父の着信音とお馬の親子

父と娘

父と妹の話です。父は四年ほど前に、肺がんで旅立ちました。

過労やストレスが重なったこともあり、余命半年と言われていたのに、わずか二か月でした。

父はとても子煩悩な人で、遅くにできた末の妹を、目に入れても痛くないほど可愛がっていました。

妹も、極度のファザコンと言えるほどに、父にべったりでした。

『お馬の親子』という童謡が、この話の入口になります。

妹にとって、その歌は父そのものでした。

「いつも笑顔でいろ」

父がよく口にしたその言葉を、体現するかのように、妹は太陽のように明るい笑顔の子でした。

生まれたときから妹は内臓に疾患があり、病弱でしたが、父はそれでも変わらず可愛がっていました。

幼い妹が熱を出すたびに、父は仕事を早く切り上げて帰ってきました。

夜通し枕元に座り、冷たいタオルを何度も替えていたそうです。

妹はいつも、その手の大きさと温かさを、嬉しそうに話していました。

父が歌う『お馬の親子』を聞くと、不思議と熱が下がる気がしたといいます。

肺がんと言われた冬

父が倒れたのは、十二月の冷え込む朝でした。

病院で告げられた病名を、父は黙って聞いていました。

「そうか」

それだけ言って、父は窓の外の曇り空を、しばらく眺めていました。

病室の窓には、細かい雪が貼りついていました。

父は、自分のことより先に、末の妹の顔を思い浮かべたのだと思います。

廊下の自動販売機が、低い音を立てていました。

母は椅子に座ったまま、膝の上で何度も手を組み替えていました。

誰も口を開かないまま、時間だけが過ぎていきました。

「あいつには、まだ言うなよ」

父は、小さな声でそう言いました。

けれど妹は、帰郷した日のうちに、すべてを察していました。

その知らせを受けて、妹は東京での仕事を辞め、すぐに帰郷しました。

荷物も解かないまま病院へ向かい、そのまま付きっきりで看病を始めました。

変わり果てた父の傍で、妹はいつも手を握って話し掛けていました。

「父ちゃん、あれ、美味しそうだね」

テレビに映る食べ物を指さして、妹は笑っています。

「父ちゃん、早く治ってよ。兄ちゃんに連れてってもらおうよ」

笑顔でうなずく父の目が、少し潤んでいたのを覚えています。

「父ちゃんが知らない美味しいお酒、私いっぱい知ってるよ。お土産にも買って来たよ」

「だからね、父ちゃん、一緒に飲もうね。おうちに帰って、一緒に飲もうね」

「父ちゃんの好きなレバニラとか、塩ホルモンも食べようよ」

酒好きの父の血は、俺と妹にしっかり受け継がれています。

酒の話になると、父は決まってとても嬉しそうな顔になりました。

夜になると、妹は病室の隅の椅子に腰かけて、思い出の曲を静かに歌いました。

『お馬の親子』という童謡でした。

着信音はお馬の親子

『お馬の親子』は、父がまだ幼かった妹を背中に乗せて、よく歌ってやった曲です。

散歩に出掛けるときも、手を繋いで、いつも二人で歌っていました。

父は散歩のとき、決まって古いサンダルを履いていました。

かかとが斜めにすり減った、茶色いサンダルでした。

母が何度買い替えを勧めても、「これがいい」と笑って履き続けたのです。

玄関の三和土には、いつもそのサンダルが揃えて置かれていました。

革靴が苦手で、近所へ出るときは季節を問わずサンダルでした。

父が携帯電話を持つようになったとき、妹は、父からの着信音を『お馬の親子』にしていました。

電話が鳴るたびに、童謡が流れ出します。

周りの人が振り返るのも構わず、妹はいつも嬉しそうに画面を見つめていました。

同じころ、日々の不思議な出来事を綴ったブログを読むのが、俺の習慣になっていました。

『口濯ぎさんに愚痴を預けた夏』という話も、そこで知りました。

目に見えない誰かに、気持ちを預ける話です。

当時の俺は、そういう話を、少しだけ羨ましく感じていました。

『寄り物帳に増える鉛筆の行』のような静かな話に、病院の待合室で何度か救われました。

人は、説明のつかない出来事に、案外やさしく寄り添われているのかもしれません。

そして、父は旅立ちました。

妹以外の家族と、兄弟たちに見守られながらの、静かな最期でした。

連絡を受けて、眠っていた妹が父の傍に駆け寄りました。

外はまだ暗く、病室の蛍光灯だけが白く光っていました。

機械の音が止まったあとの静けさを、俺は一生忘れないと思います。

妹は、靴も履かずに廊下を走ってきました。

父の手を握ると、狼の咆哮にも似た声で、十分ほど大泣きしました。

