印だと言っていました。

干拓地は、年々わずかに沈むのだそうです。

だから高さを測る印がいる。

そういう説明でした。

ゼロの石の数字は、毎年、少しずつ書き足されていました。

上から下へ、細い字で並んでいきます。

私は五年生のとき、数えたことがあります。

十三ありました。

学校ができてから四十年ほどでしたから、毎年ではありません。

そのことに引っかかったのは、ずっとあとです。

十秒だけ、世界が止まった

六年生の、六月でした。

よく晴れて、風の強い日です。

干拓地は風が強く、砂がいつも目に入ります。

その日、私は校庭の真ん中でボールを追っていました。

急に、音が消えました。

耳が塞がった感じではありません。

音そのものが、最初から無かったようになったのです。

そして、目に映るものが、全部止まりました。

校庭の砂が、落ちる途中で止まっていました。

風で舞い上がった砂粒が、そのままの位置に浮いています。

跳ねていたボールも、地面から少し離れたところで静止していました。

止まったというより、最初からそこに描かれていたようでした。

匂いも、風の圧力も、暑さも、ありませんでした。

残っていたのは、見えるということだけです。

自分の体があるのかどうかも、よく分かりませんでした。

時間にして、十秒ほどだったと思います。

数えたわけではありません。

ただ、そのくらいの長さでした。

「あっ、止まっとる」

頭の中でそう思った瞬間、世界がずんと動き出しました。

砂が落ち、ボールが跳ね、音が戻りました。

継ぎ目は、まったくありませんでした。

誰も、私が立ち止まっていたことに気づいていませんでした。

その日、サイレンは二度鳴った

昼休みの終わりに、サイレンが鳴りました。

私たちは校舎へ戻りました。

ところが、教室に入って少ししてから、もう一度鳴ったのです。

私は窓のほうを見ました。

同じ列の宮地も、窓を見ていました。

宮地とは、当時あまり仲がよくありませんでした。

理由は覚えていません。

小学生の仲の悪さなど、たいてい理由がないものです。

放課後、私は職員室に行きました。

水門の記録は、事務室に控えが来ることになっていたのです。

その日の欄には、一回としか書かれていませんでした。

先生も「一回しか聞いとらん」と言いました。

二度目を聞いたのは、私と宮地だけでした。

そのことを確かめたのは、ずいぶんあとになってからです。

三人組が、二人になっていた

その日を境に、クラスの中で、はっきりと変わったことがありました。

いちばん仲のよかった三人組が、ばらばらになったのです。

岸本と、田中と、早瀬の三人でした。

いつも一緒に給食を運び、いつも一緒に帰っていました。

それが、あの週から、岸本と田中の二人になりました。

喧嘩をしたようには見えませんでした。

早瀬が仲間外れにされている様子もありません。

ただ、二人になっていました。

私は、岸本に訊きました。

「早瀬とは、もうつるまんの」

岸本は、心底きょとんとした顔をしました。

「誰や、それ」

冗談を言っている顔ではありませんでした。

それから私は、何人にも同じことを訊いて回りました。

誰も、早瀬を知りませんでした。

担任も知りませんでした。

あの三人組を三人だと言うのは、この町で私だけでした。

早瀬のことを、私はよく覚えている

早瀬について、私が覚えていることを書いておきます。

背は、クラスで前から三番目でした。

声が低く、笑うときだけ少し高くなりました。

給食の牛乳を、いつも最後まで残す子でした。

家は、干拓地の中ほどの農家だと言っていました。

バスで通っていて、朝はいつも岸本と田中より早く来ていました。

教室の窓を開けるのが、早瀬の役目でした。

私はそれを、六年間ずっと見ています。

三人組は、給食の食缶をいつも一緒に運びました。

重い日は、早瀬が真ん中を持ちます。

真ん中がいちばんきついのだと、早瀬は自分から言っていました。

「端やと、腕が伸びるけん楽やろ」

そう言って笑った顔まで、私は思い出せます。

けれど、その顔を知っている人が、私のほかにいません。

岸本も田中も、食缶は二人で運んでいたと言います。

二人で運ぶには重かったはずだと言うと、二人は同じことを答えました。

