不思議な話 廃トンネルの最終便

幽玄な夜の山道

取材で岐阜の山あいに入ったのは、雪の残る三月の下旬だった。

私は廃線跡を歩いて巡るルポを書く仕事を続けていて、東京から自分の車で出かけることが多い。

その日の目的は、旧国鉄高山本線の旧線にあったとされる小さな廃トンネルだった。

昭和三十年代に新線が引かれて以来、長らく封鎖されたままになっている短いトンネルで、地元の郷土史でもごく短い記述しか残っていない。

事前に役場の窓口で問い合わせたところ、旧線の保線員を長く勤めた佐藤さんという方がまだご存命で、話を伺えるかもしれないということだった。

佐藤さんは今年で八十二歳になるという。耳は遠いが頭はしっかりしている、と役場の若い職員が教えてくれた。

連絡を取ると快く応じてくれて、駅前の喫茶店で会うことになった。

当日、約束の三十分前に喫茶店に着くと、すでに佐藤さんが先に来て待っていた。

背の低い、肩の薄い老人だった。耳が遠いと聞いていたとおり、私が挨拶すると一拍遅れて深く頷いた。

名刺を差し出すと、両手で受け取り、しばらく文字をじっと見ていた。

「廃線を、書いとる人かね」

「ええ、各地を歩いて、記録に残っていない話を集めています」

「ほな、よう来てくれたの」

佐藤さんはそう言って、軽く膝をさすった。

窓の外には残雪の山が見えていて、店の中はストーブの匂いで満ちていた。

飲み物が来るまでの間、佐藤さんは旧線の図面を広げてくれた。

図面は青色のコピーで、ところどころ手書きの書き込みがあり、紙の縁が黄ばんでいた。

佐藤さんは指でゆっくりと線路をなぞりながら、駅の位置や信号場の位置を教えてくれた。

古い話のはずなのに、説明は順序立っていて、私はメモを取る手が追いつかなかった。

本題に入ったのは、コーヒーが二杯目になった頃だった。

私は旧トンネルの場所を地図で示し、ここで起きた事故について教えてほしいと頼んだ。

佐藤さんはしばらく黙って図面を見ていた。

「火災じゃ」

と、ようやく小さく言った。

「昭和の何年やったかなあ。古い気動車のモーターが焼けてな、トンネルの中で煙が回ったんよ」

聞けば、原因は登り勾配での過負荷だったらしい。古い車両は重く、長い坂で何度も無理を重ねた結果、配線が発火した。

逃げた乗客は二手に分かれた。出口に近いほうへ走った者と、風上の遠いほうへ歩いた者だった。

「近いほうが、たくさん亡くなったんじゃ」

佐藤さんは淡々と言った。

狭いトンネルの中では、火そのものより、有毒な煙が先に回る。風下のほうへ逃げた者は、出口の手前で倒れていたという。

「風の向きを、すぐに見抜いた人がおったんよ。指を舐めて、トンネルの空気を測ってな」

「冷静な人だったんですね」

「いまでも、その話は語り草になっとる」

佐藤さんはコーヒーを一口飲み、それから少し声を落とした。

「ほやけど、語り草はそれだけやないんじゃ」

その「語り草」が今日聞きたかったものだった。

私は録音機をテーブルに置き、佐藤さんに目で許可を求めた。佐藤さんは構わない、というふうに小さく頷いた。

「事故のあとな、終電のことで、おかしな話が出るようになったんよ」

事故から半年も経たないうちに、沿線の利用客のあいだで奇妙な噂が広まったという。

奈良側へ向かう最終便が、駅を発車したあとに「妙な様子」を見せるというのだった。

「がらんとしとった車内が、トンネルに入る前にな、急に満員になるんよ」

窓には人影が映り、連結部に立つ男の姿が外から見えたという。

「最初は、運転士が怖がってな、運行を嫌がる者まで出たんよ」

鉄道会社は対策を講じた。

まず最終便のあとに、回送列車を一本走らせるようにした。すれ違うかたちで、夜のトンネルに空のもう一本を通す。そうすれば、霊が回送のほうへ移ると考えたらしい。

