ギギギと書かれたセーブデータ

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ギギギギギギギギ、という文字を、僕は一度だけ、本体メモリの中で見た。

セーブデータの名前が入るはずの欄に、それは並んでいた。

八文字、きっちり。

昔、ゲーム雑誌の会社で働いていた。

当時はゲームと毎日向かい合っていたので、振り返るのをやめていた。

会社自体が潰れて暫く経ち、どこの会社かバレても支障がなくなった。

だから、その時のことを書いてみようと思う。

仕事とは別に、会社の中には色々な怖い話があった。

今回は、ソフトに関係した話をする。

正確に言えば、ソフトのセーブデータに関係した話だ。

ゲーム雑誌には、いわゆる裏技コーナーというページがある。

当時、僕の会社では、定期的に裏技集を集めた本を発行していた。

最新のソフトばかりではない。

昔の、それこそ、ファミコンやメガドライブ。

もっとマイナーな、滅亡した機種の、滅亡したソフトの技まで収録されていた。

詳しい方なら、ここで出版社の見当が付いたと思う。

そこに収められている技についての読者からの質問は、新人編集が電話で答えることになっていた。

収録されている限りは、どんなソフトでも対応する。

それが決まりだった。

僕は、その年の春に入った新人だった。

編集部は、雑居ビルの四階にあった。

窓は西向きで、夕方になると、机の上が全部、橙色になった。

机は、十二。

そのうち一つ、部屋の隅の机には、誰も座っていなかった。

僕が入る前に辞めた人の机だと聞いた。

荷物は、片付けられていた。

電話だけが、残っていた。

内線の番号は、生きていた。

たまに、その電話の保留ランプが、点いていることがあった。

誰も、取らない。

誰も、かけていない。

「前の人の、癖が残ってるんだよ」

先輩は、そう言って笑った。

電話に、癖が残るものだろうか。

前の人が、なぜ辞めたのかは、誰も言わなかった。

聞いても、「色々あって」としか返ってこなかった。

机の引き出しには、鍵がかかっていた。

鍵は、どこにもなかった。

机の端に、名札を剥がした跡が、四角く残っていた。

日に焼けていない、白い四角だった。

僕は、その白さを、なぜか、よく覚えている。

編集部では、机の電話が、その人の居場所だった。

外線も内線も、机に紐づいている。

だから、隅の机の電話が鳴れば、それは、辞めた人への電話ということになる。

鳴ったことは、僕が入ってから、一度もなかった。

あの日までは。

僕は、その机の横を通るとき、ランプを見ないようにしていた。

十六時の約束

ある日、いつものように読者から電話があった。

ソフトは、セガサターンの『百物語』について。

収録されている百一話目の怪談が、どうしても始まらないと言う。

今となっては記憶が曖昧だが、あれは全百話を見終わると見られる、おまけのようなものだったはずだ。

担当した僕は、そういう旨を電話口で伝えた。

相手は、引かなかった。

「でも、見られない。初期出荷分だけなのではないか」

声は、男だった。

若いのか、年配なのか、わからない声だった。

声の後ろで、何かが反響していた。

風呂場で電話をしているような、湿った響きだった。

「こちらで確認しますので、改めてお電話いただけますか」

「時間がないので、明日まででお願いします」

「明日の、何時ごろ」

「十六時に、かけます」

電話を切ったのが、午後六時前後。

受話器を置くと、保留ランプがひとつ、まだ点いていた。

僕の電話ではなかった。

隅の机の電話だった。

僕は、見なかったことにした。

ソフトを探す時間、百話分プレイする時間、技の確認。

それを、本来の仕事と並行して行わなければならない。

幸か不幸か、この日は、ドリームキャスト誌の校了日だった。

終わるまで、誰も帰れない。

一晩中、煌々と電気が点き、編集部内も賑やかだ。

手が空いた人に、手伝ってもらうこともできる。

倉庫から、ソフトを探し出した。

ケースの背は、日に焼けて白くなっていた。

中のディスクに、傷はなかった。

ケースの中に、付箋が一枚、貼ってあった。

「七十話目、注意」

鉛筆の、薄い字だった。

誰の字かは、わからなかった。

僕は、付箋を剥がして、ケースの裏に貼り直した。

注意、の意味を、聞ける相手はいなかった。

本体は、資料室の棚の、一番下にあった。

電源を入れると、起動音が、少し遅れて鳴った。

新人編集と制作部の女の子たちが、交代でゲームをプレイすることになった。

話によっては、監修の怪談師が自ら出演して、音声で進めるものもある。

そのため、プレイする人はイヤホンを付けた。

怖い人、興味のない人は、内容を読み飛ばして、ただボタンを押し続ける。

たまに、興味を持って進める人もいた。

自分のように。

