
沼津の港の近くに、屋根だけの公衆電話が一台あります。
横に、灰色の電話台が据えてあります。
その電話台の数字を、私は毎年、数えに行きます。
油性ペンで書かれた、二桁の数字です。
去年は三十四までありました。
私はいま、三十五です。
数えに行くようになって、四年目になります。
確かめているのは、自分の番号が消えたかどうかではありません。
その逆です。
かけてはいけない電話番号、というものがあります。
具体的な番号は書きません。
調べれば出てきますが、調べないほうがいいと思います。
番号そのものより大事なのは、守るべき決まりのほうです。
番号だけ知っていて決まりを知らない人が、いちばん危ういのだと思います。
私も、井坂も、決まりは全部知っていました。
井坂に教わったとき、決まりは三つでした。
一つ。公衆電話からかけること。
二つ。ただし、個室になっている公衆電話は使わないこと。
三つ。名前を聞かれても、絶対に名乗らないこと。
井坂は私の同期で、二つ年下でした。
営業の帰りに、よくこういう話をする男でした。
車の中で、心霊番組の話や、消えた集落の話をするのです。
信じているわけではなく、話の形が好きなのだと言っていました。
「信じとったら、こんな軽い口調で言わへんやろ」
それが井坂の口癖でした。
「なんで公衆電話やないとあかんの」
「携帯でかけたら、番号でたどられるからやと」
「誰にや」
「そこまでは知らん」
「知らんのに教えんなや」
「教えたんは俺やないで。前の会社の先輩や」
「その先輩、いまどうしとんの」
井坂は、そこで少しだけ間を置きました。
「知らんな」
井坂は笑っていました。
私も、そのときは笑っていました。
屋根だけのボックス
かけたのは、十月の終わりの夜でした。
私が三十二の年です。
港の倉庫の並びに、その電話はありました。
屋根と、腰までの囲いだけで、扉はありません。
決まりの二つ目を守るなら、ここしかないと思いました。
この町で、扉のない公衆電話は、もうここだけでした。
駅前のものも、コンビニの前のものも、全部ボックス型です。
三十分ほど探して、私はここに戻ってきました。
街灯が一本、離れたところに立っているだけでした。
海の側から、風が吹き上げてきていました。
潮と、油の混じった匂いがしました。
倉庫のシャッターは全部下りていて、人の姿はありません。
少し先の岸壁に、漁船が二艘つないでありました。
係留のロープが、波に合わせて、ぎい、ぎい、と鳴っていました。
受話器を取ると、思ったより重く感じました。
コードの被覆が硬くなっていて、伸ばすと軋みました。
耳に当てると、金属の冷たさがそのまま伝わってきました。
手が汗ばんでいるのが、自分でも分かりました。
十円玉を入れて、教わった番号を押しました。
呼び出し音は、鳴りませんでした。
最初から、雑音だけが流れてきました。
ジー、という、乾いた音です。
電気の音にも、虫の音にも聞こえました。
私は、耳を押しつけました。
雑音の奥に、人の声が混じっていました。
女の人の声でした。
若くも、年寄りでもない、平らな声です。
独り言のように、途切れ途切れに聞こえてきました。
「こっちはだめだ」
少し間があって、また続きます。
「そっちはどうだ」
「もういいか」
誰かと話しているのではありません。
返事を待っている間が、ないのです。
確かめている、という感じでした。
棚の在庫を数える人の声に、少し似ていました。
気になったのは、間の長さが毎回同じだったことです。
「こっちはだめだ」のあと、きっかり四つ数えるだけの間があく。
「そっちはどうだ」のあとも、四つです。
人の話し方には、そこまでの正確さはありません。
やがて、声がはっきりしました。
「そこにいるか」
それは、私に向けられた言葉ではないようでした。
部屋の隅に向かって話しかけるような、方向のない聞き方です。
私は、受話器を耳から少し離しました。
離しても、同じ大きさで聞こえました。
私は、息を止めました。
返事をしてはいけない、という決まりはありません。
けれど、声を出せば返事になる気がしました。
そして、最後に聞かれました。
「名前はなんだ」
はっきりした、こちらに向けられた問いでした。
それまでの独り言と、声の距離が違いました。
急に、受話器の中ではなく、囲いのすぐ外から聞こえたのです。
私は振り返りました。
街灯の下に、人影はありませんでした。
ロープの軋む音だけが、さっきより速くなっていました。
私は受話器を置きました。
手が滑って、一度フックから外れて落ちました。
落ちた受話器から、まだジー、という音がしていました。
私は受話器を戻しませんでした。
戻すために、もう一度触らなければならないからです。
十円玉は、返ってきませんでした。
車まで走って、エンジンをかけて、そのまま国道へ出ました。
ルームミラーに、屋根の下の灯りが小さく残っていました。
ジーという雑音
その晩から、非通知の着信が続きました。
夜中の一時から、三時くらいまでのあいだです。