「ところがじゃ、回送のほうがもっとぎっしりになったんよ」

窓という窓に、外からはっきり見えるほどの人影が映ったという。空っぽのはずの車両に、まるで何かの行列のように。

「それから、もうひとつ、変なことを始めたんよ」

佐藤さんは指でテーブルを軽く叩いた。

「時刻表に、走らん便を一本、書き足したんよ」

来ない便を、ダイヤ上にだけ作った。発車の時刻は決めてあるが、そこに対応する列車は走らせない。形だけの最終便を、紙の上に置いた。

すると、奇妙なことに、その後しばらく窓に映る人影の話が聞かれなくなったという。

「形だけの便でも、来るものは満足したんかもしれんね」

と、佐藤さんは言った。

そのあと、しばらく沈黙が続いた。

私は何かを聞き出そうとして、つぎの質問を考えていた。

「ほやけど」と、佐藤さんは続けた。

「あの便は、いまもダイヤに残っとるんよ」

新線が引かれて旧線が廃止されたのが昭和三十年代の終わり。旧トンネルは封鎖され、線路はとうに撤去されている。

けれども、社内の運行資料には、廃線になったあとも、その「架空の最終便」がしばらく書き残されていたのだという。

「俺が保線に入ったときには、もう線路はなかったんよ。ほやけど、書き写しの古い時刻表が事務所に貼ってあって、そこにだけ、誰も乗らん便の番号が残っとった」

誰もそれを消そうとしなかった。古参の運転士が、消すと「困ったことになる」と止めたからだという。

「俺の四つ上の先輩がな、若い頃に、その時刻表を一度だけ書き直したことがあるんよ」

事務所の壁が傷んできたとき、後輩のひとりが模造紙に書き写して貼り直した。そのときに、来ない便の番号を、つい書き忘れたのだという。

「それからしばらく、夜の線路敷きで、保線員が妙な音を聞くようになったんよ」

線路はとうに撤去されているはずだった。それでも、誰かが軌道を巡視しているような、低い踏みしめの音が、何度も報告されたという。

「先輩はあわてて、書き写しに番号を足し直したんよ。そしたら、音は止んだそうじゃ」

その先輩は、いまの事務所にはもういない。けれども書き写しの時刻表は、若い職員に世代を越えて引き継がれ、いまも壁に貼られているのだという。

「困ったことっちゅうのは、何のことですか」と私は聞いた。

佐藤さんは少し笑って、しばらく答えなかった。それから、独り言のようにこう言った。

「時刻表に書かれた便は、線路がのうなっても、まだ来るんやとよ」

私は録音機の赤いランプが点いていることを確かめた。

佐藤さんは「もう古い話やから、書いてもええ」と言ってくれた。

その夜、私は宿の予定を変更し、廃トンネルの近くに車を停めて夜を過ごすことに決めた。

取材として何かを期待していたわけではないつもりだった。ただ、佐藤さんの話を聞いたあとに宿で寝てしまうのが、なんとなく勿体ないように思えた。

旧線の跡は、いまは林道のような細い道になっている。地図のうえでも判別が難しく、私はカーナビではなく、図面の写しに頼って車を進めた。

トンネルのあった場所は、緩い登りの先で道が突然消える、そんな形になっていた。木立に囲まれた小さな広場のようなところで、ちょうど車を停めるだけの余地があった。

そこにかつての出入口が、苔と落ち葉に半分埋もれて、低く口を開けていた。

入口は柵で塞がれていて、立入禁止の札が黒ずんだまま吊られていた。

柵の脇に、古い警報柱の名残のような鉄柱が一本だけ残っていた。塗装はほとんど剥げ、上部の機構はとっくに撤去されている。ただの細い棒のように見えた。

私は車に戻り、運転席を倒し、保温水筒の茶を飲んだ。

カメラ機材を後部座席に押しやり、足元の隙間にショルダーバッグを置いた。

窓の外は、まだ完全な夜にはなっていなかった。

木立の上のほうに薄い橙色が残っていて、それがゆっくりと深い藍色に押されていくのを、私は車内から眺めていた。