画面には、蝋燭が百本、並んでいる。

一話終わるごとに、一本、消える。

消えるとき、小さく、息を吹く音がした。

制作部の女の子が、十話目で、イヤホンを外した。

「これ、消える音、誰が吹いてるの」

「効果音でしょ」

「息の音、毎回ちょっと違う」

彼女は、それきり、代わってくれなかった。

夜中の編集部は、校了日だけ、別の場所になる。

印刷所からの電話が、三十分おきに鳴る。

誰かが、夜食のカップ麺に湯を注ぐ音がする。

その中で、僕たちは、順番に怪談を聞いた。

三十話で、僕は一度、交代した。

五十話で、制作部の別の子が、画面を指さした。

「今、蝋燭、二本消えなかった?」

「一話で一本だよ」

「二本、消えた」

数えると、残りは、五十本ではなく、四十九本だった。

「読み込みのバグでしょ」

誰かがそう言って、話は終わった。

僕は、四十九という数字を、手元のメモに書いた。

書いた理由は、自分でもわからない。

後で、同僚が百話目を終えたとき、残りの蝋燭は、ゼロだった。

四十九本から、五十話分、消えていた。

計算が、一本、合わない。

僕は、メモの四十九を、ボールペンで消した。

僕は、気にしないことにした。

七十話目の老婆

夜も大分深まり、午前四時くらいになった頃だ。

ぶっ通しでゲームを進め、七十話ほど進行した。

このあたりの時間から、自分の担当分が校了し、机や仮眠室で力尽きる人が出てくる。

プレイ人数は減っていき、やがて自分一人でプレイしなくてはならなくなった。

イヤホンからは、怪談師の早口な語りが聞こえてくる。

体力が落ちているこの時間になると、何を言っているのか、聞き取れない。

聞き取れないまま、ボタンを押した。

蝋燭が、消えた。

息を吹く音が、した。

その音が、イヤホンの外から聞こえた気がした。

振り返った。

隅の机の、保留ランプが、点いていた。

僕は、画面に向き直った。

六十話を過ぎたあたりから、語りの調子が、少し変わっていた。

怪談師の口調は同じだ。

ただ、話の途中で、一度だけ、「そこの、イヤホンの方」と言った。

収録された音声に、そんな言葉があるはずがない。

僕は、聞き間違いだと思った。

思って、ボタンを押した。

かなり疲れていたのか、無意識に目を閉じていたようだ。

不意に、音声が途切れた。

終わったのかな、と僕は目を開けた。

話が終わると、消えていく蝋燭の画面が出るはずだ。

そこには、違うものが映っていた。

顔の下半分が、グニャグニャに歪んだ、老婆の顔のアップだった。

元は、何かの話の、クライマックス用のビジュアルなのだろうか。

大きく口を開けた老婆が、こちらを凝視していた。

ディスクの読み込みエラーなのかもしれない。

画面の下半分だけが、痙攣したようにブルブルと震えていた。

それに合わせて、老婆の口も、グネグネと歪む。

イヤホンからは、怪談師の声。

「ジーッと見ているんですよ」

「ジーッと見ているんですよ」

「ジーッと見ているんですよ」

そこの部分だけが、繰り返し再生される。

妙にゆっくりと。

ソフトのフリーズは、しょっちゅうある。

こんなエラーの仕方は、初めてだった。

やがて、リピートしていた声に、ブツブツと雑音が入り始めた。

本体は、ディスクを読み込もうと、ガリガリ音を立てている。

未セーブ分の時間が勿体ないとは思った。

それでも、僕は怖くなり、電源を落とそうと手を伸ばした。

その瞬間、怪談師の声が、ブツリと途絶えた。

ゲームに収録されている効果音が、滅茶苦茶に再生され始めた。

クラクション。

風の音。

カラスの声。

すすり泣き。

雨音。

そして、ゲタゲタ笑う少女の声。

老婆の画像のぶれも、どんどん大きくなった。

顔全体が、引きつったようにガクガクと歪んでいた。

僕は、電源スイッチを叩き切った。

切る瞬間、男の声で「遅ぇよ」と聞こえたのを覚えている。

そんなデータは、なかったはずだ。

声は、イヤホンからではなかった。

部屋の、隅のほうからだった。

ばりばりの音を書き残した夢という話を、ずっと後で読んだ。

音だけが先に来て、意味が後から追いつく。

あの夜の「遅ぇよ」も、そういう音だった。

何に、遅かったのか。

僕は、今も、わからない。

ギギギのセーブデータ

僕は、逃げるように席を立った。

近くでぐったりしていた同僚を、叩き起こした。

無理矢理、コントローラーを押しつけた。

彼は、急に起こされて、訳が分からないという表情だった。

怖いから続きをやってくれ、という僕の頼みに、ニヤニヤしながら代わってくれた。

明らかに小馬鹿にしている様子だったが、仕方ない。

しかし、数分もしないうちに、彼は不機嫌そうに戻ってきた。

「データ飛んでるぞ」

スイッチは切られ、モニタには何も映っていない。

微かに映り込みがあったようで、先刻の老婆の輪郭が、ぼんやり残っていた。

