
数年前の春、出張で初めて訪れた北陸の小さな漁港で、私は妙なものを見た。
霧の出ていた夜のことだ。
誰も乗っていない木造の漁船が、防波堤を回り込むようにして、港の中に音もなく入ってきた。
船体の脇に書かれていたのは、私が知るはずのない、半世紀前に沈んだ船の名前だった。
※
当時、私は四十一歳。
東京で建材関係の営業をしていて、初めての北陸出張が決まったのは、その年の三月の終わりだった。
取引先との打ち合わせは三日間の予定で、宿は会社の経費の都合で、駅から車で一時間以上かかる港町の小さな民宿になった。
町は本当に何もない場所だった。
コンビニまで車で二十分、駅も一日に数本しか電車が通らない、地図の端のような場所だ。
飛行機を降り、レンタカーで山道を抜けて、海が見えてきた頃には、空はもう薄暗くなっていた。
民宿は港のすぐ脇に建っている古い木造の二階建てで、出迎えてくれた主人は、頭髪の白くなった七十手前の男性だった。
無口で愛想のない人だが、私が東京から来たと知ると、少しだけ口元を緩めた。
到着した夜、夕食を済ませて二階の部屋から港を眺めていた。
春先の海は、思っていたよりずっと冷たそうな色をしていて、漁を終えた船が二、三隻、静かに係留されていた。
その日は、霧が出ていた。
港の灯りが白く滲んで、岬の方はもう、何も見えなかった。
※
夕食の片付けが一段落した頃、私は一階の食堂に降りていき、主人に翌日の散策ルートを尋ねていた。
話を終え、部屋に戻ろうとした時に、主人が思い出したように、ふと言った。
「お客さん、悪いんだけれども、夜は防波堤の方には行かんでください。」
言い方が、旅館の主人にしては少しだけ強かったので、私は思わず理由を聞いた。
主人は少し迷ってから、湯呑を置いて、こう言った。
「この時期、霧の夜は、戻り船が来るんです。」
戻り船。
その言葉だけでは、私には意味がわからなかった。
主人は気まずそうに「すみません、変なことを言ってしまって」と頭を下げた。
そのまま帰されるところだったが、私が「すこし聞かせてもらえませんか」と頼むと、主人は座り直して、静かに語り始めた。
※
主人の話によれば、この港では半世紀ほど前に、大きな海難事故があったらしい。
春先の濃い霧の夜、地元の漁船が一隻、港を出たまま戻ってこなかった。
乗っていたのは、漁師が八人。
夜が明けても帰らないので、村の総出で捜索したが、船も人も見つからなかった。
正確に言えば、船の一部だけが、ずっと沖合の岩礁に引っかかっているのが、数日後に発見されたのだという。
船の名は「徳丸」。
当時、まだ二十代だった主人も、その捜索に駆り出されたひとりだったらしい。
それからしばらくして、村ではある噂が流れ始めた。
春先の霧の夜、防波堤の先まで行くと、その船が音もなく戻ってくる、というのだ。
最初にそれを見たのは、沈んだ船の船長の弟だったそうだ。
弟は一晩中防波堤に座って待ち、夜明けに村に戻ってきて、「兄が、乗って帰って来た」とだけ言った。
その三日後、彼は脳の出血で亡くなった。
それ以来、似たような目撃談を聞く者が増えていったが、見た者の大半は、その後数日のうちに、身内に不幸が起きていた。
「特に」と主人は、静かに付け加えた。
「土地に縁のある者を見ると、戻り船は止まる、と聞きます。」
その言葉に、私は何故か、すこし息を呑んだ。
私は黙って頷いて、主人に礼を言って、部屋に戻った。
※
部屋に戻ってからも、私は寝つけなかった。
主人の話を信じたわけではない。
ただ、出張先の知らない布団のせいか、それとも霧の夜の静けさのせいか、心の奥のどこかが、奇妙に静まらなかった。
窓の外を見ると、灯台の灯りだけが、霧の中で呼吸するように、ゆっくりと明滅していた。
気づけば、零時を過ぎていた。
私は迷ったが、結局、上着を羽織って部屋を出た。
玄関の鍵をそっと開け、民宿のサンダルを借りて、港の方へと歩いた。
