中身はミンチ

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Nさんは、鋼材関係の専門の現場作業員だ。

会社勤めではないが、色々と資格を持っているおかげで、大手企業の下請けや手伝いをやっている。

人集めを任されることもあるが、そんな時、親しい仲間を誘うのは極力避けるようにしている。

ある時、Nさんにその訳を聞いた。すると、少し間を置いて、こんな話を聞かせてくれた。

昔、山あいの村で、橋の架け替え工事の手伝いをした事がある。親しい相方と二人、民宿に泊まり込みで現場に通っていた。

俺達の担当は、橋桁の上に掛かるアーチ部分の工事だった。谷の両岸から、緩いカーブを描く角筒状のパーツを繋げてゆき、最後はアーチの頂点で接合する。

その日は、相方と二人で最後のパーツ内部で作業をしていた。俺は右岸側で接合部分のボルト締めを、相方は左岸側で溶接作業。

すでに結合されたパーツの内部は暗く、背後から固定式のライトで手元を照らす。その明かりが一瞬点滅した。一旦手を休め、ライトの具合を確かめる。

「ゴンッ!ガンッ!!」

背後から大きな音と振動。

反射的に振り返って唖然とした。接合部から先、左岸側のパーツが無い。一瞬前までそこにあった暗闇は消え、目と鼻の先にある四角い開口部からは、青い空と対岸の尾根がクッキリと見えた。

「ドーン!ズズズズン!!」

下の方から、腹の底に響くような物凄い音と揺れが伝わってきた。思わず立ち上がりかけたが、腰が抜けて動けない。

が、何が起こったのかは半ば本能的に理解していた。左岸側のアーチが落ちたのだ。何が原因かは分からないが、こっち側は辛うじて残っているようだ。

俺はその縁ギリギリに居て助かった。しかし、反対側に居た相方は…突然、涙がジュワっと溢れてきた。俯いたまま子供のように泣きじゃくる。

すると――足先に見慣れないものがあるのに気付いた。

曲がったボルトか、小エビの様にも見えるもの。体を前倒しにして顔を寄せてみる。根元から切断された指が3本転がっていた。

その後、警察の聞き取りや労監への報告などでがあり、ようやく身柄を解放された頃には、夜の21時を回っていた。

事故の原因は、左岸側で橋を支えていたアンカーが抜けてしまった事。そのため、橋の半分が谷底へ崩れ落ちてしまった。

相方の他にも作業員が数名、巻き添えになって死んだ。瓦礫から亡骸を回収した作業員によると、相方の遺体は一見綺麗なものだったそうだ。

「まぁ中身はミンチだろうな…」

騒然としている現場事務所で、JVの監督がそう呟くのを聞いた。

宿へ戻ってから、遅い夕食を食べた。食欲はなかったが、明日以降のことを考えて黙々と食った。

いつもより酒の量を増やした。そうでもしなければ眠れそうになかった。銚子を3本持って二階の部屋に上がり、布団に潜り込んでチビチビ飲る。

四角く切り取られた青空、腹に響く轟音、足元に転がる指…思い出すたびに全身に震えが走り、それを忘れようと杯を空ける。

そんな事を繰り返す内に、ようやく眠りに就くことができた。

「ペタリ――」

唐突に目が覚めた。

辺りは真っ暗。どうやら誰かが明かりを消してくれたようだ。

「ペタリ…ペタリ…」

部屋の外からスリッパの足音が聞こえる。廊下を誰かが歩いているのだろう。

「…ペタリ…ペタリ…ペタリ…ペタリ…ペタリ…ペタリ…」

足音は、部屋の周囲をグルリと回ってなお続いている。宿の人間だろうか?