「重かったよ。ずっと重かった」

重いと感じていた記憶だけが、二人には残っているのです。

名簿と写真が、食い違っていた

六年生の学級名簿を、私は卒業のあとに確かめています。

三十八人です。

早瀬の名前は、ありませんでした。

けれど、学級写真は違いました。

後列の右から四番目に、早瀬が写っています。

私の記憶にある顔と、まったく同じです。

襟の詰まった、少し大きい上着を着ています。

写真の下には、名前が刷ってありました。

そこには、早瀬の位置だけ、空白があります。

印刷の落ちではありません。

前後の名前は、詰められずに、そのままの位置に並んでいます。

空白のぶんだけ、きちんと場所が取ってあるのです。

同じ写真を、岸本にも見せました。

岸本は、後列の右から四番目を指さして言いました。

「ここ、誰も写っとらんよ」

私には、はっきり見えていました。

宮地の記憶は、私と反対だった

宮地は、あの週から、急に私に話しかけてくるようになりました。

それまで一言も口をきかなかった相手です。

しかも、昔からの友達のような話し方でした。

中学に上がってから、一度だけ訊いたことがあります。

「おまえ、前は俺のこと嫌いやったやろ」

宮地は、本気で驚いていました。

「なんでや。ずっと仲ようしとったやんか」

宮地の中では、私たちは一年生からの友達でした。

私の中では、六年生の六月までは口もきかない相手でした。

どちらかが間違っているのだと、当時は思いました。

いまは、そう思っていません。

あの十秒で、私と宮地は、互いの側へ一歩ずつ入れ替わったのではないか。

そう考えると、二度目のサイレンを二人だけが聞いた理由も、なんとなく通ります。

水門の記録を、もう一度見た

同窓会の名簿を作った年に、私は土地改良区の事務所を訪ねました。

三十年前の水門の操作記録が、まだ残っていました。

分厚い簿冊で、日ごとに回数と時刻が書いてあります。

あの六月の日を開きました。

回数の欄は「一」でした。

ただ、その一の字が、少し変でした。

下に、消したあとがあるのです。

インクの色が違う線で、上から書き直されていました。

消えている下の字は、光にかざすと読めました。

「二」でした。

担当の方に訊くと、書き間違いの訂正はよくあることだと言われました。

それはそうでしょう。

けれど、その簿冊の中で、訂正はその一箇所だけでした。

四十年ぶんで、たった一箇所です。

帰り際、事務所の年配の方が、私を呼び止めました。

「あんた、あの学校の子か」

そうだと答えると、その人は少しだけ黙りました。

「サイレンが二回鳴る日はな、うちらは畦に立たんことにしとった」

理由は教えてくれませんでした。

三十年後、同窓会の名簿をつくった

四年前、同窓会の幹事をやることになりました。

名簿を作る仕事です。

卒業名簿を元に、住所を追いかけていきました。

三十八人のうち、三十六人まで連絡がつきました。

残りの二人は、住所が古いままでした。

そして、名簿の最後の行に、印刷されていない一行がありました。

手書きで、こう書いてありました。

早瀬。

住所の欄には、笠岡市干拓地、とだけあります。

番地はありません。

その名簿は、前回の幹事から引き継いだものです。

前回の幹事に電話をして訊きました。

「その行、あんたが書いたんと違うんか」

向こうは、笑って否定しました。

「わしの字と違うわ。というか、その名前、誰や」

入れ替えの日

あとから、干拓地の古い方に、その話を聞きました。

水門を二度鳴らす日というのが、年に何度かあるのだそうです。

内側の水を落として、外の潮を少しだけ入れる日です。

「入れ替え」と呼ばれていました。

水を入れ替えると、田の塩気が変わります。

だから作物にとっては大事な日です。

その日は、大人は水路のそばに近づきませんでした。

落ちると危ないから、というのが表向きの理由でした。

けれど、その方はこうも言いました。

「入れ替えの日はな、こっちとあっちの水が、いっぺん同じ高さになるんじゃ」

同じ高さになった一瞬だけ、流れが止まる。

流れの止まった水は、どちらのものでもなくなる。

だから、そのあいだは何も動かさない。

それが、干拓地の年寄りの言い方でした。

私は、その話を聞きながら、校庭の砂のことを考えていました。

