居座る住居人
会社員だった頃は不動産会社に勤めていたので、こういう話は割と日常茶飯事でした。
会社で買った中古住宅を解体していたら白骨が出てきたりとか、競売で落とした物件の立ち退き交渉に行ったら、その家の住人がぶら下がっていたりとか…。
そんな中で怖かったというより「なんだ?」と思ったのは、バブルがはじけた後、住宅ローンの支払いに窮して家主が焼身自殺してしまったマンションの販売を依頼された時です。
元々、こういう物件は「精神的瑕疵あり」という事で極めて売りにくいのですが、それでも依頼された限りは売らなければいけない。
それで仕方なくオープンハウスというのを開く事になりました。買いたい人に自由に中を見てもらうというやつです。
実施したのは8月の暑い時期だったのを覚えています。
朝から準備万端整えて待っていたんですが、来るのは同じマンションの住人が興味本位で見に来るだけで、かなりウンザリしていました。
そんな時、玄関から
「こんにちは~、見せて下さ~い」
という声が聞こえました。
「どうぞ~」
と言いながら椅子から立ち上がり、リビングと玄関との間にあった磨りガラスが嵌ったドアまで近付いて行くと、玄関横にある部屋と廊下を挟んだ反対側にある洗面所を行ったり来たりしている陰が見えました。
『なにやってんだ?』そう思いながらドアを開けると、そこには誰もいませんでした。
その時は怖いという気持ちはどこにもなくて、『失礼な奴だな』程度にしか思いませんでした。
それで、また暫く座っていると、今度は男性の低い声で
「こんにちは」
という声が聞こえました。
「どうぞ~」
と言いながら待っていると、年の頃は40代半ばから50代前半くらいのおじさんが入って来ました。
「こんにちは。暑いですね」
「同じマンションの方ですか?」
「ご購入をご検討中ですか?」
何を聞いても無言です。
それどころか、物も言わずに部屋の中をずーっとグルグル歩き回っていました。
10分はそうしてたでしょうか。
「あ~…変なのに当たっちゃった。どうやって追い返そう」
なんて事を考え始めた時に、玄関から
「こんにちは~、見せてくださ~い」
という声が聞こえました。
反射的に玄関に顔を向けながら「どうぞ~」と応えておじさんの方を見ると、おじさんが居なかったんです。
「あれ? どこ行った?」
どこ行ったもここ行ったもないですよね。
視線を外したのは物の1秒あるかないか。
その間に出て行けるとしたら神業です。
そういう瞬間というのは怖いなどという感覚は全くありません。
と言うよりも、脳が理解するのを拒否するんだと思います。
その後は何をどうしたか全然、覚えていません。
気が付いたら会社に居ました。
※
その日はあまりの事で、どうやって会社に帰ったかも曖昧でした。
会社に帰り現場であった事を上司や先輩に話しても、まるで取り合ってもらえませんでした。
そりゃそうでしょうね。
体験した本人すら半信半疑なんですから。
ただ、売って欲しいと依頼された物件はどうしても売り切らなければいけない。
これは当時、私が勤めていた不動産会社のポリシーでもありました。
途中は省きますが、結局、その物件を買いたいという人が現れて売買契約も成立、無事に引き渡しも済んで半年程経った頃でしょうか。
その物件を買った買主が「売りたい」と言いに来たんですね。
その時、接客した担当者から「あのお客さんが売りたいってきたよ」と話を聞いた時、「あ、あれが原因だ」と思いました。
担当者に聞くと案の定、「イヤな事が度々起こるし、ちょっと住んでいられない」という話のようでした。
もちろん、その物件を売る前には売り主がその物件の中で自殺している事は、くどいほど説明してありました。
「そんなの気にしないから大丈夫!」
なんて言っていた買い主を見て、余程物好きか勇気のある人だと思っていました。
それで、次にその売り主が来た時に話を聞いてみると、一人暮らしなのに常に人の気配がしたり、夜寝ていると人が廊下を歩く足音が聞こえたり、洗面所で顔を洗っていると間違いなく誰かが後ろに立っている気配がするのに、振り返ると誰もいなかったり、寝入り端に耳元で声が聞こえたり、数え上げればキリがない程おかしな事が起こったんだそうです。
最初は「気のせいだ」と自分を納得させようとしたらしいんですが、あまりにそんな奇妙なことが続くので、夜もまともに寝られなくなり、結局住み続ける事を諦めたんだそうです。
ただ、買って半年でしたし住宅ローンを組んだ事もあり、今売っても買った値段では売れずに借金が残ってしまうという事で賃貸に出す事になりました。
その売り主が引っ越す時に少し話をしたんですが、ハッキリと見えた事は一度もなかったそうです。
ただ、一度だけ洗面所で顔を洗い顔を上げると、鏡の中に年の頃なら40代~50代前後のおじさんが瞬間的に映ったのは覚えているという話はしていました。
それを聞いた時、「あ、あのおじさん、まだあそこに住んでるんだ」と思いました。