「ペタリ…ペタリ…ペタリ…ペタリ…ペタリ…ペタリ…ペタリ」

もう何周したのだろう。さすがに不審に思い始めた頃、ようやくおかしな事が起こっているのに気付いた。

この部屋を取り囲む廊下はコの字型だった。一方の突き当たりは便所で、もう一方は布団部屋。どちらも、俺が枕を向けている壁の延長線上にある。

壁の向こうは外で、地面までは数メートの高さ。当然廊下などない。なのに、足音は部屋の周囲をグルグルと回り続けている。

「ペタリ…ペタリ…」と、スリッパを引きずるような足音――違う。スリッパではない。もっと粘り気を感じさせる音。

滑り止めにアメゴムを底張りした地下足袋で歩くとこんな音がする。相方が愛用していたので、嫌と言うほど聞き慣れた音だった。

「…ペタリ…ペタリ…ペタリ…ペタリ……ペタ」

足取りは次第に緩やかになり、部屋の入口あたりで止まった。恐る恐る頭をもたげ、その方向を見る。

廊下と部屋とを隔てる障子に、人影のようなものが映っていた。この頃には、それが死んだ相方であることを確信していた。

相方は、生き残った俺に会いに来たのだ。いや、死んだ事に気付かずに宿に戻ってきたのかもしれない。

嬉しくなどなかった。ただひたすらに怖かった。

目の前の光景から目を背けたいのに、それが出来ない。視線を外した途端『それ』が障子を開けて入ってくるような気がしたからだった。

しかし、影は戸口に突っ立ったまま動こうとしない。

月明かりに照らされた『それ』は、よく見るとふるふると震えていた。まるで液体が詰まった革袋にように、形を保つのが困難であるかのように見える。

不意に、現場監督の呟きを思い出した。

「中身はミンチだろうな…」

そうだ。

中身がミンチだから、戸を開けることが出来ないのだ。中身がミンチだから、ふるふると震えてしまうのだ。

「…Nさ~ん…Nさ~ん」

障子の向こうから、そう呼ぶ声が微かに聞こえてきた。

「Nさ~ん…Nさ~ん」

それだけしか言わない。声までもが震えている。

「Nさ~ん…Nさ~ん…Nさ~ん…Nさ~ん…」

もう限界だった。頭から布団を被り、目を瞑り耳を押さえた。

「成仏しろ!成仏してくれ!」

それだけを願って、震えながら南無阿弥陀仏と唱え続けた。

「お客さん、大丈夫かね?」

気が付くと、布団がめくり上げられ、宿の婆さんが覗き込んでいた。部屋の明かりが点けられ、婆さんの背後には数人の男が立っている。

彼等は少し青ざめた顔で、ボンヤリとこちらを見ていた。窓の外は真っ暗で、時計を見るとまだ真夜中だった。

障子は開け放たれていたが、もちろんそこには誰も居ない。

「随分うなされとったようだが、早う寝とかんと明日がキツイよぉ」

婆さんはそう言うと、持ってきた水をテーブルに置いて電気を消した。障子を閉めると、婆さん達の影は階段の方へ。

と――降り口の所で立ち止まり、布団部屋の方に向かって声を掛ける。

「あんたも…指の3本くらいさっさと諦めて、早う来なされ」

やがて、婆さんは幾つもの影を引き連れて階下へ降りていった。

翌朝、宿の主人に尋ねてみた。

やはりと云うか、この民宿に男の従業員は居ないらしい。ただ、婆さんは本当に民宿の婆さんだった。

しかも、その婆さん、地元では有名な祈祷師らしい。他県から依頼が舞い込むこともあるそうだ。

「オババがそう言ったのなら、その相方さんはココに居たんでしょう」

宿の主人は真剣な顔でそう言った。

「でも、オババが連れて行ったのなら安心ですよ。何の心配もいりません」

やけに自信たっぷりの主人の言葉だったが、何とも云えず救われた心地がした。

後日聞いたところによると、橋の工事再開にあたっては、オババが祈祷を捧げたらしい。

その甲斐あってか工事は無事に終了し、今のところ怪異な現象も起きていないようだ。

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