病棟全体に響き渡るような、大きな声でした。

その泣き声は、俺の耳に今も残っています。

あんなに悲しい声を、人間が出せるのだと知りました。

けれど不思議なことに、妹は泣き止むと、すぐにいつもの顔に戻りました。

看護師さんたちが廊下で、そっと目を伏せていたのを覚えています。

父のことで妹が泣いたのは、それっきりです。

葬儀で笑う妹

葬儀の最中、悲しみに暮れる家族をしり目に、妹はいつもの笑顔でした。

母は、そんな妹に何度も詰め寄りました。

「父さんが亡くなったのが、悲しくないのか!」

それでも妹は、静かに笑っていました。

「やっぱり頭がねえ…」

と噂をする親戚や、近所の人たちもいました。

妹は小さな頃から、少し特殊なところがあったからです。

それでも妹は、何を言われても気にせず、笑顔のままでした。

焼香の列に並ぶ妹の背筋は、まっすぐに伸びていました。

遺影の父に向かって、小さく手を振る姿が見えました。

まるで、「いってらっしゃい」と言っているようでした。

火葬も終わり、父の遺骨が家に帰って来た日のことです。

夕飯を食べ終えて、妹と伯父(父の兄)が、庭先で煙草を吸っていました。

夜風が、軒先の風鈴を鳴らしていました。

線香の煙が、仏間から細く流れてきます。

俺は電気をつけないまま、障子の陰に座っていました。

二人の会話が、すぐ側にある俺の部屋に、何気なく聞こえてきました。

「おじちゃん、あのね。私、父ちゃんがいなくなって、嬉しいわけじゃないよ」

「解ってる。お前が一番悲しいの、おじちゃん解ってる」

「一番悲しいのは、母ちゃんだよ。兄ちゃん達も姉ちゃんも、みんな泣いてるのに、私、涙が出ないの」

妹の優しさに、俺は涙が出ました。

そして、妹に辛く当たり続ける母に、少しだけ辟易してしまいました。

けれど母も、父を見送ったばかりの、一人の妻だったのです。

悲しみの置き場所を失った人は、近くにいる誰かに、つい強く当たってしまいます。

今になって、そう思えるようになりました。

「あのね、父ちゃんが逝っちゃったとき、私、寝てたじゃん」

「うん、疲れてたんだな。二か月もろくに寝ていなかっただろう」

「父ちゃんが寝ろって言ったの。でもね、変な夢を見たの」

伯父に話した夢

妹の話は、こうでした。

妹が家の茶の間にいると、よそ行きの姿の父が、大きな鞄を持って現れたそうです。

「おう、行くからよ~」

そう言って、父は玄関へ向かいます。

「どこに行くの?」

妹が尋ねると、父は、にこっと笑いました。

「ちょっとよぉ」

父は、履き慣れない革靴を履くのに手間取っていました。

それを見た妹は、父がいつも履いていたサンダルを、ビニール袋に詰めて持たせてやったそうです。

「どこに行くか知らないけど、父ちゃんすぐ帰って来てね」

「すぐには無理だなぁ。○○、いつも笑ってるんだぞ」

「笑っていれば、良いことがたくさんあるからよ」

そう言って妹の頭を撫でると、父は玄関から出て行きました。

家の前には、大きなバスが停まっていて、たくさんの人が乗っていたそうです。

子供もいれば大人もいて、その中に、亡くなった祖母や、父の友人たちの姿もありました。

運転手は、ずっと運転免許を欲しがっていた、母方の祖父だったそうです。

バスの窓は、淡い黄色に光っていたといいます。

乗っている人は誰も急かさず、皆、静かに父を待っていたそうです。

車内には、懐かしい線香のような匂いが漂っていました。

妹は、それを夢の中でも、はっきり嗅いだと言います。

「おばあちゃんの隣にはね、父ちゃんが眼鏡をかけたような人がいたの」

「それ、お前たちのじいちゃんだよ。そうか、そうか…迎えに来たのか」

伯父は、そう言って泣きました。

父方の祖父は、父がまだ若い頃に旅立っています。

その夜、棺の足元にサンダルをそっと入れていた母の姿を、俺は思い出しました。

妹がそれを、知っているはずはありません。

その後、妹は再び上京し、また仕事を始めました。

元旦の朝、寒空の下で仲間とお雑煮を頬張る妹の視線の先に、父がにっこり笑って頷いていたそうです。

妹に何かありそうなとき、携帯から『お馬の親子』の着メロが流れると言います。

父は、「危ないよ」と教えてくれているのでしょう。

もうすぐ俺も『父』になります。親父のような、優しく強い父になりたいです。

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