閉店後の駐車場で声を出した

月夜の駐車場と警備員

出庫ゲートは、誰も通っていないのに「ご利用ありがとうございました」と言った。

閉店後の駐車場で、私は警備員の制服のまま立ち止まった。

去年の秋のことだ。

当時の私は、郊外の大きなショッピングモールで夜間警備をしていた。

入社して、まだ半年ほどの新人だった。

仕事は単純だった。

閉店後に全館を回り、鍵と非常口を確かめる。

最後に立体駐車場へ上がり、残った車を数えて、防災センターへ戻る。

閉店後の駐車場は、昼とは別の場所に見える。

照明が半分落ちて、コンクリートの冷たい匂いだけが濃くなる。

蛍光灯が低く唸り、足音は天井で二度返ってくる。

ゲートの音声は、精算を終えた車が出るときにだけ鳴る機械だ。

その夜、バーは下りたままだった。

車も人も、ゲートの前にはいなかった。

私は懐中電灯でバーの下を照らした。

床に伸びていたのは、自分の影だけだった。

報告書には、異常なし、と書いた。

機械の誤作動です、と言えば、班長に笑われて終わる。

エスカレーターは止まり、吹き抜けには非常灯の緑だけが残る。

私はその静けさが、嫌いではなかった。

昼間は何千人もの足が踏む床が、夜は私一人の足音だけを受け止める。

ただ、駐車場だけは、いつも誰かが息をひそめているような気配がした。

それを口にしたことは、一度もない。

満車表示と実車の差

防災センターには、駐車場の入出庫を数える盤がある。

車が入れば一台増え、出れば一台減る。

閉店後のその盤は、実際の車より、いつも一台だけ多い数字を出していた。

気づいたのは、勤め始めて二か月目の夜だった。

私は三階の通路を端から端まで歩いて、残った車を数えた。

十二台。

盤の表示は、十三台。

翌日も、その翌日も、差はきっかり一台だった。

「また一台多いです」

無線で報告すると、班長の水野さんは面倒そうに答えた。

「センサーの癖だよ。業者にも言ってある」

「でも、毎晩同じ数だけずれます」

「毎晩同じなら、故障じゃなくて癖だ」

水野さんはそう言って、無線を切った。

癖、という言葉だけが、妙に頭に残った。

その夜から、私は数えかたを変えた。

一台ずつ、ナンバーを手帳に控えた。

清掃業者の台車、店長の黒い乗用車、閉店作業で遅くなった店員の軽自動車。

どの車にも、持ち主の名前と顔が結びついた。

控えを何度見返しても、盤の十三台目に当たる車はなかった。

数え間違いではない。

それでも盤は、翌晩も一台多い数字を出した。

入社した初日の夜のことを、私はそのとき思い出していた。

車通勤の私は、停める場所を探していた。

従業員用の駐車場は遠く、夜は人影もない。

すると、制服を着た年配の男性が、エレベーターの前で声をかけてきた。

年は六十ぐらいに見えた。

手には懐中電灯ではなく、古い鍵束を提げていた。

襟だけが、妙にきちんと糊が効いていた。

「新人さん? 三階の十九番に停めな」

「十九番、ですか」

「端っこでね。そこが一番、静かだから」

胸の名札には「堂本」とあった。

礼を言って顔を上げると、エレベーターの扉はもう閉まっていた。

堂本さんには、それきり会っていない。

辞めたのだろう、と私は思っていた。

以来、私は毎晩、三階の端の区画に車を停めていた。

区画の番号は、床の塗装が剥げていて読めなかった。

端なのだから十九番なのだろう、と私は決めていた。

車を停めると、そこだけ空気が澄んでいるように感じた。

夜の駐車場で、その区画の上だけ、蛍光灯が唸らなかった。

静かな場所だった。

私は、その静けさに甘えていた。

冬が近づき、夜勤の帰りは日ごとに冷えた。

帰宅すると、靴を脱ぐ前に、必ず一度だけ振り返る癖がついた。

誰かがついて来ていないかを、確かめるように。

閉店後の駐車場に残る音

ゲートの音声が鳴ったのは、あの夜が最初ではなかった。

思い返すと、週に二度か三度は聞いていた。

決まって、日付が変わって少し経った頃だった。

その次に聞こえるのは、車のドアを閉める音だ。

バタン、と一度だけ。

重くて、少し湿った音だった。

音のしたほうへ走ったことが、何度もある。

三階の端に着くと、そこにはいつも、私の軽自動車だけが停まっていた。

自動販売機の缶コーヒーが、夜のあいだに一本だけ売り切れになっていたこともある。

誰が買ったのかは、わからない。

雑貨店の遠藤さんと、一度だけ帰りが一緒になった。

彼女は三階の端を見て、足を止めた。

「あの車、いつもあそこですね」

「私のです」

「あ、そうなんですか。てっきり、誰かが待っている車かと思って」

「待っている?」

「助手席に、ずっと誰か座っているように見えるんです。運転席は空っぽなのに」

冗談だと思ってほしそうに、彼女は笑った。

私は、笑えなかった。

その夜、帰り道のコンビニで、私は缶コーヒーを二本買った。

なぜ二本にしたのか、レジの前に立つまで気づかなかった。

一本は、助手席のドリンクホルダーに置いた。

翌朝、その缶は冷たいままだった。

プルタブは閉じているのに、中身だけが軽くなっていた。

ある朝、勤務を終えて車に戻ると、フロントガラスが曇っていた。

外側ではなく、内側が曇っていた。

