三十分巻き戻った時間

崖の上の電話ボックス

私がまだ長距離配送の仕事を始めて三年目だった、秋の終わり頃のことだ。

当時の私は、高知県内を中心に食品や日用品を運ぶ仕事をしていた。メインの得意先は高知市内のスーパーや道の駅が多かったが、週に二回ほど、室戸や奈半利の方面まで足を伸ばすこともあった。長距離とはいっても県内だ。それでも高知の東部は、中心部から思いのほか時間がかかる。峠があり、トンネルがあり、海沿いに出たと思えばまた山の中に入る。平坦な道が続くようで、実際には高低差がある。午前中に出発しても、室戸まで片道で二時間近くかかることがあった。

その道を何度走ったかは、もうわからない。仕事として走っているうちに、景色も道の感触も、体に馴染んでいった。どのあたりで対向車が来やすいか、どの路肩が荒れているか、そういうことを体で覚えるようになる。峠の退避所の位置も、その一つだった。ここで停まれる、というポイントが、頭に入っていた。夜中に走るときは、ここで仮眠を取ることもあった。

真冬の峠は凍結することもある。霧が出れば視界が数メートルになることもある。だからこそ、退避所の位置は体に入っていた。ただ停まって用を足して、また走り出す。それだけの場所だった。あの日まで、それ以上でもそれ以下でもなかった。

その日は、室戸市内の水産加工会社へ届け物があった。午後の早い時間に出発したつもりが、市内で一件配送が増え、手間取った。国道を東に向かいながら、夕方の空を何度か確認した。高知の秋は日が落ちるのが早い。九月の下旬には、夕方の六時にもなれば山の輪郭が見えなくなる。峠の旧道は街灯も少ない。できれば明るいうちに通過してしまいたかった。

峠にさしかかった頃には、もう空の端が朱色に変わっていた。

峠を越える手前に、昔ながらの退避所があった。崖沿いの土地を切り開いて作られたような、ごく狭いスペースだ。トラックを一台停めればほぼいっぱいになる。私はその日、そこで停車した。尿意を覚えたからだった。急ぐ必要はあったが、体のことを無視して走るほどでもなかった。

退避所の脇に、コンクリートブロック積みの小屋がある。正確には、公衆電話ボックスだった。現役かどうかは、わからなかった。ガラスに汚れが積もっており、外側から見るかぎり、電話機はあった。受話器は黒く、台座も古い型だった。テプラか何かで貼ったらしい注意書きのシールが残っていたが、色が褪せてほとんど読めなかった。「緊急時は」か「ご使用の際は」かという書き出しだったと思う。それ以上は判読できなかった。以前から目に入ってはいたが、使われているとは思っていなかった。

私は用を足してから、ボックスの脇でタバコに火をつけた。夕方の山の空気は、意外なほど冷たかった。峠から海が見えた。室戸の方角に向かって、水平線の手前あたりがかすかに見えた。夕日が下りてくる側の空は、橙から濃い朱に変わっていた。その色が、どこか遠くの海面に薄く反射しているようでもあった。

静かな場所だった。車が通らなかった。山の中なのに、鳥の声もしなかった。風もほとんどなかった。峠で停まったのは何十回と経験があったが、あそこまで静かだと感じたのは、あの日だけだったかもしれない。静寂というより、音が落ちている、というような感覚だった。うまく言葉にできないが、普段の静けさとは質が違っていた。

タバコを吸い終わる少し前に、電話が鳴った。

最初、機械の誤作動かと思った。金属質な、甲高い音だった。現代の電話の着信音とは違う、ベルのような音だった。聞き覚えのない音だったが、確かに着信音だとわかった。

何秒か、私はその場で聞いていた。止まらなかった。十秒、二十秒、鳴り続けた。あたりには誰もいなかった。車も、人も、来なかった。

誰かがかけてきているのだとしたら、相手は番号を間違えているだろうと思った。この電話が現役かどうかも疑わしかったし、ここを通る人間が誰でも知っているような番号ではないはずだった。

それでも、私は受話器を取った。なぜ取ったのかは、自分でもわからない。好奇心というより、鳴り続ける音に少し辟易したからかもしれない。あるいは、山の中の静寂の中で、あの音があまりにも場違いに聞こえたからかもしれない。理由を言語化しようとすると、いつもそのあたりで止まってしまう。

受話器を耳に当てた。

「あと三十分で着くよ」

男の声だった。

くぐもっていたが、聞き取れないほどではなかった。高い声でも低い声でもなく、年齢の見当がつかないような平坦なトーンだった。地元の言葉でも標準語でもなく、どこのイントネーションとも言えなかった。

私は、「もしもし」と言おうとした。

その前に、電話は切れた。

ツーツーという発信音に変わった。私は受話器を戻した。電話機の台座が、かすかに冷たかった。

受話器を戻した後、しばらくボックスの扉を閉めずに立っていたのかもしれない。次に気づいたとき、タバコを手帳に挟もうとしていた。タバコは消えていた。ボックスに入る前に吸い終わっていたのか、それとも中に落としたのか、判然としなかった。手帳を開いたとき、指が少し震えていた、とは思わない。少なくとも、その記憶はない。

ボックスの外に出た。空はまだ朱色だった。峠の向こう側から、光がどこかに消えかけているようでもあった。私は手帳を取り出して、停車時刻のメモを書いた。配送の際に何かトラブルがあったとき、移動記録が必要になることがある。癖のようなものだった。あの電話のことは、何を書けばいいのかわからなかったので、とりあえず手帳の端に「17:40過」と書いた。タバコの吸殻をボックスのそばのコンクリートで踏んで消してから、トラックに戻った。