出ずにいると、三回鳴ってから切れます。
一晩に、四回から六回。
一週間ほどで、ぱたりと止みました。
止まる前の晩だけ、鳴り方が違いました。
三回で切れずに、十回以上鳴り続けたのです。
私は枕元で、それを最後まで数えていました。
十四回目で切れました。
数えている途中で、私は妙なことに気づきました。
呼び出し音の間隔が、あの夜の独り言の間隔と同じなのです。
鳴って、四つ数えるだけの間があいて、また鳴る。
携帯の着信音は、機械が鳴らしています。
間隔が同じになる理由は、ありません。
それでも、同じでした。
止んだ日の朝、私は少しだけほっとしました。
ほっとしてから、なぜ止んだのかを考えて、落ち着かなくなりました。
井坂に電話をしました。
「かけたわ」
「ほんまに? どうやった」
「名前、聞かれた」
「言うてへんやろな」
「言うてへん」
井坂は、しばらく黙っていました。
それから、こう言いました。
「俺な、実は先月かけとんねん」
「先に言えや」
「言うたら、お前かけへんやろ」
井坂がかけたのは、駅前の、扉のある電話ボックスでした。
決まりの二つ目を、破っていたことになります。
「開かんかった」
「扉が?」
「うん。押しても引いても開かん。五分くらいや」
「そのあいだ、電話は」
「繋がったままやった」
「切れへんかったんか」
「フックを押しても、音が止まらんかった」
「そんなことある?」
「ないやろ。せやから怖かったんや」
井坂は、そこで声を落としました。
「名前は言うてへんで。ただ、年だけ言うた」
「年?」
「二十九、て」
名乗ってはいない、と井坂は繰り返しました。
名前ではないのだから、決まりは守っている、と。
私は、うまく返せませんでした。
決まりが三つしかないのは、三つで足りるという意味ではありません。
書かれていないことは、やってもいい、という意味でもないのです。
井坂は、それから何度か、同じ話を繰り返しました。
名前は言うていない。年しか言うていない。
言うたびに、自分に言い聞かせているように聞こえました。
私は、そのたびに「そやな」とだけ返しました。
電話台の数字の列
十一月の半ば、私はもう一度あの港へ行きました。
かけるためではなく、電話を見に行ったのです。
昼の港は、まるで別の場所でした。
フォークリフトが動き、作業着の人が何人も歩いていました。
あの晩の静けさが、うまく思い出せないほどです。
私は、電話の前でしばらく突っ立っていました。
受話器には、触れませんでした。
昼間に行くと、夜には見えなかったものが見えました。
電話台の数字に気づいたのは、このときが最初です。
電話台の天板に、落書きがありました。
油性ペンの、黒い数字です。
番号ではありません。二桁の数字ばかりでした。
十七、二十三、四十、十九、二十六。
ばらばらに見えて、書かれた場所には規則がありました。
天板の奥から手前へ、一行ずつ、縦に並んでいるのです。
インクの褪せ方も、奥ほど薄くなっていました。
いちばん奥の数字は、雨に流れたのか、判読できませんでした。
数えると、読めるものだけで十九ありました。
同じ数字は、ひとつもありません。
つまり、奥が古く、手前が新しい。
私は、いちばん手前の数字を探しました。
二十九、とありました。
井坂の年です。
インクは、まだ光るほど新しく残っていました。
指でこすってみましたが、落ちませんでした。
雨ざらしの天板に、油性ペンで書けば、二、三年は残ります。
十九という数は、二十年ぶんくらいの間隔になります。
そして、二十九のすぐ下は、空白でした。
問題は、私の三十二が、天板のどこにも無かったことです。
目を近づけて、二度数え直しました。
三十二という数字は、天板のどこにもありません。
井坂の二十九のすぐ上は、四十でした。
その上は、十九。
年齢の順でもなければ、書かれた順でもない並びです。
私は先月、この電話からかけています。
順番でいえば、三十の前に私が入っていなければおかしいのです。
私がかけたのは十月で、井坂は九月です。
井坂の下に、私が入る。それが自然です。
入っていない理由は、ひとつしか思いつきませんでした。
数字は、かけた順ではないのかもしれない。
その晩、私はそう考えて、眠れませんでした。
帰り道、私は電話台の数字を、頭の中でもう一度並べ直しました。
十九、四十、二十九。
どう並べても、意味の通る列にはなりませんでした。
年齢だと決めつけているのは、こちらの都合かもしれません。
井坂が二十九だと言ったから、私は年齢だと思い込みました。
もし年齢でないなら、十九も四十も、ただの番号です。
けれど、それなら私の三十二が無いことの説明がつきません。
説明のつかない側を、私は選びませんでした。
選ばなかったのは、そのほうが眠れるからです。
引き出しの空いた机
年が明けて、井坂は会社を辞めました。
最後の一か月、井坂はほとんど喋りませんでした。
送別会もせず、机だけがきれいになっていました。
引き出しの中も、空でした。