手のひらほどの、丸い曇りだった。

指でなぞると、冷たい水滴がついた。

助手席側の窓だった。

夜のあいだ、私は一度も車に乗っていない。

ドアにも、ちゃんと鍵がかかっていた。

私は袖でガラスを拭いて、そのまま家に帰った。

気にしないことにしたのだ。

気にしなければ、仕事は続けられた。

ある夜、私は思いきって、端の区画で待ってみた。

エンジンを切り、ライトを消し、助手席の窓に目をやった。

三十分、何も起きなかった。

四十分目に、足元の床が、ほんの少し冷えた。

冷房の風とは違う、下から上がってくる冷たさだった。

運転席のシートが、助手席の側へ、かすかに沈んだ気がした。

人ひとりぶん、体重が預けられたような傾きだった。

私は息を止めて、ただ前を見ていた。

やがてゲートの音声が、遠くで鳴った。

冷たさは、そこで引いた。

確かめなければよかった、と私は思った。

掃除機をかけない区画

清掃の高橋さんは、七十近い女性で、朝いちばんに駐車場へ上がってくる。

休憩室で一緒になった日、私は何気なく尋ねた。

「三階の端って、掃除は入っているんですか」

高橋さんは湯呑みを置いて、少し黙った。

「あそこはね、掃除機をかけないの」

「どうしてですか」

「かけると、そこだけ汚れが戻ってくるのよ」

「戻ってくる、ですか」

「押し出した埃がね、夜のうちに、同じ形で。四角く」

私は笑おうとして、うまく笑えなかった。

「あなた、あの端に毎日停めているでしょう」

「はい。先輩に教わって」

「誰に?」

「堂本さんという方です」

高橋さんは、もう一度湯呑みを持ち上げた。

「そう。……あの人、まだ気にしているのね」

それ以上は、何を聞いても答えてくれなかった。

私は堂本さんの顔を思い出そうとした。

背は低く、襟の糊が効いていた。

声は、はっきり覚えている。

それなのに、目鼻の形が、どうしても浮かばなかった。

水野さんに尋ねる気にはなれなかった。

尋ねたら、答えが返ってくる気がしたからだ。

代わりに、休憩室の壁の緊急連絡網を見た。

そこに、堂本という名前はなかった。

空欄が一つあるだけで、消しゴムで消した跡が薄く残っていた。

窓の外では、朝の光がモールの屋上を白く塗っていた。

ワイパーに挟まれた券

十一月の終わりに、私は大きな失敗をした。

巡回用の鍵を一本、持ち出したまま帰ってしまったのだ。

翌朝、本社の担当者と水野さんの前で、三十分叱られた。

夜勤に入る頃には、指先が冷えて震えていた。

巡回を終えた私は、三階の端の車に乗り込み、ドアを閉めた。

閉店後の駐車場なら、誰にも聞かれない。

そう思って、私は声を出して泣いた。

何を叫んだのかは、覚えていない。

喉が焼けるまで、ただ声を出し続けた。

涙が顎から落ちて、制服の襟を濡らした。

息を吸うたびに、車内の空気が薄くなる気がした。

すぐ隣で、誰かに聞かれている気がした。

それでも、声は止まらなかった。

ハンドルが震え、窓ガラスが小さく鳴った。

助手席の窓が、見る間に白く曇っていった。

それでも、私は止められなかった。

気がつくと、東の空が明るくなっていた。

喉は嗄れ、まぶたは腫れていた。

車内には、自分の息の匂いしかなかった。

ただ、助手席だけが、座面の形に沿って、わずかにへこんでいた。

ワイパーに、紙が一枚挟まっていた。

駐車券だった。

入庫の時刻も出庫の時刻も、同じ「二時十一分」と印字されている。

料金の欄は、零円。

本来なら「またのご利用をお待ちしております」と出る行に、別の文が打たれていた。

「次回のご利用は、ご遠慮ください」

機械が、そう印字したのだ。

防災センターの盤は、その朝だけ、実車と同じ数字を出していた。

三階のカメラの記録には、六分間の空白があった。

空白は、二時九分から二時十五分までだった。

二時十一分は、ちょうどその真ん中にあたる。

水野さんにも駐車券を見せた。

「機械のいたずらだろ」と言って、水野さんは券をポケットに入れた。

券は、翌朝、私の机の上に戻っていた。

水野さんは、そのことを覚えていないようだった。

昼過ぎ、施設管理会社の志村さんが、台帳を抱えて防災センターに来た。

定期点検だと言っていた。

私は、駐車券を見せた。

志村さんは券を裏返し、表に返し、それから台帳を開いた。

「あなた、三階のどこに停めていました」

「端の、十九番です」

「十九番」

志村さんは、ゆっくり繰り返した。

三階の区画は、十八までです。

十八の次は、通路です。

「でも、端の」

「端は、十八番ですよ」

図面の端には、たしかに十八と書かれていた。

私が停めていた場所には、何も描かれていなかった。

二人で三階へ上がり、その区画を見下ろした。

私の車が動いたあとの床に、埃が、四角く積もっていた。

車一台ぶんの、ちょうど真ん中に、手のひらの形の曇りが一つ残っていた。

志村さんは何も言わず、台帳を閉じた。

私は月末で警備の仕事を辞めた。

最後の夜勤の帰り、私は精算機の前で車を止めた。

バーが上がる。

ミラーの奥で、無人のゲートが「ご利用ありがとうございました」と言った。

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