ダッシュボードの時計を見た。

十七時十二分、と表示されていた。

おかしい、と思った。ここへ来たとき、すでに十七時四十分を過ぎていた気がしていた。いや、それどころか、手帳に「17:40過」と書いたばかりだ。

スマートフォンを確認した。同じ時刻だった。十七時十二分。

ナビも、同じだった。

腕時計を見た。今日の仕事を始める前に時刻合わせをしたもので、少なくとも午前中は正確だった。腕時計も、十七時十二分を指していた。

私は、しばらくの間、何も動かなかったのかもしれない。次に記憶があるのは、手帳を開いていることだ。「17:40過」という文字が、そこにあった。私が書いた字で、確かにそこにあった。

時計はすべて、十七時十二分だった。

私は十七時四十分過ぎにこの場所に停車したと思っていた。そして実際に「17:40過」とメモを書いた。けれど時計はすべて、十七時十二分だった。

三十分近く、時間が巻き戻っていた。

どう考えればよいのか、わからなかった。時計が一斉に狂ったとすれば、スマートフォンとナビと腕時計が同じ方向に同じ分だけずれることなど、あり得ないはずだった。電波の影響で、ということも考えた。山の中だし、電波状況が悪ければ何かが起きることもあるかもしれない。けれど、スマートフォンの電波は三本立っていたし、ナビは独立した電源で動いている。

電話のことも、もう一度頭の中に浮かんだ。「あと三十分で着くよ」という声。あの言葉が何を意味するのか、受けたときにはまったくわからなかった。発信者がどこからかけてきたのかも、誰なのかも、誰に向けて言ったのかも。

私はエンジンをかけた。峠に長くいても、仕方がない。室戸へ向かわなければならなかった。

峠を下り、国道に戻った。海沿いの道を走りながら、私はときどき時計を確認した。針は正常に進んでいた。十七時十二分から、十七時二十分、三十分、と動いていた。空は暗くなりはじめていた。ヘッドライトを点けた。

走りながら、「三十分」という言葉について考えていた。声が言ったのは「あと三十分で着くよ」だ。「何が」着くのかは言わなかった。「誰が」着くのかも言わなかった。ただ、「あと三十分で」とだけ言った。そして時計は三十分近く戻っていた。その二つが関係しているのかどうかも、私にはわからなかった。

あの公衆電話に、誰かが電話をかけることができるものなのかどうかも、わからなかった。回線がつながっているとも思えなかった。もしつながっていたとしても、あの峠の電話番号を知っている人間が、どこかにいるとは思えなかった。

十七時四十二分に、前方に赤いランプが見えた。

緊急車両のランプだった。警察と救急が一台ずつ、国道から少し入った路地の角に停まっていた。乗用車と軽トラックが接触したらしく、警察官が手で誘導していた。私はゆっくりと通過しながら、横目で確認した。接触した乗用車のフロント部分が大きく凹んでいた。怪我人が運ばれている様子はなかった。野次馬も少なかった。ただ静かに、処理が進んでいた。

通過してから、気づいた。

十七時四十二分。

電話を受けたのが、時計では十七時十二分だった。「あと三十分で着くよ」と、声は言った。

正確に三十分後、私はその場所を通過した。

あの声が、その事故のことを告げていたのかどうか、私にはわからない。「着く」という言葉が、事故の車のことだったのかもしれないし、まったく別の何かのことだったのかもしれない。偶然だという可能性はある。私が何かを結びつけたいと思っているだけかもしれない。

ただ、数字だけは一致していた。

三十分という時間と、十七時四十二分という場所への到達が。

あの事故について、後日確認しようとは思わなかった。地元紙の記事を調べる気にも、当時の仕事仲間に話す気にもなれなかった。あの声と、あの事故を結びつけたとして、何がわかるわけでもない。わかったとして、どうすればいいのかも、見当がつかなかった。

水産加工会社に着いたとき、先方の担当者が「遅かったですね」と言った。私は「峠の手前で少し停まっていました」と答えた。それ以上のことは言わなかった。伝える言葉が、うまく見つからなかった。

帰り道、峠の退避所を再び通った。夜になっていたので、公衆電話ボックスの中は見えなかった。ヘッドライトが一瞬照らしたが、暗い四角いシルエットだけが確認できた。私はアクセルを踏んだままで、停まらなかった。

次の週、同じルートを走ったとき、停まってみようかと思ったが、結局停まらなかった。その次の週も、その次も。一度だけ、昼間に退避所のそばを通ったとき、ちらりと見たが、ボックスの外観はあの日と変わらなかった。電話が鳴ることはなかった。

その後、別の仕事に移り、室戸方面へ行く機会がなくなった。あの峠が今どうなっているかは、知らない。公衆電話がまだあるかどうかも。

手帳は、まだ持っている。

「17:40過」という文字のページを、たまに開く。あの日の時計はすべて、十七時十二分だった。その前後のことは、今も説明がつかない。時計が正しかったとすれば、私は峠で何らかの形で時間を三十分失ったか、あるいは三十分戻った。手帳のメモだけが、その齟齬の痕跡として残っている。

あの声が何者だったのかは、今もわからない。

なぜ私だったのかも、なぜあの日の、あの三十分だったのかも。

電話を受ける前の時刻に、時計は戻っていた。だが手帳には、その前の時刻に書いたはずの文字が残っていた。

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