共用の棚に置いていたマグカップだけが、洗って伏せてありました。
総務の人は、電話で一言あっただけだと言っていました。
「体調のこととしか、聞いていません」
私は、それ以上聞きませんでした。
聞けば、自分もその話の中に入ってしまう気がしたのです。
携帯は、番号が使われていない、という案内に変わりました。
実家に電話をすると、お母さんが出ました。
沼津から二時間ほどの、山のほうの町だと聞いていました。
名乗って用件を言うと、少しのあいだ息の音だけがしました。
「こちらにも帰ってきておりません」
それだけ言って、電話は切れました。
かけ直しましたが、二度目は出ませんでした。
三度目に出たのは、男の人でした。
「もう、かけてこんでください」
声は怒っていませんでした。疲れていました。
私は謝って、電話を置きました。
受話器を置いてから、自分が固定電話を使ったことに気づきました。
会社のものです。番号は、当然、残ります。
それが急に怖くなって、私は通話履歴を消しました。
消しても意味がないことは、分かっていました。
二月に、私はまた港へ行きました。
三十の数字が、少しかすれていました。
手前に、三十二が増えていました。
数えると、天板の数字は二十一に増えていました。
十一月には十九でした。
冬の二か月で、二つ増えたことになります。
私の年です。
私は、あの夜、何も答えていません。
名前も、年も、一言も言っていません。
それでも、書かれていました。
雪の残った足跡
私は天板に顔を近づけて、筆跡を見ました。
三十二の「三」の、最後のはらいが、わずかに上を向いています。
井坂の二十九の「九」も、同じ癖でした。
十七も、二十三も、四十も、全部同じです。
何年もかけて、同じ人が書き続けているということになります。
いちばん奥の判読できない数字まで、同じ癖でした。
雨に流れたのではなく、こすって消そうとした跡かもしれません。
消そうとしたのが誰なのかは、考えないようにしています。
そして、井坂の二十九の下に、三十と三十一が書き足されていました。
十一月には、そこは空白でした。
二十九の下には、三十と三十一が、もう書いてありました。
私の三十二は、そのさらに下です。
三十と三十一の人が、この二か月で電話をかけたのなら、筋は通ります。
けれど、この電話は港の倉庫の裏にあります。
冬のあいだ、倉庫は動いていません。
私が二月に行ったとき、足跡は自分のものだけでした。
雪の残りに、ほかの靴跡は一つもありませんでした。
順番は、かけた順ではありません。
呼ばれる順です。
筆跡は、ほかの数字と同じでした。
同じ人が、全部書いているのだと思います。
私はそれから、毎年二月に、電話台の数字を見に行きます。
数字は、毎年ひとつかふたつ、手前に増えます。
増えない年もありました。三年目がそうです。
その年は、三十三の一つだけが、途中まで書かれて止まっていました。
三の横棒が二本で、三本目がありません。
翌年に行くと、三本目が書き足されていました。
去年は三十四まで来ていました。
私の三十二は、上から数えて、だんだん奥のほうへ下がっていきます。
新しい数字に押されて、順番が後ろへ回っているように見えます。
押されて下がるのか、こちらが待たされているだけなのか。
どちらにしても、消えてはいません。
消えないかぎり、終わってはいないのだと思っています。
それが救いなのか、そうでないのかは分かりません。
順番が下がるというのは、下から順に呼ばれる場合の話です。
上から呼ばれているのなら、意味はまるで逆になります。
どちらなのかを確かめる方法を、私は持っていません。
順番が回ってこないのか、それとも、まだ回っていないだけなのか。
ひとつだけ、はっきりしていることがあります。
数字は、誰かが手で書いています。
油性ペンで、天板に、縦に。
雨の日に行っても、書き足されたばかりの数字が濡れていません。
降りはじめる前に書いた、ということです。
天気を見て書きに来る人が、どこかにいるわけです。
書いている人を、私は一度も見たことがありません。
同じように説明のつかない声の話は、地下街の噴水で腕をつかまれた話に書きました。人数が合わなくなった話なら、古いトンネルの後部座席の話もあります。
番号は、いまも繋がるそうです。
決まりを守れば大丈夫だ、と言う人もいます。
けれど、井坂は名乗りませんでした。
私は、何も答えませんでした。
それでも、二人とも書かれています。
決まりを守ったかどうかは、関係がないのだと思います。
三つの決まりは、たぶん、かけた人が自分を守るために作ったものです。
守れば助かると信じられるだけで、人は電話を切れます。
切れたから、井坂は帰ってこられた。
帰ってきてから、どうなったかは別の話です。
あの天板に載るのに、声はいらないのだと思います。
受話器を上げた時点で、もう数えられているのでしょう。
だから私は、番号をここに書きません。
今年も二月が来ます。
三十五が書かれていないことを、私は確かめに行きます。