あの十秒、砂も、ボールも、どちらのものでもなくなっていたのかもしれません。

そして私と宮地は、そのあいだに、どちらのものでもない場所にいたのです。

戻ってきたとき、二人が同じ側に戻れたという保証は、どこにもありません。

干拓地へ行った日

去年の秋、私は学校の跡地へ行きました。

小学校は十年前に統合されて、いまは建物がありません。

更地に、農機具の倉庫が二棟建っています。

校庭のあった場所は、そのまま平らな土でした。

南の隅を探すと、ゼロの石が残っていました。

草に埋もれていましたが、上面の数字は読めました。

私は指で草をどけて、数えました。

十四ありました。

私が五年生のときに数えたときは、十三です。

学校が無くなったあとに、一つ増えていることになります。

市の土地改良の資料を、あとで見せてもらいました。

ゼロの石は、高さを測るための基準ではありませんでした。

あの数字は、測量の「合わなかった日」を刻んだものです。

干拓地の測量では、同じ日に二度測って、値を突き合わせます。

ほとんどの日は合います。

合わない日だけ、日付を石に刻んで残す。

そういう決まりだったのだそうです。

あれは高さではなく、合わなかった日の数でした。

私は、十四のうちの一つを探しました。

六年生のあの六月の日付が、確かにありました。

上から九番目でした。

石が、二つある

最後に、もう一つだけ書いておきます。

帰り際に振り返ったとき、私は妙なものを見ました。

南の隅に、同じ形の石が、二つ並んでいたのです。

行きに見たときは、一つでした。

私は戻って、二つとも上面を確かめました。

片方には、十四の数字。

もう片方には、一つだけ、数字が刻んでありました。

その日の日付でした。

私は、それ以上そこにいられませんでした。

車に戻って、来た道をまっすぐ走りました。

干拓地の道は、どこまでもまっすぐです。

信号は一つもありません。

それが、あの日はやけに長く感じられました。

鳴らなかった日のこと

六年間で、サイレンが鳴らなかった日は一度もないと書きました。

正確には、一度だけあります。

卒業式の日です。

その日は水門を動かさなかったのだと、あとで知りました。

けれど当時の私たちは、そんな理由を知りません。

式が終わって校庭に出たとき、誰かが言いました。

「今日、鳴っとらんな」

言ったのは、岸本でした。

言い伝えでは、鳴らない日は校舎に入ってはいけないことになっています。

私たちは、もう式のあとで、校舎から出たところでした。

入る用事はありません。

それなのに、何人かが、ずっと昇降口のほうを見ていました。

見ていた子の中に、宮地がいました。

私は、そのとき初めて宮地に話しかけました。

少なくとも、私の記憶ではそうです。

「なんか、おるん」

宮地は、しばらく答えませんでした。

それから、こう言いました。

「窓、開いとる」

六年三組の窓が、一つだけ開いていました。

開けるのは、いつも早瀬の役目でした。

いまも、秒針を見てしまう

宮地とは、いまも年に一度は会います。

あの話は、二人ともしません。

しないことにしている、というほど固い約束でもありません。

ただ、話し始めると、どちらの記憶を基準に話すのかが決められないのです。

学級写真は、いまも私の家にあります。

後列の右から四番目には、いまも早瀬が写っています。

妻に見せたら、そこには誰も写っていないと言われました。

娘に見せたら、写っていると言いました。

そのことを、私はまだ、どう考えたらいいのか分かりません。

学校の名簿にまつわる不思議な話としては、名簿にいない少年という話も知られています。

卒業写真をめぐる出来事なら、並行世界の自分が立つ卒業写真が近いかもしれません。

私はいまも、時計の秒針を見てしまいます。

一度だけ、止まる瞬間があるのではないかと思うのです。

止まったら、そのときは動かずにいようと決めています。

動いてしまえば、また、どちらかへ一歩入れ替わってしまう気がするからです。

あの日の私は、頭の中で言葉にしてしまいました。

止まっていると、思ってしまったのです。

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