行ってはいけないと言われた防波堤に向かっていることは、自分でもわかっていた。
だが、足は、止まらなかった。
潮の匂いが、霧と一緒になって、ゆっくりと押し寄せてきた。
※
防波堤は、思ったよりも長かった。
コンクリートの上を、私は半分手探りで進んだ。
足元の波の音が、不思議なくらい静かだった。
水面は、霧の重みに押されているかのように、ほとんど揺れていなかった。
中ほどまで来た時、私はふと、立ち止まった。
視界の先、霧の向こうから、ぼんやりと、一隻の船の影が浮かび上がっていた。
それは、ゆっくりと、まっすぐに、港に入ってこようとしていた。
エンジンの音は、しなかった。
帆もない。
木造の古い漁船が、ただ滑るようにして、霧の中を進んでいた。
私は、息を止めた。
船には、人の姿が一切なかった。
船体の脇に書かれた船名だけが、霧越しに、不自然なほど、はっきりと読めた。
そこに書かれていたのは、確かに「徳丸」だった。
※
船は、私の目の前を、ゆっくりと通り過ぎていった。
私はその間、一歩も動けなかった。
声も、出なかった。
ただ、自分でもよくわからないまま、心の中で、「お母さん」と、呟いた。
その瞬間、なぜ、その言葉が口から漏れたのか、自分でも説明はつかなかった。
母は東京の自宅で、たぶん、もう寝ている時間だ。
船は私の前を通り過ぎ、港の奥の方へと進み、霧の向こうに、音もなく消えていった。
消えた後の海面は、まるで何事もなかったかのように、また静かに揺れていた。
私はしばらく、防波堤の上に座り込んだまま、立てなかった。
※
翌朝、民宿に戻ると、主人はすでに起きていた。
食堂で朝食を取りながら、私は正直に、夜のことを話した。
嘘をつく気にも、隠す気にも、なれなかった。
主人は、私の顔を長いあいだ、見ていた。
それから、ゆっくりと、こう聞いた。
「お客さん、お母さんは、どこの出ですか。」
私は少し驚いて、「北陸の方だと聞いたことはありますが、詳しくは知りません」と答えた。
主人は、それを聞いて、ふっと小さく息をついた。
「確認した方が、いい。」
そして、いつもの旅館の主人の顔に戻って、何事もなかったように朝食の支度を続けた。
私はその日のうちに、予定を切り上げて、東京に戻った。
胸の中に、理由のわからない焦りが、ずっと残っていた。
※
東京に戻った一週間後、母が突然、自宅で倒れた。
病院に搬送された時には、もう意識がなかった。
母は、それから三日後、静かに亡くなった。
葬儀のあとで、父と二人で母の箪笥を整理していたとき、私は、奥から古いアルバムを一冊、見つけた。
母の若い頃の、白黒の写真が並んでいた。
その中の一枚に、見覚えのある景色が、あった。
霧の薄くかかった、小さな漁港の写真だった。
裏側に、万年筆で「故郷・徳丸の港」とだけ、書かれていた。
父によれば、母は十代の頃に、あの北陸の港町から東京に出てきたのだという。
母の生家は、半世紀前に起きた海難事故で、家族をすべて失っていた。
母だけが、そのとき、たまたま親戚の家に預けられていて、ひとり、生き残った。
それ以来、母は、生まれた場所の話を、私の前で、一度もしなかった。
私はその夜、父にも告げず、北陸の民宿の主人に、葉書を一枚だけ書いた。
「母は徳丸の港の出でした。お世話になりました」とだけ、書いた。
返事は、来なかった。
※
葬儀から戻ったその夜、私は自分の部屋で、あの夜、防波堤で見た船のことを、思い出していた。
主人の言っていた、「土地に縁のある者を見ると、戻り船は止まる」という言葉。
あの夜、徳丸は、私の前を、止まらずに通り過ぎていった。
止まらずに、港の奥の方へと、ゆっくりと進んでいった。
あれが何を意味していたのか、私には今も、はっきりとは、わからない。
ただ、私が心の中で「お母さん」と呟いた、その瞬間に、船は静かに港の奥へと向かっていった、ということだけが、今も鮮明に、記憶に残っている。
あれから、私はあの港を、一度も訪ねていない。