夏の約束

田舎の夏

夏が近づくと、ふと思い出すことがある。

中学生だったある夏の日、私は不思議な体験をした。

当時、世間の同世代が夏休みを謳歌する中、私はサッカー部の一員として遠征続きの毎日を送っていた。

決して上手とは言えない自分の技量に、熱意もやる気も次第に薄れていた頃のことだった。

その日、私はC県の中心部から2時間ほど離れた中学校に遠征に向かった。

空は快晴で、まぶしいほどの陽射しが降り注いでいた。

しかし、私の心はどこか晴れず、長時間の移動にうんざりしていた。

訪れたその町は、緑と田園が広がる、どこか懐かしさを覚える田舎町だった。

照りつける太陽と、力強く鳴くセミの声。

その風景に、少しだけ癒された気がした。

試合が終わった後、帰路につこうとしたとき、私は顧問の先生に呼び止められた。

練習態度と試合の内容について、いつものように叱責される。

他のメンバーには何も言わず、私だけが呼び出されるのもまた、いつものことだった。

しばらく話を聞き流し、ようやく解放されてグラウンドを後にすると、すでに皆は帰ってしまっていた。

一人取り残され、荷物を担いで見知らぬ町を歩き出す。

気づけば、来た道とはまったく違う方向に進んでいた。

どうやら道に迷ってしまったらしい。

人影もなく、訪ねる家も見当たらない。

少し引き返したところで、赤い鳥居が目に入った。

小さな傾斜に続く階段の上に、その鳥居は静かに佇んでいた。

私は何かに引かれるようにして、その鳥居をくぐった。

境内は手入れが行き届いておらず、古びた本堂がぽつんと建っているだけだった。

その本堂の前に、一人の少女が立っていた。

セーラー服に、お下げ髪。

その時代にはやや不釣り合いな格好だったが、不思議と風景に溶け込んでいた。

私は彼女に声をかけた。

「すみません、道に迷ってしまったのですが、駅はどちらでしょうか」

少女は驚いたように振り返り、静かに答えた。

「駅の場所は…忘れました」

「この町の方ではないんですか?」

「みんなは知っていると思います。でも、私はここから出られないのです」

彼女の言葉の意味が、私には理解できなかった。

「どこから出られないんですか?」

彼女は足元を指差し、「ここ」と言った。

私が立ち去ろうとすると、彼女は慌てて言った。

「待ってください。少しお時間をいただけませんか」

その声に、私は不思議と惹かれた。

木陰の下に腰を下ろし、自己紹介を交わす。

彼女の名は由美。

そして、彼女は静かに語り始めた。

「私は、この神社で死にました」

予想もしない言葉に、私は言葉を失った。

けれど、目の前の彼女には生きているような温かさがあり、不気味さはなかった。

彼女は言った。

「私はある日、Aという年上の男に呼び出され、この神社で告白されました。

でも、私は将来、医学の道に進みたくて…その誘いを断りました。

逃げようとしたとき、背中を押されたんです。

気づいたときには…ここに、幽霊として囚われていました」

事故として処理されたというが、彼女ははっきりと「殺された」と言った。

「私を殺したあの人が、今も普通に生きているのが許せません」

そして、彼女は静かに頼んできた。

「私に、あなたの身体を貸してくれませんか?」

私は驚いた。

が、彼女の話を聞くうちに、何か応えてあげたくなっていた。

「借りるって…俺は大丈夫なの?」

「わかりません。でも、私を見えたのはあなたが初めてです」

私はしばらく考えてから、頷いた。

「わかった。でも、もし何かあったら、お祓いしてもらうからな」

彼女は微笑んだ。

「ありがとうございます。本当に…ありがとう」

風が強く吹き抜け、彼女が私に飛び込んでくる感覚がした。

体の中に、彼女が入ったのがわかった。

(…やりました。入れましたよ!)

彼女の声が、頭の中に響く。

「行こう。ここから出てみよう」

階段を降り、赤い鳥居を目の前にしたとき、体に電流のような感覚が走った。

前に進めない。

けれど、彼女の強い意志がそれを打ち破った。

気がつけば、私は鳥居の外に立っていた。

その後、彼女に導かれるまま、Aの家を訪ねた。

今も同じ名字が表札にあり、呼び出された男が現れた。

由美の名を出すと、男の顔色が変わり、動揺し始めた。

「死んだはずだ…あいつは…」

「そう、あんたが殺したんだろ? 法は許しても、彼女は許してない」

由美は、私の中で静かに言った。

(これで…よかったのです)

帰り道、由美は微笑みながら言った。

(私、成仏できそうです。あなたのおかげです)

「そっか…よかったね」

寂しさが胸を締めつける。

「もし、生きていたらさ、一緒にいろんな場所に行ってみたかったな」

(私もです。もし…また会えるなら、必ず会いに行きます)

「うん、約束だ」

赤く染まる夕暮れ。

セミの声が遠くで鳴いていた。

そして彼女は、静かに私の中から離れていった。

あれから何年もの夏が過ぎた。

昨年、私は娘を授かった。

白い肌に、大きな瞳。

その子の名は、由生美(ゆみ)。

夏に生まれたその子の寝顔を見るたびに、私はあの日出会った、神社の少女を思い出す。

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