時計は二十一時を回っていた。

夜が深くなるにつれ、林道の闇は均一になっていった。

車外には音らしい音がなかった。風もなく、葉擦れも、獣の声もない。私の呼吸の音と、保温水筒の蓋を回す金属のかすかな音だけが、車内に小さく落ちていた。

二十三時を過ぎた頃、ふと、何かが鳴ったように思った。

遠くで「カン」と、金属を一度だけ叩いたような音だった。

あまりに短く、空耳と区別がつかないほどの音で、私は最初、車の冷えで内装が鳴っただけだと思った。

しばらくしてもう一度、「カン」と聞こえた。

こんどは方向がはっきりした。前方、トンネル跡の方角からだった。

私はフロントガラスの曇りを拭った。

柵の脇の鉄柱が、薄い月明かりに照らされて立っていた。それ以外、何も見えなかった。

音の発生源は、おそらく、その鉄柱だった。

鳴る仕組みなど残っていないはずだった。

もう一度、「カン」と鳴った。

三回目だった。ちょうど踏切が一度だけ短く打つときの音に似ていた。

私は車のキーに手をかけたまま、しばらく身体を動かさなかった。

そうしているあいだに、時計の表示が二十三時五十四分を指していることに気がついた。

その時刻に意味はなかった。少なくとも、私には。

けれども、頭の隅で、何かを思い出しかけていた。

役場で見せてもらった古い駅の時刻表に、廃止直前の最終便の発車時刻が、ちょうどその時間で記されていたような気がした。記憶は曖昧で、確かめる手段は手元になかった。

ヘッドライトを点けようかと迷い、結局そのままにした。光を入れることで、見えない方が良いものまで見えてしまう気がした。

音は、それきり鳴らなかった。

代わりに、別のものが見えはじめた。

トンネルの跡の暗がりに、人影のようなものが、薄く立っていた。

柵の向こう、塞がれた入口のさらに奥のほうに、輪郭だけが朧げに浮かんでいた。

一人ではなかった。数えられない人数の影が、線路があったはずの方向に、ゆっくりと並んでいるように見えた。

影は動かなかった。手をふることも、こちらを見ることもなかった。

ただ、列を成して立っていた。

線路のない場所に、何かを待つかたちで。

私は車のエンジンをかけた。

幾分震えた指でハンドルを握り、ゆっくりと方向転換し、来た道をそのまま戻った。

翌朝、宿に戻ってから、私は役場の郷土資料室に立ち寄った。

古い時刻表のコピーを見せてもらうと、廃止直前の旧線最終便の発車時刻は、確かに二十三時五十四分だった。

そして、その下に、もう一本、走らない便が書き加えられていた。

欄外に小さく、「※運転休止」とだけ注釈があった。

発車時刻は、ゼロ時ちょうどになっていた。

私は資料室を出てから、佐藤さんに電話を入れた。昨夜のことを話して良いか、確かめたかった。

佐藤さんは私の話を聞き終えて、しばらく黙っていた。

それから、こう言った。

「ゼロ時のほうの便は、書き写すたびに、誰も気づかんと残ってきとるんよ」

私は受話器を耳に当てたまま、しばらく言葉を返せなかった。

佐藤さんは、最後に、ゆっくりとした口調でこう言った。

「時刻表に書かれた便は、線路がのうなっても、まだ来るんやとよ」

記事として書くにあたって、私はトンネル跡の正確な位置を伏せた。

佐藤さんから、それだけは頼まれていた。

私自身、もう一度あの場所へ行く気にはなれないでいる。

あの夜、立ち並んでいた影が何だったのか、いまも、わからない。

ただ、廃線跡のあちこちで、紙の上にだけ残ってしまった便が、ほかにもあるのではないかと、ときどき思う。

そう思うと、私は自分のメモ帳に書き写した時刻表を、なんとなくそのままにしてある。

消してしまうと、何かが、困るような気がするからだ。

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