消えたはずの画面に、残っていた。

本体の蓋を開けた状態で、電源を入れる。

これで、セーブデータの確認ができる。

本体メモリに、セーブデータを保存していた。

データは、壊れていた。

正常なら、ソフト名の欄に、半角カタカナで『ヒャクモノガタリ』と明記されているはずだ。

そこには、『ギギギギギギギギ』と羅列してあった。

八文字。

『ヒャクモノガタリ』も、八文字だ。

文字数だけが、合っていた。

容量の表示を見た。

正常なセーブデータより、ほんの少し、大きかった。

増えていた。

何が、増えたのか。

僕は、すぐにそれを消去した。

消去の確認画面で、「はい」を押す指が、一度、止まった。

消していいものなのか、わからなかった。

消した。

「どうするんだ」と訊ねる同僚に、僕はバックアップ用の外付けメモリを渡した。

十話ほど遡るが、ここにもセーブデータが入っている。

これで百話クリアして欲しいと頼んだ。

当然、嫌がられた。

何でもするからと懇願し、渋々、承諾してもらった。

「十話分、俺が見るのか」

「十話だけ」

「お前は」

「隣にいる」

僕は、彼の隣に座った。

画面は、見なかった。

イヤホンの隙間から漏れる、怪談師の声だけを聞いていた。

蝋燭が消えるたび、息を吹く音がした。

音は、イヤホンの中からだけ、していた。

六時過ぎに、百話目が終わった。

「始まったぞ」

同僚が言った。

百一話目は、普通に始まった。

画面に、蝋燭が一本だけ、立っていた。

最後の一本だった。

「お前、見るか」

「いい」

同僚は、十分ほどで、イヤホンを外した。

「普通の話だった」

「どんな」

「電話の話。かけた覚えのない相手から、折り返しが来る話」

僕は、隅の机を見た。

ランプは、消えていた。

結果的には、例の裏技は普通に始まった。

電話の相手の取り残しか、データの読み込みミスだろう、ということで決着した。

僕は、報告のメモを書いて、机に伏せた。

朝九時、先輩が出勤してきた。

僕は、夜のことを、半分だけ話した。

フリーズと、データの破損だけを。

隅の机の内線が点いていたことも、ついでに言った。

先輩は、コーヒーを置いて、僕を見た。

「あの内線、去年、止めたぞ」

「止めた?」

「番号ごと、解約した。総務に聞いてみろ」

僕は、総務には聞かなかった。

聞いて、本当だったら、困るからだ。

先輩は、隅の机まで歩いて行って、受話器を持ち上げた。

耳に当てて、すぐに置いた。

「音、しないな」

「止めてあるんですよね」

「止めてある」

先輩は、それ以上、その机に近づかなかった。

鳴らなかった外線

十六時に、電話は鳴らなかった。

僕は、十五時五十分から、受話器の横に手を置いて待っていた。

外線のランプは、暗いままだった。

時計の秒針が、壁で音を立てていた。

十五時五十九分。

僕は、メモを、もう一度読み返した。

百一話目、正常に起動。

それだけを、伝えればいい。

校了明けの編集部は、半分が空席だった。

残っている人間も、机に突っ伏していた。

十六時、ちょうど。

電話が、鳴った。

僕の机の外線ではなかった。

鳴ったのは外線ではなく、誰も座っていない隅の机の内線だった。

内線は、社内からしか、かからない。

社内に、起きている人間は、僕を入れて四人だった。

四人とも、受話器を持っていなかった。

僕は、立ち上がった。

隅の机まで、六歩だった。

受話器を取った。

「確認、できましたか」

あの声だった。

湿った反響の、あの声だった。

「百一話は、普通に始まりました」

「そうですか」

「初期出荷分でも、問題なく」

「それは、よかった」

声は、少し、笑ったようだった。

「見ましたか」

「何を」

「七十話目」

僕は、受話器を持ったまま、答えられなかった。

「遅かったですね」

電話は、切れた。

受話器を置くと、保留ランプが、ひとつ点いた。

僕は、その日、その机の横を通らずに帰った。

謎の駅と老人の地図という話を読んだとき、あの机を思い出した。

存在しない場所から、律儀に、何かが届く話だった。

その一件については、これで以上だ。

このソフトにも、色々な逸話があったようだが、詳しいことは知らない。

録音トラブルが絶えなかったらしい、というのは聞いた。

会社が潰れたとき、本体と本体メモリは、他の備品と一緒に処分された。

外付けメモリは、僕の机の引き出しに、今もある。

中身は、確かめていない。

十話分のセーブデータが、八文字の名前で、入っているはずだ。

ヒャクモノガタリ、という八文字で。

そうであってほしいと、思っている。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

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